八話 討伐の心得
結局ニグレドを説得するにはティニアまで到着する時間全部かかった。残りの道中は完全に敵が出現しない、平和な時間だったとはいえ、頑なに認識を変えようとしないニグレドを説得するのにはそれなりに疲れた。それでもその効果はあり、とりあえず此方の事は理解してもらった―――と思いたい。まだよくわからないが、きっと通じた。そう信じないといけないのだ。護衛の依頼を完了し、ティニアの街の入り口でポルコの馬車から下ろしてもらい、依頼が完了したという証明書をポルコのサイン付きで受け取り、それをインベントリにしまう。これをギルドへと持って行くことで報酬を受け取る事が出来るらしい。成程なぁ、とギルドのシステムの事を考えつつ、
ティニアという街を外側から眺める。
ランケルとは違い、完全に壁、或いは城壁と言えるものに囲まれた都市だった。道は完全な石造りで、そして建造物も石造りになっている様に見える。街中を歩いているのは背が低い、少々髭の多い種族―――ドワーフや、体力と筋力に優れているワータイガー等の獣人や亜人が多めに見える。確かここには鉱山が存在するのだった、と思い出す。だとしたら彼らはここで採掘できる鉱石が目当てなのだろうと当たりを付ける。基本的に布製や革製の装備に格闘スタイルなので、金属製の装備に必要性はないから、個人としてはそこまで鉱山に対する興味はない。ただダイゴの様な侍や剣士スタイルを求める者であれば、武器や防具に多く利用するんじゃないだろうか、とは思う。
まぁ、自分にとっては中継点でしかない。目的は王都へ行くと事だ。この世界を楽しむと決めている以上、きっとこの世界にも”メインストーリー”と言えるものが存在するに違いない。一人のプレイヤーとして、ゲーマーとして、そういうメイン要素は是非とも経験しておきたいと思う。しかし予め言われていたスキルレベルのセーフラインは30、或いは35だ。今の自分はどう足掻いても今の自分は20がスキルレベルでは最大値だ。となると相当努力しないといけない事になる。ランケル周辺はモンスターが比較的に弱いらしく、経験値もそこまで入るものじゃないのだろう。
となるとここ、ティニアへと環境を変えてレベリングするのがいい筈だ。
あの時のヴァルキリー無双みたいに、ひたすら敵を引き付けて大量殲滅をし続けるあのスタイル、あんな風に戦えば経験値だって大量に得る事が出来るに違いない。
「まぁ、その前にメシかな……」
だいぶお腹が空いてきているのがお腹の具合で解る。そんなものはステータスを確認しなくたっていいのだ。途中、馬車の中で干し肉を食べようかと悩んだが、ポルコがティニアに近いから我慢した方がいい、と進めてくるので思わず我慢してしまったが、正直そろそろ空腹は我慢の限界だった。適当な所で酒場を見つけ、そこで食事したら今夜はログアウトしよう、と決める。
そう思ってティニアの中へと踏み出そうとすると、自分の影の中に隠れる様に一緒についてくる姿がある。振り返りながら視線をやや下へと向ければ、そこには無表情でついてくるニグレドの姿がある。そのまま数歩進んでも、ニグレドはついてくる。そこで立ち止まる。
「……どうしたの?」
「お腹空いた」
「お前は懐いた猫かよ」
不思議そうに首を傾げる少女を見て、溜息を吐く。もしかしてこの子、拗らせたぼっち系なのではないだろうか疑いたくなるが、正直そんな事はどうでもいいから、自分も食事がしたかった。なので勝手についてくるニグレドの事はそのまま放置し、適当に周りに視線を向け、街の入り口に近かった酒場の中へと入る。炭鉱マンがジョッキを叩きつけ合い、大笑いを響かせる愉快な雰囲気の中、適当に開いているテーブルを見つけ、そこに座り込むと滑り込むように相対側にニグレドが座り込んだ。座ると緑髪のウェイトレスがメモ帳とペンを片手に此方へと近づいてくる。
「はぁい、いらっしゃい! 頼むものは決まってるかな?」
「あー、お腹が空いてるからなんかオススメでガッツリ行けそうなもの、あとビールで」
「同じもの」
「あいよ! すぐ持ってくるからちょいお待ちね!」
ウェイトレスが消えていくのを見ながら、視線をニグレドへと向ける。
「お前、未成年じゃないのか……ってそうか、未成年とかこの世界観だと違って来るのか。それに法律に抵触しないし結局は大丈夫なのか」
「私二十……リアルでも」
「お前NPCじゃなくてプレイヤーかよォ!! もう少し人間らしくしろよ!」
こくこくと頷く少女の姿を見て、思わずマジかよ、という言葉が口から漏れだす。まだ自分の方が年上である事に違いはない。だがこんな無口系な少女が存在したとは思いもしなかった。というかその見た目で二十とは―――と考え、そう言えばこのゲームは見た目のカスタマイズが可能なのだ。そう考えれば若い姿も納得できる。とりあえず脳内で結論が出たところで、軽く安心の溜息が出る。俺は一体何をこんなに心配していたのだろうか。
そんな事を無言で悶々と悩んでいると、ウェイトレスが料理を運んでくる。運ばれてきたのはステーキにサワークリームと野菜が少々、それに中ジョッキのビールだった。同じものがニグレドにも運ばれているのを見て、本当に彼女がこれ全部、食べられるのだろうかと思いつつ、自分の分の代金である銅貨五十枚を支払い、チップとして銅貨五枚出す。同じようにニグレドが支払っているのを確認してからフォークとナイフを取る。
「いただきます」
「いただきます」
―――空腹になってから食べる肉はやっぱり美味しかった、とだけ言っておく。
◆
夕食を終えて酒場から出ると、時間帯的には既にかなり遅い部類に入っている。一度馬車の中でログアウトし、リアルでも夕食は取ってあるから、朝までは平気なのだ。それにこのゲームにダイブしている間は、体は眠っているのと同じ様な状態になっている為、無理にログアウトして寝る必要はなく、このままこのゲーム内で寝ても、リアルで寝るのと同じ効果を得られるらしい。純粋にすごいと思うが、リアル離れが更に加速しそうなところで怖い所がある為、今まで一切利用する事はなかった。
が、今日はゲーム内で夜を過ごすのに挑戦しようと思う。その為に宿屋が存在しているのだろうし。ともあれ、そうなるとまずは宿屋を探す所から始めなくて始まらないが、それに関してはそこまで苦労はしない。街中をちゃんと観察すれば、宿屋である事を証明するベッドのマークの看板を付けた場所がある。後は街を少し歩き、適度に外観が綺麗であり、そしてロビーが清潔にしてある場所を選ぶのだ。
これは何もこの世界で限った事ではないが、海外旅行で宿を探す時に使える事だ。一番難しいのは金銭に関する妥協だが、今はそれなりに懐が潤っている―――少なくとも銀貨で八十枚以上が総資産として存在している。少し高い宿であっても、問題がないのだ。そうやって宿を見つけたのはいい。
が、
「何時まで付いてくるんだお前」
「……?」
振り返ると、そこにはニグレドの姿がある。もしかして誘われている、なんて馬鹿な考え一瞬頭の中に浮かび上がったが、それを全力で振り払い、溜息を吐く。あんまり面識のない相手に心を開く様な事はしたくはないのだ。ファーレンみたいにお世話になった人ならともかく、同じプレイヤーであり、そしてアサシンなんてスタイルを選んだニグレドには特に警戒したい所ではあるのだが。
「……? 宿……行かないの?」
「いや、行くけどお前はどうするんだよ」
「フォウル……面白いから……ついてく」
「お前、絶対馬車の中で俺の事で遊んでただろ」
首を傾げるニグレドだが、そんな可愛い動作に騙されないぞ、と言葉を放って宿屋の中へと入って行く。
そこから真っ直ぐカウンターへと向かい、朝食抜きの個室を一晩先払いで取って、さっさと部屋の中へと入って行く。明日になればどうせ会う事もないだろう、起きる時間はバラバラだし。そう考えた所でインバネスコートを脱いで床に投げ捨て、手袋も靴も脱いで適当に置き、予想よりもふかふかだったベッドの中へと沈み込む。
「あー……部屋の中を見てないけどいいやぁ……」
意外と馬車に体力を奪われていたのかもしれないなぁ、そんな事を思いながらベッドに沈んでいると直ぐに眠気が襲い掛かってくるのを自覚する。疲労を感じる分、これはリアルでよりも気持ちよく眠れそうだと思いつつ、目を閉じる。
眠気が完全に五感を支配するのは遅くなかった。
◆
朝、起きて確認する時刻は八時前だった。清々しい気持ちになりながら起き上がると、メール通知が存在していた。軽く欠伸を漏らしながらベッドから降りつつ靴を履き、洗面所を確かめながらメールを確認する。ダイゴからのメールであり、その内容は掲示板に自分の名前が挙がっていた、という内容だった。軽くビクリ、としながら晒されている? と思いメールの内容を更に確認して行くが、
「あー……ヴァルキリーさん無双が見られたのか」
だいぶ派手にやっていたし、アレは見られてもしょうがないな、と思う。ダイゴの話によればどちらかというと嫉妬とか検証を求める声が多いらしいし。基本、VRMMORPGに報告の義務というものは存在しない。勿論、自分がやっている事を公開して他人の助けにするというのはありだが、
特化型召喚師、それも近接型というプレイスタイルは今の所自分のオンリーワンだ。情報を提供した結果、これがテンプレートになってコピーされるのは正直、あまり嬉しくない。せめてもう少し、確実に”強い”か、”使いこなしている”というレベルに到達してから、自分の構成とかに関してはWIKIや掲示板で報告したい。それまでは申し訳ないが、謎のキワモノ近接特化型召喚師という存在で通させてもらう。
ただし天絶陣は許されない。あと定時退社。
「さて、今日はどうするかな……やっぱレベリングだけど、他にも色々と何が召喚できるかに関してはセンセに教えて貰ったし、何処まで顕現させられるかをチェックするのもいいかもしれないなぁ。天絶陣自体失敗してもしょうがないって気分でやったのに成功したし」
おそらく、召喚は出来るが大幅に弱体化しているとか、そういう感じになるのだろうか。もっと強力なのになるとおそらく召喚すら出来ないのだろうが。ともあれ、王都へ向かうのは王都には王立図書館が存在し、そこには召喚に関する本も多数存在するという話をファーレンから聞いたからだ。やはりサマナーという職に勉強や研究はつきものらしい。
「んじゃ、とりあえずギルドに行く前に―――一旦ログアウトして、リアルで朝食とか歯を磨いてたりして来るか」
◆
たっぷり一時間かけて朝の用事を全て片付けてログインし直す。再び宿の個室に到着し、脱ぎ捨てたインバネスコートと手袋を装着し、宿を出る準備を完了させる。宿のカウンターで貰った鍵を返却し、挨拶をしながら宿の外に出れば、
そこには半日で見慣れてしまった黒髪ロリの姿があった。如何にも待っていました、という感じで立っていたニグレドは昨日と全く変わらない様子で此方の事を待っていた。おそらくは同じ宿に泊まったのだろうが、何かストーカー被害にあっているようで大変恐ろしい。ただここで怒鳴るのは間違いなくかっこ悪いし、無視するのも何だかんだで気持ちの悪い話だ。だからニグレドに近づき、
「今日はついてくるの?」
「……」
コクリ、と頷いて返答して来る。
「俺は今日、レベリング予定だけど、それでもいいの?」
「誘って」
おそらくはパーティーに、という事なのだろうが、なんで自分の周りにはまともな女性が来ないんだろうか。リアルでも割と女難というか、ちゃんとした出会いに巡り合えた縁がないし。ダイゴだけアレで彼女持ちというのだから殺意が湧く。ともあれ、ニグレドをパーティーに招待し、加入させる。と言ってもこのゲームにおけるパーティーの役割はそう大きくはない。補助や回復魔法、魔術を行う際にパーティー全体を対象にできたり、位置を確認できるという程度だ。
努力が経験値として扱われるこの世界で、寄生なんてできないし、したとしても経験値は一切入らない。だから一人だけ全力で殲滅し続けても、全く経験値が入らなかったりする。これはダイゴとパーティーを組んだ時に発見した事だ。
「とりあえず、最初はギルドへ行こうか」
「天絶……」
「お前アレが見たいだけじゃねーかよ!」
ニグレドに軽くツッコミを入れつつ、街中を大通り沿いに歩き始める。ティニアはランケルの様に円形の街とは違い、中央大通りを中心に道が枝分かれする様に広がっている街だ。そして街の一番奥が鉱山に繋がっている。そういう構造している為、真っ直ぐと大通りを歩けば主要施設を確認する事が出来る。とりあえずギルドを探しながら、道具屋や武器屋、防具屋の所在は確認できた。そのまま進み、魔術ギルドや戦士ギルドを発見する。
村レベルの小さな場所だと、統合して”ギルド”という風になるらしいが、ティニアは十分に広い街である為、どうやらギルドは分かれているらしい。依頼の完遂報告はどこでも出来るらしく、魔術ギルドに二人揃って入る。雰囲気も内装も大分ランケルの所とは似ているが、違うのは受付嬢たちの服装はメイド服ではなく魔術師の着るローブ姿である事だ。もたついている理由もなく、人が並んでいる姿もない。さっさと受付まで移動し、メガネをかけた青髪の受付嬢に精算を頼む。
「すいません、ランケルからここまでの護衛依頼の完遂報告です」
「はい、確認させていただきます―――本物ですね。では報酬としてそれぞれに銀貨五枚を支払します」
「あ、後スキルとかを鍛えようと思うんですけど、ここらでいい狩場ってありませんか?」
「街周辺の街道では最近コボルドの出現報告があります。あちらの掲示板を確認していただければ討伐に対して報酬が出るのも解ると思います。また、ゴブリンの巣が出現した可能性もあります。数日前から女性の失踪が報告されているので、余裕があるなら其方を潰しに出るという手もあります。後はそうですね、この街の奥の方の鉱山はもう見ましたか? 廃坑がいくつかありますが、そのうち一つはモンスターの巣となっております。地下へ行けば行くほど酸素が薄く、瘴気が濃くなりますが、モンスターも強くなっていきます。そこを注意する必要がありますが、ダンジョンに近い環境を経験できるので個人的にはオススメしております」
そこで一旦言葉を区切り、
「緊急なのはゴブリンの巣の完全破壊と殲滅でしょうか。割と狡賢く、討伐に向かった冒険者が逆にやられるというの初心者の良くあるケースです、もし挑むのであれば慎重にご決断を。以上ですね」
「どうもありがとうございます」
受付から離れ、そしてニグレドと合流する。ここで出てきた選択者三つだ。
「廃坑がオススメで、コボルドとゴブリンの巣が大体の選択肢か。たぶんこっちのステータスを確認している感じだから、能力的に行ける所を提示してもらったんだろうけど……ニグレドちゃん、何かどれがいいとか意見がある?」
「ゴブリン」
「そりゃまたなんで」
「生きているだけで……害悪。絶滅……させた方がいい」
「ふむ」
そう言うニグレドの声には、明確な敵意を感じた。自分が知らない事実を何か、彼女は理解していて、それを基準に考えた結果、ゴブリンは生かしてくことができないと判断したのだろう。それを認識しつつ、掲示板前へと移動し、貼ってある依頼書を確認する。ゴブリンの巣の破壊依頼。その内容はシンプルであり、四十以上のゴブリンを殺害し、その上で一番奥にあるゴブリンの文化的象徴であるトーテムを破壊し、その証拠を持ち帰る事だった。
確かにそこまですれば間違いなく殲滅した証拠になるだろう。逆にいれば最低四十匹が狭い洞窟の中にいるという事をこの依頼は証言していた。狭い洞窟の中で、多くの数との戦闘―――これは間違いなく広域ぶっぱ型である自分が輝く戦場ではないか。出禁は確定しているが、天絶陣の様な陣を発動させればそれだけでかなり凄まじい事になりそうな気がする。
「うっし、ゴブリンを皆殺しにすっか!」
「……」
コクコク、と何時もよりも一回多く首を振って、ニグレドが肯定して来る。依頼書にはゴブリンの巣の大まかな位置が書いてある。受諾金は存在せず、今からそのまま倒しに行っても問題はなさそうだ。それを確認し、頭に場所を記録しておく。
「んじゃ、最初に道具屋で必要そうな道具をそろえるか」
主にランタン等になるが、洞窟の内部と成ればやはり、専用の道具とかが必要になってくるだろう。他にもティニアの街とその周辺の地図もほしいし、出費はいつも以上に嵩みそうな気がしたが、冒険者らしい冒険の前に、少しだけ、胸は高鳴っていた。
◆
道具屋でニグレドのアドバイスを聞きつつ道具を揃え、徒歩で移動を開始する事から約一時間。ティニアの街から東へ、森の中へと入った所には崖があり、その下には洞窟が存在していた。その洞窟こそがゴブリンの巣であり、そして攻略目標だった。その姿を確認できる十数メートル離れた位置から洞窟の入り口を確認している。ニグレドと共に茂みに隠れる様にし、購入しておいた虫よけと臭い消しを同時に使用している。
なんでも基本的にモンスターという生き物は人間の体臭に対して敏感であり、特に血の臭いはなんであれ、遠くからも嗅ぎつけるとか。その為、返り血を浴びない事、そして匂い消しを持ち歩く事は必須らしい。特にダンジョン等でモンスターを相手する場合、水で血を洗い流せないなら、風の魔法で血の臭いを霧散させるか流すか、或いは臭い消しで血の臭いを消さないとドンドンモンスターが出現するらしい。
それを初めて聞いて、情報の大切さを改めて理解した。
ここら辺の情報に関しては戦士ギルドのスカウト講座に行けば、覚えられるらしいが、現状、ニグレドとパーティーを組んでいる状態であれば、彼女が理解していればいいのだ、考える事を放棄する。ともあれ、重要なのは今、ゴブリンの巣の前にいる事であり、そしてそこには見張りの様に人の半分ほどのサイズしか存在しない緑色の醜い怪物―――ゴブリンをどうするかだった。
声量を抑えてニグレドへと話しかけようとする。
「俺がやると音が―――」
そう言っている合間にニグレドが姿を消す。いや、消すと言っていいほどの速度で動いたのだ。スキルを発動させながら目を凝らせば、影から影の中へと溶け込む様に動くニグレドの姿が捉えられ、そのまま巣の横にある木陰の中に馴染む様に隠れたニグレドは一瞬でナイフを抜き放ち、横に、巣の前を横切る様に反対側へと移動する。見事と評価するしかない動きでニグレドはゴブリンの首を二体とも切り裂いており、叫び声を上げる事を不可能とさせていた。倒れて行くその姿にニグレドは取り出した霧吹きの様な道具を倒れるゴブリン達へと向ける。
隠れていた場所から出てくる様にしながら、ニグレドへと視線を向ける。
「なにそれ」
「香水。臭いが……紛れるから。キツイけど……知能の低い……ゴブリンとかなら……十分」
「成程」
どこからどう見てもプロフェッショナルの仕事としか評価の出来ないニグレドの動きに軽く困惑しつつも、静かに洞窟の中へと入り込む。ゴブリンの巣の中はすさまじい異臭で満ち溢れており、入り込むのと同時に鼻が焼けつくような感覚に、涙が出そうになる。あらかじめ用意しておいた香水を軽く鼻の下に塗る事でその異臭を緩和しながら、先導するニグレドの背後に付く様にゴブリンの巣を歩き始める。
「……」
ハンドサインで止まれ、と出した次の瞬間にはニグレドの姿が消え、そしてドサ、と倒れる音が聞こえる。ニグレドに追いつけば、そこには首筋から血を流して倒れるゴブリンの姿がある。
「お見事」
「……」
ニグレドはそれに反応する事無く歩き始める。それを追いかける様に、ゴブリンの巣を進み始める。
時折ゴブリンが出現するが、それはニグレドが感づかせる前に確実に始末する。一切の悲鳴や助けを求めさせることなくゴブリンを始末し、最低限の処理だけを行って突き進む。そうやって一本道だったゴブリンの巣を進み、やがて三本に分かれる所まで来る。そこで直感に任せ、右端の道を進む事に決め、
―――そしてその道を選んだことを後悔する。
選んだ道はその奥で、一つの大部屋へと繋がっていた。木製の扉にが存在し、その向こう側に広がる光景は凄まじいものだった。人骨と人肉が散乱し、死臭と異臭が入り混じって広がるその部屋では、全裸に剥かれ、明らかに遊ばれて死んだと解る女性の死体が多く存在していた。扉を破壊する様に中に入り、その気持ち悪さで溢れる凄惨な現場を目撃し、咄嗟に吐き気を覚える。それを飲み込み、堪えつつ、部屋の中を見渡せば、多少冒険者の物と見れる装備がいくつか存在しているのが見える。
ギルドの受付嬢が言っていたのは、この事なのだろうか。
「……胸糞悪ぃ」
「……」
ニグレドが迷う事無くこれを選んだのは、おそらくこれが原因なのだろう。同じ女として、或いは別の理由でこの光景を許せなかったのかもしれない。そうなると、この短期間でこの技術や知識、ニグレドが何処で入手したのかが非常に気になる所だが、それは今、重要な事ではない。出来たらここにある死体を弔ってやりたい所である。が、そんな暇を相手はくれないらしい。
「来るよ」
ニグレドがそう言うのと同時に、洞窟の壁に反響する様に、ゴブリンの声が聞こえてくる。それは段々と此方へと近づいてくるものであり、ここで何をしようとしているのか―――深く考えなくても惨状から大体の予測はつく。ニグレドは部屋の隅の影に隠れようと、袖を引っ張ってくる。だがそれを振り払い、インバネスコートの裾を翻し、手袋がちゃんと装着されているのを確認する。
「ゲームだと思って、多少甘く見ていたのは認める」
設定という項目を覗けば、そこには痛覚に関する項目が見える。当たり前の様に、それは切ってある。俺も、ダイゴも、誰だってそれは切ってある。いうなればそれはセーフティだ。現実とゲームをごちゃ混ぜにしない様な、その為の壁とも言える機能。プレイヤーが襲い掛かってくる敵に対して持つ絶対的精神の余裕、アドバンテージ。
痛覚を入れる事でそれは失われる。迷う事無く痛覚機能をオンにする。
「なるほど、これがダークファンタジーってヤツか」
現代の日本で生まれた。平和な時代に生まれた。普通こんな光景を見てしまえば驚きや恐怖が来るかもしれない。
だがゲームという認識が、そして手に入れた力が、この世界では恐怖ではなく、怒りを抱けと囁いてくる。怒りを抱き、暴れろと。理不尽に対しては理不尽を殴り返せ。それだけの力がプレイヤーには許されていると。そう、直接囁かれている気がし、
それに乗っかる。
部屋の入り口、その奥へと視線を向ければ、三体のゴブリンが此方を視界にとらえ、プギャァ、と汚らしい声を叫びながら此方へと突進してくるのが見える。その片手に握られているのは棍棒でありそれが知能の低い彼らが唯一作り出せる武器。それを視界に捉えながら此方も拳を握りしめ、強く強く握りしめたそれに、
当たり前の痛みが発生する事を感じる。
「歯ァ、食いしばれェ!」
飛びかかる様に襲い掛かってきた一匹目のゴブリンを、その顔面を全力で殴りとばす。スキルを一切使用しない、強化のない肉体。それでの一撃はさほどは威力がない。だが痛みは双方に存在する。自分の拳と、そして殴り飛ばされたゴブリンの顔面に。
痛い。当たり前の痛み。それを拳に感じる。それが今までなかった。
そして感じる、
圧倒的なリアリティを。
そう、薄皮の向こう側だった。そう感じていた世界が痛みと共にそこにある様に感じる。
切欠は実に些細なものでしかない。ショッキングな映像を見て、それに対して怒りを抱いたという事でしかない。だがメディアは、その報道を通じて人の精神を変える事がある。悲劇を見た人は同情し、可愛そうだと思う。
それと同じで、悲劇を見て怒りを感じた。それを発端に痛覚を認め、そして世界をもっと身近に感じる様になった。
浮かび上がるのは笑み。
そして、湧き上がるのは全力の怒り。
「痛いな! 俺も痛いな! 故に俺もお前も、さほど変わりはないのかもしれないな―――」
そう言ったところで、
結論は変わらない。
「悪いなニグレド。俺もかなり馬鹿な男だったらしい。付き合ってもらうぞ―――弔いの為に号砲を鳴らせ! ヴァルキリー!」
「問題ない。私も……おこ」
ニグレドのマイペースっぷりに苦笑しつつ、魔法陣からヴァルキリーを召喚する。襲い掛かってくるゴブリンを拳で鏖殺しつつ、次の召喚に向けて準備を始める。
綺麗な部分は確かにある。それは人々の生活のあるところへと行けばみられるものである。
だが同時に、薄汚い世界もある。見たくはない部分もあるが、それもまたこの世界の一部である。
設定なんてもので身を守っている間はそれを感じる事が出来ない。故に、投げ捨てる事によって得られる心境が、そして境地がある。答えは実に簡単。
己も、相手と同じ対等の境地に立てばいい。
そしてそうやって判断する。
―――皆殺しだ。対等故にその報いを受けよ、と。
めつじんめっそー。
なんだか段々行っちゃいけない方向性に精神性が進んでいる気がする。でも狂気なくしては愛も、力も得られないって言うしね。いつもの精神力目指すわよー