四話
「可愛らしいボクちゃんが、商売の真似事なんかよりも、ここで酒造の職人見習いにならないかい?じっくり仕込んでやるよ」と、さも冗談っぽく職人頭が言うと、醸造所の持ち主が乾いた笑い声をだして、やんわりと職人頭を部屋から退出させた。
押し黙ってしまったリュカの代わりに先輩が助け船をだして、商談の締めをする。
大まかにはリュカが話を進めていたので、先輩はただ希望の金額を伝えるだけだったが、リュカの中では腹立たしかった。帰り際に醸造所の持ち主は、リュカに申し訳なさそうに謝罪をしてくれた。「すまなかったね、うちの職人が。しかしあそこで逃げ出さななんて、君は凄い商人になるかもしれないね」と笑顔だった。
もしかすると、と商談を思い返してリュカの中に疑惑がよぎる。醸造所の持ち主はあの職人頭の言動を利用してリュカを黙らしたのではないかと。
──そうであっても、そうでなくても
「二重に気持ちが悪いし、二重に腹がたってきた」
思い出したことを忘れるように葡萄汁を飲み干して、「おかわり」と声を上げるリュカ。
「ほら、麵麭を分けてやるから」
と、麵麭を半分ちぎって渡してくる先輩の手から、麵麭をひったくるように受け取ると、一口齧る。
「やけ食いです、もう一品、先輩が奢ってください」
皿に残る最後の猪肉にかぶりつくリュカ。「まだ食うのか?」と先輩。
「いけませんか?」
「いや、思ったより立ち直りがはやい、……元気そうで何よりだ」
「……、凹んで生きていても仕方ないですからね。……あと、ああいうことが……あるということを失念していた自分にも……腹がたちます」
リュカは咀嚼しながら喋り、麵麭を喰らって葡萄汁で流し込んだ。
「おう」
「そもそも、先輩がもうちょっと早く助け船を出してくれれば……」
「出したら出したで、怒るよな?」
「もちろん怒ってますよ、先輩に」
「どっちなんだ」と先輩は笑う。「助けては欲しいです、ただ面目がたつように」と真顔でリュカが言う。
「俺にそんな器用な真似が出来ると思うか?」
「思いませんね」
「なら、期待するなよ」と先輩はまた笑った。真顔のまま、リュカは黙る。
「どうした?」
「旨辛茸焼きを追加注文するか、悩んでいます」
「流石に食い過ぎだぞ、腹壊すぞ」
「そうですね」
先輩の忠告を素直に聞いたが、リュカの脳裏にはプコ似の職人頭が嘲嗤う姿が時よりちらつく。
リュカは何度目かの不快さを思い出し、持っていた木の器を机に強めに置く。
「あ、すいません。やっぱり思い出して腹がたちました」
「落ち着け、この商談はお前の手柄だよ」
先輩に諭されリュカは釈然としないものの、懐にある割符の感触を思うと、少し誇らしげだ。
──商談を一人で……、なんとかこぎ着けたんだ
リュカは自分の中にある不快さを、割り符の感触で上書きしていく。
「で、さ。……どうする?」
と、先輩がリュカの思考を遮るように話しかけてきた。気まずそうな先輩は珍しいとリュカは思った。
「そうですね」
村への道中に出会った、あの襤褸を纏った老剣士のことを失念しようとしていたリュカだったが、先輩はそれを許さない様子だ。
先輩はあの老剣士を気にしていることが、リュカには腑に落ちない。
──商談に集中したせいか、もうどんな爺だったか思い出せもせん
あの襤褸の老剣士は妖精が造った幻だったではないだろうかと思えるほど、あの老剣士の雰囲気もリュカ自身が感じた不安も今では思い出せなかった。
「今から帰ったら、城壁の門が閉まるかどうかですよ」
「それでも帰りますか?」リュカが予定通り一晩泊まって街に帰ることを勧める。
「うーん」と唸って納得いかないのだろう先輩は、リュカを見ながら己の直感で動くか予定通りに動くか決めかねているようだった。
「なにをそんなにひっかかってるんですか?」
「うーん、何となくなんだよ。なんとなく」
──あぁ、いつものか
この男の直感を馬鹿に出来ないことを、リュカは数年の付き合いの中で理解していた。
唸る先輩を横に料理を咀嚼しながら「今度はなんです?」とリュカ。
「お嬢さんの誘拐未遂の時のような、事件にならなければいいですけど」
「まぁ、あの時もなんとなくだったんだよな。でも、あれは後が大変だったなリュカ」
「大変だったのは、ジェラールさんとオ……私だったわ!」
「その節は、タイヘン迷惑ヲカケタ、すまんカタ」
「謝る気がないですね」リュカが先輩を睨む。
「いやでも、誰も怪我してないだろ」
「お前はしただろうが、……あと犯人たち」
「いや、ジェラールさんも犯人の治療費払わんでも……」
「先輩がやり過ぎたんだろうが。木剣一本で六人をどうやって同時に倒せるんだよ、まったく」
「……研鑽かな」
「ドヤ顔で言ってんじゃねぇよ」
「鍛錬かな」
「そういうことじゃねぇ!」
先輩はリュカを見て笑った。笑われながらリュカは思う。
──仕方ない人だな
リュカは大げさにため息を一つ。この人は肝心なところで誰かを巻き込むのを厭がる、こんなところで唸ってないで「着いてこい」といつもの調子で言えばいいのにと心の中でリュカは思う。
口を出せば凹むだろうとリュカの心中を察して、商談もギリギリまで黙ってくれていた。その上で、リュカをからかうと言いながら、ご飯を誘ってくれた。
──なんだかんだで、この人を無碍に出来ないんだよな
リュカは麵麭の切れ端を一口で片づける。
「笑ってないで早く食いやがってください」
「……ゆっくりしようぜ、辛勝だったが祝い酒だ、リュカお前の」
「辛勝というところに、悪意を感じますけど」
「まぁ、事実じゃね?」
「っせーな。……早いところ食ってしまいましょう」
「まだ帰るとは言ってないだろう」
「直感は大事にすることが、生きていく上でのコツなんでしょ、先輩?」
過去の発言に先輩は気恥ずかしそうに己の頭をかいて、「そう、なんだが」と困り顔になった。
「どっちにしろ早く片づけてしまうにこしたことはないですよ」
「ほら、先輩さっさと食べて」とリュカが急かすと、店の給仕嬢が「あら、もうお帰り?二階の宿部屋なら一部屋空いてるよ」とあけすけに冷やかしてきた。
「泊まりませんし恋人でもありませんし、ただの仕事上の先輩後輩です」
早口にリュカが反応して給仕嬢は、含んだ笑いを浮かべたまま肩をあげて別の客への注文をとりに行ってしまう。
「ちょ……!は?」
その態度にリュカが激高して給仕嬢に文句を言いに行こうとするが、先輩に首根っこを捕まえられて、両足が空をきった。
「てぇめぇ、ちょっと……」
結局、何も言えないままリュカの口は塞がれた。