032 残酷
「思ったより多いな」
ファルマが向かった先は、何一つ物音がしない住宅街。
路地には置物のように死体が転がり、異臭が充満している。
人の気配はあるのものの、全体的に生気を感じない。
「ふん」
そんな住宅街にある民家のうち、一つにファルマは目星をつけた。
玄関を蹴り開けると、一切遠慮しない態度で中に上り込む。
「おい」
ファルマの声が室内に響く。
しかし返事は返ってこない。
人の気配はあるにも関わらず、だ。
「……」
ふと、ファルマは真横にあった扉を蹴り開けた。
豪快に開いた扉の向こう側には、わずかに動く物体の姿がある。
形は人だ。
やせ細り、窪んでしまった目が、もはや生きているかどうかさえ疑わせる。
「生きて――――はいるようだな」
しゃがんで顔を近づけてみると、わずかにその胸が上下していることが分かる。
焦点の合っていない目が、ファルマを見たような気がした。
おそらくこの男は、薬草棒の餌食になった人間である。
証拠に、彼の周りには薬草棒の吸い殻がいくつも転がっており、その手には火をつけるための魔石が握られていた。
もはや吸われていない薬草棒は一本もなく、魔石もひび割れ使い物になりそうにない。
食料になりそうなものも近くにはない。
この男も、持ってあと二、三日の命だろう。
(贅沢は言ってられないな……)
渋々と言った様子で、ファルマはその男に触れる。
『身代わり人形』の呪いをかけるためだ。
当然、何の抵抗もなく『在庫』にすることが出来た。
そのとき、男の唇が微かに動く。
「く……す…………り……」
「悪いな、持ち合わせがない」
ファルマはそう言い残し、男のもとを後にする。
家の外に出たファルマは、隣の民家に同じように乗り込んだ。
「ん?」
まずファルマを襲ったのは、外の路地よりも強烈な異臭。
とてもじゃないが、長居出来る環境とは思えない。
「……」
ファルマの目の前には、三つの死体があった。
男の死体が大の字で置いてあり、その向こうに子どもを抱える形で女の死体がある。
十中八九、家族であることは間違いない。
「殺されたみたいだな」
死体には、どれも深い刺し傷があった。
部屋は漁られ、物資を奪われたようだ。
悲惨で痛々しい光景ではあるのだが、ファルマの表情は変わらない。
「これじゃ『在庫』は増やせないな」
すぐさま興味をなくした様子で、ファルマはその家も後にした。
この街は、あまりにも優しくない。
ファルマですら、自分が生まれ育った村の方がマシだったとさえ思える。
今はもう、その村の人間もいないのだが。
◆◆◆
ファルマが街の外れに到着すると、そこにはサルトビとテトが荷物を持って立っていた。
テトは焼いただけの肉を齧っている。
「遅かったな、何の用事だったんだ?」
「『在庫』の補充に行っていた。これでしばらくは『身代わり人形』が使える」
「ひぇー、おっかないねぇ」
あれからファルマはいくつかの民家を周り、抵抗すら出来ない弱り切った人間たちに呪いをかけてきた。
「すでに終わりかけの連中に止め刺してくるとは、極悪人だなァ旦那」
「終わりかけだからだ。簡単に大勢と接触出来るしな。それと――――」
ファルマは二人の横を通り過ぎ、街の外に踏み出す。
「――――極悪人なんて段階は、とっくに過ぎてる」
「キキッ! ちげぇねぇ」
「マスターはいい人。ご飯くれる」
「嬢ちゃんはブレねぇな……」
三人はこの終わりかけの街を出発した。
不穏な空気が渦巻く、魔王城へ――――。
◆◆◆
「……ふーん」
アレグロは玉座に腰掛けたまま、閉じていた眼を開いた。
その口角は少し釣り上がっている。
まるで新しい玩具を見つけたとでも言いたげな表情だ。
「ブルドーが死んだかぁ……せっかく実用レベルになった魔人まで貸してあげたのに」
口調はブルドーを責めているようだが、顔は笑みを浮かべたままである。
よほど興味深い対象を見つけたらしい。
「どこの誰がやったか分からないけど……面白くなりそうだ」
アレグロは立ち上がり、玉座のある部屋の出口へ向かう。
巨大な扉を開け、外に出た。
「――――もうじき、姉さんも帰ってくることだしね」
鈍い音をたてて、扉が閉まった。
その部屋には、もう誰もいない。
壁一面に広がった、哀れな魔族の赤いシミを残して……。
◆◆◆
そこには、死体が広がっていた。
武装した人間たちの死体だ。
「貴様ら、ごちそうだぞ」
そのとき、角の生えた存在が、周りの化物どもに『許可』を出す。
化物の正体は、種族も別々の魔物たち。
口から唾液を垂れ流し、雄叫びを上げながら、魔物は人間の死体に食らいついていく。
それを、角の生えた存在たちは無表情に眺めていた。
「魔王様」
「……殲滅出来たようだな」
魔王と呼ばれた女は、何もない空中に浮かびながら、広がった戦場の跡を眺めていた。
ここは近くに大きな街があり、転がっている死体たちは、皆その街の兵士たちだ。
「人間とは賢くない生き物ですね。大人しく降伏していれば、こうはならないものを……」
「……手間だけがいつもかかる」
「まったくもってその通りでございます」
魔王の言葉に、執事服の男が相槌を打つ。
「魔物どもを街へ向かわせろ。ベロス、任せるぞ」
「うぃーす。俺の子分どもも肉が食いてぇって鳴いてら」
粗暴な雰囲気を漂わせている男は、周りで伏せていた巨大オオカミの頭を撫でる。
するとそのオオカミは立ち上がり、雄叫びを上げた。
「んじゃ、行ってくる」
男はオオカミに跨がり、街へと向かう。
その後ろを、夥しい数のオオカミ型の魔物たちがついて行った。
これだけの戦力で兵士のいない街へ向かえば、半日とかからず壊滅させることが出来るだろう。
「我々は帰還するぞ。アレグロが何かしでかしていないか心配だ」
「仰せのままに」
魔王を含めて、魔族たちの姿が黒い霧に包まれる。
霧が晴れたときには、そこにはもう誰もいなかった。
そんな戦場の片隅、人知れず存在していた大きな岩の裏に、人影が二つあった。
「大丈夫か……エル」
「はぁ……はぁ……」
その男女は、二人ともファルマと同じ村出身の勇者たちだった。
二人とも表情は怯えきり、身体を震わせている。
「他の……人たちは……?」
「多分……全滅してる」
「うっ……」
エルは声を殺して嗚咽をもらした。
そんな彼女の肩を、ジークは抱く。
二人で寄り添っているにも関わらず、震えは止まっていない。
「帰ろう――――これ以上ここにいるわけにはいかない」
「うん……」
彼らは勇者である。
ここにいる理由も、勇者ゆえに援軍として送り出されてしまったからだ。
「努力……して来たつもりだったんだけどな」
「……」
ジークもエルも、相当な訓練を積んできた。
それこそ、血が滲むような努力もある。
しかし、それらは一切魔王軍には通用することがなかった。
逃げて、隠れるだけで精一杯。
それが恐怖の裏に隠れて、悔しさとして溢れる。
「強く……ならなきゃ」
エルは涙を拭い、前を向く。
二人がやがて魔王軍を脅かすほどの戦力になることを、このときはまだ誰も予想していなかった。