「わかってるよ」2
「ウタ」
長かった階段もそろそろ登りきるという頃、アルゼルの声がした。横を歩いていたダリアが一段下がり、頭を下げる。
「フレイから連絡があった。部屋から出るな」
『わかった』
「お前の…婚約者の存在を仄めかしておく。もう放っておくわけにはいかないからな」
頭をポン、と叩きアルゼルは階段を下る。説得に行くとはいえ、自分以外の女性の元へ向かうアルゼルになんだかムカついてしまい意地悪をしたくなる。
『シャーロット様、可愛いよ』
そう声を掛けるとアルゼルは足を止めて振り返る。
「なんだそれ」
『別に…』
たん、たん、とアルゼルがゆっくり階段を登ってきた。ダリアは端に避けて頭を下げ続けている。
私の一段下に来たが視線は少し下がるだけ。ぐい、と頭を抱き寄せられて顔がアルゼルの肩に埋まる。
「嫉妬か?安心しろ、食べたくなるほど愛しいのはお前だけだ」
低く楽しそうな声で耳を犯されたと思った瞬間首筋に痛みが走る。咄嗟に離れ首を押さえるとニヤリと笑ったアルゼルがご馳走さま、と階段を颯爽と降りていった。
「……噛まれた!ダリア噛まれた!」
「噛まれましたね。歯形がくっきりと」
うそ!と首を押さえながら階段を駆け登り自室に戻る。こたつで寛ぐリアーナを無視して鏡で見ると確かに歯形がついている。あまりの衝撃に固まっていると後ろからリアーナが顔を出して覗き込んできた。
「あら、誰に食べられちゃったのかなぁ?」
『……アルゼル』
大爆笑するリアーナに笑わないでよ、と熱くなった顔を隠す。ダリアが冷やしたタオルを首に乗せてくれたのでこたつに入り大人しく座る。
「アルゼルは昔まだ第三くらいに所属してた頃にシャーロットの護衛についたの。任務が終わったらすぐ婚約の申し出がアルゼルに届いたみたいね」
わからない言葉はダリアに訳してもらいながら話に聞き入る。アルゼルの昔話はあまり聞いたことがないので興味があった。
「でもそれは団長が断ったの。彼は大変優秀な騎士の一人だから、今は訓練に集中させてほしいって。その時は大人しく引き下がったんだけど、階級が上がるとこまできた今はね、ホントに誤魔化すしかなくて。副団長になってから一年以上忙しいとかで逃げてきたけど、やっと正式なお断りが出来てアルゼルもホッとしてるんじゃないかしら。十年来の悩みも解決ね」
十年!私はまだアルゼルと会って一年どころか半年だって経ってない。なのに婚約だなんだと進めていいのだろうか。スピード婚にも程がある。芸能人のそれを馬鹿にしていた身でもある。…ものすごーく肩身が狭い。
「シノ、ダナレスの誓いは解除は出来ますが再契約は出来ません」
ダリアがお煎餅を用意しながら喋りだした。少し俯いていた顔をあげる。
「彼の一生に一度の誓いを刻まれた事をもっと誇りに思っていいのですよ。それを駆使してでもあなたを誰にも渡したくないという独占欲が好意より先に湧いていたかもわかりませんが。知り合って何日か、何年かなんて関係ないですよ。アルゼル様がシノに決めたのですから」
ダリアには私の思ってた事はお見通しだったみたいだ。
リアーナは出されたお煎餅をパキッと半分に割ったが、食べずにこたつの上に置いて身を乗り出した。
「ねぇ、シノ。少しでも不安なら夜這いでも仕掛けたら?多分護衛であるプライドが邪魔してアルゼルからは絶対来ないよ」
『…ホントにリアーナとフレイは似てる』
「あんな冗談チャラ男と一緒にしないでよ~本気よ本気!婚約予定の仲でしょ?いいじゃない。印をあげれない代わりに私をあげる~って」
なにそれ、と笑って誤魔化そうとするとピーッと笛の音が廊下からした。その瞬間リアーナは立ち上がりダリアに私と部屋の奥に行くよう命じて扉に向かって両手を向けた。
バンッと開いた扉からものすごい形相のシャーロット様が入ってきて、先程と同じ人物とは思えないようなしゃがれた声で何か叫んだ。
「そこから動かないで。無許可で上階に登るだけでなく第一騎士団の護衛対象者の部屋に入るなんて大罪ですよシャーロット」
「私は確認しにきただけです!その護衛対象者とは誰のことなの!」
あの長い階段を駆けてきたのだろう。息が切れていて、生理的なものなのか感情的なものなのか涙が出ている。
「あなたさっきの侍女…とガーティス様の親戚じゃない。あなたが?」
「はい。この方が護衛対象者です。確認は済みましたか」
ふざけないで、とリアーナの制止を無視してシャーロット様は私の方へどんどん歩く。魔法を発動しようとしたリアーナに大丈夫、と声をかけた。
す、と花柄のスカーフを巻いている右手を差し出す。
私もシャーロット様も無言で見つめ合い、彼女がスカーフを少しずつ解いた。
シルクの気持ちいい肌触りが通りすぎ、アルゼル色の印が晒される。シャーロットはそれをじっと見つめて、しばらくするとそこに涙が落ちた。
「…素敵な色」
私にしか聞こえないような小さい声でそう言うと涙を拭いてから足を翻し、貴族らしい堂々とした歩き方で扉へ向かった。
扉にはアルゼルが腕を組んで立っていた。
「そろそろ体温調整が面倒臭いと思っておりましたの。上着が何枚あっても凍えるんだもの。失礼しますわ、今夜は夜会がありますので」
アルゼルは扉をあけてシャーロットを無言で通した。
「んもぅ、シャーロットが向かったから印を確認させてやれ、くらい通信してよ」
「した。お前が通信機切ってるんだろ」
あら本当だ、とリアーナがスイッチをいれた。こたつに入って昼寝をしたかったので切ったのを忘れていたらしい。
「悪いな、怖かったか」
「大丈夫だよ。言ってくれたんだね、ありがとう」
さらさらと指で髪をとかされるのが気持ち良い。
目を瞑り感触を味わっているとすっかり生温くなって存在を忘れていた首筋のタオルをペロンと剥がされた。
「…ははっ」
「何笑ってんの」
「思ったより濃く付いたなって」
バシッと胸辺りを叩いた。
夜、扉を少し開ける。
書類を読んでいたのか紙が散らかったベッドにアルゼルが横になっている。
そぉ…と足音を立てないようにそこに近付いてベッドに乗る。ギシ、ときしむ音がした。アルゼルの額にキスをして顔を離すとアイスブルーの瞳と目が合う。
「夜着で異性の部屋に侵入するのがどういう事かわかってるのか」
いつかと同じセリフを言われる。
「わかってるよ」
アイスブルーの瞳から燃えるような熱が見えた気がした。




