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1.見知らぬ海

よろしくお願いいたします。

「霧か……」

 日本を出てインド洋アデン湾へ向かう航路の途上、艦橋の視界一面に広がる真っ白な光景を見て、護衛艦『あさかぜ』の艦長である船越(ふなこし)は呟いた。

 艦は現在、濃い霧に包まれてはいるものの、航行に支障をきたすようなことはない。最新鋭のレーダーと練度の高い乗員たちのお陰で、現在も予定通りのコースを進んでいる。


 問題は、僚艦にあった。

「いや、海上保安庁には“艦”は存在しないのだったな。測量船“昇洋”の様子はどうだ?」

 船越が尋ねたのは、すぐ隣を航行中のはずである海上保安庁の新型調査船のことだった。サイズこそ護衛艦とは比較にもならないが、装備は最新鋭のものが搭載されている新造船であり、本格的な外洋での運用は今回が初になる。


 しかし、船越が心配していたのは船の性能に関してではない。

「“昇洋”へ、こちら“あさかぜ”。……霧の影響はありませんか? ……あ、はい。了解しました。通信を終わります」

 連絡をつけた通信担当者が船越を振り返る。いつもはすました顔をして聞いたそのままを話す彼だっだが、今回はなぜか困惑の表情を浮かべていた。

「艦長。昇洋からは特に問題は発生しておらず、こちらの船影も見失っていないとの返答だったのですが……」


「奥歯にものが挟まったような言い方は通信士としてはよろしくないな。何より、君らしくない」

「し、失礼しました! その、先方の通信士は冷静に返答しているのですが、なんというか、向こうから聞こえる声がどうも、宴会でもやっているかのような騒ぎでして……」

 困惑しながらの報告に、船越は頭を抱えて艦長席に座り込んだ。


「あ奴め……状況がわかっているのか?」

 彼は調査船長のことをよく知っているし、“彼女”の近くにいる人物も見知っているし、信頼している。

 ただし、それは任務達成能力に対してだけであり、普段の生活態度やその性格については真逆だった。


「この海域は、例の……」

「か、艦長!」

 隊員の呼びかけに船越が顔を上げたとき、窓の外は白い霧がさらに白く輝く光によって浸食が始まったところだった。

「未確認の光が迫ってきます! レーダーには感なし! 正体不明の、光が!」


 報告を受けている間に、光は視界に広がる霧をすべて飲み込み、艦橋をも白く染めていく。

「これが、これが報告書にあった“事故”の原因か!」

 彼の脳裏には、秘密裏に閲覧させられていた報告書の内容が矢のように思い浮かんでいた。α海域と仮称された、近年の航空機や船舶が消失してしまうとされる海域のことを。

 衛星がなかった昔ならいざ知らず、通信手段が進歩した現在でも、救難信号すら無いままに行方不明になる船舶がある、と。それはつまり、船体が“消滅”したことを意味していた。


「艦長!」

「衝撃に備えろ! 手近な物に掴まれ!」

 “消滅”から戻ってきた船舶は存在しない。

 代わりに、海域からは奇妙なものが発見されている。

 米軍によって秘密裏に回収されたそれは、まるでファンタジーの物語に出てくるような、小型のドラゴンのようだったという。


 レーダーにも映らない光に包まれた後、どうなるかなど船越にも想像がつかない。そのまま消滅してしまうのか、あるいは……。

「和歌子……!」

 意識までもが白光に包まれる瞬間、船越が案じたのは、すぐ隣で同じ状況に陥っているであろう海上保安庁調査船船長のことだった。


      ☆


「あっはっはっは! こりゃあ壮観だねぇ!」

ハスキーボイスながらよく通る声で笑い声をあげたのは、船越が心配していた当人である、調査船船長の御前崎(おまえざき)和歌子その人だ。

「ついさっきまで霧の夜をおっかなびっくり進んでいたのに、ピカッとまぶしいと思ったら、見渡す限りの青空に大海原ときた! おまけに見てみなよ。太陽が三つもあるよ!」


 豊かな胸が窮屈だと言わんばかりに制服の胸元を大きく開いてはしゃいでいる彼女は、まるで女海賊かのようだ。

「で、どうなのよ留萌(るもい)ちゃん!」

「船長。衛星との通信が途絶えました。現在位置も特定できません」

 留萌と呼ばれた運航指令課員の女性は、船長とは対照的にぴっちりと制服を着ており、真顔をぴくりとも崩さずに答えた。


「なぁるほどねぇ」

「納得しているのは船長だけです。航海、機関、通信、運用、砲術全ての科員から異常は発生していないとの報告が集まっていますが、誰一人状況を把握できていません」

 留萌の下へ報告が集中しているのは、彼女が運航データをまとめて管理しているためだ。

「急に昼になったせいでワッチの管理も含めて各部から行動の指示を求める連絡が殺到しています」


 ワッチは船内での勤務交代の基準のことで、夜間でも乗務員全員が眠るわけにいかないのは当然であり、厳格に管理されなければならない。

「そんなのは、日本時間に合わせて頂戴よ」

「では、現状の日本時間基準のままで。ただ、電波時計の方は完全に狂っているようです」

 船内時計は日本時間に合わせているが、留萌は現地時間を指し示すために電波時計を身に着けていたらしい。


 十以上年下なうえ、ちゃん付けで呼んでいるにも関わらず、御前崎は留萌からジッと見据えられると弱かった。可愛がっているのもあるが、彼女に頼る部分が大きいのもあるだろう。例えば、時間の管理とか。

「この時計貸してあげるから、時間管理も引き続きお願い……お兄ちゃんからもらったものだから、失くさないでよ」


「はい。大切にお借りします。では、各部へはこの時計を基準に行動し、状況の調査をするように……船長、護衛艦“あさかぜ”から通信です。先方艦長から、船長へと」

「あっちも落ち着いたみたいね」

 手元の受話器を手に取る。このあたりの設備がやや古めかしいデザインのままなのは、頑丈さを求めた結果だろうか。


「こちら昇洋船長の御前崎ですよ」

『……あさかぜ艦長の船越です。そちらの状況はどうですか。何か問題などは起きていませんか?』

「あっはは。敬語なんて不要でしょ? この非常時に畏まってどうするの」

 あくまで別組織同士として話をしたかった様子の船越だが、御前崎の言葉に一応は納得したらしい。


『こちらでは衛星が捉えられず、本国とも通信が途絶している』

「それはうちらも同じこと。……ねえ、とっくに理解しているでしょう? 今の状況。あたしたちがどこにいるのか」

『わかっているとも……理解したくはないがな』

 二人供、米軍が共有した情報ファイルを見ている。どこか地球外の場所へと飛ばされたのであろうことは、どうにか想像できた。


『近くに陸地はあるだろうか?』

 船の大きさは数倍差だが、衛星リンクが無い状態では、測量船の昇洋の方が情報を集約しやすい。船越の疑問を間接的に聞いた留萌が、即座に答えを返した。

「陸地らしいエコーは見当たりません。現在地の水深200」

「だ、そうだけれど?」

『そうか……最悪の場合、陸地そのものが存在しない可能性も考えねばなるまい』


「そいつは困るねえ。例の未確認生物に襲われる可能性だってあるんだから、しばらくは警戒と調査の為にここで一旦停止ってところが妥当なところではないか、と愚考つかまつりまするが?」

『言い方は別にして、提案には同意する。補給線も無いのだ。糧食や燃料などに問題が発生する前に、どうにかしたいものだな。それにしても、そちらは静かだな』


 会話の最中でも、無線を通して聞こえてくる音で護衛艦の艦橋内が右往左往していることが伝わってくる。

 対して、海保測量船の中枢たるこの区画はどうか。

 操舵手や観測手は不安そうな表情を浮かべているが、狼狽えるというわけではない。その原因は、留萌にあった。


 先述の通り、各部からの連絡は全て彼女が受けることになっているのだが、各部署からの問い合わせに全て『知りません』とだけ返事して通信を終えているからだ。

「こちらだって状況がわからないのに、聞かれてもわかるわけがありませんよ」

 ということらしい。

『統制が取れているのかと思って、一瞬でも感心した私が愚かだったか……』


「なにを失礼な。あたしたちはすでに近隣海域の調査をするために準備を始めるところだし、糧食確保についても第一陣がもう出動したみたいだし」

『糧食確保? 一体それはどういう……』

「本船の前方をご覧くださいな」

『んなぁつ!?』


 御前崎の案内に従って前方へと目を向けた船越は、そこに一隻のボートが疾走しているのを確認できた。

 見知らぬ海を軽快に進む漆黒のボートには、二人の人影が乗っている。

『と、特別機動船(SB)!? あんなものまで積み込んでいたのか! それに、あの二人は……』


「こっちじゃああれは複合型ゴムボート(GB)って呼んでいるの。そして御明察の通り、艦長どのの“元”部下よ。今はあたしの部下。海域の調査もこっちでやるから、敵が出てきたらお願いね」

 船越からの返事を待たずに無線を切った御前崎は、椅子に座りなおして頬杖を突いた。

 余裕があるようなふりをしていても、今が異常事態であり、自分自身も含めた乗組員と船がどのような状況に置かれているのかはっきりとしないことへの不安は拭えない。


「留萌ちゃん。連中はVHF無線持って行った?」

 VHFとは、携帯型無線機を指す。

「はい。そのようです」

 努めて平静に、いつも通りに留萌に尋ねると、彼女の冷静な声がすぐに返ってくる。いつも通りが、とてもありがたく感じる。

「じゃあ、神栖(かみす)酒田(さかた)に伝えてくれるかしら」


 返答を聞き逃さぬようにと振り返った留萌は、一瞬身が凍ったかのように寒気を感じた。

 調査船“昇洋”の御前崎船長は、見た目こそ若々しく豊満で美しい妙齢の女性で、高校生の息子がいるような年齢には見えない美しい女性だが、伊達に最新鋭船の船長にまでなったわけではない。

「何の釣果も無しに戻ってきたら、日本に戻るまでトイレ掃除させるからって」

 彼女の普段の奔放さが許されているのは、それを補って余りある程に、指揮官として優秀であるからだ。


 留萌は努めて平静に無線を繋ぎ、GBに乗っているうちの一人、酒田に船長からの命令を伝え、即座に切った。

 否やの返答などあり得ないとでも言うかのように。

「ヤバいッスよ先輩。船長メッチャ怒ってるらしいッスよ!」

「釣果を出せばいいんだろう!? 目の前のアレを捕まえて船盛りにして差し出しせば、あの鬼みたいに怖い御前崎船長だっていつものお色気おばさんに戻る!」


 けたたましいエンジン音の中で非常に失礼なことを叫んでいるのが、神栖という男だ。元海上自衛隊で特殊部隊SBU出身という前歴がありながら、今は海上保安庁で一人の調査船甲板員として勤務している。

「見てみろ! あれは絶対マグロだ! クロマグロだぞ!」

「先輩、ここ地球じゃないみたいなのに、マグロがいるんですか!?」


 彼と共に乗船し、操縦させられている酒田は、神栖の部下だ。

「知らん! 知らんが、見た目が同じなら味も同じなんじゃないか?」

「そんなことより、きっとここ異世界ッスよ! こういう時って、巨大な魚とか出てきてパクッとかって食べられちゃったりするんじゃないッスか?」

「そんときはそんときだ! それより、マグロを見逃すなよ!」


 こんな海面をマグロが泳ぐのだろうかと首をかしげる酒田だが、実際に水面にはそれっぽいフォルムの魚が数匹、群れを成して泳いでいる。高速で疾走するGBでも置いて行かれそうな速度だ。

「釣り上げて食ってみればわかる!」

 神栖は腰から抜いた特殊警棒を構え、ボートの縁で器用に身を乗り出した。無茶苦茶な話だが、警棒で“マグロのような何か”を殴りつけて捕まえようと言うのだ。


「うーん。やっぱりこの人、人間じゃねぇ」

 酒田は唸る。

 超人的な身体能力と戦闘技術を誇るSBU隊員の中でもずば抜けた才能を誇った神栖だが、その奔放な気質が組織としての海上自衛隊で致命的に合わなかった。

 それを拾ったのが、海上保安庁の御前崎だったのだが、彼女が神栖のことを知った経緯は酒田も知らない。


 そうこうしているうちに母船からはどんどん離れ、酒田は少しずつ不安になってきた。

 ただでさえ現状不明な中で、陸地など影も見えないような外洋で迷子にでもなれば致命的だ。

 尤も、神栖の方はまるで気にしていないようだったが。

「酒田ぁ! もっとボートを右に寄せ……飛翔体接近! 急停止! 急停止!」


「うわぁっ!?」

 神栖が発した突然の警告に、酒田の手は半ば自動的に動いた。

 素早い操作で後進にクラッチを入れたボートが、酒田が舵に激突するほどに急激に減速すると、その直後に彼の目の前で水柱が立つ。

 どん、と腹の底に響く低音に続いて、雨のようにボートを叩く水の音。


「な、何が……」

「砲撃だ! 脚を止めるなよ!」

 うねる波の上、ボートが弄ばれている状況でも神栖はバランスを崩すことなく、ポケットから取り出した双眼鏡を構えた。

 そして、絶句する。


「おいおい、こりゃあ……」

 神栖の視界に映るのは、数キロ先の海上。

 真っ青に輝く海の上には、映画や資料館でしか見たことがないような帆船やガレー船が我が物顔で走り回っており、砲弾が飛び交う中で人々の怒号や悲鳴が聞こえてくる。

 それだけならば、神栖はタイムスリップしてしまったのではないかと考えたかも知れない。


 だが、中世の海戦とは決定的に違うところがあった。

「鳥……いや、ありゃドラゴンか!」

 トカゲに蝙蝠の翼が生えたような生き物が飛んでいる。翼開長は五メートルはありそうな巨体の背中には、明らかに人が乗っていた。

 それだけではない。海の上を走る者や口から火を噴いている者まで見える。


「信じられない光景だが、どうやら現実のようだ。……来るぞ!」

「ひえっ!?」

 ボートが激しく揺れたかと思うと、狭い船上に一人の男が立っていた。ボロボロのTシャツを着た、ひょろりと細い見た目の男だ。

「ど、どこから!?」

「あっちに見える船からジャンプしてきやがったな……お前、何者だ。どこの所属だ。正直に言え」


「お前こそなんだぁ?」

 男は神栖の質問など無視して、自分が飛び移ってきたボートをまるで小ばかにするようにじろじろとなめまわすように見まわして言う。

「こんなチンケな船でぇ、オレたちスパンカー海賊団の“狩り”を邪魔しようなんざぁ、命知らずもいいとこだぜぇ」


 握っている警棒を前にして構える神栖は、男の話を聞いて表情を変えた。普段はにこにこと優しげにしている表情が、するりと感情が抜けたようにまっすぐと男を見据える。

「海賊?」

「おうよっ! オレはスパンカー海賊団第三突撃隊長トガンスぅ! 跳躍魔法『ハイ・フライ』で船上を自由に飛び回るオレをぉ、何人も捕まえることはできなぁい!」


「魔法だって!? そんじゃ、やっぱりここは地球じゃ……」

「酒田、お前は船長に連絡しろ。海賊と接触した、と」

 狼狽える酒田と同様、魔法という言葉を神栖も気にしてはいたが、それよりも気になる言葉がある。海賊を名乗ったことだ。

「俺は神栖。日本国海上保安庁所属。で、お前たち海賊の敵だ」


 狭いボートの上で、異世界最初の戦いが始まった。

本日は二話掲載です。

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