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1-2

 というわけで、午後の授業をのらりくらりと乗り越えた後、俺はいつも通り、用務員のおっさんに屋上の鍵を開けてもらい、そこで夕方の涼風を感じながら夜を待つ。

 今日は入り口のドア近くに陣取り、屋上全体を見渡せるようにしておく。これはいつ、どこに蓮野さんが現れても気付けるように、だ。

 別に瞬間移動して蓮野さんが現れるとは思っていないが、なんだか不思議な雰囲気を纏っていた彼女ならば、それぐらいやってくれても俺は一向に驚かないぞ。

 さらには携帯電話を取り出し、親には連絡をつけておく。今日ももしかしたら長丁場になるかもしれないし、心配をかけては悪いからね。

 適当にメールを打ち込んで送信すると、すぐに返信が飛んでくる。

『あの女の子と逢瀬ですか!? レポ、期待してます!』

 だそうな。あの母親、精神年齢が若いのか老けてるのかわからんな、おい。

 レポートなんか書く気はサラサラないまま、俺は携帯電話をしまい、その場にゴロリと横になる。

 固い床の上に寝転がるのも、もう既に慣れてしまった。俺が屋上に来てやる事と言えば結局昼寝ぐらいしかないのである。

 それでも毎日のようにここに来るのは、他の生徒が入れない場所に自分だけがいると言う優越感と、高所による高揚感があるからだ。馬鹿と煙は高い所に昇る、と言うが、そんな話を笑い飛ばせないな、なんて考えてしまう。

 ……考えてみれば、俺はずっと屋上に通っていたが、蓮野さんと出くわしたのは昨日が初めてだった。もしかしたら、昨日はたまたま、蓮野さんも屋上へ足を運んだのかもしれない。だとしたら、今日は現れないかもなぁ。

 なんて思いながら空を眺めていると、鉄製のドアがガチャリと鳴く。

 首をめぐらせると、屋上には蓮野さんがやって来ていた。

「おっす、数時間ぶり」

「……やっぱりここにいたんですか」

 俺を見て、蓮野さんは不機嫌そうに顔をしかめる。

「俺の事、探してくれたのか?」

「違います。昼に不用意に零してしまったので、もしやと思ったんです」

 なるほど、俺の誘導尋問に軽々と引っかかってしまったのは、アレは素だったのか。

 それを後悔して、彼女は俺が屋上にいるかどうか確かめに来たのだ。

「やはり失言でした。これでは屋上が使えない」

「俺の事は気にせず、どうぞ使ってくださいな」

「センパイは怖くないんですか? 昨日、死ぬような目にあったんですよ?」

 思い返してみれば、昨日は蓮野さんに斬りかかられたし、妙な巨人に殴られそうにもなった。だが、俺はそれほど『死の危険』を味わったような気持ちにはなってないのだ。

 それは平和ボケした感覚からくるものか、はたまた全く別なものなのかは知れないが、そんな俺に対して、彼女の脅しは的外れであった。

「死ぬような目、と言っても、アレほど現実味のない出来事なら、俺は夢でも見たのではないかと思ってるぐらいなんだがね」

「私が証言者です。アレは夢なんかじゃありません」

「じゃあ、俺が見たキミの半裸姿も夢じゃなかったのか」

 俺の発言を聞いて、クールな蓮野さんの横顔が、ほんのり朱に染まった気がした。

「ヘンタイですか。殺しますよ」

「殺人予告はネットに書き込むだけで捕まる時代だぜ? 発言にはお気をつけなさいな、お嬢さん」

「センパイこそ、セクハラで訴えられたらまず間違いなく負けるような言動は慎むべきだと思います」

 うぬぅ、口の減らない後輩だこと。

「とにかく、俺はちょっとやそっとじゃビビらない、豪胆な人間だという事を認識してもらいたいね。キミの脅しは別に怖くない」

「脅しではありません。単なる事実確認です。センパイがあの状況を体験して、それでも逃げ出したくならないのであれば、私にも別策はあります」

「ほぅ、申してみたまえ」

「お望み通り、もう一度、死ぬ目にあわせてあげます」

 そう言うと、蓮野さんの瞳の色が、夕日を映したように真っ赤に染まる。

 途端に彼女を取り巻く雰囲気が変わり、屋上全体の空気まで違って感じられた。

 夏の夕暮れはそれでもまだ暖かかったのに、ヒンヤリとした空気が流れ込んできたようだった。

 俺は無意識の内に立ち上がり、身構えていた。

 何か、恐ろしい事が始まると言うのは、本能が理解していたのだろう。

 そんな俺の様子を見て、蓮野さんの顔には笑みが浮く。

「口ではなんとでも言えますが、身体は正直ですね」

「そのセリフ、エロイね」

「ヘンタイ。ホントに殺しますよ」

「やれるもんなら、やってみやがれ」

 売り言葉に買い言葉、と言うヤツだった。別に、本気で年下の女の子とケンカをするつもりなんかなかった。

 だが、どうやら蓮野さんはその気になってしまったらしい。

 冷たい瞳がスッと切れ長になる。

「剣を」

 彼女は中空に手を差し伸べると、ポツリと呟く。

 その瞬間、彼女の手には昨日見た剣が握られていた。

「うわ! スゲェ、手品だ!」

「手品じゃありません。これは……私の能力です」

 流れるような手つきで、蓮野さんは白刃を抜き放つ。

 鞘を投げ捨て、剣の切っ先をこちらに向けた。

「もう一度、死ぬ目を見てください。そして、懲りてください」

「ははっ、残念。俺は逆境に燃える男なのよ」

「……だったら、痛い目を見たら懲りますかッ!?」

 踏み込んできた蓮野さんは、何の躊躇いもなく剣を振りぬく。

 上から下へ、上段からの切り下ろし。

 俺が何の反応も示さなければ、唐竹もかくや、と言ったレベルで縦に割られていただろう。だが、当然、そんなものを善しとはしない。

 カツン、と剣の切っ先が屋上の床にぶつかって音を立てる。俺の回避は上手くいった。

「おやおや、蓮野さんは武器の扱いになれていないのか?」

「どういう意味です?」

「武器を敵以外にぶつけてるようでは、まだまだ未熟って事さ」

「減らず口を!」

 今度は横薙ぎに一閃。剣は夕日を照り返し、眩く光る。

 しかし、それはただ、美しいだけの白線であった。そこに何の脅威も感じない。

 振り抜かれた剣を悠々と眺めながら、俺は軽くステップを踏む。

 その後も、蓮野さんは何度となく俺に斬りかかって来たが、それは女子供が鉄の棒を振り回しているだけでしかなかった。

 口ぶりからするに、歴戦の勇士のような発言ではあったが、どうやら買いかぶりのようだ。

「はぁ、はぁ……どうして、当たらないんですか」

「当たったら痛いだろうが。嬉々として剣の前に身をさらすのは、ドMを通り越して自殺志願者か何かだと思うぜ?」

「こんな……はずじゃ……」

 玉のような汗を浮かせ、蓮野さんは荒い息を落ち着けようとしている。

 そりゃアレだけ運動すれば、確かに疲れもするか。俺は別に、鉄の棒を振り回してるわけでもないし、体力には自信があるので、それほど疲れてもいない。だが、そんな俺の涼しい顔が蓮野さんの神経を逆撫でてしまったのだろう。

「ぜ、絶対に当てますから。青タンでも作って帰ってください」

「いや、その調子じゃ一年経っても無理だと思うぜ?」

 誤解を生まないために明言しておこう。俺は別に特別ケンカ慣れしているわけではない。

 確かに中学の頃からやんちゃはして来たが、それでも真剣を持った相手にまともに立ち合った経験はこれが始めてだ。

 だが、考えてもみてくれ。可愛い女子が適当な棒を振り回している様は、笑っていなせるレベルではなかろうか? つまり、俺が強いと言うよりは、彼女が驚くほど弱いのだ。

 蓮野さんの発言に踊らされて、俺も最初は本気で避けていたが、二撃目以降は完全に相手を躍らせて遊んでいる程度でしかない。

「いい加減、諦めろよ。そんなんじゃ絶対に当たらないって」

「当てます! 当てますから、ちょっと止まっててください!」

「だから、俺だって痛いのは嫌なんだよ?」

「じゃあ、もう私に関わらないで下さい!」

 その言葉はどこか悲痛に聞こえた。

 他人すべてを拒絶するその言葉に、俺はどうしてか反感を覚えた。

 だから、彼女の剣を受け止める。

「……あっ」

 それは意外だったのだろう。蓮野さんは無意識の内に声を漏らしていた。

 本当に当ててしまった、とでも言いたげな表情だったが、すぐに状況を察して眉を寄せる。

 俺は先ほど彼女が捨てた鞘を拾い、それで剣を受け止めていたのだ。

「往生際が悪いですよ、センパイ」

「いやー、でも当たっちゃったなぁ。これは俺の負けかもしれないなぁ」

「だったら、私に関わらないでくれるんですか?」

「キミが本気で拒絶するんなら、俺だって別にしつこく追いかけやしないよ」

「……嘘のにおいがプンプンします」

「まぁ、ことさら事情を隠したがる人間を見かけると、とことんまで追い詰めたがる性分なのは認めるさ」

「だったら――」

「でもキミは、構って欲しそうだったし」

 言いながら、俺は彼女の剣を弾く。

 そして空かさず鞘を持ち替え、彼女の腹目掛けて振る。当然、寸止めだ。

「俺だってあの巨人が気になるし、出来るならキミの手伝いだってしたい」

「……無理ですよ」

 蓮野さんの手から剣が零れ落ち、屋上の床にカランと音を立てて転がる。

「センパイはあいつらが何者か知らないから、そんな事が言えるんです」

「だから、それを教えてくれって言ってるんだろ?」

「……そうですね、失言でした」

 クールで知的な雰囲気は纏っているが、蓮野さんはどうやらちょっとおっちょこちょいさんだった。

 そんな蓮野さんは俺から鞘を取り上げ、諦めたようにため息をつく。

「私にもわからない事はありますが、知っている事を教えてあげてもいいです」

「ホントか?」

「でもその代わり、本当に危険なので、もう私に近付かないで下さい」

 厭世的な目をした少女は、床に落ちた剣を拾い上げて鞘に収めた。

 彼女に何か声をかけるべきか、と思ったが、雰囲気が『話しかけてくるな』と言っているようで、俺は言葉を飲み込んでしまう。

「まず、センパイの疑問から答えましょう」

 気がつくと、蓮野さんは屋上のとある一点を睨みつけている。

 その視線を追うと、一匹の犬がいた。……いや、犬にしては身体が大きすぎる。そして身体全体が半透明であった。

「あの犬も昨日の巨人と本質は同じ物です」

「どういう事だよ?」

 犬はグルグルと唸りながら蓮野さんを見据え、地面を踏みしめて動かない。

 牽制をしているのだろうか、距離を測っているのだろうか、どちらにしろ臨戦態勢であるのは間違いなかった。

 俺も心ばかりは身構える。もし蓮野さんに危険が及ぶようならば、俺が庇ってやるぐらいの心意気は持ち合わせていた。

 しかし、そんな心配は杞憂だったようで。

「今はあなたたちと遊んでる暇はないわ。消えなさい」

 蓮野さんがそう言い、制服の前を肌蹴ていく。

 その間に、犬は引き絞られた矢弓の如く、蓮野さん目掛けて発射される。

「あ、危ない!」

 俺が慌てて庇おうとすると、蓮野さんは目にも留まらぬスピードで剣を抜き放ち、犬の前足を切りつけた。

 それは俺と戯れている時には見せなかった機敏さである。

 犬は足を切りつけられたことでバランスを崩し、蓮野さんに襲い掛かるはずだった爪を引っ込め、なんとか着地した。

 犬の質量は相当のモノのようで、勢いに任せて飛び出した犬は着地した瞬間に床に爪を立て、スピードを殺すために踏ん張る。

 犬の爪は熊のそれも霞むほど鋭く、大きい。容赦なく屋上の床を切りつけ、剥ぎ取り、無残な傷跡を残していく。

『ムリ……ムリ……ッ!』

 犬は吠えるようにそんな言葉を吐き出した後、ギラつく双眸で蓮野さんを睨みつけた。

 クルリと優雅に回れ右した蓮野さんは、制服の最後のボタンに手をかけていた。

 昨日のように、蓮野さんは綺麗な柔肌を晒すと、犬にお腹を向ける。

「還りなさい。あなたは私が受け止めるから」

『ムリ……ムリ……ッ!』

 蓮野さんが優しく宥めるように声をかけた途端、犬の身体は光る粒子に変わる。

 まるで月光を照り返す雪のようなその粒子は、しばらくその場に浮いていたが、ゆっくりと移動を始める。

 幾千幾万の光の粒は不規則に弾け、分裂し、くっついては大きな塊を作りながら、蓮野さんへと向かう。

「お、おい……」

「大丈夫です、センパイ。少し見ていてください」

 心配になって声をかけたが、蓮野さんは優しい笑みを浮かべている。その表情はどこか母性を窺わせるほど、穏やかで、すべてを包み込むような表情だった。

 やがて、犬であった光の粒子は蓮野さんの身体へと吸い込まれていった。

 まるで映画の一シーンでも見せられているような、現実味のない光景であった。

 すべての状況が落ち着き、自分の思考がやっと動き始めたと実感すると、俺は蓮野さんにもう一度声をかける。

「……今のは?」

「あの犬も、昨日の巨人も、私が『ムリ』と名付けました。アレらは星のストレスです」

「星の……ストレス?」

 いきなり突拍子もない話をされて、俺は馬鹿のように鸚鵡返しをするしかなかった。

 そんな俺に向かって、蓮野さんは自嘲するように笑う。

「いきなり何を言ってるんだ、と思うでしょう?」

「まぁ、確かに。何の前置きもなければ、どこのゲームの設定を引っ張り出してきたのかと疑ってしまうぐらいだな」

「でしょうね。……ですから、私はこれまで、ムリを見てしまった人間たちの記憶を改竄する事で説明の手間を省き、巻き込むような事も避けてきました」

「キミには人の記憶に干渉する力がある、と?」

「ええ、センパイには信じられないかもしれませんけどね」

 なるほど、それで初めて会った夜、『今日の事は忘れろ』みたいな話をしていたのか。俺はてっきり、鉄パイプか何かで殴られて物理的な記憶障害を引き起こされるのかと思ったが、どうやらそういう話ではないらしい。

 だが、物理的な手段ならばどれだけ納得できた事だろうか。

「つまりキミは、自分が命令するだけで人の記憶を弄る事が出来る不思議パゥワーを持っていると、そう言いたいわけだな?」

「訝る気持ちもわかりますが、私は今までそうやってやり過ごしてきたんです。センパイが現れるまではね」

 蓮野さんは制服を着直すと、俺に剣を見せる。

「先ほどもお見せしたように、これは種も仕掛けもなく、全く脈絡のない場所から取り出しました。それは私に宿った力を行使したからできた事です」

「では、その手品をもう一度見せてくれると?」

「お見せしましょう」

 そう言った瞬間には、蓮野さんの手から剣は消え失せ、今までそこに何もなかったかのように、全くの手ぶらになってしまった。

 だが、俺は知っている。剣はともかく、あの鞘は俺が触れて、蓮野さんの振るう剣を受け止めた物だ。確かに、この場所にあったはずなのだ。

 それが煙のように消えてしまったとなると……。

「物凄い技術の手品だ、と言ってくれると助かるわけだが……」

「手品ではありません。本当の超能力だと思っていただいて構いませんよ」

 不思議な巨人を目の当たりにした辺りから、少し覚悟はしていたところもあったが、厳然と目の前で見せられる超常に、俺は少し混乱し始めていた。

 だが、不思議と嫌な気持ちではない。

 夜な夜な、不思議な巨人や犬と戦う少女と知り合えるだなんて、これは幸運であるといわざるを得ないだろう。

 なんて素敵な展開。俺はこう言うのを待っていたと言ってもいい。

「蓮野さんはあのムリってヤツらと、今までひとりで戦ってきたのか?」

「戦う……というほど大それた物ではありませんよ。さっきも言ったように、アレは星の抱えたストレスです。私は星がストレスを発散させるのに付き合っているだけです」

「その『星のストレス』ってのが、いまいち要領を得ないんだが、一体なんなんだ?」

「掻い摘んで話すと、私が能力を使う事で発生する『普通はありえない事』に対する反動です。何もないところから剣を出したり引っ込めたりすると、星は異常を感知してストレスを感じ、それが身体を伴って出現するのがムリですよ」

「つまり、異世界からの侵略者とか、地底に昔から住んでいた原生生物とか、人類に対する脅威の存在的なものではないのか?」

「侵略者や原生生物などではありませんが、人類に対する脅威、と言えばそれは否定できません。まともに立ち合えば、現代兵器の手に負えるようなものではありませんから。私が不思議な力を使って倒さなければ、そこら中を破壊して回るでしょうね」

 先ほど現れた犬が屋上に付けた傷を見やる。

 確かにあの爪牙にかかれば、どんな鉄板だって紙切れのように引き裂かれてしまいそうだった。

 だが、それではおかしい。

「キミが異能力を使わないと倒せないのに、異能力を使うとムリが生まれるって、これはおかしくないか?」

「世の中なんて、そんな理不尽な物ですよ」

 俺より年若い少女が、そんな悟ったような事を言うのだからおかしいものだ。

「恐らく、最初は私が無意識の内に異能力を使ってしまい、それによってムリが出現してしまったのでしょう。最初の原因は、正直私の記憶にも思い当たる物がないのですが、そうしなければムリが発生しなかったのならば、そうとしか考えられません」

 もし、ムリとやらが自然発生してしまう物なのだとしたら、今頃その存在も認知されているだろう。何せ、地球が始まってから何十億と言う年月が経っているのだ。その間にムリとやらが発生したなら、観測されてもおかしくはない。

 だが、それがなかったという事は、彼女が異能力を発揮した事が原因なのだろう。そう考えてもおかしくはない。

「しかし、原因は最早重要ではありません。ムリを退治できるのは私とこの力しかないのだから、そうするしかありません」

「だとしても、女の子が剣を振り回して怪物退治って……危なくないか?」

「当然の意見ですが、それもバケモノ退治だと思ってしまうからいけないんです。『星のストレス』なんて縁遠い存在に喩えられたから理解しがたいだけですよ。もっとわかりやすく、人間に置き換えて考えてみてください」

「人間にぃ?」

 星なんて大それた事を言われた後に、すぐ人間に置き換えろと言われてもなぁ。

「例えば、センパイだって誰かクラスメイトから愚痴を聞かされる事があるでしょう? ムリはそれと一緒です。星は喋る口を持っていませんから、ムリを放ち、ストレスを発散させているんです。つまり、星の愚痴を私が聞いているという感じです」

「それはちょっと強引過ぎやしませんかね……」

「センパイにもわかりやすいように噛み砕いて説明した結果です」

 うーん、一気にスケールがしょぼくなった気がしてきた……。

「ですが、センパイも見たとおり、ムリの力は凄まじい物です。襲われでもしたらひとたまりもありません。ですから、これ以上私に近付くのは……」

 確かに、俺があの犬のひっかく攻撃や、巨人のパンチを受けて、無事でいられるとは思えない。であれば極力危険から遠ざかるために、蓮野さんには近付かないと言うのは妥当な選択だと言えよう。

 だが、疑問はまだある。

「でもさ、俺って昨日、巨人に殴られたよな?」

「えっ?」

 記憶の中に、未だ恐怖と共に残っているビジョン。

 屋上で不思議な巨人に殴りかかられる瞬間までの映像。

 それは忘れようとしても忘れられるような物ではなかった。

 ここまで見て、聞いてきた事が全て事実であると言うなら、昨晩の出来事だってまた事実。動かざる過去の証拠だ。

 だとすれば、俺はあの時、巨人に殴られて、それでも無事でいられたと言う事だ。

「その辺は、どう説明してくれるんだ?」

 蓮野さんに尋ねてみると、彼女は口をへの字に曲げた。

「それは、わかりません」

「わからない……って、そんな返答じゃこっちだって納得できないぜ?」

「わからないものはわからないんだからわかりませんと答えるしかありません」

 早口言葉のようにまくし立てられた。

「私だって、私の力やムリについて、何もかも知ってるわけじゃありません。センパイに私の力が効かない理由だってわからないんです。記憶を消そうとしても消えないし、巨人の拳は効かないし、むしろ私が聞きたいくらいです。センパイは何者なんですか?」

「何者って聞かれてもなぁ。俺は普通の男子高校生だとしか……」

 これと言って変わったところなんかない。

 中肉中背の至って一般的な体格と顔面偏差値を持ち合わせ、家庭環境も普通。

 強いて言うなら身体を動かすのが好きで、身体能力には多少の自信がある、と言う事だけだろうか。でもそれだって運動部の連中に同じ質問をすれば、同じような答えが返ってくるはずだ。

 だとしたら、他に俺に特徴的な部分があるとするならば……。

「あ、俺の頭にアホ毛がある、とか?」

「……気になってたんですが、それってアホ毛なんですか?」

 俺の頭には、アニメや漫画で表現されるようなアホ毛が立っている。

 天を向くように一束だけ、ピョコリと立ち上がって風に揺られている。

「センパイなりのファッションかもしれませんが、ダサいですよ、それ」

「違うし!? 別にこだわりがあってこれ作ってるんじゃねぇし!?」

「じゃあ寝癖をそのまま放置ですか。それはそれでいかがかと思います」

「俺だって朝に髪型を整えるぐらいの身だしなみ感覚はありますし!?」

「だったらなんだっていうんですか? ひとりでに髪が立ち上がったとでも?」

「キミは不思議なパワーを持ってる割に、そういうところは現実に囚われるんだな……」

 常識的に考えれば、髪が一束、勝手に立ち上がるなんて事は考えられないだろうし、寝癖だったとしたら最低でも髪を濡らしてタオルで押さえておけば、その内収まってくれるだろう。

 だが、俺のこのアホ毛はどうやら筋金入りらしく、どんなにシャワーを浴びても、整髪料を使っても、いっそ切ってしまおうと思っても、一向にくじけてくれないのだ。

 何をしてもこのアホ毛だけはへこたれてくれない。それに気付いたのは小学生ぐらいの時だった。

 そう、俺とアホ毛の付き合いはかなり長い。実を言うと、生まれてこの方、アホ毛と切り離された事はなかった。髪の生え揃っていない赤子の時からこのアホ毛は存在していたと言うのだから、産婦人科の先生も驚いていたそうな。

 因みにこのアホ毛が原因で、よくちょっかいを出される事があったが、その度その度、自慢の身体能力を活かして、相手をボコボコにしてやった。俺も若かったなぁ……。

 とまぁ、そんな事を掻い摘んで蓮野さんに話してみると、薄ら寒い視線を向けられ、

「信じられません」

 と一刀両断された。

「キミは本当に……自分以外の常識外の存在を否定するんだな」

「だって、そんなのありえないじゃないですか。アホ毛というファッションに必然性を持たせたいのか知りませんが、そういうキャラ付けはウケませんよ」

「好き好んでやってるわけじゃないって言ったよね!? 話聞いてた!?」

「まぁ、アホ毛の話はともかく」

 コホン、と小さく咳払いをした蓮野さんは気を取り直すように、俺に向き直った。

「センパイが何者であるのか、この際不問にしましょう。昨日センパイが巨人のパンチを無効化できたのだとしても、そんな奇跡的な偶然が二度三度と起こる確証はありません。なので、これ以上私には近付かないで下さい」

 彼女の要求は一辺倒だった。

 自分には近付くな、それは俺が危ないからだ、と。

 だが、彼女の論法には欠点がある。

「俺が危ないから蓮野さんには近付かない、ってのはわかった」

「では、すぐに……」

「でも、それはキミがムリとやらと戦ってる時だけだよな?」

「……は?」

 キョトンとした瞳には、俺の企み顔が映っていた。

「即ち、キミがムリと戦っていない間は、俺に危険が及ぶ理由もないし、俺がキミに近づいちゃいけない理由もない、って話だよね」

「そ、それは違います!」

「いやいや、ならば落とし所として、こうしようではないか」

 蓮野さんの反論を完全に封じ込めて、俺は宵の口にこう宣言する。

「キミが戦っていないうちは、ご友人として接しても良いって事にしよう」

「な、何を勝手に決めてるんですかぁ!!」

 よし決定、と頷く俺に、蓮野さんはなにやらギャーギャー喚いていたが、俺は全く聞く耳を持たず、その決定は覆さなかった。

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