甘い悪戯と、未来の騎士1
先日、高位な貴族を集めた夜会で俺と詩子の婚約は発表された。
フレイとダリアの派遣と婚約も、ミリィデリア様の帰還も同時に発表されたあの夜は、平和の始まりと幸せの象徴となった。
「本当に行くの?」
「お前が行きたがってたんだろ、ジュリナの店」
「…変装しないの?」
「婚約発表したのに変装する理由がない」
ラフな格好に身を包んで部屋に迎えに行けば、詩子は一瞬頬を染めた後に行くのを躊躇い始めた。
「うーん…女子からの視線が怖い」
「じゃあ今日は町に行くのは止めてベッドで一日過ごすか。俺は大歓迎だ」
行きます行かせてください!と慌ててバックや帽子を身に付ける詩子に、思わず吹き出して笑った。
門を過ぎ城下町の大通りへ出ると、婚約おめでとうと声を掛けられる事はあっても、群がって押し寄せられるような感じにはならなかった。
詩子は勿論、俺も一安心して堂々と手を繋いで歩いた。
「アルゼル様、そちらが噂の奥さんかい!可愛らしいねぇ」
途中、卵の生地で生クリームなどを挟んだスイーツの出店の店員に話し掛けられた。
「まだ奥さんじゃ…クレープだ!」
どうやら詩子の世界にもあるらしく嬉しそうに食い付く。
早速自分の財布を開こうとする詩子に俺ではなく店員がそれを小さな声で止めた。
「奥さん、ここは男を立てなきゃ。沢山の人に見られてるよ」
「…そういうもの?」
「出来れば払わせてほしい」
少し悩む素振りは見せたが、詩子は素直に財布をしまってくれた。
俺なら絶対頼まないような生クリームやチョコがたっぷりのクレープを代金と引き換えに受け取ると、詩子が礼をくれた後クレープ似合わないね、とクスクス笑った。
少し悔しかったので詩子に渡さず一口頬張ると彼女は慌てて謝りながらクレープに手を伸ばす。俺が手を伸ばせば詩子には届かない。じゃれる子猫の様にまとわりつく彼女はいつまでも見たかったが、これじゃどう見てもバカップルだな、と気付き恥ずかしくなってクレープを渡す。
そんな俺達を町人は遠巻きに見ている。ついこの前までこんな大通りを一歩入れば女性が集まり、用事が済ませられない時もあった。
こんな事なら当時誰かに頼んで偽装の婚約でも結べば良かった。
一瞬そう思ったが、隣でクレープを幸せそうに頬張る詩子を見るとそんな邪心は吹き飛ぶ。
俺の婚約者は詩子だけだ。後にも先にも。
ジュリナの店に着くと、入り口に【第一騎士団アルゼル・フレイご婚約おめでとう】と張り紙がされていて二人で固まった。
ものすごく入りづらい。
店先で固まる俺らに流石に人が注目し始めた頃、中からジュリナが出てきた。
「アルゼルさん、シノちゃんいらっしゃい!婚約おめでとー!」
「ありがとうございます…あの、ジュリナさんこの張り紙…」
「主人が町中知らない人はいねぇ様にしといてやりてェ!とか言うから協力したのよ。貴族の間では夜会が終わるや否や速報が飛んだそうだけど、庶民には回らないもの」
「もう一週間たっただろ」
「うちの主人が良しと言うまで貼る約束なの」
ガーティスあいつ…
ジュリナから寒いわよ、と言われて足下が凍りかかってるのに気付く。回りにいた人も俺から漏れる冷気の寒さに解散し始めた。
「シノちゃんは寒くないの?」
「私は平気なんです」
「じゃなきゃ一緒にならないか。さ、入って!何か買いに来たんでしょ?」
店内には焼き菓子が沢山並んでいた。詩子が楽しそうに商品を選んでるのを見るとこっちも楽しくなる。
「欲しいのがありすぎて困る…賞味期限もあるからなぁ」
「また来ればいいだろ」
「…いいの?」
「休みなんていくらでも作る」
ぱぁ、と花が咲いたような笑顔で「ありがとう」と言う詩子が愛しくてしょうがない。思わず帽子をずらし額に口付けると、店の外からキャアと女性の盛り上がる声が聞こえ、詩子が顔を真っ赤にして帽子を深く被った。
「…主人から聞いてはいたけどすごい変わったのねアルゼルさん」
「さぁな。これ包んでくれ」
詩子の持っていたカゴを渡し会計を済ますと、ジュリナが新作なの、と細長い焼き菓子を詩子に試食として渡した。
詩子はそれを半分にして俺に渡そうと手を伸ばしたが、なんとなく手ではなく口で受け取るとまた店の外からキャアと歓声が上がった。
詩子は少し驚いた様子だったが、俺が美味いと言うと残った半分を差し出してきた。
「…私にもやって?」
かなり勇気がいったのだろう、耳まで真っ赤に染めて珍しくおねだりをしてきた。
可愛すぎる詩子につい悪戯心に火がついて、お望み通り口に運んでやった焼き菓子ごと口付けて、半分食べた。
予想を越えたであろう俺の行為に詩子はこれ以上ないほど顔が火照り、外は歓声を通り過ぎて悲鳴が起こる。
ジュリナは口をあんぐりとさせた後にこれは売れるわ、と目を輝かせた。
「アルゼルやりすぎ。恥ずかしいってば」
「俺の方がお前に溺れてると見せつける方が詩子の身の安全に繋がる」
「…じゃあ演技?」
「さぁ?」
紙袋を抱える詩子の腰を抱いて店を出ると、一呼吸置いてから群がっていた女性達が先程のお菓子を自分に売るように店内のジュリナの元に押し寄せて行った。
「他には何処か寄るか?」
「うぅん、今日はお菓子いっぱい買ったからもういい。早く皆で食べたいなぁ」
本心か帽子の陰に隠れる表情を探ったが、紙袋の中に鼻を近付けて幸せそうに匂いを嗅ぐ彼女は本当に満足そうだった。
もっと高価な宝石や特注の服などをねだってもいいのに。
少し物足りない気持ちになりながら城への近道の小道に入ると、詩子がピタリと歩みを止めた。
「どうした?」
「…そこのベンチにいるから、飲み物買ってきてほしいな。喉乾いちゃった」
それは構わないが、正直詩子から離れるのにはまだ抵抗があった。
「大丈夫。ここから絶対動かないし、何かあったらすぐ呼ぶから」
俺の印をつついてニッコリ笑う彼女に、だがしかしと反抗する気にはなれず頷いて近くのカフェへと向かった。




