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三章 6

 柱状節理のような黒い鎧は見る影もなく、坊主頭でほっそりとした肢体を晒している。



「なんで?」


「冷笑は、諦めの証だ。人間の不思議な性質で、どんなに認めたくない状況でも笑うと納得してしまうのだそうだ」


「そうじゃなくて、なんで私の所に来たの?」



 兎姫乃はガユガインの願いを踏みにじったのである。それでもなおガユガインが兎姫乃の前に現れたことが信じられなかった。



「もちろん、ハッピーエンドを書いてもらうためだ」


 まっすぐな言葉は、ぼんやりとした兎姫乃の心をたたき起こす。寒さに関係なく震えたのだ。二度と拭えないだろうと思っていた罪悪感を拭う機会が訪れたのだ。嫌いだった自分を越えたい。いや、自分を好きになれる絶好の機会だと思えたのである。


 潰れた六角形の目が、兎姫乃を見上げる。


 頼りない姿になってもガユガインは兎姫乃へ期待していた。


 言霊主が見いだしたことへ全幅の信頼を置いていたのだ。二度の戦いで即興ながら良い文章を書いてくれた。その能力と度胸を信じずにはいられなかったのである。



「羽月がまだ東京にいた」



 兎姫乃は告げる。



「そうだったのか。無事だったか?」


「うん。ガユガインのおかげ。ありがとう」


「私は兎姫乃を利用するために彼女たちを、東京を守った」


「それでもいい」



 兎姫乃の言葉から棘が抜けていた。


 ガユガインは、兎姫乃からは怪しまれ、疎んじられていただけに言葉の柔らかさに戸惑う。立場を修復するためにもと、ガユガインは聞かれてもいないことを話したくなった。



「白状すれば、兎姫乃が公園で男性に絡まれているところを助けたのも、私の目的のためだったのだ。そのように丁寧な礼を言われる筋合いはない」


「それでも、お礼は言いたかった」



 朝日を浴びて、一切の穢れを発散したような兎姫乃が言う。



「そうか」



 ガユガインは反応に困り、うつむいた。罪から生まれた存在が、礼を言われて良いものか悩み、素直に受け取れなかったのである。自己肯定感など欠片もない。そのうえ、罪に罪を重ねていた。人間の法を犯したのである。それで鎧が作れればいいが、そんなことはなく、兎姫乃も巻き込んで日本人から怨嗟の声を一身に集めているのだ。小説を書いていたいだけの少女に近づくべきでない存在だった。


 朝日の差し込む窓辺でガユガインが困り果てる。


 兎姫乃は、その姿に悦びを感じていた。


 誰かを困らせるというのは、わがままのなせる技だと思っていたのだ。素直に礼を言うだけで困惑する存在がいるのは面白かった。


 嗜虐性。


 気付いた。バッドエンドを考えてしまうのは悲しい物語を求めているからではない。困る姿を欲しているからだと気付いたのだ。


 乾いた笑いが出そうだった。


 兎姫乃は他者へ文学を投じていたのだ。


 ウェブ上では偽りを投じていたのだ。


 決して文字にしなかったのは、それが性癖のように秘めるべきものだったからである。


 他者を傷つけ、その困惑と悲痛に感動する。


 それが、兎姫乃だった。



「はぁ」



 溜め息も出るというものだった。



「どうした?」


「あんたに出会ってから、私は私を知らなかったんだとつくづく思い知らされた」


「なんの話だ?」



 ガユガインが当然の疑問を抱いたとき、窓辺の板の間と畳の和室を区切る障子が開け放たれた。



「誰だ!」



 兎姫乃の父、伸哉が娘と話す何者かを確かめるべく踏み込んだのである。



「な、なんだそいつは?」



 テーブルの上の動くロボットの人形に動揺する。人形と話しているとは思わなかったのだ。


 後ろに控える友喜も心配するように兎姫乃を見ていた。



「初めまして。私は文弱猛士ガユガインと申します。兎姫乃さんの力を借りて、世に言う怪物と戦っている者です」



 ガユガインが腰を曲げてお辞儀をする。


 兎姫乃は呆気にとられ、反応が遅れた。



「ちょ、なんて自己紹介をしてんの!」



 隠すべき秘密を洗いざらい吐き出したロボットへ遅まきながらツッコミを入れる。



「お前が東京に現れたロボット? しかも兎姫乃がパイロットだと?」



 妙に飲み込みの早い父親が、確認するように兎姫乃を見た。眉間には険しいシワが刻まれ、目つきは鋭くなっている。


 後ろにいる母親もまた、たしなめるような顔になっていた。



「これは、その、成り行きでこうなっちゃって、初めは断ったから!」



 両親から咎められるように見つめられ、理路整然と説明できない。



「それで、そいつは何しに来たんだ?」


「再び兎姫乃さんにお力を貸して頂きたく、参上いたしました」


「兎姫乃の力? こう言ってはなんだが、娘に特別な力はない。本を読んだり小説を書いたりするのが好きな大人しい子なんだ」



 兎姫乃は、伸哉とガユガインが平然と言葉を交している光景に気を失いそうだった。



「兎姫乃さんは、電脳世界の神、言霊主に見いだされました。私は、彼の言葉に従って兎姫乃さんを頼っているのです」


「電脳世界の神? 想像もできないな」


「八つ首の蛇です。古事記などに現れる八岐大蛇のような姿をしています」


「待て、それは本当に神なのか?」


「無論、古事記の存在とは別物です」


「ふーむ」



 伸哉が黙考する間に朝日は完全に登り、甲府の街を車が走り始めた。



「あなた」



 友喜が時計を見て、伸哉の肘を揺する。



「ああ、もうすぐ朝食の時間だな。この話はあとにしよう」


「ええ。今日の夜まで時間があります」


「それだけあれば十分だ」



 伸哉とガユガインは、期限を設けてうなずき合った。


 ガユガインは兎姫乃のスマートフォンから電脳世界へ戻り、伸哉は部屋の布団をたたみ始めた。


 特に取り乱した様子もなく、かえって不安になる。



「と、父さん?」


「兎姫乃も畳め」


「う、うん」



 もっと怒られるものと思っていた。娘を想うなら、もっと怒って欲しくもあった。


 父親の考えが読めず、兎姫乃はなにか釈然としない。


 浴衣から着替えたところで仲居さんが呼びに来て、一家で朝食の並べられた部屋へ案内された。


 焼き魚と味噌汁といった和風定食が用意されていた。深刻な話が控えているのに、だし巻き卵の味だけはしっかりと覚えられる。甘塩っぱくて好みだったのだ。


 食事を終えて部屋に戻ると、布団は片付けられていた。


 テーブルと座椅子が元に戻されていて、伸哉が座ると友喜がお茶を用意する。



「兎姫乃も座りなさい」


「はい」



 いよいよ話をしなければらなかった。


 兎姫乃は緊張で食べたばかりのものを吐きそうになる。


 伸哉は腕を組んで座ったまま、友喜が座るのを待った。


 友喜が三人分のお茶をテーブルに並べ終えて座ると、伸哉が口を開いた。



「さて、さっきの話の続きだが」


「うん」



 恐ろしくて父親の顔をまともに見られなかった。



「兎姫乃はどういう気持ちなんだ? あんなロボットに乗って戦いたいのか?」



 正直に言えば戦いたくなかった。


 友人を見捨てたことやガユガインの願いをむげにしたこともあり、あと一度だけなら償うつもりでやる気だった。



「あと一度だけ」


「ロボットに乗るのか?」


「うん」


「戦うのか?」


「うん」


「死ぬかもしれないだろう?」



 自分の死はさほど重要ではないし、ガユガインに乗る限り安心だとさえ思っていた。


 ガユガインの中は安全で脅かされることがなかったのだ。


 今まで、たまたま運が良かっただけかもしれない。


 そう思うとガユガインへ乗るのが恐ろしくなってきた。


 兎姫乃が深く考えていると伸哉が言葉を続ける。



「父さんは乗って欲しくない。母さんも同じだと思う」



 伸哉の言葉へ友喜も相槌を打つ。



「兎姫乃がそこまでして戦う理由はないんじゃないか?」



 道理に従えばそうだった。


 兎姫乃にそんな責任も理由もない。



「でも、私の代わりはいない」


「いるさ。人間はたくさんいるんだ」


「いたら、とっくに代わってる。だって、私は」



 兎姫乃の口は意地で動いていた。父親の言葉に生まれて初めて反抗する。



「ガユガインのパートナーとして一番ダメだった自信がある」


「そうなのか?」


「うん。最低だと思う。ワガママで、頑固で、頼みをまったく聞かない嫌な奴だった」



 伸哉は、兎姫乃の大人しい面しか知らなかった。娘の言葉を嘘だと思ったくらいだ。



「それでもガユガインは私を頼りに来た。私を信じてくれた。私が東京を離れるとき、引き留めるのも聞かなかったのに。それで私は後悔した。ガユガインを一人で戦わせたことも、友達を見捨てたことも」



 それが嗜虐の裏返しだと気付いたのは、ついさっきだったのだ。


 さすがにそれを親へ言う勇気はなかった。

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