2.異世海戦
1話目を同時公開しておりますのでご注意ください。
「……あぁ? てめぇ棒っきれ一本でオレとやりあおうってのかぁ?」
トガンスと名乗った怪物は、右手にだらりと提げていた剣の切っ先を突きつけた。
「悪いが、俺たちはお前たちみたいに人を殺すのが仕事じゃあないんだ。海賊は捕まえてナンボ。だから、殺さなくて済むように余計な抵抗はするなよ」
「チッ、舐めやがって!」
ショート・ソードと思しき武器に対して、神栖は伸縮式の警棒。一見して不利だが、神栖は慣れている。武装で不利な状況など、自衛隊時代からいつものことだ。
「死ねやぁ!」
乱暴な上段からの大振り。
広い甲板での戦いに慣れているのだろう。そのあたりは、狭い船室に飛び込んでいくことも多い神栖とは正反対だ。
「ふっ!」
息を吐いて、踏み込みと同時に手首を強かに警棒で打ち据える。
臨検で乗り込んだ船の中で、刃物を持ち出す相手は珍しくない。怖くないと言えば嘘になるが、怖気づくようなことはない。
「いってぇ! こん畜生がぁ!」
トガンスも流石に戦闘に慣れているようで、剣を取り落すようなことは無かった。
だが、隙はできる。
相手の膝を横から踏みつけるようにして蹴り、剣ごと腕を取って捻りあげる。ごくごく一般的な逮捕術だ。
「確保!」
「うがあああ! この野郎がぁ!」
細い見た目に比べて力があるらしいトガンスは、怒声を上げながら身体をぐるりと回転させて拘束を逃れた。
しかしその程度、対応できない神栖では無い。
回転途中のトガンスの身体を思い切りボートの床に叩きつけたかと思うと、馬乗りになる。
「くそっ! なんでこんなヤツにぃ……船一隻襲って分捕るだけのちょろい仕事だったはずがぁ……」
「襲って? ……しまった! 海賊同士でやりあっているんじゃないんだな!?」
失敗した、と神栖は悟った。
優先すべきは人命救助であり、海賊を捕まえるよりもまずは被害者の救出をせねばならない。被害者を見落としてしまったのは、痛恨のミスだった。
「酒田! 海賊に襲われている船がある!」
「すぐに船長へ連絡します! で、オレたちはどうすれば……」
交戦中だと伝えるように神栖が答えたとき、トガンスの身体がふわりと浮かんだ。
押さえこんでいた神栖には、それが筋力による抵抗ではないことがすぐにわかる。トガンスが自慢げに話していた魔法によるものだと気付いた時には、もう遅かった。
「うおおおっ! 『ハイ・フライ』!」
叫び声と同時に、トガンスの身体が飛翔する。
「神栖さん!?」
「俺は大丈夫だから、船長に気にするなと伝えろ!」
後は彼女に任せる、と言い残し、トガンスごと飛び上がった神栖は海戦の真っ只中へと消えていった。
「気にするなって言ったって……」
無線のスイッチを押しながら、まずどこから報告すべきなのか、酒田は途方に暮れた。
☆
帆船同士の戦いは、砲撃船から始まり、接近して相手の船へと乗り込んで制圧するというのがセオリーであり、それは地球の歴史上においても、この世界にあっても同じだった。
違う部分をあげるとすれば、それは魔法の存在だ。
人智を超えた能力。
超人的なジャンプ力、火炎を吹く、水の上を走る。数百人に一人存在する、魔法の力を得た者たちは、その多くが海賊となった。
もちろん、全員ではない。
「海賊が引っかけてきたロープを切り離して! 距離を取ろうにも、繋がっていたら無理だから!」
船員たちに指示を出しながら、両手を翳している少女。その手のひらからは勢いよく風が吹きあがる。
「風よ、わたしの船に力をちょうだい! 『ワイルド・ウィンド』!」
少女の声に応えるように、生み出された風が一定の方向へと整い、無風に近い海の上を帆船が動き始めた。
しかし、彼女の“魔法”の力は、敵に囲まれた状況から脱出するには足りない。
周囲から次々と敵船が接舷し、フックが付いた板を渡して海賊たちが乗りこんでくるせいで、足枷のように船の動きを鈍らせる。
「お嬢様! 船室へお入りください!」
「我々がお守りしま……うあっ!」
彼女を守る為に、船員たちが次々と集まってくるが、多勢に無勢であることには変わりない。
剣やナイフを手にし、海賊を殺しては、逆に殺される。斃れる者の比率は、海賊よりも味方が多い。
死体がいくつも折り重なる地獄絵図を前にして、少女はそれでも諦めずに船を進めようとした。
船室へ入ったところで、魔法を行使できないうえに、逃げ場まで失ってしまうのだから、今は一人でも船員が失われないように、どうにか逃げるしかない。
それが最良かどうかはわからないまま、彼女は魔法を行使し続けた。
その間にも、彼女の目の前では敵も味方も血を流して倒れていく。
彼女に向って迫ってくる男たちも、彼女を守ろうと立ちはだかる男たちも。
「誰か……」
祈りは誰に向けてのものなのか。
魔法は人を吹き飛ばすことはできても、混戦になってしまっては味方の船員まで巻き込んでしまう。
いかに自分は無力なのか。
類まれなる魔法の才能の持ち主だとか、国の宝になる逸材だとか、周りの誰もが持て囃してくれた能力も、この危機を乗り切るには足りない。
自分には才能があると信じていた。危険も魔法で切り抜けられると思っていた。
だから、海に出たのに。
「誰か、助けて!」
祈りは叫びへと変わり、呼び寄せられるように飛来するものがあった。
それは轟音を挙げて甲板へと突き刺さり、いくつもの木片を飛び散らす。
激しく揺れる船から幾人もの海賊が振り落とされ、落水を免れたものも、何が起きたのか理解できていない。
「……幸か不幸か、戦いのど真ん中みたいだな、ここは」
ばらばらと散っていく木片の中にいたのは、二人の男。
「さて。見た目はどちらが海賊で、どちらが被害者なのかは明白だが、念のため確認しないとな」
話しているのは一人の男。もう一人は頭から甲板に突き刺さっており、無残にも下半身だけがオブジェのように立っている。
「ありゃあ、トガンスの兄貴じゃねぇか?」
「間違いねぇ! トガンスさんがやられるなんて、あいつも魔法使いか?」
海賊たちが語る通り、逆さに突き刺さっているのはトガンスであり、服についた埃を払い、床に落とした警棒を拾い上げているのは、神栖だ。
海戦の中心に向けてジャンプしたトガンスを殴りつけたら気絶してしまい、そのまま真下にあった船の甲板に落下したのだ。
トガンスをクッション代わりに着地したことは、報告書には『幸運な偶然』として記そうと決めた神栖が見回すと、そこはまさに修羅場の最中を一時停止したかのような光景。
色めき立つ海賊たちの声を聴きながら、少女と船員たちはあっけにとられており、誰もが戦いの手を止めて、見慣れない男に視線を集中させている。
「……どうして言葉がわかるんだろうな? まあいい。それよりも……そこのお前!」
「えっ、俺?」
「お前たちは海賊だな?」
「そ、そうだけど……」
よし、と神栖は警棒で自分の手の平を叩いて鋭い音を立て、うなずく。
「次は君だ。君たちは海賊に襲われている状況ということで間違いないかな?」
海賊に話しかけたときとは違う、やさしい声音だった。
少女は神栖の姿をじっと見ていた。
見慣れない紺色のシンプルな服。つばのある帽子に、刃物ではないらしい金属の短い棒は、短く縮めることができるらしい。
「わ、わたしは……」
敵か味方かもわからないが、その男は空からやってきて、彼女に問う。
「君の口から、はっきり聞きたい。俺にどうしてほしい?」
話している間に、男の周囲には武器を手にした海賊たちがにじり寄る。
それでも、神栖は一切の動揺すら見せることなく、少女の返答を待っていた。
黒い瞳が、まっすぐに少女を見ている。
「助けて……」
少女はつぶやいた。それが神栖に届かないことに気づき、両手を握りしめる。
「お願い! わたしたちを助けて!」
「了解! 正式な救援要請を受理したと判断する!」
神栖は会心の笑みを浮かべると、恐る恐る近づいてきていた海賊の一人を思い切り警棒で殴り倒した。
次の瞬間には別の一人を前蹴りで船から突き落とし、さらに剣撃を潜り抜けて喉を掴み、甲板へと叩きつける。
「さあ、君の所属と名前を教えてくれ!」
「え、えっと……エルフの国クォンセット王国のバリヤード商会、船長のクリューです!」
「エルフ!?」
聞いたことがあるワードの登場に、神栖は海賊を殴り倒しながらつい、ぐるりと首を回してクリューを名乗る少女へと視線を向けた。
シニヨンにまとめた金髪はほどけかかっていて、その隙間から覗く耳は尖っていた。
大きな瞳は、青空をそのまま写したかのような蒼。
「なるほどね。こりゃあ間違いない。俺は……俺たちはやはり異世界に飛ばされてきちまったらしい」
振り下ろされた剣を避けて腕を捻り上げ、相手の身体を盾にして船の端へと移動した神栖は、胸の無線を握りしめた。
「こちら神栖。これ届きますか?」
『こちら昇洋。感明良好』
「だ、誰だ!?」
無線はつながっている。壊れてもいないらしい。
留萌からの返答を聞いた海賊が怯えた声をあげたが、神栖はさっくりと無視する。
「状況を報告する。クォンセット王国所属を名乗る商船が海賊の襲撃を受けており、俺はその船の上。自力航行……不可能だな、これは。留萌さん、コルバスって知ってる?」
『かぎ爪付きの渡し板ですね。大昔、敵の船に乗り移るのにつかわれていた……了解しました。敵に囲まれて足止めされているのですね。船長に伝えます』
さすが話が早い、と神栖は話を続ける。
「船長のクリューさんから、正式な救援要請を受けた」
『……了解』
無線は切れた。
かと思ったが、一言だけ続きが届く。
『船長から言伝です。戻ったら覚えていろ、とのことです。それと、保護対象がいる場合は銃の使用を許可するそうです』
「……わかった」
自分一人を守るなら銃はいらないだろうと言っているようなものだが、それも船長の信頼だと判断する。神栖は確保していた海賊を海へと放り捨て、警棒を構えなおした。
「つ、強い……」
クリューの口から押し出された言葉は、驚嘆だった。
「あの人、人間だよね? 何かの魔法とか……でも、そんなふうには見えないし……」
また一人、足を払われて倒れ、胸を殴られて気を失う。鮮やかな手並みだが、誰一人殺してはいないようだ。
「なぜ殺さないのかわかりませんが、助かりましたな」
すっかり神栖の独擅場と化し、クリューたちを狙う海賊たちはほとんどいなくなっていた。それだけ神栖に全力で立ち向かい、叩きのめされている。
「船倉へお入りください、お嬢様」
「いいえ。わたしたちのために戦ってくれているのだから、ここで見守るべきでしょう」
クリューたちエルフの商会員たちが見守るなかで神栖が十数名の海賊を叩きのめしたころだろうか。気絶していたトガンスが立ち上がった。
「痛ってぇ~……」
「起きやがった。頑丈なやつだ」
軽く三十メートルは落下したはずで、普通なら死んでいてもおかしくないが、この世界の人々は地球人よりも頑丈なのかもしれない。
神栖は少しばかり意外そうな顔をして、大きく息を吸う。
「ふぅっ! ……よし! お前を被疑者として確保するとしよう。大人しくするなら、痛いようにはしない」
悪役のようなセリフを吐いている神栖に、自分の剣を拾い上げたトガンスは痛みとも怒りとも取れない歯噛みをしていた。
「くそがぁ! ぶち殺してやるぅ!」
「おっと、飛ぶなよ? 飛んだら着地点不明として彼女たちを狙ったと見なす」
「いずれにせよどっちも殺すんだからなぁ! そう思いたきゃ勝手に思ってろぉ! 『ハイ・フライ』!」
甲板を激しく踏みつけた直後、トガンスの身体は再び上空へと飛び上がった。
怒りのせいか、先ほどよりもより高く飛んでいるように見える。
「そんな棒きれじゃ、この高さに対応できねぇだろぅ! 頑張って防御しろやぁ。棒ごと叩き斬ってやるよぉ!」
大上段に振りかぶった剣を叩きつけるように、トガンスの攻撃は神栖へ向けてまっすぐ落ちてくる。確かに必殺の一撃だろう。当たればの話だが。
「危ない!」
「そうでもない」
思わず声を上げたクリューに向けて、神栖は視線を向けることなく答えた。
同時に、腰から拳銃を引き抜く。
黒光りするそれが何なのかエルフたちにも海賊にもわからなかったが、トガンスへと銃口を向ける神栖の視線に、誰もが息をのむ。
「ひっ」
腹に響く音と、直後に乾いた金属音。
悲鳴の主はクリューであり、銃撃を受けたトガンスは声も上げずに気を失って甲板へと落下した。
「……よし。死んではいないな」
シグP226Rの9ミリ弾を肩に受けたトガンスは、衝撃で気を失ってはいるが、落下のダメージは大して受けていないようで、致命傷ではない。
「助かるが、頑丈な奴だな……ん?」
『神栖さん、気を付けて』
「何を……まさか!」
一応伝えておきます、という突然の留萌からの忠告。
「全員伏せて! 何かに掴まって!」
すぐにその真意に気づいた神栖の声に、海賊たちは動揺し、クリューたちは素直に従った。
「くっ!」
トガンスの身体を押さえつけ、神栖も甲板に伏せる。掴む場所は、トガンスが落下して破壊した甲板の穴がある。
対ショック態勢がとれた直後だった。
「きゃああああ!」
激しい衝撃が船を揺らしたかと思うと、板をへし折る音が響き、先ほどの銃声とは比べ物にならない強烈な射撃音が立て続けに響いた。
「さすが御前崎船長! 派手にやってくれる!」
商船と海賊船の間に無理やり差し込まれたのは、調査船“昇洋”だった。
ガレー船の櫂を片っ端からへし折っていく金属製の大きな船体は、海賊たちを恐慌状態に陥れるには十分だったが、それだけでは終わらない。
13mm多銃身機関銃の砲撃が帆船のマストを支柱ごと砕き、船体を穴だらけにして大砲をも黙らせる。
帰るべき海賊船を失った者たちは我先にと逃げるように海へと飛び込み、クリューたちは身を寄せ合って世界の終わりかのような表情を浮かべている。
破壊された海賊船からも次々に人が落ちていき、離れていた船たちは必死でマストを操って離れていく。
船体を叩き壊され二隻、三隻と海中へ没していく様は、まさに蹂躙だった。
「あ、ああ……」
クリューはいつの間にか泣いていた。
海賊を相手にしても折れなかった心が、ぽっきりと折れるのを感じた彼女は、助かったという意識よりも、今すぐこの悪夢から覚めたいと思っていた。
「えーっと……。とりあえず、この船は安全だよ」
「ひっ!?」
神栖の声が聞こえて、クリューはつい声を上げてしまった。そんな彼女を守るように、残っていた船員たちが間に割り込んでくる。
「……あれ? ひょっとして、悪者扱い?」
泣いているエルフの少女と、怯えながらも彼女を警護する男たち。
帽子を取って頭をかいた神栖は、両手を挙げて首を振った。
「俺は日本国海上保安庁所属の神栖。君の要請に応えて、俺たちは君を助けるよ」
「かいじょうほあんちょう……?」
「話すと長いんだけれどね。まあ、とりあえずこれが俺の乗っている船で、俺の家だよ」
理解できないという様子のクリューに、神栖はすぐ近くをゆっくりと通り過ぎていく調査船を指した。
「これが、船……?」
金属の塊にしか見えないものが海に浮いているだけでも驚異的な光景に見えるのに、立て続けに弾を発射する砲や、マストも櫂もないのに進んでいることが、より理解を遠いものにする。
「うぅん……」
「ありゃ。まいったなぁ」
緊張の限界を迎えたクリューが気を失うと、神栖は船長にどう説明するべきか頭を抱えた。
ありがとうございました。