砂のアルバム
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
こうして日がな一日、ゴロゴロしながら海の音だけを聞くっていうのも、乙だと思わないかい?
――え? どうせなら寝る以外の何かをしていたい? こうしている間に、死が近づいてくる?
ははは、せっかちだな、こーらくんは。
私はゆったりのんびり、長〜く生きていたい派なんでね。だらりと過ごす日も、なかなか好きなんだ。海の潮騒以外にも、何かしらの音楽を聴き続ける休みっていうのも、一日や二日じゃなかったね。
音や音楽には不思議なパワーがある、とは神話のころから語られている。私たちの心臓でさえ、そのときどきに合わせたリズムを刻みながら、身体を動かせるよう働いてくれているもんだ。自分にぴっちりハマるものを見つけられると、つい抜け出せなくなってしまう。
私も以前、いまとは違う「音」に魅せられた時期があってね。同時に、おかしな体験をすることにもなった。
こーらくんも、何かをしていたいんだろ? ひとつ、こいつをネタにしてみないかい?
私が学生だった時分、ウォークマンが流行していた。
発売する前は、再生するだけで録音の機能がないと売れないんじゃないか、という懸念もあったと聞く。でもお客側から見れば、どこでも音楽を聴くことができるっていう利点が、ものすごくでかかったんだろうね。
レコードにせよカセットテープにせよ、それまでは専用機器が置ける空間。もしくは「ラジカセ」のような、いかついアイテムの用意が必要だった。それをポケットに突っ込んで、イヤホンをするだけでオッケーとくれば、嬉しいこと限りないだろう。
通勤、通学をはじめとした、手持ちぶさたの「さた」を埋める選択肢の誕生。労働も学習も国民の義務なれば、先の時間は誰にでも訪れる。そりゃ母数が違うし、売り上げも比例するだろうさ。
あまりの流行具合に、私たちの学校ではほどなく、ウォークマン禁止令が出された。抜き打ちの荷物検査による、摘発も多かったっけなあ。
登下校中の役に立つものだから、学校まで持ち込むなっていうのが無理な話。私たちは校舎内で、自分だけの隠し場所を探すのに、躍起になっていたよ。共倒れを避けるため、隠し場所は個々人で別にする、というルールも設けてね。
それでも退屈で、先生があまりこちらを気にかけない授業だと、こっそり耳にイヤホンをはめている生徒も、ちらほら見かけたっけな。
そしてある日の下校時間。私は隠したウォークマンの回収に向かった。
図書室の一番後ろの棚。そこに二重になって収まる本たちの裏側が、私の隠し場所だった。これが案外見つからない。表面の本を取り出す人、全然いないところだったからね。
図書委員でもあった私は、いつ書棚の整理が行われるか把握している。その時だけは別の策を練るしかないが、ウォークマンは無事であり続けてくれた。
今日は待ちかねていた、新曲の発売日。ささっと買い物を済ませて、明日からの行き帰りのお供にする腹積もりだった。
やがて図書室の前まできたけど、私は足を止める。
中から音が漏れている。ざくざくと土を踏みしめる音と、甲高い刀の音。時代劇の戦国物を思わせる効果音だ。
図書室にテレビやラジオは置いていない。となれば考えられるのはウォークマンからの盛大な音漏れだった。「なんとも、うかつな奴」と思いながら、ドアをわずかに開けたすき間から中をのぞき込んでみる。
一番手前側の席。本を開きながら、横顔を見せつつ椅子に座るのは、私のクラスメートのひとりの女子だった。
彼女はウォークマンを手にしていない。代わりに、持っていたのは透明な小袋で、中には砂が詰まっている。それを使い捨てカイロにするように、シャカシャカと振りながら、自分の耳へあてがっているのさ。
彼女は泣いていた。目を閉じ、そのまぶたからポタポタと涙を机の上に垂らしながら、ずっと砂袋を振り続けている。
もう片方の手で持つ、読んでいると思われた本も妙だ。文字らしい文字がなく、ページには彼女が持つものとよく似た、砂の小袋がいくつも張り付いているんだ。
思わず、ごくりと固唾を飲んだところで、彼女のシャカシャカがぴたりと止まる。
「誰?」と、先ほどまで泣いていたとは思えない鋭い口調で立ち上がった彼女は、席を立ってずんずんとこちらへ。私は逃げ出す前に、ドアを全開にしてしまったんだ。
私は悪気がなかったことを伝え、先ほど聞こえた音のことを話すと、目を丸くされたよ。「君にも、あの音が聞こえたの?」とね。
砂袋がたくさんくっついたこの本を、彼女は図書室の一番後ろの棚で見つけたのだという。ちょうど、私がウォークマンを隠している棚だ。
この本はたいてい借りられているのか、朝や昼休みには見かけない。放課後のひと気のない時間帯に、ときどき棚に姿を現わすのだとか。私も存在を知らなかったから、どこまで彼女の言葉を信じてよいか分からない。
本を見せてもらうと、1ページあたりに4袋。両面テープで様々な砂が貼り付けられており、中には色とりどりの砂が詰まっている。それぞれの表面には8ケタの数字が消えないマジックで書かれていたけれど、法則性は分からない。
――なんか、図書室より理科室に置いた方がよさそうなブツだな。
そんなことを考えていると、彼女が自分の持っていた砂袋を、私の耳元でシャカシャカと振って見せる。
やはりあの土を踏みしめる音と、刀を交える音。それが一層大きく聞こえるとともに、今回は人の叫び声らしいものも聞こえた。
しばらく聞いていると、どうやら落城寸前の攻防らしいことが分かったよ。これが時代劇なら無念とか、未練とかをいまわにつぶやく人もいるだろうけど、これはほとんどがせっぱつまった雄たけびだった。
雑念が入る隙のない必死さ。それがわずか半歩先で繰り広げられている気がして、思わず身震いしたよ。
彼女の話によると、袋ごとに様々な音が閉じ込められているらしい。聞き覚えのある音もない音もたくさんあったとか。
カセットテープやテレビ、ラジオよりも真に迫ってくる気がするものばかりで、すっかりハマっているとも話してくれた。
友達にすすめたくても、一緒にいる時は本が見つからない。借りようとしても、図書委員がそこにいないことばかりが重なって、彼女自身、本が呪われているんじゃないかと思っていたそうだ。
そこに初めて、私というイレギュラーが現れたから、嬉しいような恥ずかしいような、複雑な気分がするのだとか。
私が用事のあることを告げると、彼女は手早く帰り支度をしてしまう。私は図書委員だし、貸出の手続きしようか? とも提案したけど「学校にいる、短い間だけでいい」と返されたよ。当初は、借りることもやぶさかじゃなかったけど、いかんせんこの場でのめり込みすぎた。聞き過ぎると、後になって疲れがどっとくるのだとか。
彼女を見送って、私はあらためて砂の本を開く。彼女のいう別の音とやらに興味があってね。
あらためてじっくり本を観察すると、まれに砂じゃないものが入った袋が見受けられる。液体の入った袋がね。まるで土を溶かしたような色に濁っていてね。振っても音は出なかった。
適当に選んだ砂の袋を、シャカシャカ振ってみたんだ。
それが、海の潮騒の音だったんだ。
自然のものより、もっと足が速い。桶とかに溜まっている水に手を入れて、どんどんふちへかき出し、波を作っているかのようだ。「ザザア、ザザア」とせわしなく響き、私の鼓膜を揺さぶってくる。
だが、不思議と私は心が安らいでいくのを感じていた。聞けば聞くほど気持ちよくなって、袋を振り続けずにはいられない。やがてまぶたも、次第に次第に重くなり出して……。
先生に起こされた時、外はもうほとんど暗くなっていた。
手に袋はなく、例の本の姿もない。先生に尋ねても、眠っている私の他に、机に乗っかっているものはなかったという。
先生をどうにか先に外へ出し、ウォークマンをひっそり回収した私だけど、帰りながら聞く音楽に、どうも物足りなさを感じていた。あの迫ってくる感覚が足りないんだ。
音量をいくら上げても同じことだった。音漏れしていると家族に注意されても、私の耳は寂しさを感じて仕方ない。
もう一度、あの音を。そう思ったら色々なものが手につかなくなり出してね、学校の小テストもがっくり点が落ちちゃったんだ。
彼女のいう通り、あの砂の本は他の人の気配があるところでは見つからなかった。放課後に出向いても姿を見せることなく、再会を果たすには実にひと月半を待たなきゃいけなかった。
飛びつくように開いたページ。あの潮騒の音が出る袋。8ケタの数字は覚えていたけれど、肝心の袋の中身は、他で見たいくつかの袋と同じように、水になっていた。もう、音が聞こえてくることもなかったんだ。
それからしばらくして。プールで泳いでいた私は、耳に違和感を覚える。
耳垢でも出てきたのかな? と手をやったところ、それは湿って固まった砂のかたまりだったんだ。それから数年に渡って、耳から砂粒がこぼれ落ちることがあったんだよ。