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四章 7

 兎姫乃は、イザナミがアンチバーチャル体ではなく、もっと高次のエネルギー体なのではないかと思う。それくらい静かで力に満ちた姿だったのだ。こんな存在が日本のどこかにいたなんて思いもしなかったし、いてくれたことが嬉しかった。


 イザナミは、ガユガインから剣を受け取ると困ったようにガユガインを見た。



「この星での役目は終えました。また別の星で会いましょう」



 ガユガインが告げると、イザナミは少女のように元気よく頷いて夜空へと舞い上がる。



「え、ちょっと待って! あんたのお母さんでしょ? 一緒に行かなくていいの?」



 ガユガインは、兎姫乃の言葉には反応せず、黙ってイザナミが旅立つのを見送った。



「ガユガイン!」


「さぁ、次は兎姫乃を送る番だ」


「説明してよ!」



 兎姫乃が叫ぶと、世界は電脳世界へと切り替わる。


 光の点と線が張り巡らされた暗闇。


 ガユガインが、兎姫乃のスマートフォンから飛び込んだのだ。


 兎姫乃と同じくらいの大きさになったガユガインが、兎姫乃の手をとって電脳世界を移動していた。


 ゴツゴツとした手で引っ張られ、兎姫乃は少し緊張しているのが癪だった。



「説明して」



 緊張へ負けないように声を低くする。



「イザナミは、地球へ降り立った地母神の一人だ。地球のような生命力に満ちた星から星へ旅をして、人類と文明の種を蒔いている」


「地母神」


「成熟した文明は、地母神を忘れるものだ。忘れられたとき地母神は旅立つ。だが、イザナミは、忘れられるどころか名誉を貶められ縛り付けられた」



 兎姫乃は、ガユガインの手に力が入るのを見逃さなかった。


 静かな怒りを感じ取り、兎姫乃もまた同じ腹立たしさを感じる。



「私は、そんなイザナミを放っておけなかった。私の実の母ではないが、似たようなものだ。兎姫乃のおかげで親孝行ができたんだ。ありがとう。感謝してもしきれない」



 感謝は別れの言葉でもあった。


 兎姫乃だって小説でなんどか使ったことがある。気付かないことはない。それでもガユガインが別れを言っていないのだと思いたかった。


 父親と決別してからというもの、兎姫乃の味方はガユガインと羽月だけだったのだ。そのガユガインがいなくなったら、どうしたらいいのかわからない。小説を読めという要求もガユガインを引き留めるための口実に過ぎなかった。


 正直に認めるのも嫌になるくらい、ガユガインには傍にいて欲しかったのである。小説で誰かを救い続けても良かったし、もう少し小説のダメだしなどもして欲しかった。


 兎姫乃がガユガインに手を引かれながら正直な思いを言い出せずにいると、電脳世界へ張り巡らされた線を鼠のように駆ける影を見つける。



「あれって?」



 巨大な腕が目立つ上半身だけのシルエットから悪鬼だとわかった。



「イザナミがいなくなっても悪鬼は消えない。まだ常世とつながっているからな。これから言霊主が、常世との繋がりを閉じる。それまでは悪鬼が生まれ続けるだろう」


「そうなんだ」



 兎姫乃は少し安心した。


 ガユガインの役目はまだ残っていることになる。兎姫乃は、まだ少しガユガインといられると思ったのだ。



「これは悪い報せになるんだが、八百万の御代筆がなくなった今、悪鬼を退治できるのは言霊主だけになった」


「え」


「私の存在を裏付けていた罪も燃え尽きた。兎姫乃が悪鬼に関わることはもうない」



 まるで良いニュースだと言わんばかりにガユガインが兎姫乃を見た。


 黒い頬当てまでも失ったガユガインがにかりと笑う。


 兎姫乃は笑えなかった。



「なに? なに言ってるの?」


「さんざん嫌がっていただろう? もう悩まなくてすむ」


「今は違う!」



 兎姫乃の声に反応したかのように電脳世界の線がざわめく。悪鬼が光の点から次々と現れて、ガユガインを追いかけてきた。



「な、なに?」


「私に対する悪意だ。家を壊されたりした人たちか、あるいは不利益を被った人たちの言葉だろう」


「そんな」



 兎姫乃たちの戦いは、多くの日本人には理解されないものだった。イザナミや黄泉醜女とガユガインの存在は変わらないのである。



「兎姫乃、もし私のせいで平穏に暮らせなくなったときは」



 ガユガインの声から不安がにじむ。



「そのときは、すべてを話すだけ。古事記を書き直せって言ってやる」



 兎姫乃は、強気に笑い返した。


 東京を、日本を守った自負があるのだ。


 この日本で誰がイザナミを止められたのか。


 名乗り出られるものなら出てみろと言い切ってやるつもりだった。



「迷惑を掛ける」


「迷惑じゃない」



 ガユガインの後ろ向きな発言で、覚悟を決める。


 聞きたくない言葉が来るのだ。


 兎姫乃は、ガユガインとは繋いでいない方の手でブラウスの胸元を握りしめた。


 苦しくて堪らなかった。


 耳を塞ぎたくもなかった。


 受け止めようと努力はするつもりだった。



「私は、もうすぐ消える。兎姫乃の小説を読めなくてすまない」



 身構えていただけに、兎姫乃はうろたえなかった。


 ガユガインがずっと言い続けていたから、嘘ではない。


 希望のある言葉は外れてばかりで、嫌なことばかりがその通りになった。


 兎姫乃は、言葉の無力さをまざまざと見せつけられたのだ。



「消えるまで、どのくらい掛かるの?」



 諦めの悪い兎姫乃の口が、ガユガインの悲しみをさらに深めるかもしれないことを訊いた。



「一時間も掛からないと思う」


「時間がないわけじゃない」


「いや、しかし」


「私を送ったら、私の部屋に行って」



 ワガママな悪あがきだった。



「小説を読んだら、感想も書いて」



 図々しくもあり、救いようがない。


 兎姫乃は、読者や反応を求めずにはいられない病のようなものに罹っていたのだ。



「変わらないな」



 ガユガインが、呆れたように微笑んだ。



「いいだろう。鎧を作ってくれたお礼も兼ねて、この体が消えるときまで兎姫乃の小説を楽しむとしよう」


「本当に?」


「ああ!」



 力強い約束は、兎姫乃の罪悪感を取り払う。


 消滅を前にして、ガユガインのもたらした希望はなによりも心躍るものだった。



「それなら急がないと」



 ガユガインがスピードをあげて、電脳の世界を突っ切っていく。


 それに合わせて影もうごめいた。


 目指す所へ赤い点が一つだけある。


 言霊主のマーキングした兎姫乃の両親がいる場所だ。



「悪鬼が来てる!」


「心配は無用だ」



 ガユガインは一気に目的地まで来ると、兎姫乃を赤い光へ放り込んだ。



「後ろ!」



 赤い光に呑み込まれながら、兎姫乃はガユガインの背後に悪鬼がいるのを警告する。



「ふん!」



 ガユガインが拳を悪鬼の顔面に叩き込んだ。


 殴られた悪鬼が、電脳世界の彼方へと吹き飛んでいく。



「え、戦えたの?」


「殴ったところで悪鬼はなくならない。意味がないから使わなかっただけだ」


「って、危ない!」



 ガユガインは悪鬼たちに追いつかれて囲まれた。見えるだけで多勢に無勢だ。



「さらばだ兎姫乃! 兎姫乃の小説が多くの人を感動させることを願っているぞ!」


「待って! えっと!」



 ガユガインの危機にお礼を言ったらいいのか応援を行ったらいいのか悩み、悩んでいるうちに兎姫乃は現実の世界へ、甲府にある旅館の一室へ放り出されていた。


 和室の部屋に一人で立ちつくしていたのだ。


 和室の外はすっかり明るくなり、昼間であるとわかった。電脳世界を通った間に夜が明けてしまったのである。


 車道を走る車の音が、雷神の轟音を忘れさせるほどに新鮮だった。



「最悪だ」



 言うべきことをなにも言えなかったことが重くのしかかり、兎姫乃は座りこむ。


 最後の最後まで自分の欲望を優先したことが恥ずかしく、自己嫌悪が再発しそうになった。



「兎姫乃!」



 部屋の扉が勢いよく開いて、父の伸哉が飛び込んで来た。



「無事だったか……っ!」



 父親が目に涙を浮かべるのを見て帰ってきたのだと実感する。



「兎姫乃!」



 今度は母の友喜がやってきて、兎姫乃へぶつかるようにして抱きしめた。



「ただいま。どうしてわかったの?」


「携帯に知らない人からメッセージが来てて、兎姫乃を送り届けたって」



 母親のスマートフォンの画面にはアプリケーションが起動していて、デフォルトのアイコンからの吹き出しにコメントがあった。



『兎姫乃を送り届けました』



 ガユガインだ。


 すぐにわかった。


 兎姫乃は、荷物のように配送されたことへ腹も立たなかった。



「東京はどうなった?」



 父親へ尋ねる。


 戦いの結果は、父親へ突きつけるために必要なことだった。



「ボロボロだよ。雷による電気系の損壊と火事や家屋の倒壊が多いそうだ」


「そっか」



 兎姫乃は、伸哉の言葉を聞く限り、勝利の報告を聞いているようには思えなかった。


 損害なのだ。


 それが一般の認識である。



「東京へ残っていたのは、本当にごく一部の人たちだけで、その人たちがテレビで取り上げられている。ロビーで母さんと見てたんだ」


「どんな風に言ってた?」


「赤いロボットが戦ってくれたって。東京を守ってくれたって」



 伸哉の言葉を噛みしめていると、涙がこぼれてきた。熱い雫が次々と沸いてくる。悲しい涙ではない。ガユガインが認められたことが嬉しかったのだ。


 ガユガインの頑張りが報われたのだ。


 それが嬉しくて、兎姫乃は静かに涙を流し続けた。


 泣いていて、後悔に気付く。


 一緒に戦ったのにねぎらいもしなかったことが、心残りだった。

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