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四章 3

 東京にJアラートが鳴り響く。


 菊理媛に崩された高層ビルを見て、兎姫乃は戦う場所を選べないかと思いついた。



「ねぇ、一つ火で呼び出せるなら、黄泉醜女の時みたいに海の上へ行かない?」


「おそらく無理だ」


「どうして?」



 兎姫乃が疑問を浮かべると、上空を自衛隊の戦闘機が横切っていく。


 できることなら、彼らの迷惑になりたくないと兎姫乃は思っていた。



「イザナミの狙いが天皇だからだ」


「はい?」



 返ってきた答えに気が遠のく。



「え、なんで?」


「イザナミがアンチリアル体となった原因は古事記にある。古事記は、神話を記録した公文書だ。時の天皇がその作成を命じている」


「え、じゃあ古事記を書かせた責任を取らせるために東京に現れるってこと?」


「正確に言えば、ずっと潜んでいた。天皇はネットワークから少し離れているから出てくるタイミングを見計らっていたのだろう」



 イザナミの凶暴さは古事記に由来するものだが、その怒りは名誉を毀損された元のイザナミのものだった。



「なら、戦うんじゃなくて古事記を作り直した方が良いんじゃないの?」


「それが最善だな。ただ、今の天皇にそれはできない」


「なんで?」


「この一年、私も戦わずに済ませる方法を見つけようとしていた。色々と調べてみたんだが、この国は今、天皇と国民と政治がバラバラになっているみたいで、古事記を書き直すことなど不可能に思えた」


「だから戦うしかない?」


「そういうことだ」



 東京どころか日本の命運も掛かっていた。


 兎姫乃は驚きを通り越して呆れるほかない。


 誰も事の重大さを知らないのだ。


 今すぐになにもかも忘れて空想の世界へ逃げてしまいたくなり、逃げ出すほどだった。


 次に書くならと、野良猫がハッピーエンドになる物語のあらすじを妄想する。



「兎姫乃、一つ火の描写を頼む。できるだけ憎たらしい感じで」


「あ、うん」



 ガユガインの注文で我に返り、やるべき事を再確認する。


 東京ではなく、日本を守る気で書かねばならなかった。



 『闇は少女のスカートのように引き裂かれ、赤い炎によって見られたくないものをあら

 わにされる。一つの炎は、覆い隠された醜悪な顔を逃げ場もないほどに照らし出す』



 兎姫乃は、書いてから少しセンシティブだったかなと思い直すも憎たらしさは出たと思い完成とした。



「できた」



 告げると、手から万年筆が消える。



「心を石にするんだ。驚いている暇はないぞ」


「わかった」



 ガユガインの忠告で腹が据わった。


 なんでもござれだ。


 ガユガインが、御代筆を正面に突き出す。


 兎姫乃の書いた文章が展開されて一点に集まり、赤い炎が生まれた。


 夜闇に浮かぶのは、腐ったイチゴのような不愉快な赤だった。


 それが東京の風を受けて揺らめくと、地鳴りが響く。



「え、なに? 地震?」


「ああ、来るぞ」



 スマートフォンから緊急地震速報のアラームが騒ぎ出した。


 かと思うと、急に辺りの視界が悪くなる。


 黒い霧のようなものが発生し、瞬く間に東京が沈んでいった。



「あ、光った」



 霧の中にパッと閃光が生まれるのを見つける。


 兎姫乃のリアクションにガユガインが反応しなくなった。


 真っ暗な夜道へ放り出されたような気持ちの悪い空間に、兎姫乃は暖まってきたはずの体温を奪われたのである。


 ガユガインの沈黙も頼りなかった。


 緊張は嫌でも高まり、軽い吐き気も覚える。



「来る!」



 ガユガインの声とともに空気が一瞬で白けた。


 続いて音が弾ける。


 兎姫乃は、とっさに耳を塞いだ。


 間に合わなくて、雷鳴と耳鳴りが残る。



「良い描写だった。まんまと釣りだしたぞ」


「そりゃどうも!」



 ガユガインのお褒めにさずかっても喜んでいられなかった。



「ふん!」



 ガユガインが、右側から襲ってきた蛇のような雷を腕の籠手で受け止めたのだ。


 ぶつかる瞬間に空気が破裂して耳がおかしくなりそうだった。その衝撃で兎姫乃の乗る雲も激しく揺れていた。



「今のは?」



 炎剛の鎧は、兎姫乃の希望通り傷一つない。



「柝雷だろう」



 雷のくせに体当たりしてくるのである。



「近づくまで見えなかったよね?」


「この黒い霧は、もしかしたら黒雷かもしれない」


「万年筆を。ガユガインは防御に集中して」


「頼むぞ」



 ガユガインから再び兎姫乃の手に八百万の御代筆が戻って来た。


 兎姫乃は、相手の分析こそが使命であると心に決める。



「霧を払うなら風かな」



 とにかく、視界が通らなくては話にならなかった。



 『夜風は、夜以外の黒を許さない。


  夜風は、夜闇が別の黒といるのを見ると居ても立ってもいられなくなる。


  へばりつく黒を、八方美人の黒を、とにかく夜の美しさから引き離す』



 兎姫乃が書いている間にも、炎剛の鎧と同じ炎が襲いかかった。


 火の雷だ。すぐにわかる。


 ガユガインが受け止めると、その周りに炎が飛び散ったのだ。ガユガインに弾かれた炎が東京の街へ落ち、誰かのマンションへ飛び火する。



「できた!」


「ああ!」



 筆をいちいちやり取りしないといけないのがもどかしかった。


 ガユガインは、戻って来た筆を上段に構える。



「筆倒両断!」



 霧を切り裂くように御代筆を振り下ろし、兎姫乃の描写した夜風を召喚した。


 ガユガインは、結果を見ずにすぐさま兎姫乃の手へ御代筆を戻す。


 兎姫乃が、次の描写をもう考えていることを感じ取ったのだ。



「ねぇ、例えば描写を複数、同時に渡しても良かったりする?」


「ああ、それもできるぞ!」



 ガユガインは、柝雷からの執拗な体当たりをさばきながら答えた。



「む」



 柝雷の体当たりを受けている間に風が吹き荒れ始め、たちどころに霧を消し去る。


 炎剛の鎧から放つ炎が、はっきりと八くさの雷神の主を浮き上がらせた。


 黒雲を全身にまとわりつかせ、人の形なのか積乱雲の塊なのか判然としない。


 ただ、頭と思われる場所から剣呑な眼差しがガユガインを睨み付けていた。



「イザナミ……、あれは!」



 イザナミの背後から、地球へ迫る流星を見つける。イザナミの怒りをよく知るガユガインは、東京が確実に壊滅するものだと予想できた。



「兎姫乃! 土雷だ!」


「ええ? 今、柝雷と火の雷を書いてるのに!」


「雲は動かせる! 別の場所へ書くんだ!」


「わかった!」



 ガユガインが柝雷と火の雷を相手に防戦を始める。東京が火の海になるのも時間の問題であった。



「火の雷も放っておけない」



 眼下に広がる火の手をなんとかしたかった。


 兎姫乃の意志に従って雲がスライドする。作家として集めた知識を総動員して、なんとかひとまとめに処理できないか想像する。


 火を消すには水か真空だ。隕石を止めるにはミサイルだろうか。


 イメージが混線し、文章にならない文字が頭の中で踊り出す。



「落ち着け兎姫乃。なんでも書けるんだ私は。常識は捨てろ。自由に想像するんだ」



 ガユガインと戦う柝雷。東京を燃やす火の雷。空から落ちてくる土雷。


 ありのまま受け止めない。


 そう決断した。


 決断すると、一筋の閃きが降ってくる。


 地面から処理していく。


 兎姫乃は自分の思いつきに感謝した。



 『炎は一塊になることを選ぶ。拒否権はない。炎の球は暴れる雷とも融合し、共に空へ

 打ち上げられるのを待つ。炎と雷が向かう先には、一つの邪魔な岩があった。二人は話

 し合い、それを打ち砕くと決める。二人には自信があった。炎と雷と岩で奏でる一世一

 代の晴れ舞台なのだ』



 兎姫乃は書きながら唸っていた。自分でも知らない一面である。



「う~、はい! できた!」


「待っていた! う、これは?」



 御代筆を預かったガユガインが困惑した。



「全部まとめてぶっ飛ばせ!」


「そ、そうか!」



 意図を汲み取ったガユガインは、すぐさま文章を頭上へ展開する。


 文章は三つの光点になり、柝雷と火の雷、土雷へと飛んでいった。


 ガユガインを襲っていた柝雷と火の雷は、自由を失い、混乱したように東京の上空を飛び回る。火の雷は、自分のまき散らした炎をすべて回収してから、柝雷と衝突するようにぶつかり、炎と雷光を迸らせる球になった。



「ふっ、敵の敵は敵だな」



 ガユガインが、御代筆をバットのように構えて呟く。



「それ間違ってない?」



 気力と体力を消耗した兎姫乃は、かったるいのにツッコミをいれた。



「走者筆掃!」



 ガユガインのフルスイングが、雷火の球を痛烈に弾き飛ばす。


 快音を轟かせた打球は、上空の土雷へまっすぐに向かっていった。



「たーまやー」



 兎姫乃が先にお約束を済ませると、遅れて季節外れの大きな花火が上空に花開く。


 柝雷、火の雷、土雷は光の花びらとなって秋の夜空のはかない星座になったのだ。


 東京から明かりがなくなったことで、星の輝きがはっきり見えた。長年暮らしていた中で、最高の夜空だった。中秋の名月も白さに磨きがかかって見える。



「さて、これで戦いやすくなった」



 御代筆を兎姫乃へパスしたガユガインは、改めてイザナミに向き合った。

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