解くは奇行
「申し訳ございませんでした!」
あまりにもあっさりと、あまりにも簡単に、あまりにも唐突に、命斗の死罪はなくなった。それもこれも全て、一人の女性、その一言によるものだった。
「彼に罪は無いわ。責はそうね……私に擦り付けても構わないわ。罵倒してくれてもいいのよ?」
その一言。それだけで物事は全て丸く収まってしまった。しかし、未だに頭を下げ続けているこの女性をどう扱っていいのか、齢十八の命斗にはまったくもって見当がつかない。そもそも、頭を下げて謝罪されるのは生まれて初めてではないだろうか。命斗にとって謝罪されるこの事自体、何か自分が悪いことをしているのではないかと錯覚するほどだ。
「あ、あの、えっと……。も、もういいですから、ホントに頭を上げてください」
「いいえ! そうは参りません、罪のない人間を罪人呼ばわりし、あろうことか怪我までさせ。そして追い討ちをかけるように……ぅう」
ついには声に湿りがおびていく始末。これでは傍から見たら命斗は完全に悪者状態。ローナもうわぁーと小声で、そして割と本気で引いている。命斗がどうするべきか悩んでいると、目の前の女性、アリムはおもむろに面を上げると、腰にある剣を引き抜いて命斗の前に差し出してみせる。
「どんな罰でも受けましょう。命を差し出せというのなら、貴方の手で」
「いや、ほんともう助けてください」
「もうそれくらいでいいんじゃない? 命斗君も赦してくれているみたいだし」
ロングブーツの踵で床を鳴らしながら、命斗の命を救ったとも言える女性が現れる。
「クルハ様……ですがそれでは私の罪の意識がなくなりません」
「あなたって時々面倒よね、大丈夫よ、あなたは危機を察してミスティアの命を最優先した。まぁ少々早とちりだったとは思うけれどね、あなたのしたことが全部悪いなんて私は言わないわよ」
クルハ、そう呼ばれたロングコートの女性は、アリムの顎に指を添えて顔を近づけると、柔らかく微笑してみせる。するとアリムは熱にでも浮かされた様にうっとりと「はい」一言だけ答える。それを見てクルハは満足したようにフッと顔を離すと、アリムは目が覚めたかのように、瞬きを二三度。
「それじゃあ、少し席を外してもらえないかしら? 命斗君は私に聞きたいこともあるだろうし」
「わかりました。フェーナ、行こう」
「あ、うん。じゃあメイト、また後でね」
命斗はローナに言を返す。病室の去り際、きつく言ってすまなかったとアリムの謝罪が聞こえる。慣れてるからいいよー。私はいつも怒鳴っている印象なのか? 微笑ましいやりとりが遠ざかっていった。
「さてと、じゃあ殺人の容疑者改め、大胆な覗き魔の命斗くん、私に何か聞きたいことはあるかしら?」
「まずその覗き魔と言う称号をどうにかしてもらおうか。それに、そっちの名前を俺は知らないんだ。出来たら自己紹介してもらえないか」
「柳宮 來葉、來葉って呼んでくれていいわよ。柳宮なんて言いにくいもの」
「そうか、じゃあ柳宮さん。ここはどこなんだ?」
「あらあら、私命斗くんに嫌われてる? 何かした覚えもないのだけれど」
「何もしなかった……の間違いだろ?」
妙な沈黙が二人のあいだに漂う。睨み合う、とまではいかないものの警戒の色を濃く残す命斗を見て、來葉はクスリと笑ってみせる。
「命斗くんの質問に答えましょうか。と言っても予想はおおかた付けてるんでしょ?」
「まぁ、な。 考えてたくもないけど、まずここは地球じゃない。俺の知ってる大陸の名前は、ここにはない、異世界かなにかじゃないのか?」
「半分アタリ半分ハズレってところかしら。簡単に言えば、地球であってるけれど、地球ができた瞬間から、私たちの世界とは違う法則で成り立ってきた世界よ。だからちゃんと太陽もあるし、月も夜になればはっきりと見えるわ、まぁ四つあるけれど。星座もほとんど私たちの世界と変わらないわ。つまりパラレルワールドといったところかしら」
「じゃあ次。何で俺はここに飛ばされたんだ?」
その質問を聞いた來葉は、やっぱりそこなのよねとため息をつくと、命斗のベッドにためらいなく腰をかける。ムッとする命斗を見て、可愛い動物を見るように目を細めた。
「はっきり言ってそれを説明するのはひじょーに大変なの。面倒なの。だから簡単に言うわね」
ビシッ! と音が出そうなほど素早く指が突き出される。そして命斗の鼻先をチョコンとつついて口を開く。
「あなたに力があったから」
「なるほど実にわかりやすい、って言うとでも思ったか?」
「あら不満?」
「そうだな……俺に力があるのなら、柳宮さんもその力とやらを持っているんだろ」
「ここにいる時点で答える必要性を感じないわ」
「とするとだ。その力が万能かどうかはわからないけど、その力とやらで俺はコッチに来た。そしてここに来るのに使ったはのは柳宮さんの玄関先のドア。柳宮さんが俺に何かをしたとか?」
「私を悪モノにしたいの? 残念だけど私は命斗くんになにもしてないわ。けどそうね……私の認識不足が今回の原因といっても差し支えないわ」
「説明」
「むぅ」
來葉は不機嫌そうにむくれてみせる。だがその表情はすぐになりを潜めた。
「そうね……私は命斗くんと同じ側の世界の人間なの、ちょっとしたことがあってコッチに縁があるからこうしているわけだけれど、基本的は命斗くん側に住んでるわ。明蘭荘の204号室でね」
來葉は長い黒髪を人差し指で絡め取りながら弄んでる。
「その明蘭荘の204号室のドアに私はある仕掛けをした。私の力を媒介にして境界を曖昧にするって仕掛けをね。もちろん力のオンオフは自分の意志だから、こっちの世界に行くタイミングは自由自在」
來葉はこちら向くと急にに顔を近づけてくる。体の気だるさをどうにか振り払って、命斗は体をそらせた。
「でも、どうもあなたにも私に似た力があった。この力を持っているのが私だけだと思っていたから、そこらへんの微調整を怠ったのよ。だから仕掛けが誤作動を起こしちゃったみたいなの、はっきり言って奇跡よ、誤作動で不安定な境界がちゃんとコッチ側の世界に繋がってるなんて」
「それで俺はコッチ側に来てしまったってわけか……よりにもよって入浴中の次期王女様の」
「まぁそれは命斗くんの欲望を境界が律儀に感じ取ったのかもね、このスケベ」
「随分と気前がいい境界みたいだな」
からかっては見たものの良好な反応は拝めなかったのか、來葉はつまらなそうに命斗と距離を置くと口を開いた。「他にないのかしら?」
「もう一つ、柳宮さんは偉いのか?」
「え? そうね、一般的な性欲はあるつもりだけれど?」
「なんの事だ」
「エロいかどうかって話でしょう?」
「そんな話はしていないというか明らかにわざとだろう、えらい、権力って意味だ。あのアリムさんも柳宮さんを様付けだったから」
そう考えると、ローナが命斗のことを偉い人と言ったのも彼の中で合点がいった。
「いやね、少しボケてみただけよ。まぁ、かなり上ってことかしらね?」
「なるほど、まぁここのお嬢様のことを呼び捨てにしてたくらいだから、そうだろうとは予想してたが」
「そうよ、わかったら私に敬意を示してみなさい、命斗くん」
「生憎だけど敬う人間は選ぶんだ、悪いね」
「かわいくない後輩」
「なんで後輩だってわかるんだよ」
「簡単よ、命斗くん最近ここに引っ越してきたんでしょ? そしてここから一番近い大学はあそこしかないわけだし、私もそこに通ってるんだから命斗くんは後輩だってあたりをつけたんだけど、違ったかしら?」
「大正解、よくできました。因みに柳宮さんは何年生なんだ?」
「ピカピカの一年生よ」
「一年!? もっと上かと思っていたけど」
「出会った中で一番驚くところがそこなのね、そんなに老けて見えたのかしら」
「いや、大人っぽいって思ったんだよ」
「そ、そう? なら嬉しいわ」
髪を弄ぶスピードが少し早くなった気がするのは命斗の気のせいだろう。
「もうないのかしら?」
「そう、だな……あと一つだけ、元の世界には帰れるんだよな」
「モチのロンよ」
「なら俺の質問は終わりだ。体の自由が戻ったら早々に帰りたい」
「え?」
あまりにも自然に、しかしあまりにも不自然に、來葉は声を漏らした。
「何か、変なこと言ったか?」
「ごめんなさい、私の勘違いだったらいいの。一つ確かめたいことがあって、命斗くんは今帰りたいと言ったわよね」
「ああ」
「それは一時的な帰り? それとも永続的な帰り?」
「質問の意図がわからないんだが、後者だろうな、特にこの世界にいる意味がないし」
ガッと命斗の両の肩が來葉によって掴まれた。ギョッとする命斗をよそに來葉は顔を近づけて捲し立てる。
「この世界にいる意味がない? それは本当に言っているの? それなら由々しき自体よ、力があるからって言われた男性は九割九分九厘その力というやつに興味を示すものじゃないのかしら? ついでにこの世界に居たいと考えるのが普通じゃない?」
「柳宮さんの常識を俺に押し付けないでくれ、俺は別にどうも思っちゃいないよ。力というやつにも、興味はない」
「……そう」
來葉は命斗の肩を離すと再び距離をとって考えるように顔を伏せた。いきなりのことで命斗は両の瞳を瞬かせる。いったい今のはなんなのだろうか、必死の形相、とまではいかないが何か焦っていたようにも思えなくない。そう思った命斗は何かあったのかと口を開こうとした。だがその声は先にこちらを振り向いた來葉によって閉じることになる。
「ねぇ、命斗くん。あなた自身の力に興味がなくてもこの世界に興味はない? いる意味ではなく興味」
「興味、か。確かに俺の世界とは違った法則とかなんとか言ってたな。それに城もあるぐらいだ……ヨーロッパのような景観、じゃないのか?」
「それは見てからのお楽しみよ、言ってしまったら面白くないでしょ? それに大学が始まるのは四月からだし、合間の三ヶ月を一人暮らしの狭い部屋で過ごすつもり? もったいなくはないかしら?」
「待て待て一気に喋らないでくれ。そこまでして俺をここに居させたい理由でもあるのか?」
「理由……そうね、命斗くんにはこの世界のことは知っといて欲しいのよ。だって向こうの世界で初めて私に似た力を持つ人がいたのよ? その人が簡単に帰っちゃうなんてつまらないわ」
「そうか……」
本当にそれだけなのか、命斗は考えてみるが、これといって情報があるわけでもない。これ以上は時間の無駄だろう。それに來葉の意見も最もなことだ。孤独だったとは言わずとも、同じ世界で共通点を持っている人間がいたのだ。それはここに留めておきたいと思う考えも至って当然の事かもしれない。
「まぁ観光ぐらいなら暇つぶしにもなるし、そのくらいなら」
「本当? 嬉しいわ!」
來葉は顔を輝かせていった。だが、命斗はそこで一拍置くと、さて、と切り出した。
「自己紹介がまだだった。渡瀬命斗、柳宮さんの隣、明蘭荘203号室に住んでる。まぁ、なぜか俺の名前を知っていたし必要ないと思っていたんだけど、一応ね」
「あら、ご丁寧にどうも。これからよろしくね、渡瀬命斗くん」
そう言って、來葉は再び微笑んだ。