八話
街中の焦げ臭さという非日常に二人は、うんざりした。
が、先輩は冷静さを失わず店に帰るために道筋を模索している。
剣の才で飯を食える時代、戦乱や戦国の時代だったならば、先輩と呼ばれる男は、既に一角の人物に成りえていただろう。と、リュカは思う。リュカは、まだぼんやりする頭をどうにか働かせようとしていた。
──体を動かせばマシになるか……
リュカを誘導しながら移動の最中に羽音を聞いた“剣の虫”は舌打ちをする。──遅い。慎重に歩んでいたが、速めなければならなくなってきた。振り向かずに、その方向に剣を振るう。手持ちの剣は鈍だ、せめてもう少しマシな得物を佩剣すればと後悔しながら、リュカに言う。
「リュカ、気をつけろ」
「え?」
リュカの首元に噛みつこうとする羽音を叩き落とした。
「蟲だ」
体液をまき散らしながら、羽音が止んだ。
「走れるか?」
先輩の心配をよそに、身体が重いとリュカは苛々としたが、噛みつかれればそうも言ってられない。
「先輩」
言葉を発しても、呼吸が荒い。
「リュカ、角の煙草屋まで走れ」
先輩とリュカが走りながら振り返ると、再び暗がりから羽音が聞こえてくる。
その音以上に、リュカは自身の荒い息が煩く感じた。
先輩の腰につけられた洋灯が、それを浮かび上がらせた。平らな身体と顎を持った蟲が一匹、羽音をたてながら追ってきていた。
“剣の虫”はリュカの移動したのが解ると振り向きざまに一閃。
赤黒い体液が飛び散った。
血振りもせず息つく間もなく先輩が駆ける。
二人は自分たちの働く場所であるジェラールの店まで走ることになった。住み込む二人にとっては、家でもある。
周囲を見渡せる物陰までたどり着いて、蟲の気配がないのを確認して二人は一息ついた。先輩がリュカを気遣おうとしたが、リュカは強がる。
「気をつけろ、“腐肉齧り”までいる」
「剣の虫なら、友達でしょう。話し合いで、どうにかしてください」
ここで弱音など吐いたら、一生馬鹿にされそうだとリュカは思った。且つ、そんなものを口にすれば心も折れそうになっている。
「さっきまで半ベソだったのに、余裕そうだな」
息を整えながら「覚えてませんね、そんなこと」とリュカが力なく付け足した。
本来、門とワイン商の店までは時間をかけずにたどり着ける。のだが、火の手と何処からか湧いてきた蟲が、その進路の邪魔をしていた。
そのことが、リュカの苛立ちに拍車をかけていた。
──暗闇の中を隠れるようにコソコソと、まるで僕らが蟲みたいだ
二人を一番慎重に移動せざるを得なくしているのは、夜の暗闇と街に入ってから人に会わなかったことだろう。その異常な状態に警戒をしながら進むしかなかった。道中、人の肉片らしき物はあったが其れと解る代物ではなく、リュカの嘔吐は避けれている。
「護身用の小剣とかないか?」
「そんな野蛮な物は、商人に必要ありません」
「ジェラールさんの格言か」
「恩人の言葉にケチをつける気ですか?」
「いや、……今は何か持ってた方がいいだろ」
手近に落ちていた棒を拾う。
「なら、これでいいでしょ」
「え、それで殴るの?」と先輩が馬鹿にしたような言いように、リュカは棒切れを投げる。
「投げます」と無表情にリュカは答えた。
無言で別の棒切れを拾うリュカを見ながら、先輩はため息なのか大きく息を吐いて笑う。
「それだけ元気なら大丈夫だな」
「カラ元気です、あとで見舞金を請求します」
リュカの言葉に、カカカと嗤って返事をした。
「いくか」
二人が次の身を隠せる場所を目測で決めて、そこへ走り出す。
この街はそこそこに大きく、夜といえど完全に寝静まることはない。道路掃除屋、夜間荷役、酔っ払い、物乞い、娼婦、街盗賊、活動する職業や人種は少なくなるがそれ様々に夜に生きている。
そういう人々すらいないというのは、異常な状態だった。
そして代わりと言わんばかりに、蟲が多くでた。
──蟲が入り込むにしたって……
蟲自体は日常的に珍しいものではなかった。街の外に広がる麦畑には蟲除けの仕掛けがあるくらいだ。
ただ、街には必ず魔除けがあって蟲や魔物は街の中に入り込めないようになっていた。
先輩が走りながら、何度か剣を振る。
斬った蟲は「腐肉齧り」の名が付く虫だった。いわゆる害虫だ。
建物の陰や蟲がいなさそうな火の近くを細かく移動していく。
身を隠しながら「結界が壊れたんだ」とリュカが呟くと「だろうな」と先輩が同意する。この街の周囲を囲う壁には魔除けの結界があってそれが常識だった。それは街によって香だったり、火であったりと様々だが。
「皆、領主さまの城に逃げ込んだんでしょうか?」
「そうだろ。まるで人に会わないのは、そうだと思いたい」
「ですね」
先輩が先行してリュカを誘導する。時より振り返りリュカに笑いかけた。そんな風に火と蟲を避けて進むと、自分たちの店にたどり着くのが大回りになっていた。
「城は、……燃えてなさそうだしな」
「なら、店に行った後はそこですかね」
「そうだな」と先を走る先輩が言った。