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四章 2

「兎姫乃!」



 電脳世界を抜けて、パソコンの画面から机の上に戻る。


 兎姫乃の部屋へ戻ると、兎姫乃は机に座っていなかった。


 ベッドへ横たわり、左腕をアイマスクにして寝息を立てている。


 ベッドのサイドテーブルにある目覚まし時計は、深夜の零時を指していた。



「眠ってしまったか」



 日付が変わり、ガユガインの決意が揺らぐ。 


 化粧気のない顔。リップクリームとは無縁の唇。手入れのされていないショートボブの黒髪。これからが花盛りの乙女である。


 安らかな寝息を立てる兎姫乃は、浄化などに関わるべき神職とは無縁の普通の女の子に見えた。


 ここで兎姫乃を起こすのは可哀相な気がした。できれば、戦いの恐怖からは無縁でいたいという願いを叶えてやりたくなる。


 それに、鎧を取り戻したのだから一人で戦うこともできるのだ。


 ガユガインは、兎姫乃を眠らせたまま両親の元へ返そうかと思った。



「ん、帰ってきた?」



 寝ぼけた声で兎姫乃が尋ねる。


 ガユガインの声を聞き逃さなかったのだ。


 ガユガインはとっさに照明のスイッチへ飛び、押した。



「え、ちょっと! なんで消すの!」



 点けっぱなしだった明かりが落ち、兎姫乃は困惑する。



「そのまま聞いて欲しい」


「はぁ? なに?」


「兎姫乃には立派な鎧をもらった。これがあれば一人でも戦えそうな気がする」



 戦えそうな気がするだけで、勝てる自信はなかった。それでも兎姫乃のためならば、そうする方がいいような気がしたのだ。



「冗談はやめて」



「もう日付も変わってしまった。今から戦う気など起きないだろう」


「勝手に決めるな」


「兎姫乃、君はやはり戦うべきでは」


「私は待ってたんだ! 夕方からずっと! さんざん待たせておいて、よくもそんな勝手なことが言えるな!」



 ガユガインが黙ると、兎姫乃は言葉を続けた。


 わかっていない。


 わかっていないのだ。


 わからせるために兎姫乃は声の限り教えてやるつもりだった。



「逃げ出すなら、とっくに逃げ出してる。私は待つのも楽しんだ。待っている間に小説の推敲もやった。あんたに読ませるのが楽しみでしかたなかったんだ! 私の気持ちも聞かないで、余計な善意を押しつけないでよ!」



 暗闇の中で、兎姫乃は部屋が割れそうなほど声を張り上げる。


 ガユガインがどこにいても聞こえるように。



「よく聞きなさい! 私は、戦うつもりで待ってた! ガユガインと一緒に戦うつもりで待ってたんだ!」



 ガユガインは打ちのめされて、兎姫乃を説得しようなどとは思えなくなった。


 待つというのが、どれだけ相手を信頼して行われるものか思い知らされたのである。



「返事をしろガユガイン! 私の気持ちがわかったのなら答えろ!」



 無言は、存在を曖昧にする。


 兎姫乃は、ガユガインに置いて行かれたのではないかと不安になっていた。


 もしも置いて行かれたのなら、一生恨み続ける気でいたのだ。


 ガユガインを主人公にして、悲惨な目に遭いまくって、バッドエンドになる物語を書いて世界中に晒してやろうとさえ考えていた。


 部屋の明かりが点くと、照明の近くでSサイズのガユガインがしょんぼりとして浮かんでいる。


 兎姫乃の想像していたよりも赤くて尖った鎧を身につけていた。



「カッコイイじゃん」



 兎姫乃は嬉しくなり、我が事のように褒める。馬子にも衣装という言葉が浮かんだ。



「うむ。言霊主も褒めていた」


「え、そうなの?」


「ああ」


「って、それよりも私の気持ちはわかったの?」


「ああ、思い知らされた。兎姫乃をのけ者にしようとしたことは謝る」


「それでよし」


「あと、小説の推敲もしたと」


「読みなさいよ?」



 ガユガインもこればかりは閉口した。何度言っても、イザナミとの戦いの後でガユガインが消滅することを理解していないのだ。



「前にも言ったが、私は戦えば消え去るだけだぞ?」


「いいから!」



 なにが良いのかわからなかった。


 読むと言わなければ兎姫乃の興奮は収まらないと悟る。



「わかった」


「約束だからね」



 兎姫乃が急に小声になった。強がりだったのだ。


 約束がなければ、戦い抜くことができない。戦うことが怖くなる。


 一見すると臆病な少女でありながら度胸の塊であった。


 約束があれば、戦える。恐怖を感じないのだ。


 死を乗り越えるために兎姫乃の顔を夢想したガユガインとは違った。


 存在ではなく言葉が必要だったのだ。


 ガユガインからしてみれば、その約束は嘘にしかならなかった。


 これからある戦いのために兎姫乃へ嘘を吐くことに抵抗を感じる。


 兎姫乃は、今にも泣き出しそうな弱々しく潤ませた目でガユガインを見ていた。


 約束を結ぶことを欲しているのが痛いほどわかった。


 騙されることを望んでいた。


 ガユガインには信じられなかった。


 そこまでして戦ってくれるという兎姫乃の心意気である。


 恥を掻かせられなかった。



「約束しよう。必ず兎姫乃の小説を読む」


「聞いたからね?」


「ああ」



 兎姫乃の確認にガユガインはしっかりと頷いた。



「目が覚めているなら、戸締まりをしてくれ。家の鍵を忘れずに持つように」


「うん」


「念のためスマートフォンも」


「わかってる」



 ガユガインの指示は戦いを終えたあとのためにあった。


 最後の罪穢れの欠片が燃え尽きたとき、ガユガインの存在が消える。消えるまでにどれくらいの猶予があるわからないが、電脳の世界を通り、両親の元へ送り届けるつもりだった。


 兎姫乃もその意味に気付いていた。


 どんなに強い約束をしたところで、現実は変わらない。


 心の持ちようが変わるだけで、ガユガインは消えてしまうのだ。


 小説を読んでもらうのは、兎姫乃の希望だった。


 変化を確かめて欲しかった。


 ガユガインと出会ってからの短期間で、心境も文体も変わった気がする。


 その悦びを共有できるのはガユガインしかいないのである。



「玄関で待っている」


「うん」



 ガユガインが一足先に家を出た。


 兎姫乃は戸締まりのついでにお手洗いも済ませる。


 洗面所で手を洗っているときに、鏡に映る寝起き姿を見て恥ずかしくなった。



「いや、これはないなぁ」



 兎姫乃は思うところがあり、自分の部屋へ戻って高校入学のときに母と買った化粧道具の入ったポーチを持って洗面所へ戻る。


 ガユガインを待たせているのを悪いと感じつつ、化粧を始めた。


 勝てるとも限らない。


 死ぬかもしれない。


 みっともない顔で死ぬのはなんとなく気が引けた。


 化粧に興味はなかったのに、羽月という友人ができてから化粧に対する意識もいつのまにか変わっていた。化粧も悪くないと思うようになっていたのだ。羽月にはまだ話していないが、羽月のやっている化粧の動画などを旅館で見ていたのである。楽しそうだったから、兎姫乃もマネしたくなっていた。


 兎姫乃は、羽月の動画を脳内で再現しながら、見よう見まねで化粧をした。


 化粧をしていて、新しく鎧を着たガユガインに合わせているのだと気付く。


 赤めのリップを塗り、炎剛の鎧へ合わせた。



「こんなところか」



 顔を作ると服装が気になった。


 急いで部屋へ戻った兎姫乃は、さらにガユガインを待たせて服装も変える。


 パーカーを脱いで白いブラウスへ袖を通し、デニムのパンツを脱いで赤いチェックのミニスカートを穿いた。


 鏡を見て確認すると、今度は髪が気になり、櫛でとかした。



「あとは、靴!」



 スマートフォンと家の鍵を持って、玄関で通学用のローファーとは別のローファーを靴箱から取り出して履いた。


 玄関を出て鍵を掛ける。



「遅い。遅すぎるぞ」



 背後からガユガインの呆れるような声が聞こえた。



「あ、いや、その、外に出ると考えたら色々と気になっちゃって」



 果たしてロボットに身支度の言い訳が通用するのかと、兎姫乃は恐る恐る振り返る。


 ガユガインは、兎姫乃の顔を見て言葉を失った。


 散々待たされた理由は一目瞭然である。



「化粧か」


「う。だって、もしかしたら私も死ぬかもしれないし、死ぬ前に化粧くらいしてみたかったし」



 ガユガインは、兎姫乃の言い分を聞きつつ考えていた。


 兎姫乃を巻き込みたくないと思う理由は、人生の花が開く前だと思ったからである。戦いへ巻き込むことで開花を早まらせてしまったような気がした。


 開いた花を閉じることはできない。


 咲いたからには愛でるべきだと言い聞かせた。



「似合っている。とても可愛らしい」


「へ」


「褒めたのだ」


「ロボットのくせにわかるの?」


「これも前に言ったはずだ。私には血も涙もないわけではないと」


「そ、そっか。ありがと」



 まったく期待していなかった所から褒められて、兎姫乃の頬はやたらと熱くなる。


 頬は熱いのに、秋の真夜中は兎姫乃の肩や背筋をひんやりと包む。



「私もめかし込むか」



 ガユガインが、八百万の御代筆を空中に呼び出し、その柄からなけなしの罪穢れでできた頬当てを取り出す。


 真っ黒い炭色の頬当てで口を覆った。



「割とぴったりはまるんだね」



 黒いマスクが、炎剛の兜に違和感なくはまり込んだ。



「さぁ、私を呼ぶといい。ここよりは暖かいはずだ」


「う、うん。そうする」



 耐えがたい涼しさに震えていた兎姫乃は、差し出された万年筆を受け取り、大きく息を吸い込んだ。



「来たれ! 物語る司人よ!」



 御代筆を掲げて叫ぶと、光が兎姫乃を包み込む。


 光は人型に膨れあがり、兎姫乃を空高く舞上げた。


 熱風に包まれて、肩から背中に張り付いていた悪寒は吹き飛ぶ。



「ふー、あったかーい」



 兎姫乃はゆらゆらと燃えさかる炎に包まれているような気分になった。


 雲の上から見下ろす光景は、夕暮れにまき戻ったようである。


 未明の東京が、炎の巨人に照らされた。



「あ、月が白い」



 普段の東京であれば、月は霞むかぼやけてしまうものだった。

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