28.海面
よろしくお願いします。
「っ!」
平瀬が腰から拳銃を抜く速度は速かったが、それよりも海賊が甲板へと飛びこむ方がわずかに早かった。
一発の銃弾が放たれた時には、平瀬は背後から両腕を掴まれてぶらりと宙づりにされてしまっていた。
「ふぃーっ……ひひひ。これがこいつらの“銃”か。火打石も付いてねぇし、火皿も見当たらねぇ。こりゃどうなってんだ?」
「このっ! 離しなさい!」
「ひひっ、あんまり暴れるなよ」
手足がひょろりと細長い男は見た目以上に握力があるようで、平瀬は振りきれないでいる。
「お前が、海の上を飛んでいた奴か」
「あー? 何でおいらの魔法を知ってるんだ? さっき来たばっかりなのに」
既に拳銃を抜いていた神栖の言葉に、海賊は首を傾げた。
「お前が来るのは解ってたんスよ。大人しく捕まらないと、ひどい目に遭うッスよ」
酒田も同様に銃を構えていたが、神栖よりやや後方に下がっていた。前後にわかれることで互いの動きをフォローするための立ち位置だ。
「わかってた? んぅーっ、よくわからんが、まあいい。この変な鉄の船にプレースもお頭も妙に身構えてたんだが、へっへ、こんな簡単に乗り込めるじゃねぇか」
海賊は長い腕と腹の間に薄い膜のような物を広げたかと思うと、平瀬を掴んだまま船の外へと飛び降りた。
「ちょっと待ってな。一人ずつ始末してやっからよ」
「えっ? ちょっと!」
酒田が慌てて甲板の外へと身を乗り出したが、そこには海賊も平瀬も見当たらなかった。
「ちっ、どっかに飛んで行ったのかも……先輩、どうし……」
振り返った酒田は、神栖が冷え切った表情で拳銃を腰に戻しているのを見て、言葉を失った。
入隊時に一度だけ見たことがある、完全にキレたときの顔だ。
「あの……」
怖くて仕方がないと思いつつも、上司である神栖の指示は仰がねばならない。恐る恐る話しかけた酒田に、神栖は静かに伝えた。
「留萌さんに連絡して、UAVで周囲の海域を捜索してもらうよう伝えて、船越艦長にも話をしにいってくれ」
「せ、先輩は?」
「俺は、このまま警戒にあたる。平瀬を見つけたら救助するし、海賊がまた上がってきたらぶん殴って居場所を吐かせる」
神栖がそう言ったなら、必ず実行する。
酒田はそれを知っているから、単独行動であろうと異論は挟まなかった。
☆
「お前、見た目より重いな。本当に女か?」
「失礼な! とにかく離しなさいよ! それに銃も!」
海上を滑空する海賊に捕まれたままの平瀬は、飛び降りた際に拳銃を取り落してしまったことに腹を立てていた。
「装備品紛失とか、どれだけの量の始末書を書かされると思ってるのよ! 空薬きょうだけでも“あの量”なのに……」
口ぶりからやらかした経験があるのだろうが、薬きょうという言葉すら知らない海賊にはわからない。
「うるせぇな」
「うぶっ!?」
海面すれすれを飛びながら、海賊は平瀬の下半身を足で抱え込み、片手で頭を海の中に押さえつけた。
「少しは静かにしろよ。大人しくなったら、お前にも楽しませてやっからよ」
水の音で平瀬には半分も聞こえなかったが、海賊が何を狙っているのかはすぐにわかった。
「女のくせに船に乗るなんざ、生意気なんだよ。プレースもそうだが、海は男の戦場なんだ。おまえら女はしょせん“戦利品”の価値しか無ぇ」
ラジコン飛行機のような速さで海面に顔を押し付けられた平瀬は、顔面を流れる水の勢いに目も開けられない。
だが、かろうじて頭を振って男の手から一時的に逃れた。
「はぁっ! ……女を馬鹿にするのもいい加減にしなさいよね。あんたのその貧相な身体で海の男を名乗る方がお笑い草だわ」
「てめぇ……やっぱもうお前、いらねぇわ」
再び平瀬の髪を掴んだ海賊は、何本も髪がちぎれる感触を一切気にせず、思い切り平瀬の頭を海面に叩きつけた。
今度は首まで水に入れられ、後頭部に波が叩きつけられて首が満足に動かせない。
「さっさと死ねよ。お前よりマシな別の奴を捕まえて、お頭への手土産にするからよ」
海賊の言葉は、流れる水に翻弄される平瀬には聞こえていない
「うぇっへっへ。これでおいらも船長だ。いずれプレースの奴も部下にして、弄んでやるぜ」
ぐるりと旋回し、再び護衛艦へと向きを変えた。
「さっきは拍子抜けだったぜ。女が盾になってると近づいてもこれないんだからな」
これがスパンカー海賊団だったら、味方の誰が盾にされようがお構いなしに攻撃するだろう。
「お頭だったら、味方ごと握りつぶしてしまうだろうよ。怖い怖い」
抵抗する手応えがなくなったことに気付いて、海賊は平瀬の頭を引き上げた。
大量の水を滴らせる顔を覗き込み、呼吸をしていないことを確認しようとした矢先、彼女の目が、開いた。
「うおっ!?」
海賊は慌てて平瀬の頭を再び海面に抑え込もうとしたが、逆に平瀬が身体を丸めて腕を引き込むような格好をしたことで、海賊は水面をでんぐり返る格好で滑った。
結果、仰向けになった海賊の上で、平瀬が見下ろすことになる。
「はぁ、ふぅーっ……」
大きく深呼吸して、腰のナイフを抜く。
すでに三つ目の太陽も上がっている快晴の海の上、さび止めにガンブルーを塗られた刃はうっすらと蒼く光って海賊の左目に向けて振り下ろされた。
「ちっくしょう!」
切れ長の目のすぐ外側に傷を負いながらも間一髪で身体を捻って逃れた海賊は、そのまま平瀬を自分の上から振り落として飛行を始めた。
「くそっ! 女に怪我させられたなんて知られたら……許さねぇ!」
何が何でも殺しておかねばと急激なカーブを描いて平瀬の方へと進路を変えた海賊は、浮かんでいるだけのはずの平瀬が自分を真正面に迎えるように構えていることに驚いた。
「なんだと!?」
海を泳ぐことがあまり一般的では無いこの世界で、それは海賊が初めて目にする泳ぎ方だった。
「立ち泳ぎだと力が入らないけれど、あんたが自分から突進してくれるなら話は別なのよ」
平瀬は右手にもったナイフをくるりと回転させて刃の方を指先に掴むと、肩から肘、手首へと流れるように回転力を加えていく。
美しいフォームで放たれたナイフは、規則正しく回転しながら海賊の額へと吸い込まれるように突き刺さった。
墜落した海賊は、海面をバウンドしながら平瀬の目の前で止まった。
「そうやって、誰かを舐めていたら勝てる相手にも勝てないわよ」
両脇の膜を広げたまま浮かんでいる海賊からナイフを抜き取り、海水でざぶざぶと洗う。
ふと見ると、神栖が泳いでこちらへ向かってきていた。
「もう、ボートで来てくれたら楽だったのに」
そう言いながらも、相当な速度で泳いでくる神栖に、平瀬は笑みを浮かべていた。
ありがとうございました。