変態に学ぶ青春美学
例えばもし仮に俺の特技にカッコいい感じの特殊能力的な名前をつけるようなやつに巡り会えたとして、そのときはそいつに是非とも『気まぐれの予知行為』という名前を採用して欲しいね。なぜかは言うまでもなく、分かるだろう?小学生が無邪気にノートに書き綴り、それでいて本質を見抜いている名前だ。記憶の底に埋没させるのはいささかもったいない。
さて、目の前にあるのは数学のテストだが、せっかく解答選択方式のテストなのだからここらで適当に試してみるのもいいかもしれない。もちろん、俺の特技のことだ。
問題を読む必要はない。二、三、五、マイナス……できた。このテストの結果が出たとき、俺の特技の意味が半分ほどわかるはずだ。残り時間は睡眠にでも使うとしよう。
「はい、解答はそこまでです。筆記用具を置いてください」
……そうだった。ここまでは真面目に考えたのだから時間など余っていなかったのだったな。
俺の解答用紙が列の最後尾のやつによって前方へと持ち去られてから数分。我らが二年二組はたった今のテストの話題で溢れかえっている。最後の問題、すなわち俺が特技で解答した問題が難しかったと話題になっているらしい。
「なあ西松、お前はどうだった?」
俺の方にも話題が持ち込まれた。俺は半分も空白で出しちまったぜあははと笑うマヌケな大沢一樹くんに、くいっと眼鏡を指で押し上げて知的にたっぷり含んで言ってやろう。
「俺はまあまあかな」
「けっ、自信あんのかよ。せっかく仲間だと思ったのに、本当は相当な自信があるんだろ。言っておくがいくらお前が泉のように謙遜したところでもてはやされることなんてないぞ」
言われて目をやってみると、ああ、やってるやってる。我らが二年二組のカリスマ女子であるところの泉彩音様だ。もう名前からしてモテる女子まっしぐら、実際彼女を中心とした女子の群れが頻繁に確認されているが、我々男子としては高嶺の花すぎてというより身長高すぎて成績良すぎて人格できすぎで、このような凡人どもが立っていると頭が高い感じなので近寄りがたい、近寄れない存在だ。正直俺とて彼女には羨望こそすれお近づきになりたいなどとは微塵も思わない。俺の身長が彼女より若干低いことが露呈するだけである。
今も教室の端で群がる女子どもを相手に謙遜祭りが開催中だ。
「今回も彩音はできてるんでしょ?」
「いやいや、返ってこないとわからないから」
またまた。俺は産まれてこのかた彼女の名前と点数が最高位の最高点として以外に発表されているのを見たことがない。
「でも私、おっぱいだけは彩音に勝っているから!」
「ははは、勘弁してくれないかな」
勘弁して欲しいのはこっちの方だね。もう少し慎み深さを持ったらどうだ隣のクラスのなんとやら。あと個人的感想として、制服の上からでは分かりづらいが君はもう少し腹に気を使った方がいい。卒業して服装の自由度が増すときに後悔するのは恐らく君だろう。逆に言えばそれ以外はいい線を行っている、ご自慢のおっぱいも含めて。俺としては君の方が泉より好みかな。
するとなんとやらの発言に端を発したおっぱい談義が白熱し、群がる女子どもは文字通りの揉み合いを始めた。奴らは我々男子をじゃがいも程度にしか思っていないからそのようなことをするのだろうが、いいぞ。これからも毎日やってくれ。それが見られるのなら俺は刺身に添えられるタンポポでも構わん。
「……いいな、女子って」
先の発言から沈黙を保っていた大沢がボソッとつぶやく。俺は混ぜてもらうよりむしろ見ている方が好きなので、まあ混ぜてもらったことはないが男子のままでいい。ほら、徐々にヒートアップしてむしりあいになっているではないか、痛そうに。
一方泉はこのような争いに決して巻き込まれることはない。それは彼女のカリスマ性によるものというより彼女の胸がまっ平ら、広大なロシアの平原もビックリのフルフラット……は言い過ぎだがともかく彼女の胸が大変慎ましいからである。下着にあれこれ細工をして偽装をしない潔さは称賛に値するが、しかしあれではおっぱいとは言えない。あらゆることを謙遜する彼女が唯一謙遜しない、というよりできないステータスだ。
そんなわけでいつもの彼女ならその場で苦笑いしながら居るだけなのだが、おや、こっそり、しかしそそくさと立ち去っていくではないか。まるで巻き込まれることを恐れているかのように。
突然布の裂けるひときわ大きな音と悲鳴が響いた。我々男子としては目を背けざるを得ない。でなければ死ぬことになる。やることもないので大沢とともに人影の一つもないグラウンドを見下ろしてみる。舞い上がる砂ぼこりを眺めながら大沢はまた呟いた。
「あの争いはやはり泉にも恐怖だったのか……やっぱり俺は混ぜてもらわなくて正解かもしれない」
ああ、憐れだな大沢くん。それだから君は彼女の発している本当のサインを見逃してしまうのだ。今の騒動で確信に変わった。俺は一人の善良な男子生徒として、この事態を見過ごす訳にはいかない。
ところであの女子どもはなんとやらの制服についてどう弁明するつもりなのだろうか。俺の目がおかしくなければ彼女はその前ホックの下着まで損壊していたはずだがな。
放課後。日も暮れはじめ、他の部活より一足早めに終わる体育館使用の部活動に所属する生徒はほとんど着替えを済ませ、あるいは済ませずに帰ってしまった。かくいう俺だってバスケット部の部室に居る。人を待っているのだ。他の皆は帰ってしまったようだし、遅くてももうそろそろ現れるはず。
泉彩音。彼女は女子バスケット部で身長を存分に活かしエースとなっている。その小さな胸だって彼女の成功に寄与しているだろう。おっぱいなどあっても試合中に揺れまくり、専用の下着をつけないと選手および観客の集中力を奪ってしまうだけだと思われる。
ドアの開く音がした。この学校の部室棟の扉は古くて開閉のたびにぎーぎー鳴るから離れていても分かりやすくていい。部室へ入ったようだ。個人専用のロッカーを開ける音、さらにがさごそと服を脱ぐ音がする。そして遠くから野球部の人語ともわからない謎の鳴き声が聞こえてくるだけの、しばらくの静寂。
「……はあ。本当にどうしよう。このままだといずれ」
「どうやらお困りのようだな泉よ」
泉の使っている二つ隣、誰のとも分からないがロッカーを借りさせてもらっていた俺は最高のタイミングでその狭い空間から身体を解放した。青春の香りが肺へとなだれ込む。うむ、よきかなよきかな。泉を見ると、部活着の上だけを脱ぎ、両手を胸に添えたままの状態でこちらを見て固まっている。完璧だ、これで叫ぶタイミングは失っただろう。
「お困りのようだな泉よ」
「何で二回も言うのよ!じゃなくて、ここは女子バスケット部の部室よ、なんで西松がここに居るのよ、変態!クソヤロウ、死ね!」
「どうどう、落ち着いてくれ泉よ。俺は君の悩みを聞いてやろうと思ってわざわざここに居たんだ。あんまりぎゃあぎゃあ騒がないでもらえるか」
「何でよ、はやく出てってよ!ああもう訳がわからない!最低、最っ低!はやく死ね、警察よぶぞ!」
「胸だろ」
「は、はぁ?」
俺が言うと泉は一瞬たじろいだ。うん、やっぱりな。
「泉、お前最近胸が大きくなってきたと、おっぱいになりつつあると少し嬉しく思いつつもこれ以上大きくなったらどうしようなどと贅沢に思い悩んでいるだろう!」
「……え?はい、え?」
「いつもの聡明さはどうした泉!今日あの揉み合いの場から撤退したのも、何かの間違いで自分に飛び火してその事が周囲に露見するのが怖かったから。今日皆と一緒に体育館から引き上げてこなかったのも、着替えるときに皆に見られてしまうのを避けるため。違うか?」
「……気持ち悪い。何でそこまで知ってるのよ」
泉があからさまな嫌悪感を示している。よしよし、泉をうまく乗せられた。この明らかに異常なシチュエーションをとりあえず飲み込んだな、たたみかけるぞ。
「ほら、そのブラ。実はもう小さいなと思っているだろう。当たり前だ、中学生の時の第二次性徴初期に友人に合わせて買ったのを取り敢えず着けているだけだろうからな!」
「うわっ……」
引いている引いている。どんどん慣れるんだ。自分がいまどのような格好をして居るかを忘れろ。今ここに俺がいて、自分がいることを深く考えるな。
「言っておくが、小さいブラをつけたからといって成長が止まる訳じゃないぞ。保険の授業で習っただろう、女性の胸の成長はホルモンバランスによってコントロールされ、特別な処置でもしない限りそのペースをいじくることはできない。ただ不健康になっていくだけだ」
「な、なぜ分かるのよ」
「胸の下の方を見てみろ。痕がついているだろう。それは成長していく胸に対しブラが小さすぎる証拠だ」
「……本当だ」
泉は指を通して確認した。よし、完成だ。あとは慎重に悩みを聞き出してやるだけだ。
「なぜ胸が大きくなっていくことを拒む。健全な成長の証だろう。大きくなることを望んでいても恵まれないやつだっているはずだ」
泉はしばらく黙り、口をもごもごとさせたあと、軽く赤面しながら胸をおおうように腕を組みつつ斜め下を向きながら告白した。
「……いや。だって、恥ずかしいじゃない」
「何を恥ずかしがることがある!世の人は言うぞ『大きなおっぱいはそのはち切れそうな豊かさのなかに愛情を内包し、小さな胸はその止めどなく溢れる慈悲深さで愛情を分け与えているのだ』と」
世の人、とはいっても某ネット掲示板を住みかとするおっぱい星人どもなのだがな。
「意味わかんないことを言って茶化さないでよ。私は本当に悩んでいるの!」
「だから何に?何がそんなに恥ずかしい?」
泉の顔から早くも紅は引いていて、真剣に思い詰めた表情だ。身長は俺と同じはずなのに、俺より一回り小さく見える。胸は以前より大きく見える。まだおっぱいではないが。
「西松はいつから気づいていたの?」
「一ヶ月くらい前からうすうす感じてはいたが、確信したのは今日。数学のテストが終わった休憩時間だ」
「あなたのような変態でも今日にしか気づかないんだから、まだ他の人にはバレてないか……」
「だろうな。俺ほど注意深く観察している奴などそうはいまい」
「キモッ。……でもよかった。ほら、私ってなんでもできるクールなお姫様みたいな扱いをうけているじゃない?私嫌なのよ、本当は」
「自覚しているのか。いや、自覚してしまうのか。周囲の期待はおおよそ本人の心持ちに先立って発せられる」
「ええ、そんな感じ」
自分が人気で、期待されていることを自覚している。普通面と向かってこんなことを言われるとしゃくにさわりそうなものだが、こと今の泉に関しては違う。泉は疲れているのだ。
「でもその扱いから抜けるのも怖いんだろ、違うか?」
「……本当、よくわかるわね西松。このド変態。でもそう。キャラっていうの?私はこういう人だ……って皆が思っているイメージが壊れたとき、私はまだ皆の中にいられるのかなって。すごく不安なの。だから胸が大きくなってきたことにはじめて気づいたとき、眠れなかった。誰かが気づいて、その事をいじられて……もしキャラが壊れて、今の立ち位置ではなくなって、本当にどうしようもない立場に嵌まってしまったら」
皆が普通はおっぱい談義で盛り上がるようなところでも冷静沈着、胸が控えめでスレンダー。頭がよく、バスケット部でも活躍するとてもカッコいい同級生。後輩から見ればクールな先輩。男子から見れば高嶺の花……学校という社会環境で自然に決まるその手のキャラというやつは、本人に合わせて身に付くものでありながら本人をそのままにしようと縛り付ける。
「まるでサイズの合っていないブラだな」
「……なによそれ」
「その小さなブラに縛られている限り、泉、お前はいつまでもキャラに縛られたままだ。そのままでは不健康になっていくだけ。縛られた精神は縛られた胸のように形を崩し、身体の姿勢も心の姿勢も歪み、いずれ目も当てられない状況になるぞ」
「……」
「小さな胸が大人の慎み深さと相反する幼さを内包するように、大きなおっぱいだって優しさと、強さを持っている。それと同じだ。泉、お前という人はキャラとかいう謎の拘束具で縛られるほど単純なものか?他人がお前の一部しか見ないで決めたサイズなんか合うはずがない。他人に手伝ってもらうことがあったとしても、本当の自分に合うサイズは自分がしか分からない。結局最後に決めるのはお前自身だ、泉」
泉はまだ迷っているようだった。当たり前だ。自分が積み上げてきたものを一度崩して、決して元通りとはいかないものをもう一度皆に認めてもらえるように組み直す。さぞかし大変で、緊張することだろう。
「俺は別に泉のことを好きな訳じゃない」
しかしその一歩が、ホックに手をかけるその勇気がなければ、
「でもそれは今の泉だ。小さなブラに可能性を押し込めている、不健康な、不健全な泉だ!」
この優秀な可能性を持った夢の塊は押し込められて固まり、その輝きを失ってしまう!
「ここから先は俺の趣味、完全なわがままだが、俺は完璧な泉を見てみたい!俺が最初に目を奪われたその引き締まった太ももを、鍛えられて健康的な輪郭をもつ腹部や腰を、そしてそれに支えられた芸術品のようなバランスをもつ胸を、添えられるすらりとした腕を、狭苦しいキャラから解放されて青春に満ち足りた君の顔を見たい!そんな泉なら是非ともお近づきになりたい!例えキモいと言われようと殴られようと蹴られようと、俺じゃ手に入らない輝きをもつ女子に、友人とおっぱい談義で盛り上がり、揉み合いながらも心から笑っている、そんな泉に近寄りたい!」
しまった、つい興奮して捲し立ててしまった。泉は目を丸くしている。それはそうだ、俺がいつも妄想していることをほとんど喋ってしまった。だが、間違っていない。これでいい。泉よ、分かってくれ!俺はこれ以上おっぱいになりたがっていながらも狭苦しく拘束されている胸を見ていたくはない!
「……ぶっ、あはははははははははは! はははははははははははは!なんだそれ、キモい、キモすぎるっ!あははははははははは。やっぱりド変態じゃん西松あはははははっ、はぁ、はぁ。せっかくいいやつに見えてたのにさっ、はははははははははは!!」
泉は文字通り腹を抱え、膝まで笑わせている。屈んだ拍子にひょっとしたらと思って期待したが、ホックが弾けとんでしまう前に泉は背を向けてしまった。まあこれはこれでなかなかいい光景ではあるのだけど。
「はぁ、あーあ。なんだかなぁ。でも、うん。決めた!」
泉は丸めていた背を伸ばすと、後ろに手を伸ばしホックに手をかけた。慣れていないようでカチャカチャやっている。これは手伝いに行かなければ。と思ったところで、
ホックが外れた。泉はブラを勢いよく取り去った。
解放されたのだ。狭苦しい拘束具から。
後ろからしか見えないが、その姿はすでに輝きを放ち始めている。これだ、俺が見たかったのは。男子にはない、女子にしかない神秘的で、芸術的な輝きだ。
「西松」
ブラを取り去ってすぐ部活後の帰宅用のTシャツを着た泉はこちらを振り返ると、曇りのない、解放された快さのほとばしる眩しい笑顔でこう言った。
「ありがと」
「どういたしましてふぅっ!?」
そして俺がその笑顔を目に焼き付けるかどうかのところで、鋭い蹴りが鳩尾に突き刺さった。
「この変態、今日の事は覚えていやがれ。これからもちょくちょく蹴っ飛ばしてやる」
「……肝に銘じておきます」
「よろしい、プレゼントをやろう。じゃあね!」
泉は何かを俺に投げつけると、風のように部室から出ていった。いたたた、大変ヘビーな蹴りだった。まさか最後の最後で正気に戻るなんて……あの流れなら誤魔化せると思ったのに……まあ蹴られたとき、結構良いものが見られたからよかったんだけど。やっぱり芸術的だ。見えてしまったことがバレたら殺される気がするから胸の内にしまっておこう。
ところで、最後に投げつけられたのは何だったんだろう。右肩に引っ掛かっている布の感触。ほほう、なるほどね。プレゼントか、ならしかたがないな。
俺は男子バスケット部の部室の裏に隠しておいた自分の荷物を持ち、泉からのプレゼントをつけて学校を出た。
やはり、少しきついなこのブラ。
翌日、学校へ行くと机の中に紙切れが入っていた。泉からのもので、内容は昨日のプレゼントは取り消すから返せといったものであった。大方あのあと飛び出したはいいが我に返り、そのまま戻るのも格好がつかないから慌てて教室までもどり、これを置いたということだろう。ふと泉の席を見ると、俺から少し遅れて登校したらしい泉の席から鋭い眼光が俺へと差していた。抜かりはない。俺はジェスチャーで机のなかを指し示す。大丈夫、ちゃんと洗ってある。
その次の瞬間、俺は椅子ごと後方へ吹き飛ばされることとなった。
そして最初の授業で数学のテストが返ってきた。目先のことしか見えていない憐れな大沢くんは俺に五点勝ったと小躍りしている。そんな俺の点数はああ素晴らしきかな五十六点だ。最後の問題の全問ミスが痛かった。
「お前あんなに自信ありげだったのにな。なんか笑えるんだけどウエッヘヘヘ」
「俺は勘を当てるのは得意だがな、その勘が勉強には働かないんだから仕方ないだろ」
「じゃあなんにだったら働くんすかねぇエッヘヘ」
そうだなあ。嘘をつく理由もない。
「エロいことに出会えるときかな」
「なんだそれキモいな」
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