『卯月のショートケーキは脱稿の夢を見るか?』
『卯月のショートケーキは脱稿の夢を見るか?』
不思議なことに原稿は1ページも進んでいなかった――……。
どころか現状は未だ白紙のままで、誤植も脱字も衍字も生じる余地が皆無。
「進捗」というたった2文字の日本語が、警告音のように僕の頭の中をぐるぐるぐるとうろうろうろうろ…………。
うぅぅ……いよいよドラスティックな頭痛だ。呪詛のように執拗いそれは、僕の頭蓋の内側で居所を求め彷徨って――。
「もうやりたくないよ…………」
懊悩している時間さえないというのが、輪をかけて悩ましい……。
というのも、本日4月22日は志波学園漫画研究部の部誌の〆切日なのだ。新中1の仮入部は既に解禁されていて、僕は――いや僕たちは、期日までに新歓用の原稿を健全な状態で提出しなければならない。
とはいえ、放課後にこうして部室で活動しているのは今は僕だけで――そう……だから、僕を除いた漫研部員5人は全員とっくに入稿をすましているのであって……。
「今年の中1は優秀だなァ」
いや、それももう1年経ったから中2という扱いになるのか。どうも新年度に対しての新鮮さが喪失っている……そうか、すると僕も高校2年生ということに――
そう考えて、瞬時に僕は焦燥に駆られる……時間がない。
〆切日である今日、この日この時間でさえも乗り切れない人間に、成し遂げられる業なんてものがあるとは到底思えない。どうせ僕は、中途半端に仕事を為す、まともな半端者で人生を終える運命にあるんだろう…………。
「確実に落ちるぞこれは…………ほんとにどうしよう……」
――どうしようもないのだった。現実は残酷で、無神の世界では神頼みは意味をなさない。
項垂れて俯くと、独白も展開もない原稿用紙が視界に入る。唯一ペンネームだけが、4文字分の空欄を埋めていた……ますます気が滅入る…………
諦めた僕は机の焦茶色に突っ伏して、ついに夢の世界へと逃げ込んだ――
****
「………………ん、……」
安眠から覚醒すると、涎で原稿用紙がぐっしょりと濡れていた。『二谷文一』という筆名が滲んで、消え失せそうになる。けれど大丈夫だ、筆名が書かれた二行目以外はまだただの空欄だ。
こんな原稿用紙、いっそ捨ててしまった方が良くないか。タイトルさえ決められていないし、僕の唾液も付着してしまっているし……。
他人が見ても軽い嫌悪感を催すレヴェルだろう――僕はそう思って、可燃物用のゴミ箱に原稿用紙を捨てようと席を立った――
と、直後に僕はあることに気づく。
何が起こったのかは理解らなかった。
即座に察することはできなかったけれど、ただ――
僕にはその時、視認した原稿用紙が原稿に視えたのだ。ちゃんときちんと悪辣な文字が敷き詰められた、原稿に。
僕は僥倖に歓喜するが――同時に、その不自然さに困惑する。
「なんで決定稿が、二頁目からあるんだ……?」
白紙の一頁目はオブラートのように二頁目以降の原稿を覆っていて、下の文字がうっすらと透けて見える……それも僕の涎が染み込んだことが原因なのだが。
濡れてしまったそれを、僕は破れないように千切れないように丁寧に剥がしていく――そして漸く二頁目からの内容が判明する。
不思議なことに原稿は1ページも進んでいなかった――……。
冒頭はそんな一文で始まっていた。
どうやらこれは自叙的な小説、創作作品らしい……梗概としては、志波学園漫画研究部文芸班に所属している「僕」が締切当日にして原稿を落とすまいと奮闘するが、迂闊にも人事不省に陥ってしまい……という感じの物語だ。
しかして独善的な文章が愚駄愚駄と羅列されているだけに、はっきり言ってうざったい。
見ると、タイトルはまだ命名られていなかった。二行目には相も変わらず『二谷文一』と筆名が。
「――…………」
気のせいだろうか? 僕はこの作品を、過去に読んだ――否、書いた気がするのだが。
虚心坦懐に既視体験。
自己言及的な自己否定。
偶発的で局所的な共時性。
そして僕は唐突に思い至る。
というか、真実に突き当たる。
正真正銘、ここが袋小路なのだ。
つまり……原稿のタイトルは――、