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Endless Sphere Online  作者: てんぞー
二章 帝国-血戦編
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五十八話 月夜に何を思う

 作戦に必要な準備が全て整った。準備する時間はわずか二日。


 だが、それでも、準備は完了した。


 勿論、途中に苦労はあったが、それでもどうにかなる程度の障害―――一番は決行した後。


 作戦決行までは僅かな時間しか残されておらず、もう既にそれは翌日にまで迫っていた。


 ダイゴが提案したアホみたいな作戦、それを認め、実行する。それだけの簡単な話で、準備もあっさりと終わった。なのに決戦が近づくと、妙に心がざわつく。これが決戦前夜という状況が生んだ魔力なのかもしれない。


 夜なのに、全く眠れる気がしなかった。



                  ◆



 一切眠れる気がせず、寝袋の中から体を引っ張り出し、それをクッション代わりにして、テントの中で座る。軽く息を吐いて、頭の裏を掻き、そして目を閉じるが、眠気が頭を支配する事はなかった。しっかり睡眠はとっておいた方が良いのだろうが、どうにも眠れるような気がしなかった。寝袋の横に置いてあるブーツに足を通し、紐を縛って解けない様に結ぶ。それが終わったところで立ち上がり、そしてコートを出すかどうかを考える。必要ないか、と判断した所でテントの外へと出る前に、テント内、自分の為に用意した鏡を見る。そこには自分の全身が映っている。


 身長は百七十八、七十七ぐらい、服装は帝都で購入したズボンとシャツの姿だ。髪の毛は大分伸びてきた。肩を超えるぐらいまであった髪も、今では肘に届く程度には伸びている。その髪もグラデーションがかかる様に毛先から白く伸びている。顔はそこまで変化はない様に見えるのは、何時も自分の顔を確認しているからだろうか? ただリアルの自分と比べると結構中性的に見えるのは確かだ。何せ、これだけ髪が伸びても一切違和感がないのだ。大分、変わって来たかもしれないと思う反面、そこまで自覚はない。まぁ、もうほぼ侵食は三割近い。最適化がドンドン進んできているという事なのだろう。鏡から視線を外してテントの外へと向かう。


 月が浮かんでいるのが見える綺麗な夜空だ。


 明日、絶対に嵐が来る。嵐が発生する。それは確かな事だった。なのにこの静けさはやはり、その予兆なのだろうか、遠くの空を眺めれば雲がゆっくりと此方へと向かって来ているのが見える。分厚く、黒い雲が完全に夜空を覆ってしまう前に、この夜空をもう少し眺めておこう。そう思って拠点の外へと向かって歩き始める。


『あらあら、ロマンチストね』


 やっぱり起きていたか、と自分の中の同居人の声に感想を抱く。まぁ、そもそもからして睡眠が必要のない怨霊なのだから、当たり前と言ってしまえば当たり前なのかもしれない。ただ、少し、常に一緒に誰かがいてくれるのは心強いと思える。決して口に出す事も、悟らせもしないが。いや、そう思ってしまった時点で筒抜けなんだろうが、認めたくはない。ともあれ、とりあえずは歩いて拠点の外へと、平原へと向かう。


 その大地は結構荒れていたりする。というのも、頻繁にレジスタンスやプレイヤー達が訓練の為に大技を放ったりしているのだから、荒れるのは当然の事だ。ただその後は荒れた分を直す為に魔術を使っていたりする。それでも完全に元通り、というわけにはならないのだが。無いよりは良いだろうと、個人的には考えている。だから少し荒れている平原の大地を視線から外し、荒れていない方へと移動し、あまり入口から離れていない位置へと来たら、


 草地に座る。


 そうやって草地に腰を下ろしながら視線を空へと、月明かりと星の明かりだけが明かりとなって照らしている夜空へと向ける。東京で見る事の出来る、排気ガスによって曇った空とは全然違う、透き通った、汚染のない美しい夜空がそこにはある。星々の輝きがそれぞれ見え、そしてその存在を主張するかのごとく、夜空に輝いていた。美しい。純粋にそれだけ、それだけがこの夜空を飾る言葉に相応しかった。こんな夜空はリアルで生活しているだけなら、絶対に見る事の出来ない光景だろ。たとえ田舎に行ったとしても、これほど澄んでいる空も見れない。


 たとえ0と1で構成されている光景だとしても、その感動までは0と1で構成されている訳じゃない―――と思いたい。


『嫌にセンチメンタルになっているわね。……不安?』


 不安……そう、不安なのだ。今更になって女々しくも不安になっているのだ。


『まぁ、共有できているのは経験と記憶だけだからね、まだ精神状態とかは出来てないから……』


 そう、カルマの記憶と経験を保有していても―――その中にある心は自分の物なのだ、まだ。だからこそ魔剣のセーフティ機能が、【業の目覚め】なんてものが存在するのだ。だけどそれが抑え込められ、自分の心のみで考え、感じている今、自分は不安を感じているのだ。それは今までの様なワクワクもドキドキもない、単純な黒い感情だった。それは、フォウルという男の心が誰の者よりも弱く、脆いという事の証だった。ダイゴ程ぶっ飛んでいないし、リーザみたいにここで生まれたわけじゃないし、自分にトッププレイヤー、最高戦力という肩書きが存在する事と、そして明日からの戦いが多くの者の命に関わる事を考えると、不安になってくるのだ。


「情けなくて誰にも見せたくないもんなんだがね、怖いのさ」


 仲間を失う事ではない。いや、勿論それだって怖い。だけどリーザは覚悟を決めているんだ。それを心配する様なら、逆に彼女がキレるというのは解る程度に付き合いがある。彼女が考え、決め、そして覚悟を固めた事に対して外野がアレコレ言うのは間違っているに決まっている。【業の目覚め】だって万能じゃない。徐々に思考改変していくだけであって、まだ常時のレベルに入っていない。テンションが上がった時ぐらいしか発動していない。だからこういう時、ナイーブになった自分の心を支えてはくれないのだ。


「おっもいわぁ」


『責任だけはどうしようもないものね』


 自分の背には今、多くの責任が存在する。


 トッププレイヤーとしての責任、レジスタンスでの最高戦力の一つとしての責任、そして作戦を遂行する事で背負う皆の命の責任。ただのゲーム、とはもう言う事ができない。リーザやキャロライナはもう、ただのNPCと呼ぶには関わりすぎてしまった。蘇生魔法を遠慮なく使うには少々、こっち側の世界観に染まりすぎた。というか蘇生でもされようなら真っ先に自殺を選ぶ連中であるに違いない。だから、なんというか、気楽に、肩から力を抜く事ができない。皆の前でならまだいいけど、


 独りの時、冷静になった時、ふと、考えてしまうのだ。


 自分が失敗して死なせてしまったら、もう喋る事も話し合う事も出来ない。


 ―――それが怖い、と。


「不思議だなあ。敵を殺す事に一々それが怖いとかどうとか一切考えたりはしないのに、戦いに知っている人達の命が係わると解ると、どうしても怖くなってくるんだよ。基地襲撃の時も実は内心ずっとひやひやしてて、怖がってたんだよ。自分のいない所で誰かが死んだら、自分が力不足で誰かを死なせちゃったら。そんな事ばかり考えてやがる。だからかなぁ、力もっと求めちゃうのは……」


 極論、強くなればどうとでもなる。でもそれだけではどうしようもない。


「―――解っていても納得の出来るものではない、という事だな」


 自分以外の誰かの声がした。振り返れば、月明かりに照らされる様に軍服の上着だけを脱いだキャロライナの姿があった。赤銀の髪を夜風に揺らしながら片手で軽く挨拶し、直ぐ横までやってくる。


「横、良いか?」


「別に待ち合わせている訳じゃないさ」


「そうか、なら座らせてもらおう」


 そう言ってキャロライナが横に座ってくる。炎の属性を強烈に内包する性質のせいか、キャロライナとは数センチ程距離がある筈なのに、風が軽く抜けて行くこの平原でも温かみを感じられたような、そんな気がした。ただ、少々恥ずかしい所を見られてしまった、という自覚はあった。喋り出すのも恥ずかしくて、そのまま口を閉じて夜空を見上げる。観客が増えたとしても月は月、一切変わる事なくそこに浮かんでいた。


「フォウル」


 視線を左側へと向けると、キャロライナが片手で酒のボトル、おそらくはウィスキーかスコッチか、ダイゴであれば一瞬で判別できそうなのだが、そんな酒のボトルが握られており、その逆の手には小さいショットグラスが握られている。飲まないか、という誘いなのだろう。小さく笑い、グラスを受け取ってキャロライナに注いでもらう。ゆっくりと小さいグラスの中に琥珀色の液体が満ちてゆくのを眺めつつ、それが溢れそうなところで止める姿はどうにも手慣れている様に感じる。


「キャロって、実は結構飲む?」


「処刑部隊にいたころはそれなりにな。あの頃は同僚や上司との付き合いで良く飲まされる上に、自分でこういうのもアレだが、見れる女だろう? 良く酌をさせられたり色々と誘われたものだよ、全く。私自身はそこまで飲みはしないのに何かにつけては飲もうとする、年がら年中お祭り騒ぎの様な場所だったさ……まぁ、外道の集まりであったことには間違いはないのだがね」


 二つグラスが琥珀色の液体で満たされる。視線を月へと向けたまま、右手で握ったグラスを左側へと伸ばす。


「乾杯」


「乾杯」


 グラスのぶつかり合う音が響き、そして少しだけ酒が漏れる。特にそれを勿体なく感じる事もなくグラスを口へと運び、その中身を一気にのどの中へと流し込む。強い。かなり強い。喉が焼ける様な強さだが、美味しい。それは認める他なかった。再びグラスを降ろして左側へと持って行けば、キャロライナが自分と、此方の分を注ぎ始める。


「しかし、存外長い様で短い付き合いになったな。此方にいる間はツートップという事で何度も組んで出ているが、一緒にいる時間は割と少ない。レジスタンスの面子では一番顔を合わせている自信はあるのだがな。まるでもう何年間も一緒に戦ってきた戦友の様にさえ感じる……何故だろうなぁ、この数週間が特別に濃密だったからだろうか」


「そうだなぁ、そう言えばキャロというかレジスタンス自体とはそう長い付き合いじゃないんだよな。元々は騙されるような形でレジスタンスに入れられて、協力して、団結して、喪失に怒りを感じて……そして今に至る、か。想えば色々と巡ってるもんだわ。最初は絶対に許さねぇこいつ、と思ってたのに、今では助けよう、この馬鹿を送り届けようって考えてるからな」


「それが殿下の不思議な魅力の一つさ。―――まぁ、それも明日の作戦が成功しなければ全く意味がないんだがな」


 明日の、作戦。ダイゴの作戦を疑っている訳ではない。実際、これは完全に思考の”虚”を突いて空中城へと突入する事ができると思う。だが本当の問題は、その空中城内部にいる多くの存在だ。”偶然居合わせた”なんて状況があってもおかしくはないのだ。現在の帝国の事を考えれば、十三将は前線へと向かわされていてもおかしくはない。だが、皇帝であればここで襲撃される、と予想をつけて送らずに手元に置いておく、なんて事をしそうだ。


 そしてそうやって十三将全員を手元に置いていた場合、間違いなく全滅する結末が待っている。


 もし、そんな状況になったとしたら、たぶん、自分はカルマ=ヴァインから力を求めるだろう。更なる最適化と侵食汚染。それと引き換えに少しずつ、全盛期のカルマの姿と能力へと近づいて行く。八割、或いは九割。そこまでくれば独りで殺せるラインに入ってくる。逆に言えばそこまで侵食させないとカリウスや皇帝は殺せないという化け物染みた能力を保有しているのだ。


 これは、盛大な自殺だ。それを実行しようとする自分は馬鹿だし、一つしかない命をそれで失おうとする皆は更に馬鹿だ。


 でも、それを肯定しようとする自分の心は、本能は、性はもっと愚かだと思う。臆病に怖がりながらも、明日の見えない戦いへと身を投じようとするその勇気、その覚悟を祝福したい自分がいるのも確かだ。おそらく、これが自分の保有している業なのだろう。今はまだ種火。自覚したばかりの小さな焔。だが餌さえやれば、即座に燃え上がるだろう。矛盾を孕む己の心が難い。カルマ=ヴァインが憎い。そして自分自身が憎い。頭がヘンになりそうだ。アレとコレとソレと、全部詰め込んでおきながらそれでも平気にしていられる。何時から自分はこんな器用になったのだろう。


「―――あー、駄目だ。変にセンチだったのが酒が入って止まりそうにねぇや」


「月並みな言葉だが、吐きだせる時に吐きだしておいた方が良い。吐きだせなくて失敗した、後悔した、何てことはザラにあるからな。今夜の私は非常に寛容だぞ? 愛の告白であろうと正面から受け止める自信がある」


「はっはっはっは……そっかぁ、吐きだすかぁ……」


 何を吐きだせば良いんだ、と思う。吐きだしたい事がいっぱいある。だけど男だ、男の子だ。そういうのは精一杯頑張って、意地を張らないとかっこ悪いのだ。だからキャロライナには死んでも言う事ができない。だからどうしようか、そう考えていると、キャロライナが隣から軽い笑い声を響かせて来る。視線を向ける事無く酒を飲むと、いやな、と言葉を置くのが聞こえる。


「私は正直、明日生きて切り抜けるとは考えていない。十中八九死ぬだろう」


「おい」


 咎める様に声を放つが、キャロライナは肩を揺らして笑うだけだ。


「何を驚く必要があるんだ? 元々そういう領域の話を私達はしているんだぞ? それを想定して自爆の手段も幾つか用意してある。これなら格上相手であろうと問答無用で倒せるような奴さえ、な。そう、そういう領域を相手にしているんだ……仕方がないではないか」


 そう言ってキャロライナが吐いた息は、弱音にも聞こえた。自分が知っている人物の中でも最も軍人らしい、彼女でさえ絶対的な死の前には弱音を吐かなくてはならない。そう、誰だって死は怖い。誰だって死ぬのは嫌だ―――どうしようもなく当たり前の事だ。ただ、死んでも成し遂げなければいけない事がある。死ぬ事よりも重みのある、価値のある事がある。その価値をキャロライナはエドガーに見出している。だから彼女は命を散らしても良いと考えている。


 自分はどうなのだろうか。恥ずかしい話、何故ここまで付き合っているというのが解らない。確かに楽しいし、居心地が良いのも認める。だけどそれが全ての理由なのだろうか? 解らない。ただ、血戦を前に必要以上に自分がナイーブになっているのは確かだった。こういう状況でいびきをかきながら眠れるダイゴの神経が今だけは心底羨ましい。あそこまで突き抜けたいと思っていないが、それでもその神経の図太さは今だけ、見習いたかった。


「私の故郷はだな、フォウル。戦争で既に存在しないんだ」


「存在しない?」


「あぁ、私が生まれた直後に帝国が侵略戦争を起こしてな、帝国に組み込まれる形となって無くなったんだよ。だけど無くなったのは別に全てではない。少々生活が厳しくなったのは事実だ。だけど無差別に破壊をする様な事も、子供を殺して女を犯す様な事もしない。国を帝国の土地として組み込んで、そしてしっかり統治したものだよ、帝国は。結局消えたのは国の名前と民族としてのアイデンティティだけだよ。それだけだ」


 だけど、


「父も母も国の名を覚えている。歴代の王達の顔と名を覚えている。本や絵を通してそういったものを教えてくれる。形はなくなってしまった。だが決して記憶から消えたわけではない。形としては壊れようとも、見えずとも続く繋がりがある。それを私は父と母から教わった。その後、帝国の兵として都へ向かい、形を積極的に壊す側に回った事は嗤うしかないがな。……いかんな、どうも酒が回ってきたようだ、余計なことまで喋り始めてきた気がするぞ。何か迷惑をかけていないか?」


「いんや、寧ろ暖かくて助かるよ」


「そうか、ならば良い、ならば良いんだ……」


 ふぅ、と息を吐くのが聞こえる。


「駄目だな、私は。軍人であろうと、炎であろうとしてきた。だげ結局のところで、根本として女であったのかもしれん。明日が近づけば近づく程、不安にもなるし、乗り越えた後の事を考えてしまう……そんなものが本当に来るのかどうかすら怪しいのにな。いや、これは戯言か。らしくない言葉だ、私はもう寝よう。卿もあまり夜更かしするのではないぞ」


「あいよ、お休み」


 キャロライナが立ち上がり、酒を置いて去って行く。まだ自分は眠れないから置いてくれたのだろうか、いや、実際助かった。左手でボトルを掴み、それを右手で握るグラスに注ぎ、独りで月見酒を続ける。まだ、眠れるような気分じゃなかった。もう少しだけ、あの月を見ながら夜更かししたい気分だった。去って行くキャロライナが拠点の中へと消えて行く姿を眺め、最後に吐いた言葉が弱音だったと気付く。そうしてあぁ、そうか、と思う。


 誰だって不安にもなるし、弱音だって吐く。完璧な存在がいないのは当たり前で、たとえ軍人であろうと恐怖は抱く。


 死にたくない。


 その気持ちは勇気で隠そうとも、消える訳じゃない。死より重いものがあるだけで、それでも消えないものがあるのだ。それでも、やはり、怖い。明日という日を迎えてしまうのが、それをより自覚する。このまま寝てしまえば、明日の朝になってしまう。そうしたら嵐の中を進み、空中城へと向かう事になる。そうなってしまえば、もう、流れを止める事ができない。


 一体何人死ぬのだ。一体何人殺すのだ。


「……せめて、せめてこの世界がもっとゲームらしかったら、こんな風に悩む事もなかっただろうになぁ―――」


 半分、恨みを込める様にそう呟く。この世界、Endless Sphere Onlineは。リアルだ。それこそ別世界か異世界である事を想起してしまう程に。もし、この世界がもっとシステマチックで、従来のゲームの様に機械的に反応してくれる人たちで溢れててくれれば、もっと悩む事も、恨みたくなることもなかったのだろう。何故、運営はこんなゲームを作ったのだろう。


 何故、どうやって、このゲームは、この世界は生まれたのだろう。


「あらあら、本当に弱っているわね」


 そう言って、何時ものスカートとブラウス姿のカルマが真横に出現する。最近では夢の中で斬り合う為、全盛期の姿の方が見覚えがあるのかもしれない。だから何故か、カルマの姿を見て、懐かしと思ってしまった。いや、違う、懐かしいと思ったのは久しぶりにその恰好を見た様な気がしたのではなく、彼女の人生でそういう、平凡な服装を着た時期が短いからだ。この服装をしていたころのカルマはただの村娘だった。だから、懐かしいと思ったのだ。それを考えると大分記憶領域にまで侵食が入っているな、と思う。どうなんだろうか、明日、倒す為に魔剣の力を引き出そうとしたらどれぐらい侵食されるのだろうか? 四割だろうか? いや、その程度で倒せるとは思っていない。あるは六割、七割と食わせる必要があるかもしれない。


「でも、そんなに気負う必要はないわ。貴方には仲間が、お姉さんがいるでしょ? 独りで何もかも頑張ろうとして背負うと失敗するわよ、私みたいにね」


 珍しく、カルマの一人称が”お姉さん”からブレていた。それに違和感を覚え、視線をカルマへと向けるが、彼女は微笑むだけで何かを言う事はなかった。その姿を見て、溜息を吐いて、そしてグラスとボトルを投げ捨てる。飲もうかと思っていたが、完全に飲む気を失ってしまった。


「あーあ……なんで俺がこんな事を悩まなきゃいけないんだ。クッソくだらね。もっと気楽に、何も考えずに戦えたら楽なんだろうなぁ……」


「でも無理でしょ? 貴方は優しいものね」


 煩い、と言いたかった。だが事実であるだけに、それは出来なかった。実際、自分はかなり優しい。身内には甘々だし、理解できれば許すし、まぁ、敵を心の底から憎む様な事は出来ないし。未だってカルマの存在を否定しない。彼女の存在を受け入れている。魔剣の影響が解った当初は怒り狂っていたのに、今では彼女は自分の理解者となっている。おそらくこの世界で、一番自分を理解しているのはカルマだ。ダイゴでさえ人の心を見透かす事は出来ない。だからおそらく、カルマが自分の事を一番理解している。


「時が止まって明日が来なければ良いのに」


「でもね会ってもそんな事は起きないわ。時は神々でもないと平等に針を進め、そしてやがて運命を刻んで行くのよ。人間がそれに抗う手段を持たないのは当たり前、できるのは覚悟を決め手、それに備えるだけなのよ。だから頑張って、お姉さんはこの世で誰よりも君の事を祈って、見守っているから。幸せになれる様に誰よりも願っているから」


 ―――それが魔剣の怨霊として、カルマができる抵抗。


 怨霊となって人を呪うのではなく、怨霊となって人に祈る。どうか幸せになって欲しい。どうか救われて欲しい。幸福よ、彼に道を。愛よ、彼女に希望を。そうやってカルマは祈り続けている。口を出す事以外はその程度しか出来ないのだから。


「私はどこまで行こうと、どんなことをしようと、君の味方で、共犯者であり続けるわ。どんな事をしようと責める事だけはしないわ。だから安心して、その不安は私が誰よりも理解してあげられるから」


「恥ずかしい事を言うなぁ」


「真顔で言うの禁止」


 めっ、と言いながら人差し指を突きつけてくる。その姿に軽く笑い声を零しながら思う。


 明日は決戦であり―――そして大くの命が失われるのだろうと。勿論、自分達だけではなく、相手の命も失われるのだ。自分の意見を通すには、この世界では戦う事しか出来ない。法も、社会も、核による抑止力なんて存在しない。いや、存在してもそれを打ち込み、カウンターで迎撃しながら自分の意見を押し通す様な世界だ。発展したとしても、そういう膠着状態は生まれないのかもしれない。ここは自分の知る現実とは全く違うルールで動いている場所なのだから。


「やんなるねー。明日の事を考えると誰を一番最初に切り捨てるべきか、とか普通に考え始めてるんだもんよ。弱い奴を囮に自爆させて、とか普通に考えてる当たりちっと染まりすぎたって感じもしてるわ。空中城が落ちる落ちないにしろ、これが終わったら一旦現実で少し休むかなぁ……」


 勿論、少しというのは一日とか、二日とか、そういう少しだ。日課のランニングは続けているが、それでも見逃している事は結構多いと思う。その事を考え、現実で少し休暇を取った方がいいのかもしれない。こっちで長く時間を過ごしすぎて、なんだか現実の日時まであいまいになっている気がするし。


「ま、なる様になる……とは絶対に言えないけど、悪い方向に転がりはしないと思うわよ」


「そりゃあまた何でよ」


 それはね、とカルマが言葉を置く。


「世界は残酷だけど、それは別に君にだけ、って事じゃないのよ? 世界は平等に理不尽で、不平等に理不尽なのよ。幸運に愛され、運命に愛された存在は最後の最後でそれに裏切られて終わるのよ。それが英雄詩であり、英雄の物語なのよ」


「実感のこもった言葉だな」


「実際私もそんなものだしね。英雄、あるいは覇者、王者という生き物は、成功を約束されている代わりに”没落”も約束されているのよ。年長者、歴史を見てきた者としての真実よ、これは。多くの幸福を味わった英雄だからこそ、その終わりは唐突で、速やかで、絶対的になるの。帝国の皇帝様を見た事はないけど、空気に感じるわ、終焉を。近いうちにこの帝国内で何かが終わりを告げるわ」


「それが俺達ではない事を祈ろう」


「そうね」


 夜空を見上げながら、明日を思う。怖いし、不安だし、自信がないのも確かだ。それでも戦わなくてはならない。いや、戦うしかないのだ。現実に逃げて見ないふりなんてする事はしたくない。そんなのはあまりにも情けなさすぎる。


 そう、戦う、戦う事しか選択肢は最初から用意されていなかった。ならばそれを突き進む事しか自分達には出来ないのだ。だとしたら全力で戦い、戦い続け、そして戦い抜くしか出来ない。リーザやキャロライナという蘇る事のできない人物達が命を賭けている。取り返しのつかない事をしようとしている。だったらせめて、自分も、それに見合う覚悟を決めなくてはならない。


 心を鋼にして、


 一人の求道者へと自分をしたて上げ、


 そして立ちはだかる敵を斬殺する。


 それだけ、それだけを考えれば良い。恐怖も不安も忘れてはいない。忘れてはならない。ただの機械にならない様に、心を残し、そして戦いへと向かう。


 自分の人間らしい感情、干渉されたのではなく自分だけの、本当の感情や心。


 それを抱いて、明日、全てにケリを付けよう。


「きっと―――」


 きっと、来るはずだ。いや、そこにいる筈だ。


「―――助けてやっからな、ニグレド」

 というわけで良くある決戦前夜的なアレ。次回からクライマックスなので。ところでヒロインムーブがデスフラッグの乱立という風潮止めませんかねぇ(デスカウンター上乗せしつつ


 一番の理解者はぽんこつ剣聖なんだよなぁ……

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