孤独
一方で、その友人たちへの思いは、日を追うごとに重く心に募っていった。そして体調は変わらず、内科医に処方された薬を飲んでもあまり効果がないように思えた。
「会いたいなあ。」
一人暮らしの自分の部屋で唐突に僕はつぶやいた。しかし当然返ってくる言葉はなく、そのことで却って僕は一層強く孤独を感じた。
息が詰まるような静けさに耐えかねて、僕は気づいたらスマートフォンを手に取っていた。そして高校のころ、ライン交換をした友人のトーク画面に文字を打ち込んでいた。
「今度の日曜、久しぶりに遊びに行ってもいい?」
「いいよ」
返信は案外早く来た。そうか、今日は土曜日だったか。向こうも時間に余裕があるんだろう。
今度の日曜日に会える。そんな希望を胸に抱いて、それからの約一週間を過ごした。
まだそのころの僕は、大学での交友関係が希薄だった。第二外国語のクラスで偶然仲良くなった、メガネをかけた学生と、授業の終わった後にたわいもない話をしながら帰るくらいが関の山だった。並んだ姿は、どちらもメガネ男子だったので、ガリ勉同士が学問の話を議論しているように一瞬見えたかもしれない。しかし実際は、どちらも第二外国語の単位を一回落として同じ授業に舞い戻っているという有様だし、話す内容もゲームやら何やらの、たわいもない話だった。
授業からアパートに帰った後は、バイトまで時間がある時は夕飯の支度以外に、インターネットの巡回もよくした。主な巡回先にはまず、ニコニコ生放送、ニコニコ動画があった。僕は視聴者としてのみ参加していた。その他に巡回したサイトは、アンサイクロペディア、エンペディア、チャクウィキといった所だろうか。仕様もない文章を書き連ねて不人気なページを増やしていくのに一役買っていたものの、逆にそのコアな内容が受けたためか、稀に他の執筆関係者に内容を推薦してもらったこともあった。内心うれしかったが、戸惑いもあった。後から読み返せば読み返すほど、自分が書いた記事は、孤独という出口のない問題と向き合う自分の苦悩の吐露であるように感じられた。
思えば僕は、小さいころから今に至るまで、孤独ということを感じながら生きてきた気がする。僕には兄弟がいなかった。だから親が忙しい時は、一人で家の庭をぼうっと眺めているのが好きだった。僕の近所には子供が少なかった。だから学校の帰りも、家の近くまで行くと一人にならざるを得なかった。一人で伏し目がちに、とぼとぼと歩いて帰るのが日課だった。僕は人づきあいが大の苦手だった。だから幼稚園のころから自分が心を許した、ごくごく限られた友人以外に遊ぶことはしなかった。その友人と遊ぶことすら疲れると、一人で黙々と土いじりをしたりするのが常だった。
そんな自分が心を唯一ときめかせたのが、物語の世界、いわば小説だった。小説を読んでいるときは、自分がどんなに孤独でも、あるいはどんなに群集の中にいて人に倦んでいるときでも、自分だけの世界に入って思うままに過ごすことができた。自分は想像力が豊かなほうではなかった。だから本を読むときは、その活字が示していることを、示している通りに考え、読んだ内容の世界の中で、物語の進むがままに自分を漂流させ続けたものだった。時には死ぬこともあった。時には友と言い合いになったり、友情を結んだり、恋人と結ばれることもあった。けれど現実では、そのような事柄に陥ることのほうが少なかった。でもそれで、何か気にするということもあまりなかった気がする。
しかし、家庭と社会がそれを放っておくことがなかった。年を取るにつれて勉強の進捗に父母が口を出すようになっていった。教師も同様だった。特に教師は僕のテストの採点をしていたため、どれだけ勉強に対して怠惰であるかを承知していた。それを僕はなるべく隠していたが、三者面談などで発覚するにつれ、次第に父母も勉強のことについて厳しい言葉をかけるようになっていった。
そういった状況の中で、僕はしぶしぶ勉強を始めた。その頃の父母は世俗の言説に流されるのが得意であったため、とりあえず僕に厳しく当たり、勉強をしないと失業者になってしまう、だから勉強をしろなどと頭ごなしに言ったものだ。しかし、僕は元来物事を曲解するのが得意で、ねじ曲がった性格だったものだから、その発言の、むしろ「失業者」という言葉のほうにリアリティーを感じてしまった。
僕は今までの人生の中で、自分が働くなんてことを、一度も考えやしなかった。しかも、勉強は大の苦手と来ている。だから、親の言っていることが本当ならば、僕は天文学的な高確率で一生を失業者として過ごすことになるだろう。そしてそんな目に合えば、僕はたちまち親から縁を切られるらしい。結局僕の人生は、周りにいる人々から縁を切られ通しの孤独な人生に過ぎないのだ。でも待てよ、そういった失業者にも、失業者としての暮らしがあるというらしい。果たしてその暮らしとはどういうものなのだろう、そもそもそんな状況でどうやったら自分なりに暮らすことができるものなのだろう。
そのころから僕は、「失業者」という概念を知った気がする。小学校から中学校の途中にかけては、大体僕はこのような自動思考のとりこになっていた。こんなネガティブな思考の渦の中で、勉強に集中できるはずも最初からなく、僕は長い間自己嫌悪を身にまとって、学校を徘徊する幽霊のように生きてきた。
そんな自分を変えてくれたのが、高校受験の際に指導してくれた塾のとある教師だった。
その教師は受験勉強に対する方法論はさることながら、学問を追求することに対する情熱、学問の面白さを純粋に僕に教え込んだ。それが、その教師の最初の授業が今までの自分を一夜にして、臆病で怠惰でとりえのない子どもから、学問のとりこになった学生へと変貌させた。しかしそれは学問という孤独な営みへの新たな入り口でもあったような気もする。