すわる
季節は春と言えど、三月はまだまだ寒い。厚手のコートは必須であった。しかし、たまに暖かい日差しが照りつける日もあったりはした。
僕が公園に着いた時、ノリコは空き地の入り口のフェンスにもたれかかっていた。正確には、もう空き地ではない。小学生の当時はなにもないただの空き地であったが、その後土地開発が進み、今は小規模な公園となっていた。土地開発などとかっこ良く言ったが、実際は本当に小規模である。既に酸性雨の影響かなにかで、目の辺りの塗装がいい感じに溶けて、絶望的な表情をしているパンダの乗り物や、砂場、滑り台、ベンチが置いてあるくらいである。小学校の近くで、人通りも少ないせいか、夜になると昔を懐かしんだ高校生などのカップルがベンチに座っていちゃついている姿を度々僕は目撃していた。
「ねぇ、何か考え事しているの?早く来なさいよ」
ノリコは僕を急かした。
「あ、ごめんごめん。話って何?」
「話?だから、アメーバの話だって。ホネから聞いてないの?」
ノリコは、同じことを二度も聞かれることをあまり好まない。
「そうだった。ごめんごめん」
ノリコは、ひとつため息をついた。「立ち話もなんだから、あのベンチに行きましょう」
僕たちは、ベンチに向かって歩いた。ベンチは正方形の公園の中に二カ所あった。入り口の近くに一つと奥の方に一つである。奥の方には、日差しが今日は良いせいか、筋肉質なマッチョメンが、水着のようなブイパンを履いて、ベンチに仰向けになって寝そべっていた。季節は、春と言えど、まだ寒い。日サロにでもいけばいいものを。きっと、自然の光によって肌を黒くすることを彼は望んでいるのかもしれない。僕にはよくわからない世界だと思った。
僕は、ベンチに座り、よこの綺麗で透き通った白い手が横にあることを確認した。
「なに?」
「なんでもない」
意外なことに、沈黙が五分ばかり続いた。そして、思い切って僕は話を切り出した。
「僕は、アメーバを食べた覚えなんてないんだけど」
真顔で訴えた。
「そう。本当に覚えていないのね。じゃあ、あなたは小学生の頃、体育でサッカーをやっているときに、私の顔面にドライブシュートを決めたことを覚えているの?」
「いや。ドライブシュートなんて打てる覚えがそもそもない」
「そう。じゃあ、中学生の頃、生徒会長に立候補すると言って息巻いて立候補して、結局書記会計になったことは覚えてるの?」
「ああ、それは覚えてるよ。一生の笑い話だね」
「ふーん。じゃあ、高校の時、久しぶりにあって私に言ったこと覚えてる?」
彼女は、私の顔をじっと見ていたことに気がついた。私は、それまでベンチの下にいる蟻の行列を観察することに忙しかったからだ。
「うん……まぁ……」
僕は言葉を濁した。いけない。このままでは空気が悪くなる一方だ。
「そんなことより、アメーバは。記憶の確認は終わったでしょうよ」
僕は、上手い具合に話をそらすことに成功した。
「そうね。そうだったわ。あなた、小学生の頃、この空き地で不思議な生物を発見したわよね」
「曖昧な記憶なんだけど、発見したような気がするね」
「その、生物をあなたは、食べたのよ」
「え?」
僕は、唖然とした。いくら、この歳になっても大学受験に失敗するような馬鹿ではあるが、さすがに見知らぬ生物を食べるだなんてことはしない。知っていたとしても、蝉が木にとまっているからといって、それを手で鷲掴みにしてお尻からバリボリと食べる変人ではない。
「あなた、小さい頃、泥だんごを作るのが上手かったわよね」
「まぁ、少々上手かった。自慢できるほどに」
「そして、作ってはたまに食べてたわよね」
「いや、えっと、そうでしたっけ?」
僕は、やはり唖然とした。動揺を隠しきれない。
「食べてたわよ。それで、その変な生物があなたの作った泥だんごに擬態したのよ。そして、それを知らずにあなたは食べたのよ」
もはや、自分の愚行を笑うしか無かった。土人にでもなるつもりだったのか。たくましい小学生だ。
「もう、なにがなんだか……」
「まぁ、いいわ。これで食べた事実は伝えたわ。ちなみに、嘘じゃないから。あなた、本当に食べてたわよ。どうして、忘れているのかしらね。今度、ホネとブンタに聞いてみるといいわ。」
僕は、彼女の顔を見ることが出来なくなっていた。また、蟻の行列の観察に勤しむことにした。
「ここからが本題。で、そのアメーバの一族が今日、この場所にやってくるの」
「へぇ、この場所にね……って!え!?なんでそうなるの?」
僕は、華麗なノリツッコミを披露した。
「知らないわよ。なんか、先週、携帯を開いたら、いきなり待ち受け画面が暗くなって、来週地球のあの空き地に我がアメーバ一族の王子を回収に向かうって、文字が浮かび上がって」
「故障じゃなくて?」
「故障じゃない」
「今日来るとして、何時にその、ヘンテコ一族はここにくるわけ?それに、どうやって?」
「さぁ。時間までは。どうやって?んー、隕石でも降ってくるのかしらね。まったく見当がつかないわ」
遠くのほうで、ゴゴゴという地鳴りのような音が鳴っているような気がしたが、僕は気にせずベンチの下の蟻の行列の観察に勤めた。砂糖のような物体を蟻たちは運び続けていたのであった。