10.弔いの拳
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※本日12時にも更新しておりますのでご注意ください。
「悪いが……その人物を俺は知らない。だが、ここで面倒を起こそうって腹積もりなら、諦めてもらいたいね」
エルフの男性はガフと名乗った。
素手のようだが、この世界には魔法があるから油断はできない。銃器以上に危険な奥の手を隠し持っていても不思議では無いのだ。
「ワシが探していたのは、クリューさんじゃない。お前だ」
「……どういうことだ?」
「そう身構えないでくれや」
ガフは無精ひげが目立つ顎を撫で、森の中へと入っていく。
「ついて来てくれ。息子の……バウスの樹が、奥にある」
神栖は戸惑ったが、クリューの反応を確認して付いていくことにした。
「これだ」
目的の場所まで、さほど時間はかからなかった。
暗い森の中は見通しが悪かったが、不思議と木々の輪郭がうっすらと輝いて見える。これもこの世界特有のものなのか、地球にも似たような樹があるのかはわからない。
ただ、神栖は畏れと美しさを感じていた。
「まずは、礼を言わせてほしい」
「礼?」
「そうだ。息子は助からなかったが……クリューさんを連れて帰って来てくれた。ワシは、そこに礼を言いたい」
息子の樹の前に座り込んだガフは、神栖にもクリューにも目を向けなかった。
話を区切り、乱暴に目をこすったことで、その理由がわかる。
「エルフが森と共に生きる民だという話は知っているか?」
「クリューさんから聞いたよ」
「そうか。……そんなエルフが、船に乗って外洋に出るとか、他の島にある集落とも貿易を始めるなんて話を聞いた時、ワシは正直反対した」
エルフには大型造船の技術は無く、外洋の航海は苦手だった。
それをバリヤードは大胆にも海賊たちに金を払って船と技術を集め、エルフたちに訓練を施したという。
「海賊にも色々いる。商戦を襲う連中もいるが、特定の種族や集落の船は襲わないように“契約”を結ぶこともあるらしい。……これも息子からの受け売りだがな」
やくざにみかじめ料を支払うようなものだが、バリヤード氏はそれを上手に利用したらしい。
「その海賊はどうしたんだ?」
友好関係にある海賊が居るなら、護衛を頼むことも可能だろうと神栖は思ったが、現実はそううまくはいかないらしい。
「死んだよ。他の海賊とやりあって、船ごと沈んじまったらしい」
兎にも角にも技術を得ることには成功したバリヤード氏だが、誤算はあった。
クリューが率先して航海技術を憶えたがり、同時に海図を見る能力に優れ、帆船を操るのに都合が良すぎる魔法を習得したことだ。
「他にも、エルフの生活向上に繋がると信じて貿易の準備を進めるクリューさんを慕って、商会の内外から多くのエルフが協力を申し出たのも、バリヤードさんにとっちゃ誤算だったろうさ」
愛娘を危険な旅に送り出すバリヤード氏の心中は察するに余りあるが、ガフにとっても同様だった。
「息子は夢に賭けた。そして破れたわけだが……あいつが信じた未来はまだ閉ざされたわけじゃない。そうなんだろう?」
「その通りです」
答えたのはクリューだ。
「船は壊れましたけれど、修理すれば大丈夫。それに、多くの船員が犠牲になりましたけれど……私は、たった一人でもまだ諦めません」
「へっ、そりゃあ豪気だ。息子が惚れたのもわかる」
「えっ……」
どうやら、クリューは自分の下に協力者が集まった大きな理由の一つについて無自覚だったらしい。
きょとんとした表情で固まっている彼女に、ガフは思わず声を上げて笑ってしまう。
「がっはは! こりゃあ、どうも息子の恋には芽が出る可能性が薄かったらしいな。……で、問題はお前さんだ」
ガフは神栖の前に立った。
彼我の距離は五十センチ程度。近い。
「クリューさんはこの国の、エルフの希望だ。それを守る力があるか、それがどうにも気になってな」
たまたま港町に来ていて息子の訃報に触れ、どうじに護衛艦を見たらしいガフは、バリヤードが御前崎たちと会談を行っていると聞いて、どうしても自分で確かめたくなったらしい。
「あんなに凄い船があるんだから、そりゃあ凄い連中なんだとはわかる。だが、男は最終的にはこれが物を言うんだ」
ガフが指したのは、自らの二の腕だ。
他のエルフ同様に細身ではあるが、むき出しの腕は引き締まり、よく鍛えられてしなやかな鋼のようだった。
「殺し合いをしようってんじゃねぇんだ」
怯えの表情を見せたクリューに、ガフは笑みを向ける。
「クリューさんの新しい護衛が、信じるに足る奴なのか……息子の代わりになりそうな骨のある奴か、知りたくてな」
これは自分のわがままだとガフは言う。わかっているが、居ても立っても居られないのだ。
「……仕方ないな。クリューさん、このことは船長には秘密で頼むよ」
神栖は拳銃が収まったホルスターがしっかりと固定されていることを確認し、グローブをしっかりと留めなおす。
「銃は使わない。素手でやりあうなら、相手しよう」
「銃? そんなもん当たるわけがないだろうが。まあいい。素手だな」
森の中は気が引ける、と見晴らしの良い場所まで戻り、向かい合う。
「改めて、ワシはガフという。近くの村に住む漁師だ」
「俺は神栖という。海上保安庁所属の三等海上保安正。……わからないだろうな。ようするに組織の下っ端で、海賊退治をしている」
「前線にいるってことだな? 最高じゃないか」
腰を落とした姿勢で「行くぞ!」と叫ぶと同時に、ガフの身体がはちきれんばかりにふくれあがり、先ほどの細マッチョな身体はどこへやら、肉の塊のようなボディビル体形になっていた。
上半身を包んでいた衣服ははじけ飛び、ズボンもパンパンに張りつめている。
「なんじゃそりゃ!?」
「ま、魔法使い……!」
バウスには魔法が使えなかったが、ガフはそうでは無かったのかと驚愕するクリューだったが、その考えはすぐに否定された。
「これは魔法ではない! 一切の魔力など使わぬ。長年の漁で限界まで鍛えられたワシの身体は、思い込みによっていくらでも肥大し強靭になるのだ!」
「思い込みって自分で言った!?」
神栖のツッコミと同時に、ガフが突っ込んでくる。
「ぼうっとしていたら、この森に埋まることになるぞ!」
「なんて奴だ!」
思い込みでも筋肉は本物だ。
地面をえぐるような踏み込みから、神栖の目の前に一瞬で移動したガフの拳を辛うじてガードしたものの、腕をハンマーで殴られたような振動が神栖の背骨にまで響く。
「まだまだぁ!」
殴られているというよりショットガンで撃たれているような、芯まで響く拳。
神栖は防戦一方だが、視線は切らしていない。
「馬鹿力め! だが」
一歩だけ後ろに退いてフックを躱すと同時に、膝を踏みつける。
「むっ!」
バランスを崩しかけたが、筋力で無理やり耐えたガフの裏拳が唸り声を上げて神栖の頬を狙うが、間一髪顔を逸らして避けた。
「おっとっと」
裏拳の勢いのままくるりと一回転してたたらを踏んだガフは、足首まで埋まるほど勢いよく地面を踏んで勢いを殺し、距離を取って再び構えた。
互いに怪我は無く、息も乱れていない。
「驚いたぞ。岩をも砕くワシの拳で殴られて無事とは」
「こっちもびっくりだ。魔法じゃないと言われても信じられん」
「がははっ、魔法なら、うちの集落の連中が得意だわい」
「それは、興味深い」
魔法についても調査するように命じられていたことを思い出した神栖に、再びガフが踏み込んできた。
ヘビー級ボクサーばりのインファイトスタイルで、左右の拳が風を切って迫りくる。
「興味があるのか。ワシに勝ったら、村まで案内してやるぞ!」
「そいつは、まさに渡りに船ってやつだ!」
神栖は見ていた。
一定のタイミングでガフが大振りの左フックを出してくるパターンがあることを。
ガフのラッシュが再び始まったが、想定通りに左フックが飛び出した。
そこで神栖が選んだのは、防御からの反撃でも、潜り込むことでも身体を引くことでもなかった。
「しゃあっ!」
「なんとおっ!?」
全く同じタイミングで左フックを出したのだ。
拳と拳が真正面からぶつかりあい、とても人体から発生したとは思えない硬質な音を響かせる。
そして、拳を振り抜くことができたのは神栖の方だった。
「まさか、ワシが力比べで敗れるとは!」
負けたが、ガフは晴れやかな笑みを浮かべていた。
笑いながら、拳を弾かれた勢いのまま丘の端から足を踏み外す。
「危ない!」
「ガフ!?」
クリューが叫び、神栖が駆け付けたが、間に合わない。
ポロリと零れるように落ちていくガフを追いかけ、切り立った丘から見下ろした神栖が見たのは、驚愕の光景だった。
すぐ目の前で、腕を岩板に突き立ててぶらさがるガフの姿だ。
「ふむ。これほどワシが圧倒されるとはな。カミスよ、お前本当に人間か? オーガとか馬鹿力の種族と違うか?」
「……あんたには言われたくないな」
元のサイズに縮んだガフを引き上げた神栖は、合格だと笑うガフに苦笑を向けるしかなかった。
ありがとうございました。