第三話 記憶を巡って
「まずは零が覚えていることを整理しよう!」
「う、うん」
今日は土曜日。現在太陽は東の方角にある。調べる時間を沢山とれるよう早めに公園に来たためだ。まず手始めに生前の情報を整理することから始めようという話になったわけである。
「ということで、自己紹介をお願いしますっ!」
「えぇっ!?」
突然話を振られると思っていなかったらしい零は目を丸くして裏返った声を出した。恥ずかしそうに顔を背ける。軽く咳払いした後、改まった口調で話し始めた。
「えーと……俺の名前は零。多分生きている時にこの街に住んでいたと思う。後は……あっ、春ヶ咲高校に通ってたかな」
自分の服装を見て付け加えるように春ヶ咲高校に通っていたということを告げ、一度コクリと頷くとそれっきり話さなくなった。これで終わりという合図だろう。分かってはいたが覚えていることが少なすぎる。だが今、気になる単語があった。
「……春ヶ咲高校?」
春ヶ咲高校は私の通っている全校生徒三百人程の小さい学校の名称である。零を初めて見た時に制服がうちの高校のものではないかと思ったのをすっかり忘れていた。 そもそもここ周辺は田舎ということもあってか高校が春ヶ咲くらいしかない。春ヶ咲以外では少し遠い隣町にしか高校はない。つまり、この街に住んでいたのならそこに通うのが当然の流れだろう。
それなら春ヶ咲高校の生徒を調べれば零の名前が出てくるはずだ。もし在籍していれば名前以外にも多くのことを知れるだろう。それに、零について知っている人も出てくるかもしれない。何故こんな単純な手を今の今まで思いつきもしなかったのか、不思議でならない。灯台下暗し……というやつだろうか。
「ねぇ、零って何歳?」
「えっと、確か……15歳かな。一年生だった気がする。制服も新しい感じがするし……」
確認するため、制服に目を向ける。確かに、零の制服は真新しそうだ。零は自分の服装から記憶を探っているのか、自信なさげに答えているが、私から見ても零の推測は間違っていないように感じる。
零の話を参考にすると、私と零は同級生。しかし、私の学年にも先輩にも思い当たる節はない。もし私と在籍時期が被っていれば、亡くなったという噂を接点がなくとも知ることになるだろう。そう考えると、少なくとも零はここ三年間の生徒ではないということになる。私が入学する前、ひょっとしたらかなり前の生徒という線もある。ずっと前の……春ヶ咲高校の生徒……。
「桜空? どうかしたの?」
零は姿勢を低くし、覗き込むように目を合わせてきた。急に黙ったのを心配してくれたのだろう。瞳に不安そうな色が混じっている。
「ううん、何でもない!」
変に気を遣わせてはいけない。にっこりと笑顔を作り明るく返事を返せば、零はそっかとだけ応じる。
それからもう少し詳しく零と話して調べるべき情報を整理していった。零の家族構成、住所、在籍時の人間関係……手がかりになりそうなことを箇条書きにしてまとめていく。大体出尽くしたであろう時には、辺りは既に薄暗くなっていた。いつの間にか日が暮れていたのだ。これ以上遅くなっては危ないと零に諭され、私は一人帰路についた。
家に帰る途中、私は先程感じた違和感の正体を掴むべく思考の海に浸っていた。私より前に春ヶ咲高校に通っていた一年生。それに辿り着いた時のあの違和感。あれは一体何だ? 考えても考えてもその正体は掴めない。夢から醒めて、その夢のことを思い出したいのに、どうしても内容が思い出せないような、そんなもどかしさ。
零と過ごす時間が長くなるにつれ、胸の奥にあるもやもやした気持ちが大きくなっていく。心地良いのに息苦しい。知らないはずなのに懐かしい。相反する気持ちが同時に湧いてくるのだ。一緒に居るほど感じるこの重苦しさは何なのだろう。共通点が多い故の同情? もし生きていたら……そんな風に考えてしまっている? ああ、ぐちゃぐちゃ思考が絡まってよく分からない。
「おお……これはこれは久しぶりじゃないか、桜空。ワシのこと覚えておるか?」
不意にかけられた声。反射的に顔を上げると、そこには白髪混じりのおじいさんがいた。顔には深いシワが刻まれていて貫禄を感じさせるが、柔らかな笑みが穏やかな印象を生み出している。腰が曲がっているせいか、かなり身長が低いように錯覚する。片手には杖が握られている。誰か、知り合いにこういう人はいただろうか……?
「あっ、もしかして義雄おじさん!?」
義雄おじさんは私が小さい頃に世話になっていた近所のおじさんだ。私が幼い時におじさんと呼んでいた程なので今ではもうお爺さんと言える程歳をとってしまった。
「十年くらい経つが覚えてくれてたんじゃなぁ……」
私は一度親の事情でこの町から引越し、高校になって再び戻り暮らし始めた。かなり小さい頃だったため、あまり多くは覚えていないが、義雄おじさんのことは確かに記憶に残っていた。
「覚えてるに決まってるじゃないですか!」
冗談っぽく聞いてきた義雄おじさんに朗らかにそう返す。義雄おじさんはしんみりとしながらも微笑んで返事を返してきた。随分丸くなったと思う。
「それは嬉しいのう……」
今では優しいお爺さんになっているが、確か子供の頃はもっと厳しくて怒られると泣きじゃくっていた覚えがある。それでよく慰められていたものだ。何度も怒られて、その度に優しく頭を撫でて慰めてくれて……。
――あの人は、誰だ?
両親ではない。もっと若くてそれこそ今の私と同じくらいの歳の、いつも優しく頭を撫でてくれた……。暖かくて、いつも笑顔で……好きだったはずなのに、思い出せない。思考に霞がかかったかのように顔が分からない。笑っている。それは分かるのに、その人が誰か分からない。忘れてはいけない、絶対に。大事な人だったはずなんだ。必死の努力も虚しく、姿はどんどん不鮮明になっていく。
「本当にあの頃の桜空はやんちゃだったのう」
先程まで掴めそうだったはずのものはするりと指の隙間を零れ落ちていく。まるで夢から醒めた時の、あの感覚。さっきも感じたあのもどかしさだ。
「やめて下さいよ、恥ずかしい……」
私は思い出すことを諦め、気合を入れ直す。せっかく義雄おじさんに会ったのだからさりげなく昔のことを聞いてみよう。義雄おじさんはこの街にずっといるから、何か零の手掛かりが見つかるかもしれない。そう考え、義雄おじさんに色々聞いてみることにした。
「ところで義雄おじさん、少し聞きたいことがあるんですけど……」
「何かね? もしかして恋の悩み、かの?」
「ちっ、違いますよっ!」
妙なことを聞いてくる義雄おじさんに大袈裟に怒ったふりをして一蹴する。昔はこんなお茶目じゃなかったのに。人はこんなにも変わってしまうものなのか。
「そっ、そんなに怒らなくてもよかろう……?」
若干肩を落として落ち込んでいるが、それは無視をすることに決めた。手早く昔の春ヶ咲高校のことについて質問しよう。私が通っている学校について聞くのは何ら不自然では無いだろう。上手くいけば、春ヶ咲高校の生徒だったという零を知る手掛かりになるかもしれない。
「そういえば桜空は春ヶ咲に入ったんじゃったっけ?」
「へっ? ……あっ、はい!」
息を吸い込んで話そうとした瞬間に義雄おじさんから話を振られ、出鼻をくじかれた形になる。
「そーかそーか……懐かしいのう」
「懐かしい、ですか?」
昔の記憶を記憶を思い出しているのか、遠い目をしている。目を細めているため、元よりシワの多い目尻には小さいシワが更に寄っていた。
「ここの近所にもそこに通っとった子がいたんじゃよ」
「へぇ……」
「制服が変わる前じゃから……えーと、十年くらい前じゃのう」
え、春ヶ咲の制服が十年前に変わった? それが本当なら、今の制服と見比べれば零が亡くなったのは十年以内かどうかが分かるかもしれない。いつ亡くなったのか、具体的に分かれば調べるのも簡単になる。何とかして、その十年前の制服がどんなのだったか知る方法はないだろうか。
「ちょうど桜空が引っ越してすぐに変わったんじゃったなあ」
「私が、引っ越してすぐ……?」
「そうじゃよ」
「その、前の制服ってどんなのですかっ!」
私は義雄おじさんに詰め寄る。義雄おじさんは突然詰め寄られ、気圧されたのか後退りした。おろおろとしながらも、ほつれたズボンの中をごそごそと漁る。しばらくして、シワが寄ってクシャクシャになった色褪せた古い写真がポケットから出てきた。
その写真を手に取り、食い入るように見つめる。今の制服と違う箇所は何処だ? 女子の制服はスカートが無地からチェック模様に変わったと分かったが、男子はぱっと見は特に変化はないように見える。だが、目を凝らして見ると細部が違うと気づけた。
これは、紛れもなく……零が着ている制服だ。これまで特に意識して見ていなかったせいで制服が違うと気づけなかったんだ。
――つまり、零は十年以上前に死んでいる。