身代金の冴えた受け取り方【解決編】
キシュキンドの港に夜の帳が降りる。
出航準備を進める客船に俺は近寄る。
客船の目的地はグロム王国本島。ほんの数km先だ。
だがその数kmは、距離以上に遠い。
お見送りに来ました。
目当ての人を見つけ、俺は声をかけた。
「よく、分かりましたね」
化粧と服装でここまで印象が変わるとは、女は化けるものだ。
だが…
貴女のような美人を見過ごすことはありませんよ。
――特にその盛り上がった胸は…という言葉は俺の胸の中だけの呟きである。
メイド長の服を着替えた彼女は、まるで娼婦のように派手な女性に化けていた。
エノレスさん、行くあては有るんですか?
「いいえ。でも…
と言いかけて、彼女は自分の失敗に気づいた。
偽名のエレンではなく、本名のエノレスと呼び掛けられ、返事をしてしまったのだ。
数秒、逡巡した後、彼女は肩をすくめる。
「私はどこか失敗したのかしら?」
いや、でも気づいたきっかけは企業秘密です。
「クィンクがそんな企業だと知ってたら、避けたのに」
断崖から地下4階に投げ落とされた鞄は、ゴブリンが持って行った。
それまでの間は、マルクやシノブが抱え、俺たちが守っていた。
一方、エレノスの涙は、伯爵が取り出した時には確かに在った。はずだ。
ならば、伯爵からマルクに渡るその一瞬にしか、盗む機会は無い。
伯爵からメイド長へ、エノレスからマルクへ渡す間にすり替えるしか無い。
だがクルスは、エノレスの涙がどんな物なのかは伯爵しか知らない、と言った。大きさも、形も、色も、それを入れた箱も、使用人であるメイド長は知らないはずだ。
一方、すり替えるなら偽物を用意する必要がある。形、色、箱、どんな物か知らなければ、伯爵の目の前で偽物とすり替えることは出来ない。
彼女が以前の持ち主。少なくとも近しい者、そうでなければ偽物は用意できない。
エレノスの涙は、元々ベネット家――アーリントン伯爵の持ち物だったのですね。
ベネット。羽根枕入りの鞄が置いてあった小さな廃屋。そこに表記されてた苗字。
ベネット家が以前伯爵位を持ち、館が業火に焼かれ全員が死亡したことは、俺の固有スキル、”叡智”が教えてくれた。伯爵家に娘が居たことも。その名がエレノスであることも。
「お父様は探求者だった。アミアンの迷宮深くで、見つけたと聞いたわ」
エレノスは寂しそうに微笑んだ。
「その宝石に私の名を付けてくれた。でもお父様はそれを封印し、誰にも触れさせなかった。見せてくれたのは1度だけ。いっそ見なければ良かった…」
「私はお父様に、探求者に憧れていた。そして私には盗賊の素質があった」
ある日、少女が宝物庫の鍵を、箱の鍵を開け、その宝石を取り出した。そして彼女は、父親がそれを封印した理由を知る。
「業火の魔術。それを無限に発動できる魔法具。それがエノレスの涙」
彼女は胸に飾られた大粒の紅い宝石に触れる。
「その恐ろしさ、その罪を知らぬ者に、持たせておくことは出来ない。いずれ誰かが私と同じ悲劇を繰り返す」
レベル12の魔術。周りの全てを焼き尽くす業火。
それが彼女から家族を、家を、人生を奪った。
「私と同じ苦しみを、悲しみ、後悔を、あの幸せな家族に齎すことは出来ない」
海に捨てるってワケにはいかないのかな?
「ここまで力を持つ魔法具は、自身の運命を持っている。多分、この島に流れ着いて誰かに拾われるでしょうね」
「どこか人里離れた場所へ行くわ。そこで私は罪と共に生きる。それで、どうかしら?」
エレノスの視線は俺を通り越し、俺の背後に――不視を解いたザクスクさんに向けられていた。
「生活は保証するわ。監視は付けさせて貰うけど」
頷きながら、ザクスクさんは腰を抜かしそうに驚いた俺の横に立つ。
「その件で1つ提案が」
驚く素振りも見せずエレノスは俺に言う。
「監視役として、私と一緒に来てくれないかしら?」
俺⁉︎
エレノスが蠱惑的な笑みを浮かべる。
派手な服と相まって、凶悪なほどの魅力が俺を貫く。
俺は彼女に――
========
「一緒に行かなくて、良かったの?」
俺は船に乗らず、エレノスはキシュキンドを離れた。
この海を渡ってしまえば、容易には戻って来れませんからね。
ほんの数kmの海峡。
だが、アミアンの迷宮という重大物件を抱えたこの島は、入島制限が厳しい。
異世界から直接転移して来た俺は、一旦出たら二度と戻っては来れない。
俺を引き止めたのが迷宮なのか、クィンクの仲間なのか、それは俺自身にも分からない。
「彼女、貴方の好みだと思ったけど?」
好みでしたともッ!
ど真ン中ストレートで好みでしたともッ!
「それとも、私の方が魅力的かしら?」
そっと二の腕を取られ、むっ…胸っ!
魅力的ですともッ!
ど真ン中ストレートで魅力的ですともッ!
「貴方さえ良ければ私、今夜は予定が無いの」
夢か、幻か、いや夢でもイイ!
ところが俺の悪いクセが出た。何事にも理由を求めてしまうのが、俺の悪いクセだ
なぜ俺を、そんなに気にかけてくれるんですか?
大した能力もなく、今後の成長もそれほど期待できない俺を。
――俺に惚れたから?
――惚れたんでしょ?
――こりゃもう惚れたよね?
彼女はちょっと目を泳がせ――
「…私も、孫の仲間は気にかかるのよ」
マゴ?
馬子にも衣装のマゴ?
「シノブは私の娘の子なの」
しぇーっ!
忘れてた。
この世界で、エルフの寿命はヒューマンの4倍。
受付”嬢”と呼ぶにはトウが立ちすぎている――そうシノブは言っていた。
見たところ30代に見えるこの方は、100才を超えてる。かも。多分。確実に。
まぢまぢ
見つめる俺に、気を悪くしたのかザクスクさんは、ふいっと俺から離れ。
「1度目は恋、2度目は愛、けれど3度目は死」
囁く様に呟くと踵を返した。
「残念だわ。貴方がヒューマンで」
その一言だけを残して。
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彼女の姿が夜に消えた後で、計算してみた。
ザクスクさんが今、ヒューマン換算で40――ゲフンゲフン35才、140才とする。
俺が80まで――後50年生きたとする。
その頃、彼女は190才。ヒューマン換算でまだ50前。
結構良い夫婦生活を送れたんじゃないか?
まー50前で80の爺さんと暮らすのはイヤかも知れんが。
俺は、去り際の彼女の表情を思い出す。
彼女は、過去にヒューマンの恋人が居た筈だ。シノブの母親はハーフエルフだから。
でも彼は彼女を置いて逝ってしまう。
それは誰にも、どうしようもないことだ。
多分もう、俺と彼女の人生は交わらない。
彼女とは親しくなるかも知れない。友人になるかも知れない。
でも、決して恋人にはならない。
あの一瞬、あの時が最初で最期の機会だった。
なぜか、その確信があった。
なんか、すげー人生のチャンスを今日、2回も失った。
るー
めでたしめでたくナシ。
皆さんの推理は同じだったでしょうか?
もし、論理の穴や情報不足など有ったら、感想などで教えてください。
ませ。
次の投稿は8/17です。




