残された指紋が告げる犯人【真相編】
「奥様の無実を、信じておられるのですか?」
まぁな。
深夜、佇む俺にメグさんが椅子とテーブル、紅茶とサンドイッチを用意してくれた。
どうやら俺を敵視するのは止めてくれた様だ。
「私たちも、信じています」
そうか。侯爵夫人は、良い家臣を持ったな。
「もし、貴方が奥様の無実を証明出来るなら私は――
俺が手を挙げ、メグさんの言葉を止めた。
そんな言葉は要らない。
もし、麻倉の無実を証明出来るのなら、俺自身が何でもするからだ。
「証明、出来ますか?」
分からん。
出来るだけ条件は合わせた。
だが再現するかは、やってみなけりゃ判らない。
1つ、と俺はメグさんに言って。
――頼みがある。
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「酷い顔だな」
ほーっといて!
「一睡もしてないんだろう?」
朝が明ける前。黎明の光が闇を払い、レストンの褐色の顔を浮かび上がらせる。
メグさんに頼み、夜明け前に呼び出して貰ったのだ。
すまない――
囁くように俺は言う。
レストンは聞こえない振りをしてくれた。
侯爵殺害は大事だ。
容疑者が判明したら、即座に身柄確保が必要だ。
だがレストンは連行を一夜、待ってくれた。
これで容疑者の無実が証明できなくば、レストンにはそれなりの罰が下されるだろう。
容疑者は侯爵夫人。レストン男爵ごときが取り仕切れる事件じゃない。
身柄確保後、事態はレストンの手を離れる。
だから今、今しか無かった。
麻倉の無実を証明するなら、事態がレストンの手を離れる前にしなければならない。
機会は一度だけだ。
太陽が姿を表し、世界が光に包まれる。
教会群のステンドグラスが、朝日の輝きを反射する。
計算された――角度とか――ステンドグラスに反射した光が、焦点を結ぶ。
周りの気温が急上昇した。
キィイィィ…
金属が擦れる音が微かに響き、次の瞬間、鎧の手元からメイスが滑り落ちた。
メイスは床を転がり手摺の下に空いた隙間に向かう。
50cm…30cm…10cm…5cm…2cm…
今――
グスニ神よ。
今だけ、俺はアンタを信じる。
アンタが正義の神ならば、今一度、1回だけ、頼む。
メイスは手摺に打つかり、小さな音を残して通り抜けた。
ゴッ…
地上階で鈍い音が響き、歓声が挙がった。
ドタバタとした足音が響き、階段の途中で力尽きたらしく止まった。
ぜーぜー
荒い呼吸が聞こえる。
軽やかな足音が響き、何人もの家臣が現れた。
「どうして…」
通り抜けたのかって?
その説明は、パラケルススに譲るよ。
階段の途中で心停止してなきゃ良いけどな。
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「一応、確認はさせて貰う」
ようやく辿り着いたパラケルススが言う。
後ろから治安部隊員がメイスを渡す。
「そろそろ大丈夫かの?」
うむ、そろそろ大丈夫だと思う。でも注意して。
治安部隊員が地上階に残る人々へ離れるよう言うと、パラケルススがメイスを床に置く。
ゴロゴロゴロ
微妙な床の傾斜に従い、転がっていくメイス。
手摺に近づき、打つかり――止まった。
パラケルススが色々角度を変えて試すが、どうにも通らない。
「だが、先程は確かに通り抜けた」
呆然とレストンが言う。
俺はニヤリと笑い、パラケルススに説明を委ねる。
「熱膨張じゃ」
パラケルススが、少しだけ悔しそうに言った。
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物は、温まると体積が大きくなる。
金属であっても――否、金属なら尚更だ。
鎧の骨格に使われてる亜鉛、手摺に使われてる真鍮は、その比率が結構大きい。
1℃につき10万分の2。20mの手摺は、1℃温度が上がれば0.4mm伸びる。
そしてこの館は、北側に建つ教会群は――そのステンドグラスは反射鏡だ。
朝日を反射し、此処に、この鎧と手摺近くの空間に焦点を結ぶ。
鎧と手すり周辺の温度は20℃近く上昇しただろう。
暖められた鎧は――それを支える亜鉛の骨格は膨張し、籠手を動かし支えられたメイスを倒す。
暖められた手摺は床との隙間を広げ、メイスを通過させる。
「それは――お前たちは、自分が何を言っているか判っているのか?」
判っている。
「ん?」
パラケルススは判ってナイ
この館内庭園と教会群は誰が設計したんだ?
俺は執事に問う。
「お館様自ら設計され、10年ほど前に増築したものです」
ならば――
これは事故じゃない。
レストン男爵は口に出せない。貴族だから。彼女がそれを口にするには、問題が大き過ぎる。
だが、俺は違う。
リング侯爵は自殺だ。
侯爵夫人が容疑を否認しなかったのは、そのことを隠すためだ。
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この世界で、自殺は罪だ。
神の救いを拒み、自ら地獄を選ぶ大罪。
侯爵という立場の者――王位継承者がその大罪を犯した。その罪は重い。
1人の人間の罪に留まらず、社会に影響を与える。
それがどうした。
俺は、社会か麻倉かの二択なら麻倉を選ぶ。一瞬の躊躇もなく。
麻倉の代わりにチョムスやマルク、ンゴイブであっても彼らを選ぶ。
でもシノブだと、ちょっと考える。かも。
「言ってくれるな」
社会を選ばざるを得ないレストン男爵は、苦々しげに俺を見る。
「確かにメイスは落ちた。だが、被害者の頭に当たる確率は低い」
低いな。
少しでもタイミングがズレれば、メイスは庭園の土の上に落ちるだけ。だから――
だから10年もかかったんだ。
おそらく侯爵は10年間、この日を待っていた。
メイスが当たり死ぬ確率は低い。殆ど無いと言って良いだろう。
だが毎日その機会を作れば、いずれメイスは当たる。
真下の地面を調べてみれば、幾度となくメイスが落ちた痕跡が見つかるかも知れない。
「侯爵夫人に当たったらどうする!」
何のために、侯爵夫妻の住居区画に出入口が2ヶ所あると思う?
指紋を採取してみろ。ノブにはそれぞれの指紋しか付いていないはずだ。
「そんな危険な物を家臣が見過ごすとでも?」
だから夜、家臣が東北領域に来るのを禁じた。
「侯爵夫人もか?」
彼女は、麻倉は間違いなく――
知っていた筈だ。
「知っていたなら、何故――
「もう、そのくらいで良いでしょう?」
麻倉が、マナム・リング侯爵夫人が立っていた。
俺以外の全員が、膝まづいた。
俺は立っていた。
震える膝をそのままに、侯爵夫人に向き合っていた。
モリスでは無く森下信世として、麻倉真奈美に聞くことが有ったからだ。
皆さんの推理は同じだったでしょうか?
もし、論理の穴や情報不足など有ったら、感想などで教えてください。
ませ。
次の投稿は9/12です。




