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一章 5

「もう知っているものがいると思うが、昨日の夜、板橋区で殺人事件があった」



 まだクラスメイトの全員が着席していないにも関わらず担任が話し始める。


 担任を舐め腐っている生徒もさすがに異変を感じ取り、話を聞くために慌てて座り始めた。



「その殺人犯が、現在も板橋区で通り魔をしている」



 その言葉を聞いた瞬間、食卓で一人で過ごす母の姿が真っ先に思い浮かんだ。



「板橋区に住んでいる者はいるか?」



 ちらほらと手が上がるのを見て、兎姫乃も慌てて手を上げた。



「手を下ろしていい。今日は午前授業になるが、君たちは学校で待機だ。親御さんに迎えに来てもらえるようにするから」



 担任の言葉が終わるや否や家族の心配をする生徒がざわつき始める。



「先生! 家へ電話してもいいですか?」


「ああ、そうしろ。ホームルームはこれで終わる。一時間目は、会議になるから自習になるぞ」



 そう言い残して担任の先生は足早に教室を出て行った。普段は挨拶だなんだと口うるさいのに、人が違うようだった。


 板橋区から来ている生徒たちが、ざわつく教室から飛び出て自宅へ電話をかけ始める。



「ねぇ、鈴木さんも電話しなくていいの?」



 後ろの席に座っている女子が、兎姫乃の肩をつついた。



「え」



 母のことが心配なのはそうだが、兎姫乃の中ではどんな通り魔がどうやって母を殺すのかという物語が生まれていたのだ。その妄想に忙しく、電話をすることをすっかり後回しにしていた。



「板橋から来てるんでしょ?」


「う、うん」



 兎姫乃は慌ててスマートフォンをつかむと教室を出た。廊下には家族が心配な生徒であふれかえっており、仕方なく階段の踊り場へ移動する。移動する間も自己嫌悪していた。物語を作る癖が、まさか家族の死をもエサにするとは思わなかったのだ。家族を愛していないかもしれないというおぞましさにショックを受けていた。



「しっかりしろ兎姫乃!」


「え、なに、だれ、どこ?」



 どこからか声が兎姫乃を呼んだ。



「ここだ! 君のスマートフォンだ!」


「う、ガユガインっ……!」



 高校生になって買い与えられたスマートフォンの画面に、炭色の鎧を着たロボットが、両手を振ってスピーカーから呼びかけていた。


 会議へ行こうとする教師が何人も踊り場を通り抜けるので、ガユガインが見られないように慌ててスマートフォンを耳に当てた。



「なんで私のスマートフォンにいる?」


「電脳世界とつながっているならどこにでも……、なんて説明している場合ではない。奴が、黄泉醜女(よもつしこめ)が現れた」


「は? ヨモツシコメ?」


「そうだ。電脳世界で昨日の夜の殺人事件を調べてみたんだが、なにか大きな口でがぶりとやられていたらしい。黄泉醜女に違いない」


「なんでそうだと決めつけられるの?」


「それは」



 ガユガインが躊躇うように言葉を選ぶ。


 その理由はなんとなくわかった。言い出せない理由と、兎姫乃が協力を断ったことが原因なのだ。



「聞かせて」


「私は彼らに追われている。だが、彼らと戦うには君の力が必要なのだ」


「私には関係ない。でも、あんたが負けたらどうなるかだけ教えて」


「おそらく、この殺人事件は日本人全員を食い殺すまで続く」


「は、なんで?」


「呪いみたいなものだからだ」


「呪いって」



 ガユガインの言葉はいちいち大げさだった。誇大妄想だと思えてしまうほどに信じ切れないのだ。だがもし、ガユガインの言葉を全面肯定したとするならば、その呪いを解くまで戦わなければならなくなる。兎姫乃はそこまで付き合いたくなかった。



「私は母さんを助けられればそれでいい」



 兎姫乃は、母親の死で物語を作ってしまった罪悪感があった。その罪滅ぼしはしたかったのである。



「そうか。似たもの同士だな」


「あんたも誰か助けたい人がいるの?」


「ああ。しかし、一人では難しい。どうしても君の力が必要なんだ」



 ガユガインは弱々しい声で訴えた。



「やめて。捨て犬みたいな声を出さないで」


「頼む。力を貸してくれ」


「今回だけ」


「そんな」



 打ちひしがれたロボットが、スマートフォンの中でがっくりと肩を落とす。


 見捨てられた弱者のポーズ。


 兎姫乃は、そういうものを極力見ないようにしてきた。



「ああ、もう! とりあえず今回は協力する!」



 見れば、助けたいと思ってしまうのだ。



「ほ、本当か!」


「で、どうすれば良い?」


「そうだな。屋上へ行ってくれ。奴は人間を食い過ぎた」


「はぁ、なんでそう怖いこと言うのかなぁ!」



 兎姫乃はホラーやサスペンスも嫌いだった。恐ろしいものは必ず夢で見てしまうのだ。


 ガユガインの言葉に従い、階段を上っていると校内放送が入った。



「生徒は今すぐに体育館へ集まってください!」



 女性教諭のヒステリック寸前の放送で、生徒たちはパニックを起こしながら教室を飛び出した。


 兎姫乃は、その人混みに呑まれる前に屋上へ続く扉へと辿り着く。



「はぁ、はぁ、なんか、大変なことになってるんだけど」



 集団行動から思い切り外れた行動をしていることに不安が増し、今すぐ体育館へ行ってなんの交流もないクラスメイトの群れに落ち着きたかった。



「外に出ればわかる」


「なに? どういうこと?」



 兎姫乃は、扉の内鍵を開けて屋上へ出る。パトカーの音やJアラートが空に響き渡っていた。


 塔屋から三歩進み出てぐるりと空を見回すと、それが見えた。



「え」


「あれが黄泉醜女だ」



 スマートフォンから出た小さなガユガインが指をさして教える。


 母親のいる板橋区に巨大な怪物がいて、足を振り上げていたのだ。



「何かにつかまれ!」


「え」



 ガユガインの警告に反応できなかった。


 黄泉醜女が激しく足を踏みつけた。


 激震が都内を揺らす。


 校舎の窓ガラスが砕け散り、近隣の建物からもガラスの破片が飛び散った。


 掲げられた看板は激しく揺れて、老朽化したものは熟れた柿のように落ちる。


 兎姫乃は踏ん張りきれずに屋上で尻餅をついた。



「いったぁ……」


「人間を踏み潰している」


「え、嘘!」



 兎姫乃は急いで立ち上がる。


 黄泉醜女と呼ばれた怪物は、女性のようなシルエットながら青白い肌でボロボロの黒い布を身に纏い、乱れた黒髪で顔を隠していた。その髪の合間から愉悦に曲がる恐ろしい口元がのぞいている。



「あんな、人を蟻みたいに潰す怪物と戦うの?」


「ああ、大丈夫。君ならできる」


「どうやって!」



 錯乱していた。初めて経験することで、胸に手を当てて鼓動や呼吸の乱れなどを分析する。こんな時でも描写の参考になると思ってしまうのだ。


 ガユガインが背負っていた万年筆を兎姫乃へ差し出した。



「ここにあるは、八百万の御代筆。これを持ち、来たれ物語(ものがた)司人(つかさびと)よ、と天に向かって宣言するのだ」


「え、いやなんだけど」



 ガユガインが掲げる黒塗りの万年筆。人間の手に馴染むように作られている。


 兎姫乃は、そのペンを手にしたいという本心を隠した。悪鬼を倒したときに見た光る文字を空に刻めるのだとしたら、そんな機会は二度とない気がしたのだ。



「こればかりは変更できない。宣言しなければ私と君は一緒に戦えない」


「なんでよ?」


「私が、人間に力を貸すには望まれなければならない。望まれなければ、あの黄泉醜女を祓うことすらできない」


「昨日はできたよね?」


「あのときは私が代償を支払った。これ以上の代償は自分のためだけに使いたいのだ」


「そんな勝手な」


「もし、ここで君が怖じ気づくならば、私はここから立ち去るだけだ」


「卑怯よ!」



 ガユガインが、どこか正義の使者のような気がしていた。人間のピンチには必ず力を貸してくれると思っていたのである。そんな虫のいい話はないのだ。自分の守りたいものは自分で守らなければならなかった。


 高校になってから母親とは疎遠になっているような気はしていた。だからといって、その母を見捨てるなんてできることではなかった。もうすでに踏み潰されて死んでいるかもしれない物語が浮かびそうになり、慌てて頭を振る。そういう場合ではないのだ。



「わかった。やる!」


「君ならそういうと思っていた」


「ねぇ、私の家族を人質にとるためにあいつを呼び寄せたとかじゃないよね?」


「奴らは、私を追っている。結果的にそうなったかもしれないな」



 兎姫乃は、ガユガインとの縁を煩わしく感じる。

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