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三章 3

 兎姫乃は、部屋で留守番をするという口実でスマートフォンを叩き、友人たちの動向を探った。



『東京から避難しないと行けないみたいだけど、どうしてる?』



 沙弥佳と羽月へ同じ文章を送る。



『私のところはもう東京から離れてる』



 沙弥佳からは安心できる返事があった。『私も』と返信しておく。



『私は明日にでも離れるよ。なんか事務所から炎上のことで呼び出されて、今日は逃げ出せない』



 羽月のコメントの後ろには、涙にむせぶ絵文字がアニメーションしている。


 絵文字では伝わりきらない悲壮なものを感じ取った。


 それになんと返せばよいかわからないのだ。自分だけ安全な場所へ逃げているなどと言い出せるものなら、兎姫乃はそんな人間とは付き合う気はない。



『兎姫乃はどうしてるの?』


 羽月が尋ねた。当然の疑問だ。


 嘘を吐こうかとも考えた。


 それで羽月が救われるとは思わない。



『今、甲府にいる』



 返信が恐ろしかったが、真実を書いた。



『いいなー。私も山梨に行こうかな。そうすれば兎姫乃と遊べるよね?』



 すぐに帰ってきた羽月の反応に動揺する。


 そこまで屈託なく人を認められることが羨ましく、また信じられなかった。


 まっすぐな信頼に胸が熱くなり、兎姫乃はらしくない意欲を見せる。



『そうなったら、遊ぼう。親に相談してみる』


『お! 決まりだよ? 逃がさないからね!』



 羽月のコメントには、やる気に燃えた絵文字が入っていた。



『うん』



 兎姫乃は、文字を打ち込みながら頷く。


 打ち終わってから明日が無事に訪れることを願わずにいられなかった。


 ガユガインは、また何かが現れるかもしれないと言っていたのだ。


 その不吉な予言がしつこく蘇る。


 兎姫乃は、今日も怪物が現れる気がしていた。



「あいつら、なんで今になって現れたのかな?」



 兎姫乃は独りごちた。


 ガユガインの話では、一年前にインターネットが常世とつながり、悪鬼たちを活発にさせた原因がいるのだ。



「神話か」



 日本の神話をよく知らなかった。学校で習った記憶はなく、歴史の教科書にも載っていたか怪しい。



「調べて見るか」



 伸哉が整えてくれたネット環境を活かさない手はなかった。


 兎姫乃はスマートフォンの検索欄へ、日本神話と打ち込んだ。






 電脳の世界は、蜘蛛の巣のように理路整然と張り巡らされていない。


 複雑に絡み合う光の点と線だけの中を、ガユガインは目的もなく漂っていた。


 兎姫乃が友人を置きざりにして東京から離れてしまったことに少なからず責任も感じている。もう少し説得すべきだったと反省していたのだ。



「ガユガインよ」



 ネットワークの深淵から呼びかける声があった。



「言霊主か」


「こちらへ」



 どちらを指すのかわからないが、ガユガインは深層へと向き直る。



「いま行こう」



 電脳空間の無数にある点は、線の集中する場所であり、中継する場所にもなっていた。それらの隙間には本来なにもない。常世とつながったことで、隙間は神の座する新たな場所になったのである。


 言霊主は、その隙間へ一番最初に生まれた神であった。


 虹色に煌めく点と線の暗闇の中で、赤く光る点が十六個ほど、独立して浮かんでいた。


 ネットワークを飛び交う言霊を監視しているのだ。ただ監視するだけでなく、悪意ある言葉を捕まえては無害化していた。国民を思う祈りに呼応してのことだった。


 ガユガインは、赤い点を目指して電脳世界を潜行する。


 通り過ぎる点と線の中身をガユガインも見ることができた。


 SNSを飛び交う言葉の中に、ロボットや怪物というものを見かける。東京でのことが話題になっていた。暗号化された活発な情報は、一際輝いて見え、それらにアクセスが集中すると宇宙の中の恒星さながらに存在感を示す。


 それらの言葉に付随するのは、怖い、嫌いなどといったネガティブな感情から、どこ、いつなどといった特定しようとするものであった。


 何人かが、ガユガインを探そうとしている。


 ガユガインが見つかったところでなんともないが、兎姫乃が迷惑を被るのだけは避けたかった。そうであれば、特定されないように情報を隠蔽したり、書き換えたりすることも視野に入れなければならなかった。


 そんなことをぼんやりと考えながら潜行を続けると、言霊主の姿が見えてくる。十六個の赤い点は、八対の目だった。それらは長い首を持ち、一つの胴体へとつながっている。幾何学模様の白い鱗に覆われた八つ首の蛇。出雲の怪物、八岐大蛇に酷似した姿をしていた。ガユガインと同じアンチバーチャル体であり、日本全土のネットワークを監視するため、北から南までを見渡せるほどの巨体を持っている。



「来たか。カグツチノアマツツミ」


「文弱猛士ガユガインだ。名付けたのは言霊主ではないか?」


「そうだった。ガユガイン」



 頭の一つが無感情に軽口を叩いた。



「別の頭が喋った方がいいのではないか?」


「そうでもない。昔は、一つだったんだ。今も一つで十分だ。他の頭は悪しき言霊の監視で忙しい」



 言霊主の頭は、必要に応じて増えたのである。



「そんなことより、用事があるのだろう?」


「ああ、頃宮媛より言伝を預かっている」


「頃宮媛か」



 頃宮媛は、悪しき言霊の増加に伴い、常世から派遣された神だった。猫のような特徴を持ったアンチバーチャル体で、機転の利くすばしっこい配下を多く持っている。言霊主を支援して、常世と電脳世界を行ったり来たりしているのだ。そのため、常世の情勢などをガユガインへ伝えるなど世話を焼いていた。



「黄泉比良坂より、菊理媛が電脳世界へ来た」


「なんだって!」



 菊理媛は、黄泉の国を統べる黄泉津大神(よもつおおかみ)を補佐する存在である。めったなことでは動いたりしないのだ。



「狙いはガユガインだろう」


「まさか、黄泉の国の才媛が動くとは」


「黄泉醜女がやられたのだ。不思議ではない」


「ここへ来てアンチバーチャル体か」


「現世の娘に力を借りたらいいだろう?」



 高橋羽月のようなアンチリアル体を浄化するためなら、兎姫乃の力を借りるのに筋が通る。ただ、黄泉醜女のようなアンチバーチャル体ともなると話が違うのだ。


 アンチバーチャル体は、浄化するのではなく表現で撃退する必要があった。それは悪意の表現に近く、兎姫乃に頼むのは心苦しくなるし、今度ばかりは説得できる自信がなかったのである。


 ガユガインは、うなだれて言霊主に真実を打ち明けた。



「今は、協力関係ではない」


「それはどういう意味だ?」


「兎姫乃は家族を選んだ。東京に残り、一緒に事へ当ることを拒まれたんだ」


「では、東京の人間を見捨てるのか? 菊理媛は、現世の人々を根絶やしにするかもしれない」



 兎姫乃の力もなく戦うとなれば、ガユガインは代償を支払うことになる。代償には限りがあった。それでも目的のために東京を壊滅されるわけにはいかなかったのである。



「いや……」



 胸に引っかかるものがあった。建前にすぎないことよりも大事なことが生まれていたのだ。


 ガユガインは、兎姫乃と別れたときに見た、苦しみに固まる表情を思い出していた。兎姫乃も決して納得していたわけではないのだ。友人を守りたいという気持ちも、東京を見捨てたくないという思いもあったのである。それを一方的に責めるように言葉を残して来た。兎姫乃の苦しみは増すばかりだとわかる。目的のために利用しておきながら、なんて言い草だと反省した。兎姫乃の協力を得るためにも、兎姫乃の代わりに友人や東京を守らねばならなかった。



「私一人で戦おうと思う」



 ガユガインの静かな決意に言霊主が頷く。



「その鎧の替えはない。それがなくなったら、兎姫乃という娘を頼るしかなくなる」


「わかっている」



 柱状節理の鎧に触れる。冷えて固まった溶岩のような炭だった。いずれは灰にならなければならないガユガインの罪でできている。



「底の国から逃げ出して、一年になる。もう逃げ切れないだろう」



 ガユガインは覚悟を決めた。


 言霊主の赤い目が、ガユガインを見据える。



「そうだ。逃げていては、果てることもできなくなる」



 言霊主の言葉が、ガユガインへ重くのしかかる。


 消え去らねばならない定めを持っていることを突きつけたのだ。



「ああ、わかっている」



 ガユガインが産まれたのは、常世にある底の国と呼ばれる場所だった。


 カグツチの罪として、瀬織津比売(せおりつひめ)に流され、速開都比売(はやあきつひめ)に呑まれて海の底へ沈み、そこで気吹戸主(いぶきどぬし)に吹き飛ばされて、吹き飛ばされた先で速佐須良比売(はやさすらひめ)に持ち去られたのだ。罪は炭に変えられ、底の国の竈で煮炊きに使われるのを待つだけだった。



「一年前、常世に悲痛な叫びが木霊した。私は底の国にありながら、それをしっかりと聞いたのだ。その証拠に、炭でできた私の体は動けるようになった。叫びの導きで、私は炭でありながら根の国から電脳世界へ飛び出したんだ」


「そうだ。責任を感じた速佐須良比売は、黄泉の国の菊理媛へ相談した」


「あれからずっと追いかけられている」



 ガユガインは苦笑する。常世の真面目な神々に失態ばかり演じさせていて申し訳ないのだ。



「こちらの世界へ来て途方に暮れるガユガインを見つけてしまったのは、なんの縁だと思う?」



 言霊主が謎かけでもするように尋ねた。



「わからない。ただ、言霊主は、叫び声の主を教えてくれた。それだけで十分だった」


「叫び声の主、イザナミ」



 言霊主が苦々しく呟いた。



「私の母になるのだろうか」


「なるわけないだろう。お前は洗い流されたはずの罪穢れに過ぎない。ただ、まったく縁がないという訳でもない」


「そう、縁がない訳ではない。ならば、カグツチの代わりにイザナミをアンチリアル体からお救いせねばなるまい」



 ガユガインの決意は変わらなかった。


 底の国で燃やされるのを待つだけだったはずなのに、なにかやらなければならないと思わせるほどの悲しみに満ちた声が思い出されるのだ。


 イザナミは救いを求めている。


 ガユガインはそう直感していた。

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