背景のお仕事
おとうさんはかまってちゃん。
「……」
「おーい、生きてるかー?」
「……死んではいないわね」
「あ、そう。……ほれ」
「おやつっ!……この時間に?」
「何だ?体重気にしても今さらだぞ」
「くぉ!?」
嫌なこと言わないでよ!
変な声出ちゃったじゃないの!
学園に入学して10数日。
私は今、授業で出された宿題に頭を抱えていた。
追いついて行けてない訳ではない。
ただ、その……自分の為の勉強を誰かの指示でやらされているこの状況に、どうしても戸惑うというか。
今まで自分で好きな時間に好きな勉強をする事が多かった分、毎日机にかじりつく時間が出来るというのは、どういう訳かストレスになっているみたいで。
あまりひどい訳ではないが、どうかすると手が止まってしまうのだ。
分かる問題ならばまだいいのだけど、これが新規に習った世界史だとか数学とかになるともうお手上げ。
まだ1年だから共通科目が多いのはわかるけど、薬学基礎とか基礎物理とか、なんでわざわざ召喚学科で習わなきゃいけないの!
ついでにお父さんが、こうして机でウンウン唸っている私の横で邪魔ばっかりするし!
「大変そうだな」
「他人事みたいに言わないで」
「だって他人事だろ?」
「お父さんが、セイラさんとクルエラ嬢にひっ付きまとわれてグッタリしますように」
「やめて!何その呪い!」
「あ、でも過剰なストレスで首くくるようなのは嫌かなあ」
「そんな事言う娘さんが嫌だ!」
顔を覆って泣きまねするお父さん。
フンッ、自業自得よ!
実際ここ数日、見かけるたびに付きまとわれて辟易しているとの情報もあるのだ(主に本人からの情報提供による)
私自身で見た訳じゃないから何とも言えないけど、見ようによっては彼女たちがシナリオ通りにゲーム攻略を始めたようにも見える。……“たち”っていうのがミソだけど。
「……」
「どうした?分かんない事あったら教えるぞ?」
考え込む私の手元を覗き込んでくるお父さん。
分からないんじゃなくて、別の事で悩んでたのよ。
それにだいたい。
「……どっちかっていうとこれ、お父さんじゃなくてジェイソンさんの方がよく知っている案件だと思う」
今やっているのは生物学の基礎。
生物系を召喚するには必須の分野だし、基礎物理や数学なんかよりはよっぽど馴染みがあるけれど、それでも知らない部分はどうしたって出てくる。
ジェイソンさんは塔の研究員の中でも古株で生物の肉体構造に詳しく、大抵いつも自分の実験室で何かを解剖している事が多い。
ジンの構造を考えるのに、よく教えを請いに行っていたっけ。
夢や無意識の欲求、深層心理に詳しいフレディさんと一緒に、何が楽しいのか奇声を上げながら物を壊しているのをよく見かけるわ。
「ふー」
「どうした」
「ん。気分転換に図書館行ってくる」
「お?図書室じゃなくて?」
「適度に人がいて静かなところがいい。あと図書室の本は専門的すぎ」
塔の図書室は広さの割に充実していると思うけど、いかんせん入門書に当たるものが無いのよね。
そうなると、一度塔を出て学園に併設されている図書館まで足を運ばないとダメなのだ。
「そうか。なら、こいつもついでに返しておいてくれ」
「……」
いつもちゃんと勉強しろって言うクセに、いざ勉強真面目にしたら何かと絡んでくるし。
人の勉強さんざん邪魔しておいて、その発言は無いんじゃない?お父さん。
「あ、外に出るなら」
「分かってる!」
灰色ローブでしょ?
あーでもこれ、夏場も着なきゃいけないのかしら。
それはちょっと、いやかも。
どうしよう……?
こつり、こつり、ぱら、ぱら、カリカリ……。
誰かの歩く足音と本のページをめくる音、それとかすかな筆記用具が立てる音だけの静かな空間。
背後に人がいないだけで、こんなに静かな気持ちになれるなんて。
幸いにも生物の宿題を早々に終える事が出来た私は、ついでに明日の授業に何か役立ちそうな資料は無いかと、足もとまで広がるローブのすそをひらひらさせながら本棚の間をさまよう。
文学系資料のコーナーで娯楽小説を手に取ってしまうのはお約束……っと。
あ。
それはまるで、ゲームに出てくるスチルのように、静謐で美しい光景。
辺りに闇が満ちる直前、夕刻の時間帯。
魔法ランプに照らされた本棚の前で、立ったまま資料をめくる緑髪の少年。
――――――乙女ゲーム『school of Magic forest~きらめく愛の魔法~』にて、年下風(実際には同年代)の攻略対象役だった『植物』の『緑』グーリンディ君が、そこにはいた。
「……っあ」
そばにいた自分に気づいたみたい。
ぺこり、とお辞儀をしたけど、グーリンディ君はビクッてした。……何故。
あ、それともやっぱり、この灰色のローブがいけないのかしら。
灰の塔研究員の証明でもあるこのローブは、私の顔も体もすっぽり覆ってしまうほど大きい。
だからこそ、父が「外に出るなら着ていけ」と言ったのだけど。
学園の上位機関である『灰の塔』所属の研究員に、用もなくおいそれと声をかける輩は少ない。
それは『灰の塔』が一流の研究機関である事もさることながら、周囲からどこか胡散臭い研究をしている、と思われているせいもあるから。
おかげで身の安全は保障されているものの、こうして学生……特に情報が少なく判断のつかない新入生には―――上級生辺りから面白半分に変な情報を与えられたりするせいか、むやみやたらに怯えられる事も多々あったりするのよね。
噂の全てが嘘だとは言わないし実際行きすぎた研究のような気がする人たちもいるけれど、私にとっては家族も同然の人たちなのだし、あまり怖がらないであげて欲しいというのが正直なところ。
ビッグ5の中でも頭脳派なグーリンディ君なら、きっとこれからも図書館に通うんだろうし、そうすれば自然と慣れてくるとは思うんだけどね。
だってほらここって、私も含め灰の塔の研究員たちもなんだかんだ良く利用しているから。
棚の間から見える閲覧コーナーでは、今も数人の研究員たちが机に本を詰みながら読み耽ってるのがわかる。
もしかして、さっきからこの子がここにいるのって、あの人たちが椅子を占拠しているから?
あそこだけ見ると、まるで灰の塔の研究員専用みたいになっているものね。
でもそれならそれで、よその席を利用すればいいだけの話なんだけど……。
戻らずにずっとここで、立ちっぱのまま本を読むつもりかしら?
「あ……あの、その……っ」
端正な横顔が、今は見るも無残に歪んでしまっている。
そんな何も、殺人魔物に出会っちゃったみたいに怯えなくとも。
いったい彼、誰に何を吹き込まれたのかしら?
「……邪魔するつもりは無かったの。もう行くけど、いいかしら?」
「っは、はいっ!!」
直立不動で今にも敬礼しそうなグーリンディ君に、フードの下で顔をしかめる。
ここ、図書館なんだけど。
そして―――3周後。
間違ってないわ。図書館の中を本棚に沿って3周後、よ。
しかもその間、同じ場所をずっとうろうろしてるし。
いい加減泣きそうな顔をしていたので……誰も声をかけないだろうし、怯えられるかもだけど、しかたなく自分が声をかけようかと思った時。
バタン、と勢いよく図書館入口の扉が開いた音がした。
「グーリンディ君、いる!?」
涙目でおろおろしていた目の前の小柄な少年が、ぱっと視線を上げた。
……って、ここ、図書館……。
「ここ、ここです!」
「あっ、グーリンディ君、ここにいたあ!」
まるで小さな恋人たちがお互いに駆け寄るように、扉の方へと向かう少年と少年の方に歩み寄る少女。
だからさあ、ここ、図書館。
「何してたの?」
「あのっ、そのっ、ボクはその、し、資料を探しに……」
「資料?何の?私も手伝おっか?」
「あっ、あの、いいんですか!?あっ、でも、その」
「いいよ!ぜんぜん大丈夫!私に任せて!」
……何だか今、選択肢っぽい事を言ったような気がするけど……そうじゃなくて。
「っあ、ありがとうっ、ございますっ!!でもその」
「なあに?高いところにあるとか?それとも難しい本?どこにあるのか分からないのなら、2人で探せばきっとあっという間に見つかるよ!ね、がんばろう!」
多分……多分だけど、きっとグーリンディ君が言い淀んでいるのは本に関する事じゃなくて……。
ぽんぽん、と少女の肩を叩く。
グーリンディ君の顔が、分かりやすく青ざめた。
「少し、音量を落とした方がいい。……図書館では、静かにね」
灰の塔の研究員がいるからだと思うんだ。
一応静かにって事なので、自然と私の声も普段よりそっと言う感じになる。
もしかしてそれが、グーリンディ君にしてみれば、何か怪しげなことを考えていたり恐ろしい事をたくらんでいるように聞こえるんじゃないだろうか?
可能性について思いを巡らせつつ、振り向いて驚いた表情の彼女―――セイラさんに、周囲を指差して示す。
「……ものすごく注目浴びちゃっているでしょう?あのね、皆調べ物や作業をしに来ているの。だから、集中力をそぐような大きな声で騒いだり、物音を立てたりするのは厳禁なのよ……言わなくてもわかると思うけど。ここは外部の研究機関の人たちも使うから、学園に居る時より気を付けてもらわないと」
ゆっくりはっきり言えば彼女も分かって貰えたみたいで、ハッとした表情をした後に、申し訳なさそうに「……ごめんなさい、騒ぐつもりじゃなかったの」と謝ってくれた。
……根は、素直なのね。
そうよね、ヒロインだものね。
というか、騒いでる自覚無かったの……。
「今度からは、図書館に限らずどこででもそうだけど……少し周りに気をつけた方がいいわ」
脳裏をよぎったのは、あのよくしゃべるご令嬢。
それと、紫色の髪をした物静かそうな女の子。
あの2人が、今後どのように立場を変化させていくのか―――いくつもりなのかは分からないけれど。
そうなれば、間違いなく彼女も巻き込まれて変わってゆくだろうと思ったから。
普段一緒に居られない私の、精一杯の忠告……のつもりだったんだけど。
「ボクが!」
突然、睨むように叫んだのはグーリンディ君。
さっきまでのおどおどした態度は消え、今は燃える緑の炎が私を灼こうとしている。
「ボクが、必ず守りますっ!……ご親切にどうも!」
そう言って彼は、突然の豹変に戸惑うセイラさんの手を引き、ずかずかとした足取りで図書館の扉をくぐる。
……どういう解釈されたら、そんな喧嘩腰になるんだろう……。
あっけにとられた私は―――私を含め、図書館内にいた人たちはきっと全員―――外へ出て行く彼をそのまま見送ることしかできなかった―――。
今言葉、通じてた?
意味は通る気もするけど、多分通じてなかったわよね?
それに……。
物語序盤の個人イベントで、やっぱり今みたいな図書館でのイベントがあったのを、遅まきながらここで思い出す。
たしかあれは“年上の先輩”に“意地悪を言われ”それを“グーリンディ君がかばう”展開だった気がした。
……つまり、これ?
相手が私で、先輩で無くて研究員(の扱い)だという点を除けば、まるでそのままの展開。
……なら、ああ、さっきいきなり彼が怒りだしたのは『私』が『意地悪を言った』と取ったから?
そして『今後大事な友人の彼女に何か害を及ぼす』と『脅迫予告まがい』の捨て台詞を吐いた、とでも思ったからなのね、きっと。
彼はどうやら『塔』の研究員に対して怯えるほど色々と吹き込まれているみたいだし(多分反応が面白いからって理由でいじられたんじゃないかと思うわ)悪い人が悪い事を言ったとでも思ったのなら、さっきの「自分が守る」発言になるのも……まあ、分かる。
ヒロインから見て、普段は頼りないひ弱そうな男の子が勇気を出して巨悪と立ち向かう様は、確かに乙女として萌えポイントなんでしょうけど……この場合どうなのかしらね。セイラさんちょっと天然臭いし。
それにこれが本当にゲームだったなら、私に対する彼の好感度が下がったりしたのかしら?
なんて、ローブのフードで顔も分からないと思うし、実際に学園で会ったとしても何事も無かったように接するんでしょうけど。
そもそも私、年下(っぽくみえるのも)は対象外だから別にどうなろうと問題無いわ。
背景にまさかちゃんと仕事があった事にも驚きだけど……一番重要な問題は、そこじゃないの。
そういう事じゃ、ないのよ?
私間違ってないわよね?
図書館内を見渡して目で訴えてみれば、返ってくる周囲のリアクションは『うん』一択。
深く、それはもうふかあく、頷かれたのであった……なんて。
どうしてこんな簡単な事も分からないのかしら。
図書館では静かに、くらい、常識でしょうに。
マナーを覚える機会が無かった、なんて言わせないわよ。
これくらいは貴族であろうと一般市民であろうと、教えられて当然なんだから!
それと、グーリンディ君は特にその過剰に反応する癖を直しなさい!思い込みで早合点するのも止めて欲しいわ!
まったく、毎度毎度無駄にビビリおって……。
キャラっていえば許されると思わないで欲しい。
……って、これ、どっかの脳筋予備軍の魔法騎士見習いにも聞かせてやりたいわ。
大体そもそもグーリンディ君、本気を出せば先祖がえり起こして悪魔の本性出ちゃうじゃないの。
他人に対して距離を取りたがるのはそれが原因だったりもするけど、何もそこまで他人に対して過敏にならなくても。
今から冷静になる訓練しておかないと……って、それこそヒロインがどうにかする役回りよね。
……なんだ、ばっかばかしい。
なんとなくムカムカしていたその時、図書館の外の庭園から「グーリンディ様―?セイラー?どこですのー?」という能天気な声が聞こえて来てぞっとする。
……うわ、危なかった。
あれがこっち来てたら、さらにややこしくなるところだったわ。
……あ、もしかして彼女、イベント1つ取り逃したって事になるんじゃない?
もしも彼女が悪役転生ヒロイン様で、イベント発生もしくは割り込み狙い、ならの話だけど。
……ざまあ、くらい、言ってもいいわよね?
八つ当たりくらいしても、罰は当たらないと思うわ!
だって、どう考えても納得いかないもの!
後で学園窓口まで抗議に行って、灰の塔に関するその知識間違ってるから(笑)っていわれてさらに青ざめる緑少年。
……までで1セット。
報復なんて無いから大丈夫だよ。……たぶん。