14.優しい違和感
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月曜日。
Blue Monday(別名:月曜病)という単語があるように、週明けのはじめは憂鬱な気持ちを抱いてしまう。
社会人の方々はこれからまた一週間、仕事を頑張らなきゃいけないと気鬱になるし、学生は学生で学校に鬱の念を抱くだろう。
俺も多少ならず気鬱を抱いていた。月曜日になったってことはまた学校が始まる。勉強が苦というより、俺は学校で会ってしまうであろう人達の顔を思い浮かべて憂鬱を抱くんだ。
日曜は御堂先輩の励ましが効いていたおかげか、バイト中も、家で勉強していた時も、さほど気にすることなく時間を過ごせた。
でも月曜日は違う。
必ず俺は先輩二人と会ってしまうだろう。
その時、俺は平常心でいられるだろうか。あの光景を見なかったことにして、二人と言葉を交わすことができるのだろうか。
きっと俺は知りたいと思っている。
あの時の光景を目の当たりにしたことで、二人の家庭で何かが遭ったんじゃないかと不安を抱き、知りたがり屋の俺が首を突っ込みたがっている。
けれど安易に踏み込めないのは俺は財閥界とは無関係の庶民。
財閥の令息令嬢には分からない苦労を知りたがったら、二人とも疎ましいと思うんじゃないだろうか? 拒絶されることが若干怖かった。なにより「お前には関係ない」と言われることに恐れをなしていた。
片隅で言ってくれるんじゃないかなって甘えもあったんだけど、不安と恐怖の方が勝っていたんだ。
彼等とは朝には会えず、昼間に顔を合わせることになる。
いつもどおり、学食堂でランチを食べる。駄弁る。談笑する。鈴理先輩とご飯を半分にしたり、他愛も無い話で盛り上がったりするんだけど、俺は言い知れぬ違和感を抱いていた。
大抵鈴理先輩と食事をすると、芋づる式で大雅先輩がくっ付き、成り行きで宇津木先輩や川島先輩がくっ付いてくるんだけど、全員の雰囲気に違和感を抱く。べつに言動に対して不審なところはない。
だけど空気がなんだろう……いつもと違う。
土曜にあんな光景を見たからかな。俺が変に勘繰りしているだけなのかな。
「空。どうした? 顔が渋いぞ。何か悩みでもあるのか?」
向かい側に座る鈴理先輩が声を掛けてくる。それはいつもと変わらない鈴理先輩の声音。
声に顔を上げる俺は、「いえ。何もないですよ」曖昧に笑って鈴理先輩と半分こにしたオムライスをスプーンで掬う。
何か悩みがあるのは、鈴理先輩の方じゃないんだろうか? ……なーんて乙女思考に思う俺ってなんだろうな。
はあーあ、ズバッと聞きたいのに聞けないジレンマがストレスだ。
でもしゃーないよな。家庭事情はデリケートだ。先輩が落ち込むことっていったら大部分が家族問題。彼女は家族内評価で劣等感を抱いているから、悩んでいることを知っているから、軽いノリでは聞けないんだよな。
半熟のオムライスを咀嚼していると、「構ってやらないから寂しいんじゃねえの?」大雅先輩が揶揄してきた。
「確かに、最近あんた達のいちゃいちゃ見てないわ」
川島先輩がシシッと笑い声を漏らす。あれは学院の名物だもんね、と茶化す彼女に便乗し、「お二人は公式のラブラブカップルですものね」わたくしとしては大雅さんとのらぶらぶもありかと、宇津木先輩が腐発言をして大雅先輩をゲンナリさせていた。
いつもの会話だけど、何かがおかしい。
例えるならいつも食べている白米が今日はやけに柔らかいと感じてしまうような、微かな変化を感じる。それが俺にとっては大きな違和感を抱くんだ。
俺は違和感を探るために、ちょっとだけ話題に踏み込んだ。これでも結構勇気を持った方だ。
「最近、鈴理先輩……お忙しいみたいですもんね」
途端に空気に戦慄が走ったような気がした。
俺は気付かない振りをするけど、他の先輩方の表情があきらかに違う。まるで彼女の忙しさの内容を誰もが知っているかのような、そんな表情をしているような。ノーテンキに首を傾げて、「何か遭ったっすか?」もうちっとだけ話題に踏み込む。
そしたら宇津木先輩が不自然に流れを腐に持っていった。
あそこにイケた男の子がいる、大雅さんと合いそう。キャピ。みたいな発言を放って流れをうやむやにした。しかも過度に大雅先輩がそれに便乗するわけだ。
「俺があんな平凡野郎と合うわけねぇだろ」
もっと自分に合った奴を探してくれ、とか言うんだ。
らしくない。宇津木ワールドを展開されたら大抵否定から入るのに。
んで、川島先輩が宇津木ワールドをもっと広げようと話題を出して鈴理先輩に吹っ掛ける。
妙な連係プレイだ。
一応俺も便乗はしたけど、過剰なまで“忙しい話題”から遠ざけようとした先輩達に言い知れぬ不安を抱く。
やっぱり変だ。
鈴理先輩も大雅先輩もみんな、何かを隠している。俺もそこまで鈍感じゃない。表向きはノーテンキに過ごしているけど、内心じゃある一つの結論に達していた。川島先輩も宇津木先輩も二人の“多忙”な理由を知っているんじゃないか。
そしてそれは俺に決して言ってはいけない内容なんじゃないか、と。
あの連係プレイを見ていたら思わざるを得ないんだ。
鈴理先輩達は俺に何か隠している気がする。重大な何かを。
もう少し先輩達を観察したかったけど昼食が終わると、鈴理先輩が俺を呼び出して来た。
話をしたいらしい。いつものあたし様口調で中庭に行こうと言って来た。
「久々にラブラブしてこい」
なーんて大雅先輩に茶化されたし、他の先輩にも笑われたけど、俺は完全に疑心暗鬼になっていた。
取り敢えず、先輩方の茶化しは受け流して、俺は彼女と一緒に中庭へ。
そこでもしかしたら大切な話をしてくれるのかなぁって期待したけど、人気のない木陰に辿り着いた鈴理先輩は何をするわけでもなくそこに腰を下ろして俺に抱きついてきた。
「先輩?」甘えてくる先輩の体を受け止めると、「充電が切れた」あたしは死にそうだと肩口に顔を埋めてくる。本当に疲労しているみたいだったから、頭を撫でて慰めてあげた。
そしたら先輩、「そんなんで足りるかぁあ!」絶叫と共に俺のシャツに手を掛けてくる。さすがの俺もギョッと驚いて全力死守する。
「ちょっ、何しているんっすか!」
「ボタンを外しているんだ」
「それは見れば分かりますよ! だからなんでボタンをっ、ギャーッ! ボタンを引っ張らないで下さい! 縫い付けるのは俺なんっすからあ!」
引きちぎりそうな勢いで上三つのボタンを外した鈴理先輩は、有無言わせず肩口に齧りついてきた。もう一度言うけど、齧りついてきた。
「アイッター!」容赦ない一撃に俺は絶叫。
「色気が無いぞ!」もっとあっはんうっふんな声が聞きたいって文句を言われてしまった、が、そんなの無理っす! 俺はMじゃないっす! よって痛いものは痛いっす! 痛感を快感に摩り替えるなんて技術は持ち合わせちゃないっす! 男ポジションを譲ってやっているんっすからそれで我慢して下さいよ!
だけど鈴理先輩は構わず人を噛んでくる。
これじゃあ本当に肉食お嬢様だ。餓えた獣っていうかなんというか。余裕が無いのは窺える。結局俺は彼女の好きにさせるしかなかった。
少し経つと落ち着いたのか。
「痕が消えかかっている!」
人の首筋を見た先輩が死活問題だと両手を握り締めて微動する。
「充電が切れる筈だ。痕が消えかかっているではないか! ぐぎぎっ、所有物! なんで早く言わない!」
理不尽な怒りだよ、それ。
「俺のせいじゃないっすよ」
吐息をつくと、彼女が両手で頬を挟んできた。
無理やり視線を合わせられた俺は、なんとなーく身の危険を感じて視線を流す。
今の先輩は理不尽な怒りの矛先を俺に向けそうなんだけど。
案の定、「空が誰のものか」その身に教えてやる必要があるな、とかなんとか言ってきた。
なんで怒られなきゃいけないんだろう。俺のせいじゃないのに!
そう、これは鈴理先輩の―………嗚呼、やっぱり聞けないや。
久しぶりに見る鈴理先輩の攻め顔が本当に楽しそうだから、それを穢したくない。
なにより攻める時の表情が活き活きしているから、俺は唇を食んでくる先輩を受け止める他術を知らなかった。
鈴理先輩は本当に何かに限界を感じているのか、交わしてくるキスが激しかった。
痛みを感じるキスは余裕の許容範囲がオーバーしていることを教えてくれる。呼吸を奪うような口付けが激情に駆られていることを物語っていた。
柔らかな芝生に沈む間も先輩は解放という二文字を見せてくれない。
口内で交わる互いの体温がひとつに融解する。恐ろしいほど、それが快感だと思うもんだから暫くキスをご無沙汰していたんだなぁって実感した。
でも俺はあっち方向でやーんするつもりはないよ! 健全な男の子だどもキスどまりで頑張るよ! 持論は覆さない、俺はスチューデントセックスを拒絶するのです! というか先輩、いつまでキスを……っ、俺、死にそう。
ケダモノみたいなキスをされ続けてもっ、ッハ、まさか俺を鳴かせようという魂胆じゃ! それだけは頂けないっ、頂けないっすからね!
やっと鈴理先輩が解放してくれる。
ゼェゼェと肩で息をする俺に綻んで、先輩は首筋に痕を付け始めた。好きにさせておくことにする。今の俺にはそれを止めるだけの余力が無いから。
「また暫くは消えないっすね」
俺は苦笑いを零して肉食お嬢様の髪に触れる。
「当然。いつまでも消えないさ、誰の所有物だと思っている」
高飛車に物申してくる鈴理先輩だけど、なんか空気が変。いつものあたし様らしくない。
伊達に受け男をしているわけじゃないんだ。すぐに分かるよ、先輩の空気の変化くらい。
でも空気が俺に訴えているんだ。何も聞かないでくれって。
だから聞かないことにした。ヘタレだから強引に聞けなかったのかもしれない。
絹糸のような長い髪を指先で弄くり、俺は上体を起こした。
「充電は大丈夫っすか?」相手に尋ねると、「まだ足りない」それこそ空を食らってやりたいほどに、妖艶に笑って鈴理先輩が俺の顎を指で掬ってきた。俺はまたひとつ微苦笑を漏らす。
今は黙って攻められよう。そう先輩が望んでいるんだ。
何も言わず、何も気付かず、何も知らず、彼女の傍にいよう。
それが最善の策なのだと俺は信じて疑わなかった。
それが彼女のためなんだって信じて疑わなかった。
□
「あれ。郵便受けに何か入ってる」
それは、いつものように学校から帰宅したある日の午後のこと。
俺は郵便受けに入っていた封筒に目を見開く。百均で売っているような安価な茶封筒じゃない。触り心地の良い上等な紙質の封筒が俺の家のポストに入っていた。
「しかも俺宛?」
文通なんて生まれてこのかたしたこともないし、ダイレクトレターにしては高級感ある手紙だ。
裏面を向けてみるけど、差出人の名前は綴られていない。
変だな、肩を竦めて俺は手紙を持ったまま部屋に入る。脱ぎ捨てたローファーを揃えて、鞄を机上に置いた俺は鉛筆立てに挿していたカッターを手に取り、封を切った。
差出人が書かれていないってのはちょっと不気味だけど、俺宛で名前が書かれている以上、この手紙は俺に向けられたものだ。読まないと始まらない。
「誰だろう? 俺に手紙なんて」
封筒には分厚いメッセージカード。それに薄い便箋用紙が一枚入っていた。
俺はまず二つ折りにされたメッセージカードを読むことにする。ざっと流し読みした俺は瞬きの回数を多くして、その場で佇んでしまう。
暫し時間を忘れてしまった。
やっと息を吹き返した俺は薄い便箋用紙の方を取り出して目を通す。
手紙を読み終えた俺は机上にそれを置くと、鈴理先輩から借りている携帯を取り出し、彼女にLINEをした。しごく他愛も無いLINEの内容で、俺は彼女に今週の日曜日は空いているか? と尋ねた。
すぐにLINEが返ってくる。
答えはノーだった。
どうやら用事があるらしい。
謝罪文が綴られているLINEに、俺は苦笑して返信した。『気にしていませんよ』と。
携帯を閉じると俺はカレンダーの前に立って、「確か土曜日が給料日だったな」初給料日だと綻んだ。三万はもらえる筈だから、二万は家に入れて、一万は俺の手元に置かせてもらおう。
「だから先輩達……ほんっと優しい人達なんっすね」
いつまでもカレンダーを見つめた俺は、自分の感情を押し殺して必死に笑顔を作った。
嗚呼、いつかは来るかもしれない。
そう懸念していた現実がこうもまざまざと俺を蔑視している。
行き場のない感情を散らすために、俺は心に決める。
せめて先輩達の前では笑顔を作る努力をしよう、と。
机上に置いている手紙に俺は視線を流す。
あれはただの手紙じゃなかった。
俺は今週の日曜、あれを持ってお祝いに行かないといけない。
【婚約式のご案内】
(前述省略)
この度、二階堂家次男・二階堂大雅と、竹之内家三女・竹之内鈴理の婚約が決定しました。
公式の婚約パーティーではございませんが、親密な方々と友好の輪を深めていきたいと思っておりますのでご多忙中とは存じますが、ご出席いただけますようお願い申し上げます。
なお、準備の都合上欠席の場合は下記の電話番号にて幹事までご連絡ください。
(後述省略)
二階堂 竹之内 一同




