第1話 蟲
カラン、コロン、カラン、コロン
夜のしじまに下駄の鳴る音あり
下駄の男、大きな黒い鞄を持ったスーツの男を探し出す
スーツの男、人気のない場所に追いやられ、ついに逃げ場を失い、二人今まさに相まみえんとする
「そんなに慌てた顔をしているということは、お主、やりおったな」
その者、下駄をしっかりと地面に突き立て、目の前のスーツ姿の男に語りけり
「私は!」
スーツの男は語気を強めて応えん
「何も悪いことはしてイナイ」
語尾が尻つぼみになり、裏腹に黒い大きな鞄を両手で抱え、身を震わす
「では、良いことをしておるのかな? 町のゴミ掃除でもしたというか!」
下駄の男、その覇気で、スーツの男を圧倒する
「あ、あぁ……」
男は横に首を振り、目を背け、闇を見据える
「三人も殺れば、もう、充分じゃろう。これ以上続ければ、お主、戻れなくなるぞい」
下駄の男、静かに、されど力強く歩みを進め、男に詰め寄り語りけり
「まぁ、ワシもまさかお主が"それほど"だとは思わなんだ」
下駄の男右手で顎をいじりながらスーツの男を正視する
「ど、どういう意味だ」
スーツの男、目の前の男のことを思い出す
下駄に作務衣、そして頭髪なき頭に黒々と焼けた健康的な肌、スーツの男とは対照的なその男の名は尾上弥太郎という
「人並み外れた執着、そして正義感。ルールを守ることこそ正義。正義は何よりも優先され、そのためには邪でも悪でも用いる。そこまでできる人間ということじゃよ」
下駄の男に対して、スーツの男を評する言葉見つからず
平凡にて凡庸な佇まいは、どこにでもいる中年男性としか言えず
されどかの者抱えし黒き鞄は、使い古され、くたびれ、不格好に膨れ上り、持ち主よりもその者の人となりを語る
「わしの真似事を、一度見ただけで出来てしまうとはたまげたもんじゃ。じゃがお主、その力、使いこなせると思っておるのなら身を滅ぼすぞい」
深夜、2人の声を聞く者なく、蟲の音騒がしく、街灯に蟲がたかる
その場所、荒川の土手にて、大きな橋の下、アスファルトを転がるタイヤの音と、橋の継ぎ目を渡る音が頭上を通り抜ける
「で、できてしまったのだからしかたがないだろう。あんなものを見せられては……。ワタシをこんなにシタのは」
男の声は、おかしな調子に揺らいでいる
「ワシのせいだというのなら、それは甘んじて受けよう。じゃが、もう終いじゃ」
ひょうひょうとした佇まいからは想像もできないほどの、大きな気が下駄の男から発す
スーツの男、それを受けて逆上し、悪鬼がごとき形相にて薄笑う
ウリィイ!
人とは思えぬ奇声を発し、その男、抱えた鞄の口を開け下駄の男に向ける
あなおそろしや
鞄の中より異形の者、顔をだし、下駄の男めがけて白い糸のようなものを吐きかける
下駄の男、それをかわすことなく正面で受け止めるやいなや、あやしき糸を思いっきり引っ張る
すると鞄の中から黒き影、引きずり出され、地面を這う
なんともおぞましき蟲の姿よ
「まだ幼体じゃが、これ以上育てばお主、その精神を完全に食われるぞい」
キィィイ!
蟲は蠢き、呻き、慄いて下駄の男を見上げる
その様まさしく面妖なり、この世のものと思えず、異形のものなり
男は慌ててカバンの中に蟲を戻さんとするも、その動き、人のそれと違いし様子にて、あないみじや
手足の動きはまるで蜘蛛か、蟹がごとし、いとあやしきさまにて、見るに絶えず、その声、聴くに絶えず
「すでにリンクしておるか。こいつは踏みつぶして終わりというわけにはいかんか」
下駄の男は、作務衣の懐に手を入れながら大きく後ろに下がり、身構えん
蜘蛛がごとき様の男、地面に這いし、異形の蟲のそばにより、片膝をついてしゃがみこみ、鞄の口を大きく開けて構える
蟲は身をひるがえし、鞄の中にもぐりこまんと欲す
「ソイ!」
下駄の男それを許さじ
下駄を脱ぎすて、裸足にて中年男に向かい、ものすごい勢いで宙を駆ける
蜘蛛男、その動きに気付きしときには、すでに下駄の男の素足が目の前にある
右の足裏が蜘蛛男の顔面を蹴りあげ、男はその場に崩れ落ちん
素足の男は、蟲が逃げ隠れた鞄を取り上げ、素早く右手を突っ込む
その手には術を施した術符が握られ、異形の蟲の柔らかい背中に埋め込まれる
「覇亜!」
ギィィィィイ!
鞄の中から黒き触手のようなもの這い出し、素足の男の腕に絡みつく
おぞましき様なれど、素足の男、これに顔色一つ変えることもなく、左の人差し指と中指を口元にまっすぐ立て、囁くような声にてまじないごとを呟けば、右腕に絡まりし触手の動き、鈍くなり、やがて鞄の中にその姿を消していく
「ふう。あと半日遅ければ、さなぎになっておったか。そうなればこの男を救うことはできなんだ」
スーツの男は白目をむいてその場に倒れ込んでいる
素足の男は鞄から異形なる蟲を取り出すも虫の息にておぞましき身体をうねらせながら、逃げんと欲す
その様、まるで赤ん坊が腹を空かせて母親を探しているがようであるが、その姿はあまりにも面妖にて奇奇怪怪
「宿主ならすっかりのびておるわ。貴様の命令は今のあの男には聞こえんよ」
素足の男、異形なる蟲を右手に握ったまま、倒れ込んだ中年男のそばに立つ
左手を作務衣のズボンの中に突っ込み、イチモツを取り出す
いとおかし、何するものぞ
「少し臭うが、がまんせい。これが一番効果的なのじゃからのぉ」
素足の男、倒れた男の頭に向かって放尿せん
白き湯気立ち、小便は見事な放物線を描き、倒れた男の顔を叩く
「ほうれ、動き出したぞい」
あまいみじや、男の右の耳より蛭とおぼしき姿の物が這い出てくる
素足の男の尿を浴び、赤黒き生き物は、膨張したり、縮んだりを繰り返す
これまさに身の毛もよだつ、あさましき姿よ
「ようし、いい子じゃ。そこでじっとしておれよ」
グチャ!
素足の男、放尿を止め、右足で思いっきり蛭のような生き物を踏みつぶす
ギィィィィイ!
素足の男の右手に握られた蟲が悲鳴を上げ、絶命する
グシャ!
蟲は握りつぶされ、汚物の塊のよう地面にしたたり落ちん
怪しげなる湯気を上げながら闇に溶けて行き、ついには地面に何も残らず
「まったく。毎回不愉快な思いをさせるわい」
素足の男、下駄を履き、作務衣の懐から携帯端末を取り出して操作する
その様、慣れた手つきにて、その容姿に相応しくなく、これまた、いとおかし
「あぁ、ワシじゃ。こんな夜分にすまぬ。蟲を退治した。今から言う場所に来て後始末を頼めないかのう」
電話の相手、なにやら難色を示しているようでだが、下駄の男、有無も言わさず要件を伝えて電話を切る
カラン、コロン、カラン、コロン
夜の町の中に下駄の音が響き、やがてそれは雑踏の中に消えて行く
遠くでパトカーのサイレンの音聞こえるも、誰一人としてその音に耳を傾ける者なし
笠井町の闇は、更に深まり、闇にまぎれて動きし者あれど、誰かそれを気づかん
魑魅魍魎跋扈するは百鬼夜行か、この町か
人知れずして夜は更けて
かくもこの世は虚実交える摩訶不思議かな




