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二章 5

 ガユガインに礼も言わず、兎姫乃は黙って万年筆を走らせた。


 『気長に元気づけるのは性に合わないからそろそろ終わるけど、あなたが負ける姿を見

 たくない。


  私が見たいのは、あなたの裸だ。


  男たちの視線を奪うあなたの裸だ。


  悪口なんて脱ぎ捨てろ。


  あなたが身につけるべきは、そんな醜いものじゃない。


  あいつらが、なにも言えなくなるくらいに見せつけて欲しい。


  誰も見ないなんて思わないで。


  私は、あなたの前にいる』



 まるでファンレターだと思った。


 小説かどうかと言われたら、兎姫乃は判断に悩む。架空とは言い切れないもので、描写もなければ詩のように形がない。それもこれも全部ガユガインのせいにして、兎姫乃は完結したと思うことにした。



「できたっ!」


「待っていたぞ!」



 兎姫乃が声を張り上げると、ガユガインが歓喜の声を返す。


 黒い柱状節理の鎧が赤熱し、東京を赤く染めた。


 兎姫乃の手から万年筆が消えて、ガユガインの手に巨大な八百万の御代筆が現れる。


 足下の雲を確認すると、畳一畳の半分もなかったのである。


 兎姫乃は、いつの間にか両足を揃えて立っていた。


 ガユガインが、悪鬼の化身を突き飛ばすと御代筆を突きつける。



「執筆怒濤!」



 筆先から兎姫乃の文章があふれ出し、文字が結集して濁流となった。黒い水がうねり、巨大化した羽月を押し流した。文章からあふれ出した物語から絞り出された水は、羽月だけに抵抗を与え、都心を水没させることはない。



「む!」


「なに?」



 ガユガインがうめき、兎姫乃は尋ねた。書いた小説になにか不備があったのかと思ったのだ。



「耐えられたぞ」



 ガユガインの指し示す筆の先で、濁流から逃れる羽月がいた。



「小説がまずかった?」


「いや、祓いの力は十分にあった」


「それじゃどうして?」


「悪鬼が、予想以上にこびりついている」



 洗濯物の会話かと思うような説明に、兎姫乃はやきもきした。



「じゃあなに? 新しい洗剤でも書けば良いの?」


「そうではない。祓い方が合っていなかったのだ」


「はぁ?」



 兎姫乃は、混乱するしかなかった。



「鳴る神を試す。気をしっかり持て」


「え、な」



 なに、と言おうとして視界が高速で天地逆転する。


 兎姫乃は、意識が遠のきそうになった。



「うおおおおおおお!」



 大きくバク宙して距離を取ったガユガインが吼え、八百万の御代筆から紫電が爆ぜた。赤熱した鎧からも炎が大きく吹き上がり、東京に昼をもたらした。



「なにを始める気なの!」


「舌を噛むなよ!」



 ガユガインは質問に答えず、羽月を中心に円を描くように御代筆で紫電を引いていく。


 ガユガインの中にいる兎姫乃は、加速の影響で雲から足が外れそうになった。


 東京のビルをすり抜ける光景が通り過ぎ、御代筆の刻む雷鳴が間近で炸裂した。


 兎姫乃にできることは、耳と目を塞いで絶叫マシーンと化したガユガインがが終着点に着くのを待つことくらいであった。


 東京に張られた紫電の円環は、完成と同時に一際大きな雷鳴を轟かせて縮小し、羽月を締め上げる。



「うあああああああ!」



 羽月は感電して絶叫を上げた。


 ガユガインは動きを止めず、羽月の直上へ飛んで筆先を下に向けて構える。



「執筆迅雷!」



 落雷となってガユガインと兎姫乃は、地表にいる羽月へと落ちていった。


 閃光で東京の空が白く染まる。


 光が消えると、ガユガインも悪鬼となった羽月も姿を消していた。



「う、どうなったの?」



 兎姫乃の髪が吹き散らされる。風を感じてまぶたを開けた。



「彼女は、無事に救出できた」



 近くでガユガインの声がする。


 兎姫乃は、どこのビルかもわからない建物の屋上に座り込んでいた。頭がクラクラしている。最後の自由落下で意識を失いかけたのだ。その隣では、人間に戻った高橋羽月をお姫様抱っこするガユガインが立っていた。



「その人が、高橋羽月?」



 ガユガインの腕で気を失っている部屋着姿の女性は、髪が長く手足がすらりと伸びたモデル体型の人物だった。公園で浄化した遠藤とは違い、羽月は涙していなかった。



「ここは彼女のマンションだ。部屋まで運ぶぞ」


「そこまでするの?」


「こんなところに放置して、飛び降りでもされたら救った意味がないからな」


「それもそうか」



 ガユガインの主張にすんなりと納得した。


 中途半端に助けて寝覚めの悪い思いをするのは兎姫乃だって嫌だったのだ。


 ガユガインは、羽月を抱えたままマンションへと入っていく。



「あんた、高橋さんの部屋わかるの?」


「ああ、先ほどまで調べていたからな」


「キモ。ストーカーロボなの?」


「彼女を害する意図はない」


「ストーカーはそういうものらしい」


「私はストーカーではない」



 東京の上空で戦うという悪目立ちの極地を経て、兎姫乃の神経はささくれにささくれていた。悪いと思いつつも、ガユガインをいじり倒すことでしかストレスを発散できなかったのだ。


 幅の広い非常階段を降りて、エレベーターに辿り着き、呼び出しボタンを押す。


 ロボットとエレベーターを待つ姿が現実離れしすぎていて、兎姫乃は頭痛を覚えた。だれかに見られたら、ハロウィンですと答える以外に誤魔化す方法がない。怪物が現れた直後に、そんな言い訳が通用するとは思わなかったのだ。ガユガインの姿も見られている可能性があった。目撃者が多数いる中で、仮装パーティを言い訳にするのは苦しいにもほどがあった。


 誰にも見つからないよう祈るしかなかったのである。



「早く帰りたい」



 父親や母親のことも気になり始めており、羽月はさっさと部屋へ寝かせて、両親と無事を確かめ合いたかった。先の戦いで街に被害は出ていなかったと思う。執筆に集中していたため不安はあった。周りを見ている余裕はなかったのだ。


 エレベーターが到着すると、ガユガインはなんの迷いもなく、むしろ押しなれた雰囲気すら漂わせながらボタンを押した。



「あんた、来たことあるよね?」


「初めてだが?」


「うそうそ」



 エレベーターの扉が閉まり、静かに目的の階へと降りていく。


 幸いなことに他の階で止められることはなく、すんなりと羽月の部屋がある階へ到着した。



「どっち?」


「右手側、ここから三つ目の部屋だ」


「本当に気持ち悪いからね?」


「それはもうわかった」



 度重なる兎姫乃からの負の性欲に対し、ガユガインはうんざりした声で答える。


 兎姫乃も好きで言っているわけではなく、どうにも晴れない憂さを解消するために自然と出てしまうのであった。


 ガユガインの教えてくれた部屋は施錠しておらず、扉を開けて中へと入った。


 玄関に多数のハイヒールが並ぶ。消臭剤も置いてあった。


 玄関、廊下、リビングと照明を点けながら進んだ。リビングにテーブルやベッドが置いてある。ガユガインが歩くのに邪魔だと思い、テーブルを移動させた。


 靴もなにもないガユガインは土足で上がり込み、肩のパーツを廊下の壁にぶつけながら羽月を運んだ。リビングへ入ると、兎姫乃の誘導に従い羽月をベッドへと寝かせる。



「もう大丈夫なの?」


「彼女を苦しめていた悪意ある言葉とそこから来るストレスなどは消し飛ばした。彼女が再びそれらと戦おうとしない限りは大丈夫だろう」


「なんか書き置きでもする?」


「いや、いい。彼女も学んだはずだ」


「そっか。それなら帰ろう」


「ああ」



 ガユガインが小さな身体へと戻り、インターネットを介して兎姫乃を自宅のパソコンへと移動させようとすると、身体を掴まれた。



「な!」


「待って」



 気を失ったと思っていた高橋羽月が、長い指をしっかりと巻き付けてガユガインを八百万の御代筆ごと握りしめたのだ。



「あんたたち、だれ?」



 黄泉醜女のような乱れ髪の下から睨み上げ、羽月が尋ねる。まだまだ疲労の色がにじむ覇気のない声をしていた。



「え、あの、あー、えっと、その、は、ハロウィンです」



 兎姫乃はしどろもどろになり、被害者に状況を説明することなど想像もしていなかったので、つい言い逃れのために考えていた台詞を口にしてしまった。



「は?」



 羽月の目つきが険しくなる。


 兎姫乃は、とっさに出た言葉で失態を悟った。状況が悪くなるのは確実だったのだ。



「ハロウィン?」



 握りしめたガユガインをまじまじと見る羽月は納得しない。


 うさんくさそうな目で見つめられたガユガインが、耐えきれずに口を開いた。



「トリックっ、オアっ、トリィィィィィトっ!」



 必殺技の名前でも叫ぶようである。



「は?」


「き、効かないだとっ……!」



 ガユガインが兎姫乃の言い逃れに便乗したため、羽月の部屋にさらなる微妙な空気が流れた。


 兎姫乃は、衝動をぐっとこらえる。日本神話から飛び出してきたヤツが何を言っているのかとツッコミを入れたくてしかたなかった。

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