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一章 3

 間近で見るガユガインの顔は、一円玉を叩いて伸ばしたような明るいねずみ色の肌をしていた。その顔には、琥珀色の眼が埋め込まれている。顔の凹凸は人間らしく作られているものの幾何学的で、冷たい印象を受けた。角張った唇で言葉を喋るのがなんとも不思議であった。


 ガユガインの身につけている鎧は、内側から燃えているようで、炭火を思わせる。それも時間とともに光を失い、悪鬼を仕留めた滝が流れきると元通りの真っ黒な鎧へ戻った。


 ガユガインは、兎姫乃を地面に降ろすと最初のような小さな存在になる。そのスムーズな縮尺の変更に、思い当たるところがあった。バーチャルなポリゴンモデルのサイズをマウスでいじったときのような感覚だったのである。



「うぁぁっ、くぅっ!」



 遠藤が、嗚咽を漏らさぬように歯を食いしばっていた。



「文学は湯水の如く。絞るように溜めた水は、乾いた心を再び涙で湿らせる」


「な、なにを急に」



 あまりにも芝居めいた言葉に兎姫乃はガユガインから距離を置いた。



「彼は正しさを求める実直な人物なのだろう。故に、彼は頼りにされ、面倒を押しつけられた。彼は我慢して要望へ応え続けるうちに、嫌われ役に呑まれたのだ」


「なんでそんなことがわかるの?」


「これはあくまで私の想像だ。想像だが、刺さって良かった」



 ガユガインと兎姫乃の前で、口を押さえて涙をボタボタと流す遠藤を見て、とても幸せな結末になったとは言いがたいような気がした。



「文学で浄化するなんて言ってたけど、できてるの?」


「浄化はできたと思う。ただ、現実には取り返しがつかないこともある。そういう悔し涙であると見た」


「悔し涙……」



 ハッピーエンドは、感動してほっこりして笑顔になるものとばかり思ったのだ。



「彼を苦しめていた罪穢れは祓った。私は行く。また会おう!」


「え、ちょっと」



 さすがにもうこんな思いはしたくなかったので断ろうとしたが、ガユガインは猛然と逃げる猫のように茂みへと飛び込んで行方をくらませる。夕闇もガユガインに味方した。



「え~、この状況はどうするの?」



 公衆トイレの壁には大穴が空き、公園のシンボルであった大木が折れて転がっている光景を眺め、兎姫乃は途方に暮れた。


 兎姫乃が警察を呼ぶべきか悩んでいると、遠藤が立ち上がる。



「君は帰りなさい」


「え」


「あとは私がなんとかしておくから」


「でも」


「すまなかった。怖い思いをさせて」



 日没が疎ましく思えるほどに、遠藤からは前向きな優しさを感じた。惜しむらくはその微笑みを見れなかったことだ。ビフォアーアフターをしたい欲求はあったものの、兎姫乃はお言葉に甘えることにした。



「それじゃ、さよなら」


「ああ」



 人が変わったような朗らかな声を聞いてから、兎姫乃は家に帰る。


 すっかり暗くなった道を足早に歩いて玄関へ飛び込んだ。



「お帰りー。遅かったわね」



 部屋から顔を出した母の友喜(ゆき)が、眉をひそめて首を傾げる。豊かな長い髪がつられて流れた。どこへ行っても悪目立ちする母で、童顔のせいでよく姉に間違われるのだ。



「う、うん。ただいま」



 思いのほか動揺をしていたことに気付く。最初のうんが上手く言えなかったのだ。



「なにかあった?」



 友喜は人の顔を見て察するのが上手く、兎姫乃はいつも知られたくないことを誤魔化すのに苦労した。



「公園で野良猫につきまとわれて逃げるのに苦労した」


「へー」



 納得のいってなさそうな生返事をする母を無視して、兎姫乃は二階にある自分の部屋へと駆け上がる。とにかく一度落ち着きたかったのだ。


 部屋へ戻り、しまったと思う。パソコンが起動したままだった。スリープさせずに出かけていたのだ。



「あれ、待って」



 兎姫乃は違和感があり、記憶をしっかりと巻き戻す。


 スリープ状態にした。したはずなのだ。


 それなのに真っ暗なはずの部屋をノートパソコンのモニターが白く照らしていた。


 兎姫乃は、部屋の照明も点けずに近づく。


 画面には閉じたはずのブラウザが立ち上がり、投稿した小説が表示されていた。


 それを壁の落書きでも眺めるような後ろ姿がある。



「が、ガユガイン!」



 ガユガインが、モニターの中にいた。



「ちょっと、そんなところで何して、というかどうやって入った、じゃなくて、なんで私の部屋にいる!」



 モニターへ直接話掛けてもガユガインは反応しなかった。



「ああ、もう!」



 兎姫乃は机の引き出しからマイク付きのイヤホンを取り出して、パソコンにあるイヤホンジャックへ刺してから喋る。



「ガユガイン!」


「おお、帰ってきたか。小説を読ませてもらってるぞ。ペンネームラビットプリンセス」



 ガユガインの声がイヤホンから聞こえたことで、本当にパソコンへ入っているのだと実感し、恐ろしくなった。



「うわあああ! 私をその名前で呼ぶな!」



 兎姫乃は自分の名前からペンネームを考えた。兎と姫でラビットプリンセス。誰にも読まれないという自覚みたいなものがあり、多少恥ずかしくても構わないと思った過去の自分を張り倒したくなった。



「なにがそんなに嫌なんだ。ん?」



 ガユガインを黙らせたくて、ノートパソコンにつなげたマウスでガユガインを右クリックするとメニューが現れた。


 兎姫乃は一瞬の迷いもなく削除を選択した。


 オペレーションシステムがエラーメッセージを吐き出す。容量が大きすぎて削除できないとぬかしたのだ。



「なんでよ!」


「待て、なぜ私を削除しようとする?」


「うるさい! 人のパソコンに勝手に入る奴はウィルスも同類だ! 消してやる!」


「わかったわかった。今出るから」



 ガユガインは、鷹揚に頷いてからモニターへ掌を当てると、波紋を浮かせながら兎姫乃のパソコンから出てきた。


 兎姫乃はそれを見ると部屋の窓を開けて、ガユガインを掴んで投げようとする。



「あれ!」



 ガユガインをつかもうとした手が空を切った。お姫様抱っこされたのだからと、兎姫乃は触れないことに納得がいかず、つかみ取りを繰り返す。



「え? え? え?」


「楽しいか?」



 つかみ取りの素振りをする兎姫乃へガユガインは問いかけた。



「あんたなんなの?」


「では、改めて。私は文弱猛士ガユガイン!」



 ノートパソコンの上で万年筆を掲げて宣言する。



「で、なんなの?」



 兎姫乃は要件だけを望んだ。



「私はアンチバーチャル体という存在だ」


「アンチバーチャル体ってなによ?」


「架空ではない架空の存在だ」


「とりあえず幽霊みたいなものね」



 そこにあるのに触れないことから、兎姫乃はそう結論づけた。



「そうだな。それで私は、一緒に文学をしてくれるパートナーを探している」


「いや。ムリ。ダメ。断ります」



 文脈から察してすぐに断った。さっきのような戦いへ巻き込みに来たのだ。



「タダで協力してくれとは言わん」


「いくら積まれても嫌なものは嫌」


「君の小説を読ませてもらった」


「……それがなに」



 兎姫乃は、言葉によどみが生まれたことへ恥ずかしくなる。小説のことになると、どうしても感想や反応を知りたくなってしまうのだ。ネットワークの向こう側にいる不特定多数の静かな閲覧者よりも、目の前にいるロボットだかポリゴンだかの言葉に価値があるように思われた。



「色々気付いたことがある。知りたいのではないか?」


「……こいつ」



 ガユガインがなぜパソコンにいたのか。なぜ小説を読んでいたのか。なぜ兎姫乃の危機に駆けつけたのか。それらが推理小説の名探偵ばりの直感で一本に繋がったのだ。


 ガユガインは、最初から兎姫乃に目を付けていたのである。


 自意識過剰な邪推と言われようとも兎姫乃は確信していた。


 人の弱みを握って悪事の限りを尽くす、少女漫画に出てくるクズ男みたいなやり方なのだ。


 兎姫乃は、理性でわかっていても、欲しくて堪らなかった感想や指摘へ、喉から手が飛び出し掛かっていた。



「君の安全は保障する」



 ガユガインは兎姫乃の葛藤を察知し、さらに条件を整える。リスクを減らして見せて、有益な取引だと思わせる作戦だった。



「わかった」



 兎姫乃はまんまとそれに引っかかっる。



「あんたに協力する」



 兎姫乃の作った握りこぶしが小刻みに震えた。


 苦渋に満ちた顔を見て、ガユガインも心苦しく思う。



「君の勇気に感謝する」


「勇気じゃない。取引だ」



 兎姫乃は、勇気なんてないことを自覚していた。



「兎姫乃~、ご飯よ~」



 部屋の前から母の気配がある。



「はーい! また後でね」



 兎姫乃はいつも通りの返事を返してから小声で言いつけた。


 ガユガインとの対話を一旦終えて、兎姫乃は夕食を済ませることにする。



「うむ、その間に小説を読んでおこう」



 ガユガインは、小さなくせに態度が大きい。


 兎姫乃は、自分の部屋に客人を招いたのは初めてで、部屋をあさられやしないかと気が気でなかった。


 黙々と夕飯を口へ放り込み、無愛想にごちそうさまを言って部屋に戻る。

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