真理の館
「ようこそ真理の館へ――」
俺は踏み入れてしまった。
とんでもない所に。
俺は大企業、SS商事に勤める30歳の加藤亮。
仕事はそこそこ出来る方だと俺自身は思っている。
しかし――
「加藤! お前はいつになったら仕事がまともに出来るんだ!」
これが俺の会社でのいつもの出来事。
この部長の粕谷信二いつも何かあるごとに俺に言いつけてくる。
俺は何も間違った事をしたわけではない。
今回だって先輩が経理の処理を不正にやろうとしていたから俺が止めて部長に言っただけなのにそれを部長は俺を怒って、そんな暇があるなら仕事をしろと言われた。
それはさすがに不満だったので部長に上に言いつけると言ったのがのが運の尽き。
解雇だそうだ。
何がいけないんだ。
間違った事をしたのは俺じゃなくて先輩の方なのに、何で俺が解雇にならなくちゃいけないんだ。
思い出すだけでも腹が立つ。
こんな時は散歩だ。
俺が住んでいるここは東京都府中市に建てられたマンションの一室に住んでいる。
大企業なので給料は良かった。
貯金も数千万あるからしばらくは困らない。
ジャージ姿でマンションを出てマンションを見上げるとかなり高い。
ため息をつきマンションに背を向けて歩き始めた。
ここら辺は散歩と言っても近所には公園くらいしかない。
まぁ、川は近くにあるが俺の散歩コースではない。
いつも通る道を歩いた。
住宅街を真っ直ぐ進み突き当りを右に曲がり、直進。
そして三つ目の信号を右に曲がって二つ目の信号を左に曲がると東京なのに田舎のような感覚になる公園に着いた。
自動販売機で飲み物を買い、公園内のベンチに座った。
公園の木々は秋になると紅葉が綺麗だ。
今が見頃だ。
しばらく休憩していると急にやるせない気持ちになった。
大企業で俺は頑張ってきた。
それなりに地位も築いてきた。
間違った事はしていないのに――
何で俺がこんな目に……
立ち上がってストレッチをして帰りに向かった。
空はもう暗くなっている。
星々は俺の気持ちに反して綺麗に輝いている。
「ただいま――って誰も居ないけどな――」
俺は帰って直ぐに風呂に入った。
浴槽に浸かりながら再び考えた。
どう考えても俺は悪くない。
部長もグルだったって事か?
だとしても俺にはもうどうする事も出来ない。
新しい仕事探さないとな――
風呂から出ると夕飯を作った。
こうして毎日寂しく一人でご飯を食べている。
俺には妻の仁美が居たが去年癌で亡くした。
仁美には死ぬまで浮気を疑っていた。
仁美は夜になると出かけていたのだ。
前までは料理なんてダメだったけど仁美を亡くしてから料理を覚えた。
俺の両親は俺が小さい頃に事故で亡くした。
だからなのか仁美の両親は俺を息子のように扱ってくれる。
しかし最近会っていない。
「俺どうなるんだろう――」
独り言を呟いた。
最近独り言が多くなっちゃったかな――
独りはいけないな――
夕飯を食べ終わり食器を洗ってソファーに座ってテレビを見た。
どれもつまらない。
消して布団に寝転がりスマホをいじった。
寝てしまっていた。
「まだこんな時間か――」
まだ朝の6時だった。
会社に行っていた時の起床時間だ。
まぁ、体に染み付いちゃってるものはしょうがないか――
俺は再び眠りに落ちた。
ここは?
何だこのボロい屋敷は――
夢? だよな――
赤い瓦の屋根で白い壁の家だが所々塗装は剥げていて瓦も落ちている。
何なんだよここは。
俺は夢の中だが目を瞑った。
「やっぱり夢か――」
目が覚めると俺の家だった。
何だったんだ今の屋敷は。
いわゆる幽霊屋敷って奴か?
んな訳ないか――
一日家に居たが夢の屋敷の事が頭から離れなかった。
何かモヤモヤするな――
家のポストを見ると手紙が何通か入っていた。
仁美の両親からだな――
次は迷惑な勧誘。
次は――
会社から?
それを開くと『損害賠償請求』と書かれていた。
「何だよこれ――」
内容を見ると俺が不正経理を行った事によって生じた損害を賠償しろ。
そういう内容だった。
ふざけんなよ。
俺は不正経理なんかしてねぇよ。
そういう事か。
不正経理を見つけた俺を解雇してその解雇理由を不正経理って事にして俺を悪者にしようって事かよ――
ふざけんな。
俺はその手紙を破って捨てた。
それでもイライラは収まらずにゴミ箱を蹴飛ばした。
部屋を歩き回り、何とかこのイライラを収めようとするが一切収まらない。
俺はジャージに着替えて散歩に行く事にした。
いつもの道を進む。
本当にふざけてやがる。
何で俺が!
散歩なのだが早歩きとなってしまい直ぐに公園に着いてしまった。
自動販売機で飲み物を買い、ベンチに座った。
怒りで手が震えて飲み物が少しこぼれる。
しかしそんな事どうでも良い。
飲み物を一気飲みして立ち上がった。
すると公園の奥に見慣れない家があった。
昨日までなかったよな?
気になって家の方へ行くと赤の瓦で白い塗装がされている家だ。
塗装も剥げていて瓦も落ちている。
これは夢の――
でも夢だろ?
ってか昨日はこんなの無かったぞ?
行っては行けない気がしたが俺は入ってしまった。
地面は土で出来ている。
所々雑草が生えている。
玄関のドアに手を伸ばした。
ドアノブに手をつけるがそこで止まった。
これ以上行ってはいけない気がする。
しかし好奇心を抑えきれずに開けてしまった。
鍵が掛かっていたら入ることは無かっただろう。
俺は不気味な屋敷に足を踏み入れてしまった。
暗い。
しかし蝋燭で明かりが点いている。
誰か居るのか?
部屋は見当たらない。
暗い廊下が前に広がっている。
廊下を進んでいくと黒い木のドアがあった。
ドアノブを回して中に入った。
そこは廊下より明るかったがやはり暗い。
「ようこそ真理の館へ――」
突然目の前に一人の老人が現れた。
ビックリして尻餅をついてしまったが直ぐに立ち上がって
「ここは何なんですか?」
恐る恐る聞くと老人は
「何かも知らないのに勝手に上がりこんで名前も名乗らずに私の名前を聞くのかい?」
老人はゆっくりそう言った。
確かに無礼だったかな――
「すみません。私は加藤亮と言います。改めてお伺いしますがあなたは? ここは?」
老人は奥の部屋を指差して着いてこいという風に合図をした。
高齢に見えるが軽々歩いている。
しかし不気味だ――
部屋に入ると老人はソファーを指差して座れとジェスチャーした。
戸惑いながらもソファーに座った。
怖い気持ちがあるが、何故ここに突然家があり、こんな不気味な状態なのか。
そんな好奇心の方が強い。
老人を見るとコップに何かを入れている。
恐らくお茶か何かと思うがこの部屋も暗くて分からない。
老人は俺の向かいに座り、俺にお茶を出してくれた。
「ありがとうございます」
頭を少し下げてお茶を受け取った。
老人はしばらく俺を見て口を開いた。
「私の名前は真理。ここは私の屋敷で真理の館。さっきも言ったわね? ようこそ」
不気味な程静かな部屋に真理の言葉が響いた。
真理――
真理って本当の名前か?
この老人は女だよな?
それに真理の館って――
しかも自分の屋敷って言った。
前からあったのか?
いや、こんな屋敷見たこと無い。
俺が黙って、俯いて考えていると
「不思議かい? この屋敷は昨日はなかったはずだってかい? そんな事はない。この屋敷は860年前からここにある」
真理はそう言ってニヤっと笑った。
やはり不気味だ――
俺は鳥肌が立つのを感じた。
「し、しかし昨日まで確かに無かったはずです。絶対に」
俺は真剣な顔でそう言うと真理は笑って
「まぁ、信じないのは勝手だがあったんだよ。お前さんには見えなかっただけだ」
真理は意味深な事を言って立ち上がった。
本棚の方へ歩いていくと一冊の本を出して俺に渡した。
「254ページを御覧なさい」
言われたページを見るとこの屋敷の写真が本に載っていた。
写真に写っている屋敷はかなり綺麗で今とは大分違うが確かにこの屋敷のようだ。
それに背景の木々は確かに今もある。
つまり本当にここはあったって事か?
でも、真理は俺には見えなかったってどういう事だ?
俺が写真を見ていると隣のページの字が目に入った。
『この屋敷は代々真理によって継承されてきた。しかしこの屋敷に眠る真理を求めて人々が押し寄せた。よってこの場を常人には見えないよう、100年前に特殊な結界を張った。見えなくなった者は真理を求めすぎて廃人になり、見えるものは真理を受け入れられずに廃人となった。そして見えた者は未だ出てきていない』
どういう事だ?
結界が張られていた?
真理を求めてって――
それに見えなくなった者、見える者両方廃人って――
じゃあ俺は廃人になるって事かよ――
完全には信じていないが確かに見えなかったものが現在見えている。
俺がうなだれていると
「その心配は無い。お前さんは見えた者だからのう」
真理はそう言って笑った。
そうだ――
俺は「見える」じゃなくて「見えた」んだ。
未だ出てきてないって書いてあったけど俺が初めてって事か?
でも俺はどうなるか分からないよな?
どうなるんだ?
急に心配になってきた。
恐る恐る真理を見ると俺を見ていた。
慌てて顔を逸らして俯いた。
書かれている事によればここにいる老人は代々この屋敷を受け継いでいる『真理』って事だよな――
この本には大事な事が書かれていない。
どうやって廃人になるのか。
真理とは何か。
この屋敷を受け継いでいる『真理』とは何なのか。
再び老人を見て口を開きかけた時
「お前さんは廃人にならんかもしれん。なるかもしれん。どちらかは分からん。お前さんしだいだ。但し、真理は真実しか見せん」
老人は俺の向かいに座って言った。
真実――
俺が知りたい事は山ほどあるがそれを見せるって事なのか?
でもそんな事って――
「まだ疑っているようだね――疑うのは勝手だが真理は本当に真実しか見せない。しかし、お前さんが見ている途中で辞めろと強く願えば真理の真実を止めて現実に戻れる」
ちょっと待ってくれ――
何か勝手に俺が真理を見るっていう前提になってないか?
俺はそんな事一言も言っていない。
俺は立ち上がって部屋を出ようとするが、ドアが開かない。
俺は焦ってドアを蹴ったりするがビクともしない。
こんなオンボロなのに何でこんなに頑丈なんだ――
「無駄だよ。お前さんがここに入ってきたときから真理は準備していた。お前さんは一回真理を見ない限り出る事は出来ない」
真理はそう言って俺に座るように促した。
そんな事言われても――
見るしかないのか……
でも、見たとして何になる?
俺に何か得があるのか?
何故見なければならない?
俺の沈黙などお構い無しに
「もう始めてよいのか?」
真理が強く言うが表情は一切変わっていない。
もうどうにでもなってしまえ――
俺にはもう失うものはない。
「さっさと始めてくれ――」
すると真理は目を閉じて意味の分からない言葉を唱え始めた。
俺は目を閉じて静かにその言葉を聞いていた。
しばらくすると目を閉じていても分かるくらいに周りが光り始めた。
目を開けると幼い頃に住んでいた家だった。
何で?
戸惑っていると家の玄関から三人が出てきた。
俺の両親と幼い頃の俺だった。
庭に止めてある車に両親が乗り込んだ。
『亮。直ぐに帰ってくるから良い子でお婆ちゃんとお留守番しててね~。これからも良い子にするのよ?』
母が『俺』に言った。
『俺』は元気良く頷いて手を振っている。
そして車が発進した。
いつの間にか俺は車の中に乗っている。
『あの子もう直ぐ誕生日なのに……』
母が涙を流しながら言った。
何で泣いてるんだ?
何でこんな場面を見なければいけないんだ?
しばらく進んでいると赤信号で止まった。
今乗っている車は先頭で止まっている。
両親は話をせずに前を見ている。
信号が青になり車は発進した。
しばらく進むと港に着いた。
駐車場の目の前が直ぐ海の所に車を止めた。
港で何をするんだ?
買い物か?
『あなた。私はあなたを愛してます。あの子も分かってくれる時が来るはずよ……』
母は父に泣きながら言った。
『そうだな――。行こうか……』
そしてアクセルを全開で踏み込んだ。
車は海に落ちた。
俺は実体が無いので苦しくないが両親は苦しいはずだ。
なのにお互い手を握って動かない。
逃げようとしない。
両親は事故なんかじゃなかったんだ……
自殺だったのか。
俺は何を考えて良いのか分からなかった。
何で両親は自殺なんか――
俺を残して――
場面が変わった。
ここは俺の部屋?
今住んでいるマンションの部屋だ。
リビングに立っている。
するとトイレから『俺』が出てきた。
そして寝室から妻の仁美が出てきた。
仁美はお洒落をして、化粧もしている。
時計を見るともう夜の11時になろうとしていた。
『こんな時間にどこ行くんだ? 最近どこ行ってるんだよ』
『俺』が仁美に聞いた。
しかし仁美は首を振って
『友達の所よ! あなたには関係ないの』
仁美はそう言うと行ってきますと言って玄関を出た。
『俺』はゴミ箱を悔しそうに蹴った。
この時に浮気を疑ったんだ――
秋の紅葉が始まった頃に仁美は夜中に出かけるのが多くなった。
俺は仁美を追いかけてドアをすり抜けた。
浮気だとは思いたくない。
仁美はタクシーに乗って新宿までと言ってタクシーを走らせた。
仁美はずっと携帯をいじっている。
俺は仁美の隣に座っているがやはり仁美には見えていない。
今は居ない妻の隣に座っていると色々考える事がある。
しばらくしてタクシーが止まった。
仁美はタクシーを降りると誰かと待ち合わせているのか、時計を気にしながら周りをキョロキョロと見ている。
10分程して男が仁美の名前を呼びながら走ってきた。
『ごめんごめん! 遅くなっちゃった! ご主人は平気なの?』
『大丈夫よ!』
やり取りが終わると仁美が咳き込んだ。
すると男は仁美の背中をさすって肩に手を回してレストランに入っていった。
俺は着いていくことが出来なかった。
着いていきたくなかった。
仁美はやはり浮気をしていた。
1時間程して仁美と男が出てきた。
二人は歩き始めた。
どこへ行くんだろうか――
俺は後ろから着いていくとしばらくしてホテル街の前に出た。
もう辞めてくれ――
二人はホテル街の方へ歩き出そうとしていた。
辞めろ!
目を瞑って強く念じると場面が変わった。
ここは――会社か――
俺がいつも仕事をしていたフロアだ。
仕事をしている『俺』を見つけた。
近づくと『俺』は立ち上がって部屋を出た。
着いていくと『俺』は経理課に向かっていた。
経理課はその名の通り経理を担当する部署だ。
『俺』は経理課の人に声を掛けて書類を書いて書庫に入っていった。
そうだ――
この日に不正経理を見つけたんだ――
『俺』は書庫にあるファイルを一つ取って『俺』が持っている書類と照らし合わせていた。
しばらくして
『おい――これって不正じゃねぇかよ――』
見つけてしまった。
ここから俺の転落が始まった。
『俺』は経理課を出て直ぐに直属の上司の粕谷信二部長に不正経理の事を話しに言った。
部長はしばらく資料を見て
『分かった。俺に任せておけ。お前は通常業務に戻ってくれ』
部長はそう言って部屋を出た。
場面が変わった。
同じ部屋だった。
『加藤。先日の事は忘れるんだ』
部長が『俺』に言った。
しかし『俺』は食い下がっている。
『何でですか!? あれを見逃すなんて! 大きな損失が出ますよ?』
『俺』が言うが部長は首を振って聞こうとしない。
ずっと『俺』が文句を言っていると部長が
『いい加減にしろ! お前は仕事も出来ないのに他人の事を構ってられるのか! お前はいつになったらまともに仕事が出来るんだ!』
部長は顔を真っ赤にして唾を飛ばしながら言った。
この後俺は解雇を言い渡された。
部長は俺に任せろと言っていたのに俺が解雇だもんな――
そして目の前が明るく光った。
「おかえり――」
俺はソファーに座っていた。
もうどうでもよくなっていた。
真理とやらを見たからと言ってどうにかなるわけではない。
それどころか嫌な気分になった。
両親が自殺だった。
妻は浮気をしていた。
自分に任せろと言った部長が裏切った。
「何が真理だ? こんな事をして何になるんだ?」
俺は声を振り絞って真理に聞いた。
真理は俺を真っ直ぐ見て口を開いた。
「お前さんは廃人にならないようだね――良かった良かった」
「良くねぇよ!」
俺は机をバンと叩き、立ち上がった。
しかし真理は動ずることなく
「お前さんは全てを見ていない」
もうこんな奴の事聞いてられない。
「ふざけんな」
俺はそう言ってこの屋敷を出た。
今度は簡単に出られた。
俺は走ってマンションに帰った。
こんな事早く忘れたい。
見たこと、聞いた事、全てを。
夜になっても俺は布団から出ずにずっと寝転がっていた。
忘れたいと思っていても簡単に忘れられない。
まず何で両親は自殺なんて――
仁美は浮気――
部長は裏切り――
俺って最悪な人生だな……
廃人にはならなくても再起不能になりそうだな――
そのまま俺は眠りに落ちた。
目が覚めた――
何故か涙が出ている。
時計を見ると10時になっていた。
しかし俺は起き上がる気力もない。
どうでもいい。
しかし尿意を催してなくなくトイレに向かった。
戻ってくると布団ではなく、ソファーに座った。
テレビでニュースがやっているが全く頭に入ってこない。
目はテレビを見ているのに頭が受け付けていない。
お昼になり、さすがにお腹が空いたのでカップラーメンを作った。
3分丁度で蓋を開け、食べた。
食べ終わるとテレビを消して布団に寝転がった。
何もやる気が起きない。
仕事も見つけなければいけないがそんな気も起きない。
そんな状況が一週間続いたある日の昼頃――
ピーンポーン
インターホンが鳴った。
俺は居留守を使うつもりで黙ってその場を動かないようにしていたら
「亮さん! 居るんでしょ?」
この声は仁美のお母さんの橘美佐江だ。
仁美の浮気を見た後に親に会うことなんて出来ないよ――
しかし美佐江はドアをドンドンと叩き俺の名前を呼んでいる。
仕方ない。
「今行きます!」
そう言って俺は立ち上がり玄関に向かった。
「すみません。トイレに居たもので」
そう言ってドアを開けると仁美のお父さんの孝之も居た。
俺がびっくりしていると
「ごめんねいきなり押しかけちゃって。会社に電話したら辞めたと聞いて、しかも最近家に来てくれないから――」
孝之はそう言って頭を掻いた。
あんなの見た後で行けるかよ――
「入ってください」
そう言って玄関を大きく開け、中に入れた。
二人に珈琲を出すと
「元気にしてる? ご飯食べれてる?」
美佐江が俺の暗い顔を見て気遣っているのかどうか分からないがそう言った。
「大丈夫ですよ。ちゃんと食べてます。最近は仕事探しで忙しくてご挨拶に行けなかったんです。すみません」
そう言って頭を下げると美佐江は首を振って
「そんな! 謝らないで。仁美が死んでから亮さんが家に遊びに来てくれないから少し心配だっただけよ」
そう言って珈琲を啜った。
早く出て行って欲しい。
俺は話をする気分じゃない。
「どうかしたのか? 顔真っ青だぞ?」
孝之が俺の顔を覗き込み心配そうな顔で言った。
「大丈夫です。最近仕事探しで忙しいので」
俺はそう言って無理やり笑顔を作った。
すると孝之が
「そうだ。今日はうちに来なさい! うちでゆっくり休んでまた頑張りなさい」
孝之が頷きながら言った。
俺はそんな気分じゃない。
浮気していた女の実家なんて――
しかしそんな気持ちはお構い無しに美佐江が
「そうね! そうしましょう!」
手を叩きながら嬉しそうに言った。
「いえ、甘えるわけにはいかないので」
しかしその後も押し問答が続き、結局俺は橘家に二泊する事になった。
俺は荷物をまとめて準備をして
「準備出来ました」
そう言うと二人は笑顔で
「じゃあ行こうか!」
孝之が運転する車で俺は30分程揺られて橘家に着いた。
「今日は仁美の従兄弟の一人も来てるからさ」
美佐江はそう言って俺の荷物を出してくれた。
仁美がこの家に居た時に使っていた部屋で泊まる事になった。
部屋を見回すと仁美の趣味丸出しの部屋だった。
熊のぬいぐるみ、猫のぬいぐるみ、男性アイドルのポスター。
この部屋は本当に仁美が使ってたんだな――
浮気前まで仁美にぬいぐるみをよくねだられてたな――
好きなアイドルのコンサートにも行きたいって言って無理やり俺も連れていかれたり――
俺は仁美を愛してた。
それなのに浮気をしていた。
ベッドに腰かけ、うなだれていると
「亮さん! ご飯できましたよ~」
美佐江の声が聞こえた。
返事をして向かうと美佐江、孝之の他に一人男が居た。
俺と仁美の結婚式にも来てくれた仁美の従兄弟の三男で橘勇だ。
「勇君久しぶりだね」
俺が言うと勇も
「お久しぶりです! 元気にしてますか?」
笑って言った。
俺は適当に返事をして椅子に座り、ご飯を食べ始めた。
「はい。飲んでね」
美佐江がコップを出してその中にビールを入れてくれた。
「ありがとうございます」
そう言って乾杯とポーズしてビールを飲んだ。
ご飯を食べ終わっても俺と勇で居間でビールを飲んでいた。
美佐江からは一杯あるからどんどん飲んでくれと言われた。
「亮さんって今おいくつでしたっけ?」
勇がビールを飲みながら聞いてきた。
「30になったよ――。勇君は?」
少し酒が回ってきた。
「俺は26です!」
若いな――
そう思いながら飲んでいると
「仁美って浮気してたんだよな――」
俺が突然口走ってしまった。
ヤバイ――
恐る恐る勇の顔を見ると
キョトンとしていたが
「マジっすか? あの仁美ちゃんが――」
勇も信じられないようだ。
俺だって最初は信じたくなかった。
けど俺は見てしまった。
「相手は知ってる人なんですか?」
「いや、見た事ない人だったな」
俺が俯きながら言うと
「そうっすか――。でも仁美ちゃんが浮気なんて信じられないな――。本当に浮気なんですか?」
勇は眉をひそめて俺を覗き込んで聞いてきた。
だから俺は見たんだって――
ちょっと待てよ――
確かに食事してる所は見た。
ホテル街に入りかけてるところまで見た。
でも、浮気している所は見ていない。
あの男が浮気開いてかも分からないし――
「亮さん?」
「あぁ、ごめん。確かに本当に浮気かどうか分からない」
俺がゆっくり言うと勇は手を叩き
「やっぱり! 仁美ちゃんが浮気するとは思えないんですよ」
何でこんなに自信満々なんだ?
「でも夜中に友達の所いくって出かけてたんだぞ?」
「本当に友達かもしれませんよ?」
確かにそれもあるか――
この後も浮気かどうかというやり取りがあったが今日は解散して寝る事にした。
俺――調べてみようかな――
そういえば真理はまだ全てを見ていないって言っていた――
「そんなぁ! もう一日位居ればいいのに!」
次の日の朝俺は三人に用事を思い出したから帰ると言って荷物をまとめた。
「本当に勝手な事言ってすみません! 本当に大事な用事なんです!」
そう言うと分かったと言って孝之がマンションまで送ってくれた。
「亮君。いつでも遊びに来て良いんだからね!」
孝之はそう言って帰った。
自分の部屋に行き、荷物を降ろして着替えた。
もう一度真理の館に行って全てを見てやる。
例えどんな真実でも。
仁美を疑ったまま終わりたくない。
着替え終わり、マンションを出た。
住宅街を真っ直ぐ進み突き当りを右に曲がり、直進。
そして三つ目の信号を右に曲がって二つ目の信号を左に曲がり公園に着いた。
今日は走ったので直ぐに着いた。
館のある方を見ると――
何もない。
館があった場所へ行くがそこには何もない。
何でだ?
夢だったのか?
でも確かにあったはずだ――
何でこんな時にないんだよ――
俺はやる気が一気に失われて公園のベンチにへたり込んだ。
もう術はないのか――
俺の気持ちに反して紅葉が綺麗に色づいている。
マンションに帰り、風呂に入った。
浴槽に浸かりながら考えた。
どうすれば真実を知ることが出来るのか――
俺自身が調べるしかないのか――
でもどうやって?
男の顔は頭に入っている。
俺は絵がそこそこ書けるから心配ないが――
取り合えず風呂を出た。
布団に寝転がりどうやって調べるかを再び考えた。
仁美が男と一緒に居たレストランで聞き込みでもするか――
まだ昼間なのでマンションを出た。
タクシーを呼んで仁美が降りた新宿のレストラン街に行く。
ここだ――
真理で見た所と全く同じレストランがあった。
ここで何か聞き出せれば――
中に入り、レジにいる店員に男の似顔絵を見せて知っているかと聞いた。
しかし知らなかった。
他の従業員にも聞いたが皆知らなかった。
まぁ、そんなに上手くいくはずがないか――
席に座り、注文をした。
しかし他に手掛かりがない――
あるとしたらホテル街に行こうとしてたって事くらいだ――
注文した食事が運ばれてきた。
それを食べて直ぐに会計を済ませて店を出た。
確かこの店を出て左に真っ直ぐ進んで――
ここだ。
この先がホテル街だ。
俺は店を何軒も回って聞きまわったが一切手掛かりはなかった。
それどころか不審者扱いまでされてしまった。
マンションに帰り、風呂に入った。
浴槽の中でドンづまりの状況がもどかしく感じ、俺の気分も落ちてしまった。
たった一日なのにもう詰まってしまった。
その後も俺は仁美が立ち寄りそうな所を回ってみたが全く収穫はなかった。
どうすれば良い――
仁美は本当に浮気をしていたのか?
どうせしていると思う。
しかし相手を突き止めたい。
こうなったら勇に聞いてみるか――
俺は勇に電話をしたら勇がマンションに来る事になった。
「お久しぶりです! っていうかたった一週間ですけどね」
1時間程して勇が来た。
「ごめんね。呼び出したりして」
そう言って中に入れて珈琲を出した。
勇はキョロキョロと辺りを見回している。
「それで話ってなんですか?」
勇が珈琲を飲みながら聞いてきた。
俺も椅子に座り、男の似顔絵をだした。
「この人知らないか?」
まぁ、知るはずないがダメもとで聞いてみる。
勇は目を丸くして口を大きく開けた。
「これどこで? 何でですか?」
何か知ってるのか?
「知ってるの?」
俺が聞くと勇は何度も頷いて
「俺の兄貴ですよ! 何で探しているんですか?」
マジかよ――
仁美の浮気相手は従兄弟かよ――でも
「でも結婚式に来てくれた人はこんな顔じゃなかったろ?」
結婚式には色々な人が来てくれたがこんな顔の人は見ていない。
「亮さんの結婚式の時は俺と次男の卓也だけ行ったんです。長男の太郎は海外に行っていて結婚式に参加できなかったんです」
そうなのか――
勇は何でそんな事を聞くのか? という顔をしている。
でも浮気相手が従兄弟だったなんて――
信じられない。
「あのさ、太郎さんに会えない?」
俺は直接会って聞き出したい。
人の嫁に手を出して葬儀にも参加せずに――
「良いですけど何話すんですか?」
勇はキョトンとした顔で聞いた。
「いや、少し話してみたいなって思ってさ」
俺が誤魔化すと勇はそうだ! と言って手を一回叩いた。
「そういえば兄貴も亮さんに会いたいって言ってましたよ!」
何で俺に?
浮気の謝罪か?
まぁ良い。
「そうなんだ――。いつ会えるか聞いておいてくれる?」
俺がそう言うと分かったと言ってその後しばらく雑談して勇は帰った。
太郎か――
絶対に聞き出してやる。
太郎が浮気相手であることは間違いない。
しかも仁美の従兄弟だ。
ふざけやがって。
ソファーに座っていると棚の上にある写真が目に入った。
俺と仁美が新婚旅行の時に撮った写真だ。
何で仁美は浮気なんてしたんだ――
二日後に勇からメールが入った。
「明日の昼間に兄貴が亮さんの家に向かうそうです。よろしくお願いします」
明日か。
俺は自我を保っていられるかな――
でもちゃんと聞いてやる。
二日後――
昼間の1時頃にインターホンが鳴った。
深呼吸を一回して玄関に向かう。
「橘です!」
外から声がした。
「今行きます」
そう一言言って玄関の鍵を開けてチェーンを外し、ドアを開けた。
一人で来ていた。
間違いなく真理で見た男だ。
謝罪に一人で来るとは良い度胸だ。
「どうぞ」
俺は中に招き入れ、リビングのソファーに座らせた。
一応珈琲を淹れて太郎に出した。
「ありがとうございます」
確か太郎は俺より一歳年下だったはずだ。
俺は珈琲を飲む太郎をじっくり観察した。
確かに女にはモテるだろう。
顔立ちが整っているし鼻も高い。
だからと言って浮気をして良い理由にはならない。
「仁美と夜中に何をしていたんですか?」
俺は思いきって直球勝負で聞いてみた。
もっと遠まわしに聞くべきかもしれないが俺にはそんな器用なこと出来ない。
太郎は少し驚いていたが持っていた珈琲カップを置いて咳払いをした。
「何故知っているのかは聞きません。でも決して怪しい仲ではありません。浮気を疑っていらしゃるようですがそんな事はありません」
こいつここまで来て何言ってやがるんだ。
しかし太郎は真顔で言っている。
「そんな嘘通用すると思ってるんですか? 浮気でもないのに毎晩夜中にあなたの所に行くのは何故です? 浮気ではないなら何で仁美はあなたに会っているということを教えてくれなかったんですか?」
浮気でないなら教えて良いはずだ。
しかし太郎は黙り込んでしまった。
やっぱり――
しかし太郎は口を開いた。
「僕は仁美ちゃんにある相談をされました。私は末期の癌だって。亮さんにはこれから迷惑をかける。だから今のうちに亮さんに感謝の思いを残しておきたい。どうすれば良いかって」
そんな嘘――
だったら何か一言言ってくれれば良いだろ――
それに仁美は俺に感謝なんてした事なかった。
なのにそんな事ありえない――
俺が疑いの目で見ていると太郎は封筒の束を出した。
「これは仁美ちゃんが亮さんに宛てた手紙です。生きているうちは恥ずかしいから渡さないでくれと言われていました。僕が亮さんに渡してくれと言われていました。しかし家が分からなくて渡せませんでした――読んでください。仁美ちゃんのあなたへの感謝が記されているはずです。僕は読んでいません」
太郎はそう言って封筒の束を俺に渡した。
『亮さんへ――』
確かに仁美の字だ。
『私は末期の癌と診断されて余命も二ヶ月と言われました。亮さんは私の我が儘に何も言わずについてきてくれました。私は本当に感謝しています。』
一枚目の手紙はこう書かれていた。
二枚目を取り出した。
『亮さんへ――
私ね、本当に亮さんに感謝してる。私が風邪引いて寝込んだときも会社休んで傍に居てくれたね――。そのせいで亮さんにも移っちゃってね――ありがとう』
次々と俺は読んでいった。
そして最後の一枚になった。
『亮さんへ――
覚えてる? 新婚旅行に行ったときに亮さんが熊のぬいぐるみ買ってくれたよね? ハワイ限定のぬいぐるみ。嬉しかった。私はそれを、色んな亮さんの優しさ、愛、怒った顔、私が死んでも全部忘れない。だって私は亮さんの奥さんだから。その全ての感謝の気持ちでネックレス作ったの。そのネックレスは勇気、愛、優しさのお守りになってくれるはずだから。私と思って大事に使ってね。
一生の妻、仁美より』
俺は涙で何も見えなくなった。
仁美がこんな事を思ってくれていた。
仁美は俺を愛してくれていた。
そんな妻を俺は浮気と疑った。
封筒になにかが入っていた。
ネックレスだ。
俺はそのネックレスを抱きしめ、絶対に離すまいと誓い、首にかけた。
「太郎さん。すみませんでした」
俺は頭を下げて太郎に謝った。
しかし太郎はずっと首を振って
「いいんです。僕も悪かったです。早く手紙を渡していればこんな事にはならなかった。僕からもすみませんでした」
太郎もそう言って頭を下げた。
太郎はその後帰った。
俺はいつまでも手紙を読み続けていた。
夜が明けて俺はソファーに寝ていた。
いつの間にか寝てしまっていた。
仁美が勇気を、愛を、優しさをくれた。
俺は戦う。
俺はスーツに着替えて荷物を持った。
目指すは俺の勤めていた会社SS商事に向かう。
「失礼します」
俺の働いていたフロアに着いた。
何も変わっていない。
部長が座っていた。
「粕谷部長、お話があります」
最初俺とは気づかなかったようで驚いた顔をした。
「加藤君――どうして?」
部長は目を丸くして言った。
しかし続けて
「ちょうど良かった。君に話がある」
そう言って俺を会議室に連れて行った。
広々とした会議室に俺と部長しか居ない。
「何ですか話って」
俺が少しイライラしたような感じで言うと
「すまなかった。君を守れなかった。今では言い訳になってしまうが僕は最後まで君を守ろうと戦った。しかし取締役の一人が君に全てを擦り付けて刑事告訴すると言い始めた。だから君を守るために解雇せざるを得なかったんだ――すまない」
そんな事が――
部長は俺を裏切ってなかった?
「そして僕は今度取締役になることが決まった。不正の取締役は刑事告訴する事で決まってね――会社側は君に戻ってきてもらいたい。いや、君にはただの戯言のように聞こえるかもしれないが君は仕事が出来る。君は一切悪い事はしていない。戻ってきてくれないか? それ相応の地位は約束する」
部長は頭を下げ続けて言った。
この人は戦ってくれていたんだ――
俺の答えは勿論
「すみません。ありがたいですがお断りします。僕は新しい仕事を探します。部長には本当に感謝しています。ありがとうございます」
俺は深々と頭を下げてお礼を言った。
俺の心は今晴れている。
それは確かだ。
部長は笑顔で分かったと言い、俺と握手をした。
家に帰ると俺は清々しい気分になっていた。
俺は何と戦っていたんだろう――
何を迷っていたんだろう――
両親の自殺は考えてもしょうがない。
何も出来ない。
大切なのはこれからだ。
ふとあることを思い出した。
直ぐにマンションを出て公園に向かった。
真っ赤に色づく木々の先に古ぼけた赤い瓦のボロい壁の屋敷がたっていた………
ありがとうございました。