残された指紋が告げる犯人【解決編】
「お主、判っておるのじゃろう?」
パラケルススが俺に言う。
遺体の状況、館の構造、各人の証言。
全てが1人を示している。
そして、凶器の柄に付いた指紋。それが決定的だ。
――否
凶器の柄に指紋が付いていない事、それが何よりも麻倉が犯人だという事を示している。
異世界では、指紋の重要性が知られていない。
治安部隊の検死官を務めるパラケルスス。彼ですら知らなかった知識だ。
指紋を拭き取る、そんな発想は誰も持たない。
麻倉以外は。
だが俺は、彼女が犯人とは思えなかった。
麻倉と俺は、たかが2年の付き合いだ。
恋人じゃない。友人ですらない。
仕事上だけの付き合いだった。
でも、並の恋人や夫婦以上に、俺は深く彼女の事を知っている。ひょっとすると、世界の誰よりも、俺は麻倉真奈美という人間を知っている。
徹夜続きの資料作り。
クライアントの無茶振りに振り回された日々。
大声で言い合い、腹に据えかねて机を蹴っ飛ばし、麻倉に資料を叩きつけられた。
クライアントの前では堪えていた涙で麻倉は俺のスーツを濡らし、深夜の声にならない咆哮を、麻倉にだけは聞かれた。
彼女が始めて仕事を成功させ、俺が肩を叩くと涙ぐみ――その涙を知られまいと俺の鳩尾に正拳突きを喰らわせやがった。
のたうちまわる俺を見て、思わず笑いだした麻倉。酷い奴だ。でも俺も思わず笑ってしまった。
笑い転げて、涙が出るほど笑って、肩を叩き合い――翌日、俺の肩は痣になっていた。あの時、麻倉の肩は大丈夫だったんだろうか?
麻倉は俺の大事な後輩で教育対象で仕事仲間で、否――”戦友”だった。
彼女になら背中を任せられる。決して裏切らない。たとえ裏切られても仕方ない、そう諦められる。
そんな関係だ。
だから、俺は信じている。
麻倉は憎んでもいない人を殺すような女じゃ無い。何かの事故で、過失で命を奪ったなら、自ら罪を認める女だ。
俺には、その事を告げてくれる戦友だ。
そして――
麻倉は確かに彼を愛していた。
彼の遺体を見る視線が、涙を堪える表情が、その事を俺に教えてくれた。
だから俺は麻倉を信じる。
例え、どんな状況でも。
誰が、たとえ彼女自身が何を言おうと。
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「侯爵夫人は容疑を否認されなかった」
会議室から出てきたレストンが告げる。
何故だ。何を考えている、麻倉。
「身柄は治安部隊が確保。裁判の上、罪状を定めることになる」
待った!
思わず叫んでいた。
待ってくれ。
「待ってどうなる」
彼女の無罪を証明出来るのか?
そんな事は判らん。だが――
今夜一晩、明日の朝まで、俺に時間をくれ。
逡巡したレストンが視線を彷徨わせ、俺の目を見る。
俺の眼差しの何が彼女を説得したのか、それは分からない。
「侯爵夫人に会わせる事は出来んぞ」
充分だ。
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侯爵夫人に会わせることは出来ない。レストンはそう言った。
ただし、それ以外の全ての情報を俺にくれた。
この館の設計図、各人の証言、兇器の寸法、全てをだ。
俺は館の設計図から、事件現場周辺の構造、寸法、素材に至るまで確認した。
岩造りのベランダ、それを支える梁構造、ベランダに開けられた穴を貫通し床に固定された手摺、メイスを阻む手摺の下の空隙、それらを這い蹲って確認した。
使用人に聞き回り、ここ暫くの天候を――雲ひとつない快晴だった――確認した。
”叡智”を使い、事件当時の日の出の時刻、その時の気温を調べた。
――日の出の時刻は05:04
――気温は摂氏12度
“叡智”のその記載を見た瞬間、何か違和感を感じた。だが、それは今回の事件とは関係無い。
俺は疑問を後回しにして、麻倉が犯人でない可能性を探り――
“叡智”の中に、その可能性を見つけた。
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使用人たちの証言から分かった。
この世界で、麻倉は幸せに暮らしていた。
少なくとも、10年前までは。
10年前、侯爵が息子に実務を譲り、この館に移り住んだ。
その頃から、麻倉は沈みがちになった。
敷地の外に出ることは数える程しか無く、笑みを浮かべることも少なくなった。
目の前に建つ教会の地下に、閉ざされた空間がある。
この館に来た当初、麻倉は1日の多くを其処で過ごしていた。
ある日、地下から彼女が蒼白な顔で現れた。
その日からだ。
彼女が沈み込むようになったのは。
今、地下へ通ずる階段は施錠され、誰も入ることができない。
地下で何があったのか、誰も知らない。
お付きの者の証言によれば、外傷も何も無かった。
ただ、麻倉に何かがあった事は間違いない。
その空間は、この館が建つ前から存在していた。
その空間は、王の管理下にある。
その空間は、クロフォード侯爵が護るべき空間。
その空間は、こう呼ばれている。
“101号室”
2段落ちの2段目です。
今回はハウ・ダニット――侯爵はどうやって殺されたか、それを考えて下さい。




