氷と熊
アルゼルside
まだ朝日が昇らぬ頃、あまり音を立てぬよう支度を整える。普段来ている服は動きやすさ重視で防御魔法をかけた私服に近いラフな物だが、実戦の様に本物の剣で大量の稽古を行う今日は斬られに行くようなものなので、少し固めのカッチリした戦闘着だ。
ガーティスがノックもせずに入り馬車の準備が出来てるから早く来るよう急かす。教え子達の訓練の成果が見れるこの稽古の日を待ちわびてる彼は、毎月この日は朝から張り切ってテンションが高い。
「隣でウタが寝てるから静かにしてくれ」
大男は、すまねぇ嬢ちゃんの存在忘れてた、と悪気なく笑う。
城下町の外れにある競技場へ向かう馬車の中、ガーティスがリアーナから伝言があると話し始めた。
「言語の件だが、やはり嬢ちゃんの世界の言葉を全部知らないと頭の中をこちらの言葉に書き換えることは難しいそうだ」
やはりそうか、と納得する。言葉を書き換えるなんて大それたこと中々出来るものではない。
「通訳出来る侍女も出来たし、その件は打ち止めでいい。彼女の努力に任せる」
「あいよ。それと今日嬢ちゃん達にリアーナが話すそうだが、毎朝魔術師訓練場に出向いてもらって訓練生の魔法を吸収し、部屋で魔石を生成してもらうという手順になりそうだとさ」
「俺かフレイで十分だろ」
そう言うと見込んだらしいリアーナからこの言葉を授かったぞ、とゲラゲラ笑う。
「あんまり縛り付けると女は逃げたくなるのよ、だとよ」
はぁ、と窓の外に目をやると競技場が見えてきた。くくく、と楽しそうにまだ笑っているガーティスを横目に頭の中で仕事のスイッチが入る。
「製造場の責任者はリアーナだ。任せる」
「ちなみに手を繋いで魔法を吸収する手段にするようだぞ。魔法をぶつけるのは忍びないから、ってさ」
ピシッと窓枠が凍り、さみぃ!とガーティスがマントで体を包みながら、俺は魔法苦手なんだぞ、と窓枠に手を添えて氷を溶かすのを横目で見ていた。
「お前が女性の虜になるとこうなるんだなぁ。俺はアルゼルもフレイも、団長が政略結婚でも命じなければ結婚しないと思ってたよ」
「ウタと結婚するなんて言っていない」
「わかったわかった。でも嬢ちゃんは大量の魔石生成も出来て、リアーナの話じゃそれをブランド化する予定なんだろ。あんな宝石みたいな魔石、貴族が大金叩いて買い占めるに違いねぇ。その内他国の地位の高い奴等が必死で製作者を探して婿入りを志願してくるぞ」
空気がキシキシと冷え始め、ガーティスがマントを更に巻き付け待て話を聞け!と必死に悲願した。
「お前が翻訳権を手にして専属護衛に就いたことで大分安心してたんだが、昨日来た侍女…嬢ちゃんの母国語が喋れるんだろ。貴族がそういう侍女を大量生産したらどうするよ。
俺の嫁が昔住民登録の受付してたの知ってるだろ。チキュウのニホン人は99%は帰国してたってよ。今回の通訳侍女が来たのはほぼ奇跡だ。しかし嬢ちゃんの存在を知られて数ヶ月もしてみろ、うちの家には数十人通訳がいるから連れて婿入りさせてくださいってのが阿呆みたいに来るぞ」
嬢ちゃんはあまり嫌とは言わない性格なんじゃないか、と心配そうに言う。
確かにウタは謝る事が多い。保護される事に、副団長という仕事の抱えた俺に就かれている事に恐れ多いといった様子ではある。しばらく無言でいるとガーティスがふぅ、とため息をついた。
「せっかくだからお前には大恋愛を経験して欲しかったんだが…俺は先に嬢ちゃんとの関係を固めちまう事を薦めておく。けど説明はじっくりしねぇと誤解を招くことになるからな」
最後の方はガーティスの迫力ある眼差しを向けられて、思わず喉を鳴らす。そんな俺を見て頭をバシバシ叩いて、うまくやれよ絶対零度の騎士サン!とガハハと笑う。手を払い退けその呼び方はやめろと言うと、戻ったな副団長、と丁度到着した馬車から降りて行った。
そう言われれば、これからあらゆる面で婚約者がいないというのは危険なのかもしれない。イ・ダナからも、ブランドを狙う貴族からも、夜会に参加しなきゃならない場合も。
俺はもう、ウタを誰かにやるつもりはない。だがウタの気持ちがわからない限り強引に行くのは気が引けた。…この駆け引きをガーティスがさせたがっていたのだろうが、確かに時間はなさそうだ。
明日にでもダナレスの誓いの事を話してみよう。