019 下僕
「今、俺とお前の身体は呪いでつながっている。俺がこれから負う傷は、全部お前が肩代わりするんだ」
「な……何を言ってんだ……?」
サルトビは、疑問を浮かべた表情でファルマに聞く。
説明より実際に証拠を見せた方が早いと判断したファルマは、今度はもう片方の足の太股にナイフを突き入れた。
「ぎゃっ」
サルトビが崩れ落ちる。
両足に深い傷を負ったのだ。
そう立っていられるものではない。
しかし、これでサルトビも信じざるを得なくなった。
自分の命が、ファルマに握られているということを。
「はぁ……確実に捕らえる必要があったからな、警戒させないために死なない程度の傷は負う必要があったんだが……」
負いすぎたな――――と、ファルマは自分の身体を見下ろして思う。
すべての傷を身代わり人形に移していたら、確実に警戒心を生ませていただろう。
サルトビが警戒して襲ってこなくなってしまえば、すべてが無駄になる。
だからといって、ここまで我慢することもなかったかと、ファルマはテトに渡されたポーションを飲みながら後悔した。
ポーションにより、傷は徐々にふさがってきているが、体力は相変わらず戻らない。
「くっそ……」
「おっと、変な動きは見せるなよ」
ファルマは、自分の首にナイフを当てる。
それだけで、サルトビは身体の動きを止めた。
首に切れ込みが入れられるだけで、自分がどうなってしまうかが容易に想像できたからだ。
「そら、ポーションだ。そのままだと出血で死ぬかもしれないし、飲んでいいぞ」
「……どういうつもりだ」
ファルマは、サルトビの前にポーションを転がした。
当然、サルトビはそれを警戒する。
「死なれたら困るってことだ。幸運だぞ、お前にはまだ利用価値がある」
「……」
サルトビは数回、目の前のポーションとファルマを見比べて、ようやくポーションのふたを開けて中身を飲み干した。
身体の再生機能が活性化し、サルトビの太股からの出血が少しずつ収まっていく。
「よし、これからお前にすることは、命令だ。俺の言うことには全部従ってもらう」
「誰がてめぇに――――」
「おい」
勢いよく飛びつこうとしたサルトビは、ファルマの喉にナイフがめり込んでいるのを見て硬直する。
自分の喉から、うっすらなま暖かいものが流れていることにも気づいた。
今飛び込めば、確実に自分の周りが血の海になるだろう。
「動いていいなんて許可は出してない、黙って従えよ」
「な、なんだってんだ……オイラに何をさせたいんだよ!」
サルトビはわけが分からなくなり、叫ぶ。
それを冷たい視線で見つめるファルマは、同じく恐ろしいほどに冷たい声色で返した。
「お前への命令は二つ。一つ目は、今後俺に絶対服従すること。もう一つは――――俺を、魔王の元へ連れて行くことだ」
「……は?」
思わず、サルトビは素っ頓狂な声を出してしまった。
一つ目の命令は、まだ理解できる。
大変不本意ではあるが、従わなければいけないということも。
しかし、もう一つの命令は、なぜこの男が言い出したのか皆目検討もつかないのだ。
ひとまず、なぜ魔王と会いたいのか、そして会って何がしたいのかを聞き出さなければならない。
「ま、魔王様に会って何をする気だ……?」
「俺を、魔王軍に入れるよう交渉する」
「お、おいおい……」
この回答を聞いて、あまりの衝撃の大きさにサルトビは冷静さを取り戻してきた。
「そいつは無理じゃねぇか? お前人間だろうが。何だって魔王軍に……」
「この世界を支配するには、人間側にいるより、単独でいるより、魔王陣営に属していた方が早いと思ったからだ。それに、かなり有利な交渉になるはずだぞ」
「あ?」
ファルマは不気味に笑っている。
そこには、自信と余裕。
疲れ切り、立てないはずの無力な男であるのに、サルトビは背筋が凍るような錯覚を覚えた。
「俺の能力を身を持って体験しているお前なら分かるだろ? サルトビ。この能力がどれだけ厄介なのかを、野放しにしておけないのかを。もし、俺の交渉に応じないようであれば、俺はまず魔王軍を確実に潰す。そのあとは人間だ。どんな手段を使ってでも、服従させる」
思わず、サルトビは息をのんだ。
そして同時に、興奮がわき上がってきた。
目の前の男の果てしない野望に、その無謀さに。
サルトビは、自分の中の何かが疼くのに気づいた。
それは、好奇心。
この男、ファルマが頂点に立つところを、見てみたいと思っている自分がいた。
「本気で……出来ると思ってんのか?」
「仮に出来なかったところで、死ぬだけだ。リスクはない」
「結構重いリスクだと思うんだがな……」
「野望が達成できなければ、生きている意味はない。だからノーリスクだ」
「どんな極論だよ! ……はぁ」
サルトビは呆れたように、自分の頭を掻く。
深く息をつくと、ニヒルな笑みを浮かべながら口を開いた。
「キキッ! 面白い、気に入ったぜ旦那ァ! 今からこのサルトビ、旦那のお供になることを決めたぜ!」
「あまり調子乗るなよ? お前の扱いはこいつと差して変わらないからな」
そういってテトを指すファルマ。
テトは特に気にした様子もなく、相変わらずの表情のまま右手でサルトビに挨拶した。
「よろしくな、嬢ちゃん! てか旦那もかてぇこと言うなって」
「っ!」
サルトビの姿が、一瞬で消える。
気を抜いていたファルマの怠慢だ。
ナイフを動かそうとしたときには、サルトビがファルマの腕と足を完全に拘束していた。
「やろうと思えばよ、こうして拘束して放置しておくことも出来るんだわ。対等とは言わねぇけどよ、あくまで協力関係ってことで一つどーよ? キキッ!」
「……ッチ」
ファルマはナイフを落とす。
それを見て、サルトビも手を離して距離を空けた。
「んじゃ、そういうことでよ。これからよろしくな」
「ふん」
「気持ちはなくてもよろしくくらい言えるよな……」
「よろしく、おサルさん」
「お嬢ちゃん? 俺の名前はサルトビな? ま、いいや。よろしく」
テトとサルトビが握手をかわす。
ファルマはそれに目もくれず、近くの木に寄りかかった。
疲労がピークに達しているらしい。
「ふぅ……おい、サルトビ、さっそく最初の命令だ。俺を村まで運べ。今日はそこで休んでいく」
「へいへい。人使いが荒いことで」
サルトビがファルマに歩み寄り、背負う形で持ち上げる。
それにテトも付き添い、三人はだれもいなくなった村へと戻った。
◆◆◆
――――魔王城。
魔王によって占拠されている土地の中心に建っているその城は、所々で強靭な魔物が蠢いており、到底人間が住める場所ではない。
城の主である魔王がいる部屋、そこは王の間と呼ばれ、巨大な玉座が置かれている。
玉座に座るのは、若い男。
頭には角が生えており、この男が魔族であることを証明している。
その男に、家臣らしき魔族が一人近づいてきた。
「――――アレグロ様、その席は魔王様のものでございますが」
「いーじゃんいーじゃん、俺って魔王の弟だよ? 細かいこと言わないでよ」
アレグロと呼ばれた男は、玉座に向かって横を向いて座り、手すりに足をかける。
あまりのふざけた態度に、家臣の男も顔を歪めた。
「みんな姉さん姉さんってバカみたいだよなぁ……もっと本能にしたがって生きればいいのにさ」
家臣の態度に肩を竦めたアレグロは、しぶしぶ玉座から飛び降りる。
そのまま落ちていたマントを拾い、肩にかけた。
「魔族なんて所詮は魔物の延長、人間なんて餌でしかないのに……どうして支配下に置こうとするかね? 僕には分からないや」
そのまま部屋の段差に腰掛け、髪の毛をいじる。
顔には残虐な笑みを浮かべて――――。
「そろそろ姉さんを引きずりおろさないとなぁ……王の立場からね」
静かな威圧感が部屋を支配し、家臣の男は身震いをした。