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三章 8

「私の名前を教えたと思う」


「カグツチノアマツツミでしょ? 覚えてる」


「天津罪は、いずれは燃やされて灰にならねばならないのだ」


「うん」



 兎姫乃はしっかりとうなずいた。これまでの聞き流すような態度を改めたのである。



「私が纏っていた鎧は、罪そのもの。それがなくなれば私は存在できなくなる」


「でも、存在してるじゃん」



 兎姫乃が見る限り、見事に鎧を喪失したガユガインがそこにいた。



「それは、まだ鎧の一部があるからだ」


「どこに?」


「これだ」



 ガユガインは、八百万の御代筆を取り出すと柄の部分をぱかりと開けて、マスクのような黒い塊を取り出した。



「それは?」


「頬当てという。口を守るものだ。いざというときのために取っておいた」


「へそくりか」


「その言い方はないだろう?」


「でも、それだけなんだ」


「ああ、私が支払える代償はもうこれしかない。これが燃え尽きたとき、私は消える」



 ガユガインは、手にした頬当てを見ながらしみじみと言う。



「そっか」



 兎姫乃もなんと声を掛けて良いか悩んだ。



「イザナミから悪意ある言霊を取り除くには、これだけでは足りない」


「それで私が必要になると」


「そうだ。本当は、こちらの事情を父上に説明したかったのだが」


「説明しても納得しなかったと思うよ。気にしない気にしない」



 兎姫乃はガユガインの心残りを笑い飛ばして、物書きへ戻った。



「先ほどからなにを書いているんだ?」


「あんたがボロクソに言った小説を書き直してるの」


「かなり気を遣った方だが」


「知ってる。だから、書き直したら読みなさいよ?」


「は、話を聞いていなかったのか? 私は次の戦いで確実に消える。もう兎姫乃の小説へどうのこうの言うこともできなくなるんだ」


「そんなの許さない」


「なっ……」



 兎姫乃は思い切りガユガインを睨み付けた。



「言うだけ言って、直したものを読まないとか絶対に許さないから」



 菊理媛にも似た迫力でガユガインを黙らせる。



「わかった。努力しよう」


「しないとか、ありえないから」


「う、うむ」



 ガユガインは、いつの間にか兎姫乃に支配されているような気分になっていた。



「さて」



 兎姫乃は、ガユガインに言われたことを手直ししていく。


 主人公のバディである忠犬が、かけがえのない家族であるというエピソードを考えては差し挟んでいく。可愛いというエピソードは折角なので残しておいた。


 ガユガインの読みは、なんだかんだで当たっていた。


 動物虐待の才能があると言われたが、その通りだったのだ。


 嬉しくはなかったが、見抜かれていたことに尊敬の念を抱いていた。


 それがまたムカつくので、ガユガインをどうにかして虐めてやりたくなる。



「顔が怖いぞ」


「うるさい」



 キーボードを叩きながら、即座に反撃した。


 表情筋もないのにしょんぼりする姿がたまらなく好きだった。



「あ、それでイザナミを呼び出す方法ってなんなの?」


「一つ火だ」


「なにそれ?」


「古事記によると、一つの火を掲げたイザナギがイザナミの顔を見たことから不吉な炎とされている」


「へぇー」


「アンチリアル体となったイザナミならば、一つ火を目がけて現れるはずだ」


「なるほど」


「夜を待って火を灯す」


「決戦は今夜ね」


「イザナミさえ浄化できれば、悪鬼によるアンチリアル体の発生もなくなるはずだ」


「よくわかんないけど、わかった」



 夜を待つのは二度目だった。


 これまでにない緊張と重圧を感じる。


 不思議と恐れはない。


 ガユガインとの別れが、なぜか実感できずにいた。


 自分の部屋にガユガインがいたのは、ここ二、三日のことだったのに長い間を過ごしたような気分だった。


 それだけ色々なことを考えたのである。



「イザナミとの戦い方は」


「あー、それは後にして。今は私の小説の時間」


「わかった」



 兎姫乃は、ガユガインに認めさせたかった。


 認めさせて、ガユガインがいたのだという証にしたかったのだ。


 恥ずかしくて口が裂けても言う気はない。


 避難の完了しつつある東京は、ゴーストタウンになりかけていて都民の生活音が一切なかった。


 これからくる黄泉の国の女神に備えているのか、昼間だというのに草木は眠り、鳥も鳴き声一つあげていない。


 不気味に静まりかえった東京の一軒家で、キーを叩く音だけが響いていた。

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