主人公の紹介代わりの前段
「ここは…どこだ?」
さっきまで――ほんの数秒前まで、俺は池袋駅の7番ホームで帰宅ラッシュの人波に揉まれていた。
あの人波は、綺麗さっぱりない。
そしてホームも、池袋駅自体ない。
「つか、ここ東京じゃねーだろ!」
あたり一面の草原の上で、俺は自分自身にツッこんだ。
ふと空を見上げる。
満天の星空に月が2つ浮かんでいる。
待て。
月が2つ?
俺が生まれる前から、月は1つだけだった。
生まれた後も、月は1つだけだった。
もしそーじゃナイと言う人が居れば、連れて来なさい。俺がとっくりと説教してやろう。
目を何度も擦るが、相変わらず月は2つだ。
しかも、1つは円形じゃなく長細い形してる。こんな月、見たこと無い。
つまり、ここは地球じゃない。
少なくとも、俺の住んでいた地球ではない。
呆然と月を見上げる俺の視界に、集落っぽい影が映った。
他にアテもない俺は、のそのそと集落に向かって歩きだした。
近づくにつれ、集落と思ってた影の細部が鮮明になり――
それが石造りの城壁だということが判った。
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「なんだあれは」
「いかにも怪しい姿だが…」
傍聴人たちの声が耳に痛い。
昨夜、城壁の門に近づいた俺は兵士に誰何され、不審者としてとっ捕まった。
今は手枷、足枷を填められ、2名の兵士の監視つきで引き出されている。
俺が立たされた場所は、裁判所のような場所だった。
左手には痩せた中年の男。髪の毛が少々薄い。
右手には若い男。こちらの髪の毛はワックスでも付けてるのか、逆立ってる。
そして正面には、スキンヘッドに髭を蓄えた、裁判官らしい老人。彼の手が握ってるのは、小さい木槌。
今にも木槌を鳴らし「判決、有罪!」とか言い出しそうだ。
幸いにして、裁判官が言ったのは別の言葉だった。
「被告人は、名前と出身地を述べよ」
裁判官や傍聴人、兵士に至るまで、聞き慣れぬ言葉で話している。
日本語でも英語でもない。中国語でも韓国語でもない。多分。
だが不思議なことに、内容が判る。
そして、俺自身もその言葉を流暢に話すことができる。
「森下…です。出身地は東京都練馬区…」
「モ…モルスゥツ…なんですと?」
どうやら、こちらの人にとって、俺の名字は発音が難しいらしい。
そして俺には、下の名前を大声で言えないわけがある。
側に立つ兵士に、小声で言う。
「実は俺の下の名は、○○○というんだが…」
ぐぷっ…
兵士が吹いた。
まじまじ。
そんな音がしそうな目で、俺を見る兵士。
違う、誤解だ。
日本では普通の名前なんだ。ちょっとキラキラかも知れないが。
ただしその名は、こちらの言葉では非常に恥ずかしい意味になる。
兵士は傍らに事務員っぽい者を呼び寄せ、耳打ちをする。
ぐぷっ…
事務員が吹いた。
事務員が裁判官の下に走り、耳打ちをする。
裁判官は、吹きこそしなかったがマジマジと俺を見る。
「モルスゥツ…被告人。トウキョウトとは、どこにある街ですかな?」
俺の名はスルーされた。
「日本です」
傍聴人がざわつく。
「裁判長、検察側で調査しましたが、この者の服装、持ち物はニホンの物とは思えません」
左手に立つ中年の男が、甲高い声で言う。
「別国の間者である。検察側はそう主張します」
「裁判長!」
右手に立つ若い男が、声を張り上げる。
「ニホンからの来訪、そして異様な服装と持ち物、これは1つの可能性を示しています」
この者は、とその若い男は俺に人差し指を突きつける。
「異世界から転移して来た可能性があります」
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この世界には時折、異世界から転移して来る者がいるらしい。
その転移者は、決まって"ニホン"から――この世界のニホンとは異なる国から来る。黄色い肌で顔が平たい者だ。
転移者の中には、時に優れた能力を持つ者も居る。だが、大半は普通の人間らしい。
なぜ、どうやって、転移したのかは不明。
誰が、何のために、転移させたのかも不明。
ただし、見分ける手段はある。
俺の目の前に、黒曜石でできた高さ1mほどの石柱がある。
「その上に、両手を乗せるように」
裁判官の指示に従い、俺は手枷を嵌められた両手を乗せる。
傍らのフードを被った男が何事かを呟くと、視野いっぱいに文字列が見えた。
# 氏名:モリス
# 年齢:29
# 職種:会社員
# レベル:1
# 種族:ヒューマン(異世界転移者)
# 力 :6
# 知恵:12
# 信仰:3
# 生命:10
# 俊敏:8
# 運 :2
# 固有能力:叡知
なんだこれーっ!
氏名欄には一瞬本名が映ったものの、次の瞬間"モリス"と変更された。
職業が"会社員"ってそのままだな。
だが重要なのは――
「やはり、異世界転移者でしたね」
右側の若い男は得意げに言う。
左側の中年男は悔しそうだ。
そして裁判官は木槌を振り上げ言う。
「では被告人に判決を言い渡します」
俺は無罪となり、裁判は終わった。
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自由の身となった俺は、職安に連れて行かれた。いや、案内された。
こちらの世界に預貯金があるはずもなく、今すぐなんとかしないと衣食住がヤバい。
というワケで職安。
幸運なことに俺のカバンには、電卓にスマホ、ノートにペンが入っていた。
腕時計もしていたし、服もこの世界では作ることができないシロモノだった。
それらを提供することにより、自立するまでの教育と衣食住を保証して貰うことになった。
更に幸運なことに、俺には魔術師の適性があった。
1ヶ月の訓練で魔術を発動できるようになり、初歩的な呪文を使えるようになった俺は、探索者として第2の人生を始めた。