三章 7
「だからと言って、命を危険にさらすことはない」
伸哉の一貫した娘を案じる言葉に乱れるところはない。
嬉しくもあったが、親の言うことを聞く子供でいろと言われているようでうんざりしていた。
「なら父さんは東京のために何をするの?」
「なに?」
「父さんはガユガインに乗れない。自衛隊だって怪物とまともに戦えない。警察や政治家なんてもっと役に立たない。誰が東京を守るわけ? 否定ばっかりしてないで代替案を出してよ」
煩わしい押し問答で溜めたイライラをここぞとばかりにぶつける。
伸哉のが顔が苦々しく歪むのも気にならなかった。
怒られるのが怖いと思わなくなっていた。
怒ったところで、兎姫乃が東京の上空で味わった重圧と比較にならないことに気付いてしまったのである。
「東京のことは大人に任せれば良い」
「大人ってだれ?」
兎姫乃は具体性を求めた。代替案と呼べるような確かさがなければ引き下がる理由がない。
「とにかく、兎姫乃みたいな子供が危険を冒す必要はないんだ」
言い聞かせるような声音。はっきりとした子供扱い。
もうたくさんだった。
「私は行く」
「ダメだ」
「どうして?」
「違法になるかもしれない」
持ち出されたのは法律だった。
法律は大事だ。守らないといけない。
「怪物は法律を守らないけど?」
「そのために自衛隊がいる」
「その割には、まだ戦ってもいないよね?」
「今日は戦うさ」
「信じられない」
怪物が現れてからというもの、法律や自衛隊に守られた感覚がなかったのである。
「私は行くから」
「ダメだ! 兎姫乃が行く必要はない!」
伸哉の言葉が初めて乱れた。
激しく飛び出した言葉の裏に、何が何でも娘を手放したくないという男親のワガママを感じ取る。
「それが本音なんだ。父さんは、娘さえ無事だったらいい。それだけなんだね」
「なにが悪い?」
初めて見る父親の獰猛な目つきにおかしくなる。
開き直りを怒りで押し通そうとするのは子供でしかないのだ。
自分の父親ながら情けなくなった。
「自分の家族さえ無事だったらそれでいいの?」
「みんなそんなもんなんだよ」
「あのね、みんなそんなものだったら誰も東京を守らないよ?」
「自衛隊はそうじゃない」
伸哉の論理がめちゃくちゃで、兎姫乃は溜め息しか出ない。自衛官を家族のある人間とは思っていないような発言へ、少なからずショックを受けた。
「ガユガイン」
兎姫乃が呼びかけると、スマートフォンからポリゴンのロボットが現れた。
兎姫乃は立ち上がってスマートフォンをしまい、ノートパソコンの入ったリュックサックを背負う。
「ダメだダメだ! まだ話は終わってない!」
「私はもう子供じゃない。自分の人生は自分で決める。父さんの考えと違ってもね」
座ったままの伸哉は、娘に対する憤りとそれを押さえつける理性で破裂しそうだった。
手をあげてでも娘を止めるべきか葛藤し続けていたのだ。
子供じゃないという一言が出たとき、その葛藤は針で刺された風船のようにはじけ飛んだ。
大人の意思は、子供の意地とは違って殴ったところで止められない。殴られても進んでしまうものだった。
いつまでも手元に置いておきたい気持ちに気がつく。それが叶わないことも悟る。
「わかった」
伸哉は、兎姫乃がいなくなる前に言うことができた。
兎姫乃が嬉しそうな顔をしたので、伸哉はさらに付け加える。
「ただし、大人だというのであれば、責任は取りなさい。父さんたちは、尻拭いをしないから」
「うん」
突き放したような言い方に寂しさを感じる。
それでも背中を押してもらえたようで嬉しかった。
「行ってきます」
伸哉は答えず、自宅の鍵をテーブルの上に置いた。
「東京に戻るなら家を使いなさい。外泊はダメだ」
「あ、ありがとう」
暖かくもない言葉だったのに、優しさがあり不思議だった。
「行くのか?」
ガユガインは、伸哉に色々と説明したいことがあった。
兎姫乃と父親の口論を電脳世界で聞いていて、口を挟む暇もなかったのだ。
「うん、行って。父さんの気が変わらないうちに」
「わかった」
説明のかわりに一礼をして、兎姫乃を電脳世界へと導いた。
「君の家はブレーカーが落ちている。近くの電信柱へ出るぞ」
「そうして!」
電脳の世界へ来るのは三度目だった。
光の点と線だらけの世界。神経細胞のようにめちゃくちゃに結びついていた。
ガユガインが兎姫乃の手を引き、一つの光点へ飛び込んだ。
電柱の変圧器の高さから落下する。
「う」
空中で人間ほどの大きさへ変わったガユガインが、兎姫乃をお姫様抱っこして地上へ降りる。衝撃は、思ったよりもなかった。
命の次に大事なノートパソコンは、リュックごと胸に抱いている。
「東京だ」
ガユガインから降りて地面に立ち、懐かしい空気を吸って一言を吐き出した。
高層ビルの乱立する風景をゆっくりと眺める。
生まれ育った場所に戻ってくるだけで嬉しく感じた。
それだけ東京に愛着があったのだ。
兎姫乃は、家の鍵を使って玄関を通ると、キッチンにあるブレーカーへ向かい、電力を復旧させた。
「これでネットもパソコンも使える」
現代人にとって、なくてはならない環境だ。
これがないと落ち着かなくなったりする。
兎姫乃は、ネット依存症かもと思いながら、自分の部屋でパソコンをいつもの場所へ設置した。
さっそくパソコンの電源を入れる。
オペレーションシステムが立ち上がるまでの間に、ずっと放置していたスマートフォンを確認した。
羽月からのメッセージを見るのは怖かったけど、見ないわけにはいかないのだ。
『ガユガインは無事?』
『おーい』
『ラビプリー?』
『寝ちゃった?』
『今から甲府に行きます!』
最新のメッセージは、あろうことかすれ違いの宣言だった。
『ガユガインは無事です。今、ガユガインと東京に戻って来ました』
返信をすると、すぐに返事が来る。
『うぇぇぇぇぇん!』
滂沱の涙を流す絵文字と一緒に羽月の悔しさが伝わってきた。
「あ、遊ぶ約束してたんだ」
なにをそんなに悲しむのかと思い返してみて、羽月に悪いことをしたと思う。
『ご、ごめん。また、今度遊ぼう!』
『あ、待って。東京にいるってことは、また戦うの?』
『そうだけど』
『大丈夫?』
『大丈夫』
『また後で話そう』
語尾に怒った顔の絵文字が入っていた。
『わかった』
なにか羽月の気分を害してしまったのだ。
「あとで聞こう」
気になりはしたが、それよりも優先すべきことがあったのである。
兎姫乃は、立ち上がったパソコンでエディターを起動し、ブルーレイカットの眼鏡を掛けてから文字を打ち込みはじめた。
「なにか書くのか?」
小さくなったガユガインが机に乗って尋ねた。
「そう。悪い?」
「いや、少し邪魔になるかもしれないが、次のアンチバーチャル体について説明したい」
「どうぞ」
兎姫乃は文章を打ち込みながら話を聞く。どうしても書きたいものがあったのだ。
「昨日の夜、私が戦ったのは黄泉の国のナンバーツー、菊理媛というアンチバーチャル体だ」
「へー」
兎姫乃はそっけない返事をしつつ、日本神話で見た名前だと思った。
「その菊理媛と戦ったとき、イザナミの呼び出し方を聞いた」
「ん? なんでそんなことを教えてくれるの?」
「わからん。それで、私の戦うべき相手はそのイザナミなのだ」
イザナミはカグツチを産んだ女神だ。ガユガインの母親とも言える存在である。
「なんでイザナミと戦うのよ?」
「イザナミは古事記のせいでアンチリアル体となってしまった」
「はい?」
アンチリアル体は、羽月のように誹謗中傷を受けないとなりようがない。古事記のせいであれば、もっと昔にアンチリアル体になっていそうなものだった。
「電脳世界のせいだ。古事記が誰にでも読まれるようになり、イザナミは黄泉の国にいる腐乱した女神だという話が出回って、花の窟神社で安らかに眠っていたイザナミを変えてしまったのだ」
「え、じゃあ、本当は違うの?」
「ああ。イザナミは、黄泉の国へ来たイザナギと一緒に帰る気はなかった。なにせ、命がけで産んだ子供を殺されてしまったからな」
「あ」
兎姫乃は、電子辞書でカグツチを調べたときに思ったことが当たっていたことに思わず小さな握りこぶしを作る。
「追い返すついでに、カグツチのことで産むことができなかった三貴子をイザナギに預けたのだ」
「へぇー!」
兎姫乃は、学んだ神話がひっくり返されて驚嘆した。
「じゃあ、今のイザナミは、古事記にあるような人間を一日に千人殺すっていうキャラなの?」
「そうだ。菊理媛も言っていた。遅かれ早かれイザナミの手で日本が滅ぶと。そうか、わかったぞ。私に対する嫌がらせのつもりだ。鎧を失った私には、もう時間がないからな」
「時間がない?」
不穏な言葉にタイピングを止める。
ガユガインは、バツが悪そうに立っていた。




