第2話 拝み屋からの電話
後藤は、不愉快でたまらなかった。
理由はいろいろあるが、どれ一つとっても後藤に解決のできることではなかった。
刑事という仕事は、自分に向いていると後藤は信じている。
たとえ上層部とそりが合わなくとも、とうの昔に出世は諦めている。
町のごろつきから恐れられ、同僚からは疎まれ、上司からは懼れられていても不愉快になることはなかった。
正義感が強いわけではなく、社会的な規範を重んじるわけでもない。
"例外のないルールはない"
それは後藤の信条ではないが、信じるに足る原則であった。
だからこそ、型にはまらない後藤のような存在は、少なくともこの町――昼と夜の顔を持つ町、笠井町には必要だと考えていた。
町のごろつきを完全に排除しようとは思わない。
組織――それがたとえ警察のようなところであっても不正や不公正はなくならないのと同じように、悪は、悪として存在し、悪が存在すること自体は"自然なこと"とさえ考えている節が後藤にはあった。
捜査に必要とあれば、後藤はごろつきに適正な手数料を支払い、彼らを利用する。大事なことは適正であるかどうかである。貸しも借りも作らない。そうやって後藤はこの町のバランスを保ち、自己と組織と町の間を自由に往来していた。
組織もそんな後藤を必要悪――いつでも切ることのできる駒として利用していた。
すべてはうまくいっていた。
後藤の前に"下駄の男"が現れるまでは。
ブルブル、ブルブル……
深夜2時、ベッドの脇で充電していた携帯が振動する。ツーコール目で後藤は携帯を手に取り、着信相手を確認する。
「糞爺! こんな時間に」
後藤はベッドから起き上がり、電話に出る。
「拝み屋のオッサン、今何時だと……」
「あぁ、ワシじゃ。こんな夜分にすまん」
「わかっているなら明日にでもかけ直して……」
「蟲を退治した。今から言う場所に男が一人倒れておる。後始末を頼む」
「あんたはいつもそうやって、勝手に動いて……」
後藤は文句を言いながらも、メモ帳とボールペンを用意した。
「でっ、場所は?」
手を素早く動かしながら苦言を呈した。
「事情が分かる者に行かせたいのですが――そうです、鳴門は、あいにく別件の捜査が……、それで、その男は医者には見せなくとも……、なくていい? わかりました。それでは近くの交番の者を向かわせます。その男には一晩お泊りいただくしかないでしょう」
要件を言い終えた後で、もう一言文句を言おうとしたが、一方的電話を切られてしまった。
「ちぃ! まったくあの男と知り合ってから、ろくなことがない」
後藤はすぐに、拝み屋の指定した場所に近い交番に連絡した。
「あぁ、江戸川南警察四課の後藤です。お疲れ様です。実は先ほど私に緊急の連絡がありまして、今から言う場所で寝ている酔っ払いを保護してほしいんです。あぁ、酔っ払いと言っても、酒によって暴れたりはしません。ちょっといざこざがあったみたいで、顔面に蹴りを食らって伸びています。怪我はないそうです。そちらで一晩面倒をみてやってください。朝、こちらから迎えに行くので。えぇ、えぇ、まぁ、ある事件の重要参考人なので、いい機会ですから、この際身柄を拘束しようかと……はい。はい。では、朝8時に迎えに行きますので、処理は内密ということで宜しくお願いできますか……そうです、ごめんどうおかけします」
後藤は身支度をして、家を出た。3時である。現場までは自宅から車で1時間もかからない。交番はそこから徒歩で15分だ。
「とりあえず、近所に車を止めてそこで仮眠をとるか」
後藤と下駄の男が知り合ったのは1年前のことである。それからというもの、後藤の身の回りではいくつもの怪事件が発生していた。そのたびに後藤は下駄の男の力を借り、事件の尻拭いの類はすべて後藤が引き受けることになっていた。
『尻拭い』とは、すなわち真実の隠ぺいであり、資料の改ざんということになる。しかしこの隠ぺいや改ざんは、他人からとがめられるような類のものではなかった。
なぜならそれは警察や公の文章として残せるような類の"事件"ではないからで、これを知る者は後藤の他には部下の鳴門刑事だけである。
呪い、人外の存在、大いなる闇の力
まったくもって馬鹿馬鹿しい。
後藤はいつもそう吐き捨てる。吐き捨てるが不愉快なことに後藤はそれを見て、聞いて、触れて、知ってしまっているのである。
ただでさえ、警察組織の中で異端の存在である後藤は、今や人の道をも迷うほどの、境界線にいつの間にか立たされていたのである。その道先案内人が自称、尾上弥太郎という拝み屋、通称『下駄の男』である。




