500年前の死者が問う世界の真の姿【解決編】
謎は解けた。
俺がそう言った時、麻倉はアフタヌーンティを終えようとしていた。
近づく俺を見て麻倉は少し目を瞬き、ナプキンで唇を拭う。
そして、結構かかりましたね先輩、と言った。
俺の顔を見て何かを察したのか、それとも何処からか情報が伝わったのか、彼女の顔は明るかった。
解答を石に言ったら、どうなるんだ?
「やっぱり言わなかったんですね、先輩――ん?」
麻倉は小首を傾げ
「ひょっとして間違ってたから、何も起きなかったんじゃないですか?」
しつれーな!
ぷんすか。
むくれる俺に、麻倉は柔らかな笑みを浮かべる。
「先輩が言わないでくれて良かった」
じゃ、俺をあの部屋に連れて行かなきゃ良かったじゃないか。
多分、麻倉は全てを知ったことで不幸になった。
「それは先輩を侮辱してるような気がしたんです」
事実に耐えられず、ただ目を背ける臆病者だと。
事実に向き合わなかったのは確かだけどな。
そう言う俺に、麻倉は首を横に振る。
「封印を解かない。そう決めたのは先輩の強さです」
そんな理由を知らずとも生きていける。今在る状況を受け入れ、その中で頑張る。
「私には持てなかった強さです」
その…な。
尊敬の眼差しは嬉しいんだが。
「?」
実は、あの部屋で違和感…つーか背後に気配を感じてな。
扉が開き、肩身が狭そうに入ってくる者たち。
レストン、チョムス、ンゴイブ、マルク、そしてシノブ。
「貴方たち…」
目を丸くする麻倉――否、マナム侯爵夫人の視線から、全員が目を逸らす。
「流石は現役の探索者。まんまと忍び込まれました」
その後ろから、人鼠のチャールズが言う。
石に向かって答を言おうとした俺は、口を塞がれた。
レストンに。
俺を気絶させようとした者もいた。
誰とは言わんが、とある侍が大剣の腹を振りかざしていた。
危なかった。
麻倉は、この答えを知ることで不幸になった。
俺を同じ道に進ませぬため、彼女らは俺の口を塞いだ。物理的に。
「でも、どうやって?」
厳重な警備を掻い潜り、鍵のかけられた扉を開く。
“盗賊”のマルクですら、そんなことが出来るレベルにはほど遠い。
侯爵家の防御は、そんな簡単に突破できない。
但し――
呆れた気分を、溜息と共に吐き出す。
既に失われたはずの祈祷を知ってた奴が居てな。
”叡智”で知っていたのだろう。麻倉の目に理解の色が浮かぶ。
邪宗とされる異国の僧侶祈祷。
しかも、その国でも失われた祈祷を復活させたバカが居る。
“不視”の由来となった祈祷。
“解鍵”という、殆ど存在すら知られていない祈祷。
使用する膨大な魔力を、治安部隊支給の高価な回復薬で癒してまでだ。
「チャールズ」
軽く責めるような麻倉の視線に、人鼠が目を逸らす。
勿論、バカだけでそんな事は出来ない。
内部に手引きした者が居る。
どうやってチャールズを説得したかは分からんが、良くもまぁ。
――俺なんかの為に。
ふぅ、と麻倉は肩を竦める。
「愛されてるんですね。先輩」
お前だって愛されてるじゃないか。
館の使用人に、そして亡きリング侯爵に。
そう俺は、胸の中だけで呟いた。
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俺は再びあの部屋に居る。
麻倉とチャールズの3人で。
1人でなければこのリドルは成立せず、叡智の制限が解除されることは無い。チャールズがそう請け合った。
「それでは先輩」
此は何か――そう問う麻倉の問いに俺は答える。
此処は、開闢から現在までの宇宙だ。
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3本の柱の設置方法には意図がある。
奥の方の柱は規則正しく、出入口に近づくにつれバラバラになっていく。
作品名の”時/永劫/刹那”――どれも時間に関する言葉。それもヒントの1つだ。
物事は、時間が経過するにつれバラバラになる――エントロピが増大する。
熱力学第二法則として知られる原理だ。
紅茶の中に入れた角砂糖は溶け、バラバラになる。
規則正しく片付けた部屋は、無残に散らかる。
紅茶の中で角砂糖が作られることは無く、部屋が自然に片付くことは無い。
それは、この宇宙の性質だ。
だから、俺の部屋が散らかってるのは仕方ナイのだ!
話を戻そう。
要するに規則正しい方が昔、バラバラの方が未来だ。
バラバラな壁は外に――紛うこと無き”今”に接している。
つまりこの部屋、この作品は過去を表している。
この部屋の奥は壁で、それより向こうには行けない。そして、其処に設置された3本柱は、これ以上無く規則正しい。
つまり、その壁は”時間”そのものが発生した――この宇宙が生まれた瞬間を示している。
麻倉が頷き、その微笑みで俺は正解だったと知る。
次の問いに答える番だ。
――刹那の時の長さ
作品名の”時/永劫/刹那”。やはりこれがヒントになる。
宇宙開闢以来138億年。
その時の長さは”永劫”というに相応しい。
それに比べれば俺たち人間の一生など、”刹那”とも言えるだろう。
だが、多分それは正解じゃない。
部屋の中心に在る、黒い球形の石。
この作品が開闢以来の宇宙全てを示しているならば、この黒い石は、宇宙にとって特別な一瞬を示している。
特別な一瞬とは何か?
人類の誕生――そんなコトは宇宙にとって何の影響も及ぼさない。
地球や太陽が出来たことすら、宇宙にとっては誤差の範囲だ。天の河銀河系1つだけでも、同じ様な星は1000億も在る。
宇宙にとって特別なことは全て、開闢後の1秒にも満たぬ間に起きている。
部屋の奥と球形の石の間にある階段。
開闢から、その特別な一瞬までの時間。
それが”刹那”の長さだ。
ヒントはまだある。
この石の色だ。
開闢時の宇宙は超高圧、超高温。普通に考えれば白く輝いているはずだ。
だが、この石は黒い。
その頃、宇宙に光が無かったからだ。
光の正体は電磁力の媒介者、光子というボース粒子だ。
だが開闢から10のマイナス36乗秒後までの間、電磁力は弱い相互作用と統合され、光子はウィークボソンと分離できなかった。
だから――
刹那の時の長さ、それは10の-36乗秒だ。
「そして――」
――そして我を呼べ
黒い球形の石に、その昔、この作品を創らせた王に応える。
お前の名は、急激な拡大だ。
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宇宙開闢後、10の-36乗秒後から10の-34秒後までの間、宇宙は光の速度を超え、指数関数的に急膨張した。そして、この宇宙の性質が決まった。
その時期を宇宙の”インフレーション期”と呼ぶ。
「と、”叡智”に書いてあったのね」
バレた。
「モリス――否、森下信世様。今一度、貴方に問います」
チャールズが俺に言う。
「全ての叡智を望みませんか?」
失われた2000年の叡智、全てを知ること。
おそらくそれは、神になるにも等しい。
発達した科学技術は、俺に膨大な力を与えてくれるだろう。
世界の王にだってなれるだろう。
不老不死だろうがハーレムだろうが、思いのままだ。
「そして、麻倉真奈美様と共に、生きて頂けませんか?」
麻倉、お前やっぱり愛されてるよ。
全ての答を知るチャールズすら、お前の幸せを願っている。
全ての叡智を得、孤独な神となった麻倉に、寄り添う者は居ない。チャールズは、それを俺に求めている。
そして、俺も勿論、麻倉の幸せを願っている。
でも、それは出来ない。
たとえこの世界が作り物だったとしても、俺には仲間が、友人たちがいる。
彼らとの別れは――辛い。
「チャールズ、ありがとう。でもそれは無理な相談よ」
何も言えぬ俺の代わりに、麻倉が言う。
「何故です。我々の医学なら貴女を若返らせることだってできる」
麻倉は、寂しげに首を横に振る。
「私にとって先輩は大切な人。先輩にとっても多分私は大切な人よ。でも、それだけじゃ一生を共にするには足りないの」
そう。俺にとって麻倉は恋人じゃない。戦友だから。
恋人として数年の熱い関係を結ぶより、友人としての数十年の暖かい関係を選ぶ。
21世紀のあの2年の何処かで、俺はその道を選んだ。
その道を選んで良かった。そう思う。
時折、幾度となく後悔はしたけれど。
今、この瞬間にも、後悔は胸の奥底で燻っているけれど。
麻倉は、全てを分かっている目で俺を見た。
「そう、たとえ若返っても私には足りないの。胸が――」
ちょっと待ったーッ!
違うだろ!そーじゃ無いだろ!
「先輩は大切な人だけど、おっぱい星人だから…」
いやちょっ、麻倉お前っ、酷っ…
「ザクスクさんといい、レストンさんといい、この人ったら。何度生まれ変わっても変わらないのよね」
ケーベツのマナザシ。
彼女自身がそう言ってた眼差しで、俺を見る。
チャールズも呆れ果てたような眼差しで、俺を見る。
かくかくしかじか
その後、俺がいくら説明しても、麻倉とチャールズの視線は変わらなかった。
そして翌日、街へ戻る俺を見るメグさんの視線は、氷すら生温く感じる程だった。
るー
めでたしめでたくナシ。
皆さんの解釈は同じだったでしょうか?
これは、という別解釈があれば、ぜひ教えて下さい。
最終話の次回は、明日(9/16)投稿します。




