三章 5
「お前の目的も知っているぞ。イザナミを救いたいのであろう?」
ガユガインは答えなかった。答えたところで強がりにしか聞こえないからだ。鎧がなければそれを果たせない。わかりきったことだった。それでもガユガインが退けないのは、東京に兎姫乃の友人が残っているからだ。兎姫乃への誠意を示すことが、ガユガインの戦い続ける理由になっていた。
ガユガインの出生の秘密を知る菊理媛は、消える前に一目でも会わせてやろうと取り計らうことにした。
「健気なことよ。そうまでして母のごとき存在を救いたいか?」
ガユガインは答えない。弱みは見せなかった。
「罪穢れにも親を思う心はあるのだな。……ふむ」
袙扇を開いて顔を隠す。ポリゴンになろうとも顔を見られるのは落ち着かなかった。
菊理媛もまたガユガインのように血も涙もないわけではない。人間に死を与えるという使命はイザナミと同様に歪められた黄泉の国の方針で守らない訳にはいかなかったが、ガユガインの試みは面白いものであると考え直した。
「そんなに会いたくば、一つ火を灯せ」
「なに?」
「遅かれ速かれ、イザナミの手でこの国は滅ぶ。愚かしいことだ」
菊理媛は、そう告げると電脳世界へと消えた。衣服を燃やされてあられもない姿でいることを思い出し、黄泉の国へ帰ったのである。
ガユガインも後を追うように電脳世界へ戻った。
現世に長居をすれば、東京の住民に迷惑が掛かると思ったのだ。
「一つ火か。そうか今のイザナミならば」
黄泉の国でイザナギがイザナミの顔を見たとき、櫛の歯に灯した一つの火を持っていたのである。それ以来、一つ火は禁忌とされていた。
花の窟神社で安らかに過ごしているならいざ知らず、アンチリアル体に操られた状態ならば一つ火に反応して姿を現すのは、納得のいく話だった。
懸念があるとすれば、これが菊理媛から教えてもらったということである。
黄泉の国の才媛が、なんの見返りもなし助言を与えるとは思えないのだ。
それにガユガインにはもう戦う力がなかった。
鎧を使い切り、単独ではイザナミと対決することができなくなってしまったのである。
イザナミを呼び出す方法がわかったとしても兎姫乃を説得するか、別の協力者を探す必要があった。
今から新たな表現者を見つけられるほど、ガユガインに時間も余力も残されていない。兎姫乃を説得するしかなかった。
ガユガインは電脳世界を再び潜り、言霊主を捜した。
「言霊主! どこにいる!」
電脳世界に決まった形はなく、潜る度に呼びかけなければ巨体である言霊主を見つけることすらできなかった。
「こちらだ」
赤い点が何事かとガユガインを見ている。
ガユガインは電脳世界を泳いで言霊主を目指した。
「情けない姿になったものだ」
ガユガインの姿を見て言霊主が言う。八本あるウチの一本だけがガユガインの相手をした。
「戦いを長引かせれば、鎧だけではすまなかった」
「そうか。それで新しい鎧をよこせという話か? 前にも言ったが替えはないぞ」
「違う。兎姫乃の場所を教えて欲しい」
「現世の娘か」
「もはや、彼女に協力してもらう以外に道はない」
「断られたら?」
「そのときは、私一人でやる」
ガユガインの中で覚悟は固まっていた。こざかしく立ち回る気もない。
「祈りの届かぬ相手だ。誰かがやらなければならない」
言霊主は、その戦いの厳しさを思って辛くなる。家族の無事や平穏を祈る者がいても、イザナミには届かないのだ。
「黄泉醜女、高橋羽月、そして菊理媛。彼らに立ち向かう言霊はあっただろうか?」
「ない」
ガユガインが尋ねると、言霊主が即答する。
「架空の勇気を描く者たちばかりだ」
言霊主は、勇ましい言葉を数多く見てきたが、その言葉通りに行動した人物をまったく見ていなかった。口先だけの言霊が増えたことと嘆くばかりである。
「その点、兎姫乃は悪鬼を見ても逃げ出さず力を貸してくれた」
「適任なのだな?」
「そういったのは言霊主だ」
兎姫乃の小説を推してくれたのは、他ならぬ言霊主だった。言霊主と出会って一つ疑問が生まれていた。毎回ちがう首と話をしているような気がしてきたのだ。
「そうだった」
物忘れの激しい言霊主は電脳世界を仰ぐと、中継点の一つを赤く輝かせた。
「あれを目指せ」
「ありがとう」
「うむ」
八つ首の白蛇に感謝を述べてガユガインは兎姫乃へ会うために電脳世界を浮上する。
現世では日付が変わり、日の出を迎えるところであった。
温泉に浸かり、豪勢な夕飯を食べて兎姫乃は何もかも忘れて眠るはずだった。
緊急速報がネットを駆け巡り、東京にガユガインが現れたことを知ったのだ。
兎姫乃が罪悪感からネットでガユガインの情報を集めていると、高橋羽月からテキストチャットで連絡が入る。
『ロボットが二体現れた。ガユガインが戦ってる』
『相手もロボットなの?』
『うん。着物姿の女性ロボット。ビルを一つ破壊した』
凶悪な犯行だった。
『鬼みたいな炎でガユガインの鎧が少しなくなった』
『鎧、全部なくなった』
『でも、相手も着物が燃えて、いなくなった』
『服や鎧を奪うゲーム?』
『ガユガインも消えた』
立て続けに羽月から実況のような短文が送られてくる。
兎姫乃は、それらにまともな返信もせずに布団へ潜り込んだ。
両親は、窓辺でお茶を飲みながら話している。
旅館の和室に逃げ場はない。
スマートフォンには、なおも羽月からメッセージが送られてきていた。
見るのが辛い。
逃げ出したことを責められているようだった。
眠ってしまいたい。すべて忘れてしまいたい。
負うべき責任なんてない。
布団の中でなんども言い聞かせた。
なぜこんなにも罪悪感のようなものに苛まれるのかと平行して考えもする。
つぶっていた目を開けると、蛍光灯の光を遮るグレーの布団内宇宙があった。
薄暗さは夕暮れを思い出す。
野良猫にまとわりつかれた近所の公園。
悪鬼を初めて見たとき、ガユガインは戦っていた。
あれだけ自分の目的を優先すると渋っていながら、東京で一人戦ったガユガイン。
友人の一人は救われた。
野良猫も救われた。
駅員も救われた。
多くの人が救われた。
ガユガインの願いだけが救われなかった。
戦わなければならない相手がいて、救いたい人がいる。
その願いは叶わない。
ガユガインの落ち込みは想像したくなかった。
罪悪感の次は自己嫌悪である。
人の不幸を見て見ぬ振りをするくせに、自分の不幸には過敏に反応する神経の図太さが嫌だった。
無関係とはなんて楽なのだろうと思う。
できることなら、田中沙弥佳のようにどこか遠い場所で他人事のような希薄な不安を抱えて過ごしたかった。
言い訳も考えた。
今、東京で起きていることは一人の人間が背負うことではない。
日本で誰がこんなことを受け止めて処理できるというのだろうか。
総理大臣や天皇は、立場が違うので兎姫乃の感じる重責を理解できない。おそらく、誰一人として兎姫乃の苦しみを理解できる人はいないと思われた。
そもそも、そんな苦しみを覚える資格すらないことを思い出す。
兎姫乃はガユガインの嘆願をはねつけたのだ。
いまさらガユガインの心へ寄り添おうなどとおこがましいにもほどがった。
浅ましい人間だと結論が出たところでまどろむ。
もう終わったのだと諦める。
眠ることにした。
兎姫乃は時間の力で雑念を消し飛ばす。
ガユガインや東京の人たちが苦しむ時間を知らないふりをしてやり過ごすのである。
夢は見なかった。
早寝の甲斐あって、兎姫乃は家族で誰よりも早く起きた。隣の布団では両親が眠っている。
通知のたくさんあるスマートフォンを確認すると、朝の五時だった。肌寒さは東京の比ではなく、ぶるぶると背筋が震えた。
障子を静かに開けると、空が白け始めている。
兎姫乃の心は眠ったことで空っぽだった。スマートフォンを窓辺のテーブルへ置き、椅子へ腰掛ける。
静かな時間だった。
何もかも捨ててしまったあとのように未練もしがらみもない。
心は軽くなったが、命まで軽くなってしまったようで、気分の良い状態ではなかった。
「あ」
太陽が昇った。
甲府盆地を囲む山の稜線から後光が差したのだ。
たまたま東向きに窓があった。
たまたま太陽を見た。
その光を見て、ガユガインを呼び出したときのことを思い出す。
寝起きで迂闊だったのだ。
日の出が見えると知っていれば座らなかった。
ガユガインの絶望。鎧を失い、戦うべき相手と戦えず、救いたい人も救えない。鎧もなく戦いを挑み、悔しさの中で消滅する物語。
「ホント、嫌な奴」
兎姫乃は自嘲した。
息をするように平然とバッドエンドを想像したのだ。いうにことかいて、東京や友人を救った戦士に対してである。自己嫌悪は最高潮へ達し、自分を笑いものにすることでしか精神を保てなかった。
野良猫の時と違い、涙も出なかった。
寝起きで乾いていたせいもある。
朝の光で焼き殺して欲しくなった。
「その笑い方、止めた方がいい」
日の出を眺めていたら話し掛けられた。
空耳かと疑った。
聞き間違えるはずがない。
兎姫乃はゆっくりとテーブルの上を見ると、スマートフォンの傍らに真っ白な素体のガユガインがいた。




