四章 1
「今なにしてるの?」
「小説書いてた」
スマートフォン越しに高橋羽月へ答える。
「この状況で?」
「まぁね」
「これから戦うっていうのに余裕だねー」
「そうだね。自分でも不思議」
秋の日暮れはつるべ落とし。
窓から見える空は、夕焼けすらなくなっていた。
マスコミか自衛隊のヘリコプターが飛んでいる音がする。
「怖くないの?」
「うーん。実感はない」
「ガユガインは鎧とかなくなってたよね?」
「あー、そうだね」
羽月に言われて、窓辺で外を眺めるガユガインを見た。
白い素体だけの貧相なロボットである。
「ちゃんと戦えるの?」
「マズイかも」
「もう、しっかりしなって! 一歩間違えば死んじゃうかもしれないんだよ?」
「うん」
兎姫乃は、言われてから鎧を書くことしか考えていなかった。
どこかで調達するなんて発想は持ち合わせていない。
八百万の御代筆で柿を書いたことで、文章で創造することを知ってしまったからだ。
「せっかくできた友達がいなくなるなんて嫌だからね」
「ありがとう」
羽月の照れもしないまっすぐな言葉へ素直に感謝する。
父親から決別した今、心配してくれる友人こそが心の支えだったのだ。
「また、話せるよね?」
いくら話をしたところで羽月から不安が消えることはなかった。
後から後から気の重くなるような波が押し寄せてきて、どうにもならなくなる。
「話せるよ」
「できることなら、戦わないで今すぐ逃げて欲しい」
受け入れられない要望だった。
人間は、恐怖や不安から逃げるようにできている。野生動物と同じ本能だ。
兎姫乃だって恐怖や不安がないわけではなかった。
合理性では説明できない理性が、逃げることを否定しているのだ。
羽月の言葉に父親の面影が重なる。
大事な存在を危険に晒したくないという老婆心だ。
「私はやるって決めたから」
「そっか」
諦めの溜め息が聞こえた。
「そういえば、私もモデルをやるって決めたとき、母さんの言葉を聞かなかった」
「ああ、それに近いかも」
「なら、私に兎姫乃を止める資格はないや」
初めて親以外に呼び捨てにされたような気がした。
むずがゆくて心地よい。
「私も羽月と知り合えてよかった」
「お、言ったな? まだ遊んだこともないのに私のことを知った気になるなよ?」
「言われてみればそうだね」
「負けるな兎姫乃。今度は、私から送るよ」
無償の応援。
意趣返しに胸が熱くなった。
「うん」
「またね」
「また」
通話が終わる。
部屋に静けさだけがあった。
窓の外には暗闇がはびこっている。
東京に戦いの時が迫っていた。
「小説はもういいのか?」
「うん。完成した。でも、読んでもらう時間はないかな?」
「ああ、残念ながら、もう夜になってしまった」
兎姫乃は、静かな緊張で胃がざわついているのに気付く。
羽月の前で強がってみたものの、怖いものは怖かった。
深呼吸をしてから気合いを入れてガユガインに尋ねる。
「イザナミとの戦い方を教えて」
「うむ。イザナミは、八くさの雷神に取り憑かれている」
「それが悪鬼ね。八匹倒せば良いと?」
兎姫乃の確認に、ガユガインはすぐに反応しなかった。
「……おそらく」
「なんで自信なさげなの?」
ガユガインは、言霊主が蛆について述べていたのを思い出したのである。
「いや、蛆もそうだ」
「蛆って、イザナミの顔にくっついてるって書いてあった幼虫?」
「そうだ。古事記の記述が、どこまでが悪意なのかわからないが、雷神は確実だと思う」
「なるほど、蛆もそうかもしれないってことね。全部浄化してやればいいんでしょ?」
「そうだな」
ガユガインは、決戦に前向きな兎姫乃を頼もしく思う。
以前のようなだだっこにならなくて良かったと安堵した。
「八くさの雷神について説明する。大雷という雷神の親玉みたいなものを中心に鳴雷と伏雷という音の大きなものと急に飛び出してくるもの。若雷という癒やしを担当するもの。火の雷、柝雷、土雷は攻撃を担当する。それぞれが焼き尽くしたり、たたき割ったり、隕石を降らせたりするんだ。そして、もっとも謎に包まれた黒雷。こいつはなにをしてくるのかさっぱりわからない」
ガユガインの話を聞きながら、兎姫乃は指を折って雷神の数を数える。
確かに八くさいたのだ。
「それで、雷神の弱点はなに? なにを描写すれば浄化できるの?」
「不明だ」
「は?」
「古事記には、彼らがなにかに弱いという記述はない」
「そっかー。弱点わからないのかー。弱ったなー」
今まで、書くべきことが示されていたからこそ勝てていた節があった。
それがわからないとなると、無謀な挑戦のように思える。
「もし鎧が残ってたら、どう戦うつもりだったの?」
「鎧が尽きるまで戦うつもりだった。相手の弱点は、戦いの中で見つければいいんだ」
兎姫乃が思ったとおり、自棄になったような作戦だった。
「でも、今回は鎧なんてないから、弱点を見つける余裕もないんじゃない?」
「う、それは」
兎姫乃の指摘にガユガインが固まる。
「私は、勝ち目のない戦いなんてしないからね?」
「しかし、私の罪はもうあれしか残っていない。それに、新しく鎧を用意することも」
ガユガインが肩を落とすのを待ってから、兎姫乃は言い切った。落ち込む姿を見ることが楽しくてしかたないのだ。
「できる」
「なに?」
「できるから、八百万の御代筆を私に貸して」
「まさか」
「そのまさか。はい、貸して」
兎姫乃は万年筆を提出するように手を突き出した。
ガユガインが、訝しみながら渡す。
光沢を持った黒塗りの柄と金色のペン先。
ずっしりとした重量感がありながら、筆先は軽快である。
「これって、ここでも空中に書けるの?」
「ああ」
「それから、やっぱり炎のイメージがよかったりする?」
「そ、そうだな。私はカグツチから生まれたから、その方がいい」
ガユガインは兎姫乃の思惑に驚かされた。
八百万の御代筆の力で、鎧を作ろうとしているのだ。
「ちゃっちゃと書いちゃうね」
兎姫乃は、ガユガインの中にいるとき同じように空中へ筆先を置く。
頭の中から筆先へ、文字が流れていく感覚があった。
『炎と金剛を掛け合わせた炎剛の鎧。
雷にも隕石にも爆発にもびくともせず、傷一つつかない。
頭と胴体と腕と脚を守る赤備え。
肩と肘と膝を守る朝焼け。
兜には黄昏の角飾り。
体現せよ炎の神を。
その名は、文弱猛士ガユガイン』
兎姫乃の部屋に刻まれた黄金の文字は、書き終わると同時に一点へ凝集する。
光点は電脳世界へ飛び去った。
「あれ?」
「捕まえてこよう!」
兎姫乃が首を傾げている間に、ガユガインも電脳世界へ飛び込んだ。
電脳の世界は、現世よりも時間の流れが速い。
もたもたしていれば兎姫乃の決意も揺らいでしまいそうで、ガユガインは言い知れない焦りを覚えていた。
光の点と線だけの世界で、すでに兎姫乃の作品は見えなくなっている。
「一体どこに?」
「待つのだ!」
ガユガインが電脳世界に潜行しようとすると、言霊主の大音声が止める。
「言霊主? 今は兎姫乃の作品を探しているんだ! 後にしてくれ!」
「その作品なら私が食べた」
「なに!」
電脳世界の深淵から言霊主の八つの頭が浮上し、ガユガインを取り囲んだ。珍しいことにすべての頭がガユガインを見ている。
「彼女の作ろうとする鎧は、現世では不可能だ。常世の素材がいる」
「それがなんだというんだ?」
「人間が常世の物質へ手を出したとすれば、常世の神々の怒りを買うのは明白だ」
「そ、それはそうだがっ!」
兎姫乃に書いてもらった折角の文章を握りつぶされた。
いくら兎姫乃を守るためとはいえ、納得できるものではなかったのだ。
「だから、私が代わりに作ることにする」
「な、それは本当か!」
「良い言霊だ。申し分ない」
言霊主が赤いアギトを開いて炎をガユガインへ吐き出した。
「う」
ガユガインはとっさに炎へ対して腕を盾にする。
「拒むな。焼き尽くされる恐怖に勝て」
言霊主の別の頭から叱咤が飛んだ。
「うぅぅっ!」
アンチバーチャル体でも消滅の恐怖はあった。炎にあぶられて腕の感覚がなくなる。
現実へ戻ることもできず、イザナミと戦うこともできない未来がよぎるのだ。
ふと、兎姫乃の顔が思い浮かぶ。
鎧を書いているときの楽しそうな顔だ。
「まだ消えられんっ!」
ガユガインは、腕を解いて身体を開く。
炎に全身を委ねた。
灼熱がボディを焦がす。
イザナミの悲鳴で覚醒した意識が飛びそうになるほど、全身へ痛みが走った。
「うおおおおおおおおお!」
意識を保つために吼える。
吹き付ける炎は何層にも重なって、ガユガインの身体を固めていった。足を、腕を、胴を、顔を覆っていく。緋色の装甲が朝焼けに縁取られ、黄昏に飾りつけられた。装甲の隙間を夕闇が埋めていく。顔のみが白く取り残された。
二度と壊れることのない炎剛の鎧が、ガユガインの御魂へ焼き入れられる。
「はぁ、はぁ、っ! 終わったのか?」
「ああ、完成だ」
言霊主が答えた。
「名付けて、ファイヤーガユガ……」
「時間がないのだ。私は戻るぞ!」
ガユガインは身体を縮め、跳ねるように電脳世界から急浮上する。
「う、うむ。行くのだ。イザナミを止め、東京を、日本を救え」
言霊主の言葉が終わらぬうちに、ガユガインは現世へと飛び去った。




