13.望まれなかった孫と先輩と
「酷いっすよ。御堂先輩」
人ごみの多い駅付近を離れ、人気のないバスの停留所のベンチに腰掛けた俺は隣を陣取る王子をじろっと睨んだ。
何処吹く風で笑っている御堂先輩は可愛い子ほど苛めたくなるものだとウィンクしてくる。
「ゼンゼン嬉しくないっすよ」
そう返事して、じゅーっとシェイクを飲む。
さっき抹茶Aセットを頼んでいたから、草団子はいらないと思うけど、一応彼女に食べるかと尋ねる。
意外なことにもらうと言われたから、俺は封を開けて彼女に差し出す。
「あ。飲み物いります? なんか買ってきましょうか?」
俺は自分だけ飲んでいる現状は失礼だと思って、相手に質問した。
飲み物は持っているらしく、通学鞄からペットボトルを取り出していた。なるほど、これで気兼ねなくシェイクが飲める。
「しかし豊福がいづ屋で働いているとは思わなかった。バイトを始めたのかい?」
流し目にしてくる御堂先輩はエレガンス学院の補助奨学生じゃなかったか? と言葉を付け足してくる。
遠まわし遠まわし勉強は大丈夫なのかと心配してくれているらしい。
そりゃあ、土日とはいえ勉強時間を削られるのは成績を落としそうで恐ろしいけど、千円でも二千円でも収入があった方がいいんだよな。我が家は。
別に隠し事をする内容でもなかったから、俺はバイトを始めた理由を彼女に話した。
給料カットのこととか、このままでは三日に一回もやし炒めになってしまうこととか。
「俺自身も小遣いが欲しいと思っていたんっすよね。ほら、高校生になるとやりたいことって増えるじゃないですか。比例してお金も必要になりますし。
俺も勉強ばっかりじゃ息が詰まります……だからって親にねだるわけにもいかないですし。結局働くしかないんです」
「そうか。豊福はご両親想いだな。さすがは僕のフィアンセ」
あっれー、いつから婚約しましたっけ? 俺達。
おかしいな。俺の記憶にはないんだけど。
話題を逸らすため、俺は彼女に“いづ屋”にはいつもひとりで行っているのかと尋ねた。女子ってああいう茶屋(喫茶店)には数人で赴くものだって思っていたけど。
「基本的にはひとりだ」
あそこは自分の憩いの場にしているのだと御堂先輩。
友達とは学校内の食堂でワイワイガヤガヤするタイプらしい。御堂先輩の友達ってどんな人たちなんだろうな、やや好奇心を抱きつつ彼女の話に耳を傾ける。
曰く御堂先輩は“いづ屋”で茶菓子を食べながら読書するのが大好きらしい。
時々は友達と行くこともあるらしいけど、ひとりの時間を設けたい時は茶屋に足を運ぶとか。
なにより和菓子が大好きらしい。
あんこが大好きで、つい食べ過ぎてしまうと御堂先輩は苦笑した。
へえ意外だ。
外貌からして洋菓子が好きそうに見えるけど、和菓子が好きなんだ。失敗作であれど草団子をもぐもぐしている理由も分かる気がする。新たな御堂先輩の一面を知れたことに、なんか得した気分。
バスが目の前を横切っていく。
俺達が乗らないって運転手さんも分かっていたみたい。停まる素振りもなく滑走していった。鼻につく排気ガスを無視して団子を頬張っていた俺だけど、ふとさっきの御堂先輩の態度を思い出して口の中のものを嚥下。
ぺろっとあんこがついた串を舐めた後に、「何か遭ったんっすか?」と彼女に尋ねる。
向こうの動きが止まった。
気付かない振りをして俺は言葉を重ねる。
さっき鈴木さんの代わりにオーダーに赴いた時、妙に御堂先輩の機嫌が悪かった。あれは単なる男嫌いのせいじゃないと思う。男嫌いでも御堂先輩は相手のことを考慮している節が些少ならず見え隠れしているんだけど、今回はそれがなかった。
だからヤなことでもあったのかなーって思ったんだ。
言いたくなかったらそれ以上のことは聞かないつもりだけど、なんとなく聞きたくなった。
わりと平常心を保ったまま御堂先輩は苦笑を零して、「見合いをすることになったんだ」それで機嫌が悪いんだと糸も簡単に理由を教えてくれる。
見合い。
目を丸くする俺に「安心しろ」好きなのは君だから、と御堂先輩が一笑してくるけど、そういう問題じゃない。高校生なのに見合いをするってのに俺は驚いている。
まあ、先輩は令嬢だしな。財閥同士で許婚を取り結ぶってのもあるくらいだし、今更驚く必要もないんだろうけど。相手はどんな人なのかと当たり障りないことを聞いてみる。
「知らん」一切不明なのだと御堂先輩。彼女が興味を持っていないからじゃなく両親さえ分からないのだと教えてくれた。
「見合いを決めたのは僕の両親じゃない。僕の祖父なんだ。ちなみに父方な」
「おじいさんっすか」
「ああ。あのクソジジイが勝手にな」
どうやら御堂先輩にとって、自分のおじいさんはあまり好く思っていない人らしい。表情の険しさが濃くなっている。
これ以上は聞かない方がいいような気がしたんだけど、御堂先輩の方から語り部として立つ。「僕の男嫌いの根源は」祖父が原因なんだ、と。
「祖父にとって僕は、望まれて生まれた孫じゃなかった」
対向車線向こうでバイクの過ぎ去る喧しいエンジン音が聞こえたのに、それさえ無効化にしてしまう静かな空気が俺達の間に下りていた。
すぐ後ろの歩道からチャリの過ぎ去る気配がした。それを合図に俺は団子の無くなった串を容器に戻し、御堂先輩の食べ終わった串も同じ場所に戻す。俺が口を閉ざしているのは困っているからじゃなく、御堂先輩の話に耳を傾けるため。
彼女も察しているのだろう。
少しの間、口を閉ざした後、語り部に戻った。
「御堂家は代々女系なんだ。あまり男に恵まれない一族で、生まれるのは女ばかり。だから祖父が男として生まれた日は、大層喜ばれたそうだ。
それは祖父の実子である父も同じ。二世に渡って息子が生まれるなんて御堂家では殆ど無かったんだ。周囲は期待した。二世代息子なら、三世代息子になる可能性もあるんじゃないかと。
けれど期待された三世は女。
父は性別関係なく僕の誕生を祝福したが、男としてちやほや甘やかされて育てられた祖父は快く思っていなかった。孫が娘だったことに憤慨したそうだ。
まさしく祖父の中には男尊女卑の思考が根付いていた。
財閥の先導に立つのは男でなくてはいけない。男が偉くて当たり前なんて思考を未だに持っているんだ。
そのせいで母は随分祖父から責められたそうだ。母は受け流して僕に愛情を注いでくれたし、父も娘でよかったと言ってくれたが、祖父だけは違った。
僕は覚えている。
幼少に祖父から言われた言葉を。なんでお前は女なんだ。望んでなどいなかった、と蔑まれた言葉の刃を。
女だったから駄目? では僕が男だったら祖父は祝福してくれたと?
成長するに連れて僕は祖父の頭から女を見下げる男尊女卑の思考に嫌悪感を抱くようになった。
しかも祖父は16で僕を結婚させるよう父に命じていた。結婚というより、妊娠に期待を寄せていたんだ。母が妊娠するのはもう無理だと思ったんだろう。奴はひ孫に望みを託すようになったんだ。とにかく自分が生きているうちに、男系の血を強めたい。
その願いから、早く結婚しろと命じるようになった。両親は僕のペースでいいって言ってくれているが、祖父は誰でもいいから男を作って子供を作れと煩かった。
結果、僕は男嫌いになった。男尊女卑の世界観が疎ましかった。男がすべての世界が腹立たしかった。女を見下げる奴の眼に反吐が出そうだった。いつしか僕は一つの誓いを立てるようになった。
代々女系の強い御堂家を僕が継いでやる。女系でも成り立つ財閥にしてやる、と。
祖父は僕に財閥を継がせるつもりはなく、あくまで男に継がせるつもりなんだ。そんなに女系が嫌なのかと鼻で笑ってしまうほど。
男尊女卑は特に財閥界では今も強く根付いている。僕はそれを取っ払ってやりたいんだ。それこそ逆転して女尊男卑にしてしまいたいほど……何が見合いだ。どこぞの誰とも知らない奴と見合えるわけないだろう」
御堂先輩……。
俺は目を細め、嫌悪感を滲ませている語り部を見つめた。
物心をついた時から性別を否定される、それが彼女にとってどれほどの苦痛だったのか、俺には想像もつかない。性別拒否なんてなかったら、きっと御堂先輩は男を嫌うこともなかった。
それこそ普通の女の子として生活していたかもしれない。
べつに今の御堂先輩を否定するわけじゃない。
でも御堂先輩の中で芽生えてしまった男嫌いの根源に、俺は胸を痛める他なかった。
聞き手になっていた俺はシェイクで喉を潤した後、「御堂先輩ってカッコイイっすよ」それこそ男の俺から見てイケた女性だと強く思う。一方で女性らしくスカートを履いたら、きっと美人さんなんでしょうね、俺は目尻を下げた。
「カッコ良くも美人にもなれる。羨ましいっす。御堂先輩は男の人にも負けていないイケた人っす。でも折角女として生まれたんっすから、女の子だけが楽しめるお洒落もしてみていいと思うっすよ。それに俺は男よりも断然、女の人の方が強いと思います。
だって男ではできない、子を産むことができるんっすから。
精神的にもきっと女は男より強い。じゃないと育児なんてできないと思う。
ああ、でも一つだけ、俺は譲れない持論があります。
女の人は傷を作っちゃいけないってことっす。男に守られなきゃいけない存在なんだと思うんっすよ。これは蔑んでいるわけじゃなく、さっきも言ったように女性は子を産むことができます。だからこそ体を大切にして欲しいって。
俺、思うんっす。御堂先輩の男らしい面同様、女らしい面も受け入れていいんじゃないかって」
先輩がなんとなく、自身の女性の面を否定しているように思えた。
勿体無い。両方楽しめるなら、両方楽しんだ方がお得だ。おじいさんが何を言っているか知らないけれど、俺は今の御堂先輩でいいと思い。それこそ女性でいいと思う。
カッコイイプリンセスでいいじゃないか。
こういう言い方すると失礼だろうけれど、おじいさんの先は長くない。
御堂先輩の方が人生が長いんだから、どーんっと彼女の思うとおりに生きていいと思う。
人生って自分でちゃんと決めないと、後悔するもの。誰かに言われて決めたら、その人のせいにして人生が虚しくなる。
「俺もバイトのことは自分で決めてやろうと思いました。両親はやらなくても大丈夫だって言いました。無理しなくてもいいって言ってくれました。
でも俺がやりたかったから……うーん、言いたいことが滅裂になっちゃいましたね。とにかく御堂先輩の思うとおり、やってみていいと思います。見合いが嫌なら、それこそごめんなさいしてドタキャンしてもいいと思いますよ」
御堂先輩ならそれくらい朝飯前に出来そうだと小生意気なことを言って笑ってやる。
面食らった彼女は、すぐに表情を戻して頬を崩した。
「君は初対面からそうだったな。男を蔑んでいた僕を怒り、男女平等に敬ってくれる。そういうところが一目惚れする契機だったのかもしれない」
柔和に綻ぶ御堂先輩は骨張った指を伸ばして俺の両頬を包んできた。
ストローから口を離してギョッと驚く俺に一笑して、身を詰めてくる王子。体を引いて逃げる体勢になるんだけど、すぐそれも手詰まりになった。
お、おかしいな。
なんでこんなにも空気が桃色なんでっしゃろう。く、空気を散らさないと何やらヤな予感が。
「ええっと」目を泳がせて逃げる口実を探す俺は、手元にあったシェイクを先輩に向けて一口如何でしょうかと愛想笑い。
にこっと目で笑みを返してくる王子は、「豊福なら一口頂きたいな」と素早く顔を近づけてきた。
柔らかな感触に瞠目してしまう。目を見開いて俺の抹茶シェイクを掻っ攫う御堂先輩は、「今は間接キスで我慢するさ」とストローに口をつけた。咄嗟のことだったから身構えることも忘れちゃったけど……でも絶対にキスされると思ったよ。
いやキスはされたけど額にされるなんて……過去にもされたけど、今回はなんかどぎまぎ。
ううっ、何なんだろう、この妙な気持ちは。
最近鈴理先輩に相手にされていないこともあってか、誰かにキスされるなんて久しいや。
……能天気にンなこと思っている場合じゃない!
これが彼女にばれたら鈴理先輩に怒られるじゃないっすかっ!
ぎゃぁああっ、仕置きを思い出しちゃうんだけどっ、だけど! な、鳴かされるぅうう!
頭を抱えている俺の隣では、「やっぱり間接キスでは足りないな」と、御堂先輩が不服を漏らしていた。
これでも紳士に物事を進めていきたい性分らしく、いきなりキスを仕掛けたり、襲ったりすることはしないそうな。何事も段取りを大事にしている。
意気揚々と語ってくれる先輩にツッコミたい。今までのことはカウントされないんっすか? って。
思いのほか、口に出していたようで先輩から勢いよく肩を抱かれたと思ったら、顎に指を絡められて視線を固定される。これはまずい!
「だったら今度は段取りなしでいってみようか。豊福」
「い、いきたくないです! 段取り大事っす! どうぞ段取りを大事にっ」
「段取りのことを指摘してきたのは豊福だぞ」
それはそうなんっすけど。
でもでもでもでも俺達は恋人じゃない。ただのお友達っす! 俺には鈴理先輩がいるんっすよ! だから断固として、こ、腰を触らないで下さい! こんなところで体を密接にしているなんておかしいでしょ! 絶対に目立、あれ、向こうにいるのは鈴理先輩?
俺は御堂先輩から目を放して、片側三車線向こうの歩道を見やる。
バス停すぐ近くに高級車が停まったんだけど、そこから鈴理先輩が大雅先輩と一緒に下車していた。
「鈴理達じゃないか」
何をしているんだと御堂先輩も視線をそっちに向ける。
その隙に魔の手から抜け出した俺は、二人に声を掛けようと手をあげた。
けど、その手はすぐ下りてしまう。
俺は見てしまった。
大雅先輩が不機嫌になっている鈴理先輩の頭に手を置いて、彼女を慰めている姿を。いやそれだけじゃない。大雅先輩は数秒間、鈴理先輩を抱き締めた。抵抗していないのは確かに俺の彼女の姿。抱き返していたのは俺の大好きな人の姿だった――。
頭が真っ白になりかけたけど、これは嫉妬心からじゃない。単なるショックだ。俺は衝撃を受けているんだ。
俺の知らない顔で大雅先輩に支えられているあたし様。抱き締められているその姿は、恋人の俺よりも長年付き合っていた許婚の方を頼っているようにも見える。いや頼っているんだ。彼女は大雅先輩を頼っている。俺ではなく、大雅先輩を。
只事じゃない気がした。
「あいつ等」
俺の気持ちを察した御堂先輩が彼等を呼ぼうと口を開く。
けれど腕を掴んでそれを制した。驚く王子の腕を引き、気付かれないようその場から移動する。それが最善の策だと思ったんだ。
だって今、俺が出たら二人はきっと困惑するだろう。困り果てて俺を見据えてくるに違いない。そんな表情、見たくなかった。
近くのマンションに陰に隠れ、気持ちを落ち着かせる。
そんなにも二人が抱き合っている姿に動揺してしまったのだろうか? 俺。いや、二人の醸し出す空気に動揺してしまったんだ。
いつも近くで二人を見ているけれどあんな二人は初めて見たな。ちょっと意外かもしれない。ん? 初めてじゃないかも。誘拐事件の時にああいう姿を見たような。でもあれは俺も負傷していたし……なんだろう。変な気持ちが胸を締める。
――大雅先輩が、鈴理先輩を支えているんだな。
俺も支えたいと思っているけれど、だけど彼女が選んだのは許婚。嗚呼、敵わないや。
知らず知らず片手に持っているモノを握り締めてしまった。
それが強引に連れ出してしまった御堂先輩の腕だと気付くのに、少しばかり時間が掛かってしまう。
「あ。すみません」
やっと人の腕に握力を掛けていた現状に気付き、俺は相手に謝罪して腕を離す。
一部始終を見ていただろうに、御堂先輩は表情を変えず、「いや気にしていないさ」と綻んできてくれた。そのせいか俺の方が変に微笑を作ってしまい、上手く笑えず決まり悪い気持ちを抱いてしまう。
こっちの心情を見透かそうとする強い眼に堪えかねた俺は、「えーっと」視線を逸らして聞かれてもいないのに弁解を始めた。
「べつに鈴理先輩達と喧嘩しているわけじゃないんですよ。ただなんとなく今はお取り込み中だったから、俺がいると邪魔になるというか。二人とも今、家のことで忙しいらしくて。令息令嬢って大変みたいっすねぇ。いやぁ、庶民の俺には分からないっす」
どっかの雑誌で見たけど、人間って後ろめたい気持ちがあればあるほどお喋りになるらしい。
まさしく俺もそれで喋りだしたらやめられないとまらない、とにかく誤魔化したい気持ちで胸がいっぱいになった。
けれど王子は俺の稚拙な誤魔化しには乗ってくれない。
「豊福。少しは気持ちに素直になってもいいんじゃないか」
微苦笑を零して俺の誤魔化しを取っ払ってきた。必死に虚勢を張ろうとしていたもんだから、その言葉には困ってしまう。
俺は素直になんてなりたくなかった。なったら、カッコ悪い自分を曝け出すって分かっていたから。
ぽりぽりと頬を掻いて視線を泳がせていた俺だったけど、やっぱり自分に嘘をついて笑顔を作った。
「気を遣わせてすみません。でも大丈夫です。お二人のことは心配ですけど、俺は全然っすよ。きっと財閥のことで何かあったんでしょうね。手を貸したい気持ちはあるんですけど、部外者ですし。俺」
「……豊福」
「うーん、なんか湿気た空気にしてしまいましたね。此処が日陰だからでしょうか? 場所を変えましょう」
何処に行きましょうか、考える素振りを見せて足を踏み出す。
刹那、視界が反転した。
目を点にしている俺を余所に、「さてとテイクアウトした後はどうするかな」とかなんとか言って御堂先輩が歩き出す。
彼女に担がれているのだと把握するのに数秒時間が掛かっ……ちょ、なんで俺、担がれてるんっすか!
「センッパイ! 下ろしてくださいよ」
身を捩って懇願する。
「駄目だ。僕は今から君をテイクアウトするんだ」
テイクアウトって、もしかして俺を御自宅まで連れて帰るつもりっすか?!
「連れて帰ってどーするつもりっすか! 俺を連れて帰っても家事くらいしかできませんよ!」
「豊福。僕はな男の子と女の子、両方欲しいんだ」
「…………いやいやいや! それを俺に相談されましても! 俺にはどうしようもできないというかっ、いや分かるけど分かっちゃいけないといいますか!」
うっわぁああ、お外で女性に担がれている情けない草食男が此処にっ!
傍から見たら男同士、宇津木ワールドが展開されているような気もするけれど、彼女は男装していても立派に女性をしているわけで。俺はそんな彼女に担がれているド阿呆男っ……な、情けない! この上なく情けない!
「御堂先輩っ!」
お願いだから下ろしてくださいっ、相手に何度も頼み倒す。
暴れて逃げ出したいけど相手が女性だから強くは暴れられない。
怪我させたくないし、向こうも習い事を習っているせいか手腕が強いしっ、ひっ……な、なんかどさくさにまぎれて直に背中を撫でられたような。
ぎゃぁああ! センッパイっ、やっぱり触っている!
ちょ、野郎の肌なんて触っても嬉しくないでしょ! 俺は貴方の嫌いな男っすよ!
悲鳴を上げまくっている俺なんぞお構いなしに御堂先輩は、マンション陰を出て大通りに向かう。
器用なことに片手でスマホを取り出すと親指で画面をスライドさせ、「迎えを頼む」誰かに連絡を入れていた。本当にお持ち帰りされるんじゃないかと怖じる俺は、人目も気にしていた。
だって日が傾き始めた道端で。大事なことだから二度言うけど日がまだある道端で女性に担がれているんだぞ。そりゃあもう、人目を気にしない奴はノーテンキにも程がある……妙に目立っているし。
世間の目は冷たいっすね。冷ややかな眼を四方八方から感じるっす。なんか誤解を含んだ視線も感じるような。それは気にしないよう努めるけど。
シクシクと涙を流していると、御堂先輩が某Lの付くコンビニの敷地に入った。まさかこの態勢でコンビニにっ……そんな非常識な! と思ったんだけど、御堂先輩はコンビニ前で待ち合わせをしていたみたい。
コンビニの小さな駐車場に停まっている一際目立つ高級車を見つけると、それに歩み寄ってコンコンっと窓をノック。
扉が開くと御堂先輩が俺の体を車内に押し込んだ。
「アイテッ」
ぽいっと放られたせいで座席に背中を打ちつけてしまう。
一体なんっすか、本気で俺をお持ち帰りするつも……マジでされるんじゃないか? だって車に乗せられたって、つまりそういうことなんじゃ。
サーッと青褪めていると、「お帰りなさいませ」凛と通った声音が鼓膜を振動した。
視線を前方に流せば、向こうの座席に着物を着た女性が腰掛けている。髪は一つに結ってお団子にしている。それから薄紫に花が描かれている柄の着物を着ているんだけど、その花が何かは分からなかった。
ただ鮮やかで綺麗な白い花だってことは分かるんだけど。
彼女は見るからに大人な女性って感じで、目分三十代だと俺はみた。よくよく顔を見つめていると、この人は一度だけ顔を合わせたことがあったような……。
御堂先輩に挨拶をした後、俺に挨拶をしてくる彼女に俺は慌てて姿勢を正すと挨拶を返した。
にこっと綻んでくる女性の名前は蘭子さんというらしい。御堂先輩のお目付けだとか。鈴理先輩でいうお松さん的ポジションかな。彼女も御堂先輩の教育係をしているらしい。
はじめましてと柔和に綻んでくる蘭子さんは直後、着物の袖で目元を押さえ始めた。
え、急にどうしたの? なんで泣き始めて……戸惑っている俺を余所に、「お嬢様が殿方を車に連れてくる日が来ようとは」蘭子さんは感動に浸っていた。
「今まで、玲お嬢様が連れてくる方はすべて女性でした。嗚呼、もしやこの方が玲お嬢様の彼女になられるのではないかといつも心配してっ。男の方が乗って下さるなんて夢のようです。口を開けば、女の子の方が可愛い。可憐、魅力的な生き物だとばかり言って」
………なんかフツーに想像がつくな。それ。
空笑いをして蘭子さんの様子を見守っていると、御堂先輩が呆れたように彼女の名を呼んだ。
息を吹き返した蘭子さんは、お恥ずかしいところを見せてしまいましたと袖で目元を押さえなおし、此方が見惚れてしまうような笑みを浮かべる。蘭子さんの微笑は本当に大人って感じ。男心をくすぐる微笑みを持っている。
つい、ぽわっと見惚れてしまった。大人の魅力ってヤツかな?
そのせいか、御堂先輩から満面の笑顔で「余所見なんていけない子」と横から顎を掬われる。
「今、蘭子に心を奪われたよな? 豊福」
「いや、そのあの」
「だったら君の瞳に僕だけしか映らないよう染めてあげる。ほら、ちゃんと僕を見て」
アッマーイ!
びっくりするくらいその台詞は甘いっす! 俺にはちょっと糖分が高いっす! 攻められたいわけじゃないけど、慣れない攻めっす!
不慣れのあまりに視線を逸らそうと「こらっ」と叱られてしまった。
「ちゃんと僕を見ていないと解放してあげない」
王子は甘い中に意地悪さも投与してきた。
そんなこと言われましても俺と貴方はご友人! 恋人でもなんでもないしっ、蘭子さんが目前にっ!
「お嬢様が殿方を口説いているなんて。蘭子は嬉しゅうございます」
なんか感動されているんだけど!
御堂先輩、普段この人にどんな苦労を掛けていたんっすか! 涙目になってるっすよ!
心中でツッコミを入れ、口説き倒してくる糖分高めのプリンセスには勘弁して下さいと愛想笑いを貫き通してその場を凌ぐ。
ようやく解放してくれた御堂先輩は、やや頬を紅潮させてどぎまぎになっている俺を目で笑った。
次いで車を出すよう蘭子さんに命じる。
「豊福様をお持ち帰りするのでしょうか?」
美しい笑顔ですったもんだなことを仰る蘭子さんに、俺は三点リーダーを頭上に浮かべた。今のは明らかに俺の中で減点対象である。
「そうしたいところだが、今日は豊福と一緒に帰ろうと思ってな。豊福、帰りまで僕に付き合ってくれ」
「え、ああすみません。送って下さるんっすか?」
「明日もバイトなんだろ? それくらいお安い御用だ。僕の愚痴を聞いてもらったお礼でもあるんだ」
彼女のイケた笑顔につられて俺も綻んでしまう。
するとプリンセスに、「今の笑顔の方が好きだな」それがいつもの豊福だと御堂先輩がウィンクしてきた。鈍感な俺は此処で気付くんだ。御堂先輩は俺を励ましてくれていたんだって。
いつもの調子を取り戻そうとあんな目立つ攻めを……嬉しいやら苦笑いやらだ。
「ありがとうございます」
うそつきな俺はやっと自分の素の気持ちを相手にさらけ出すことができた。一笑を零し、御堂先輩は口を開く。
「君には財閥の苦労というものが分からないだろう。でも、君には君にしか分からない苦労を背負っている。バイトだってそうだ。苦労しているなら、その分誰かが労わってやらないとな。それくらいの褒美が君にあってもいいだろ?」
敵わないや、目前のプリンセスには。
遠まわし遠まわし元気を出せと励ましてくれるんだからさ。
鈴理先輩とは別枠でちょっと困った攻め女さんだけど、先輩として、友達としては好きかもしれない。
初対面が初対面だったけど、二人のやり取りを見て動揺する俺にさり気ない優しさをくれたんだ。
好感を持っ……はぁあああ、これがなかったら素直に好感を持てるんだけどな。
こめかみを擦り、俺は御堂先輩に何をしているのか敢えて尋ねてみることにした。
にこにこと笑顔を作っている御堂先輩は、「此処に豊福の足があったからな」愛でているのだとのたまった。のたまってくれた。
そうっすか。
やっぱり貴方様も鈴理先輩と同類っす。変なところバッカ攻めてくる攻め女っす!
太ももを触ってくる御堂先輩に、逆セクハラだと注意を促すけど聞いちゃくれない。
「僕にも労りが必要なんだ」
なーんて言って太ももを撫で撫でお触りお触り。蘭子さんは注意してくれるどころか、「自ら殿方に触っているなんて」旦那様も奥方様も喜ばれることでしょう、と感動に浸っていた。なんでやねーん。
仕方がないので手を繋いでその行為を止めることにした。
鈴理先輩のことが脳裏にちらついたけど、自己防衛のためにこの策を取らせてもらおう。
おイタする手を結び、俺は車窓から外界を眺めた。
信号を待っている人々の多くが若人だ。休日だからどこかに遊びに行っているのかもしれない。通行人が横断歩道を交差している中、車は発進する。後ろに流れていく景色の一部に鈴理先輩と大雅先輩を垣間見た気がした。
首を捻って後ろを振り返るけど、既に見えていた店やビルは後ろに流れて小さくなってしまっている。動揺したゆえに錯覚を見たのかも。
わりと引き摺っているんだな。
二人の仲を疑っているわけじゃないんだけどさ。
よそよそしい最近の二人を目の当たりにしているから、妙に違和感と不安を覚えるんだよ。
まるで二人が俺に重大な何かを隠しているような、そんな気がして。気のせいならいいんだけど。
直後、繋いだ手が思い切り引かれた。
「へっ?」間の抜けた声を出す俺は、身構えていなかったせいかあっという間に真横に崩れた。硬いとも柔らかいとも言いがたい人の太ももに膝を預けてしまう。御堂先輩の膝に頭を預けているのだと気付き、大慌てで上体を起こした。起こそうとした。
けど御堂先輩が額を指で押してきたために起き上がれない。な、なんで、右の人差し指で押さえられているだけなのに!
「額を押さえられるとバランスが上手く取れなくなるんだ、豊福。また一つ学んだな」
極上のスマイルを見せてくれる御堂先輩に寒気を覚えたのは、俺、の、気のせいじゃないような。
「あの」何をする気で? ごくりと生唾を飲む俺に、「勿論何かをする気だ」キリッと御堂先輩が凛々しい顔を作った。キメ顔するところじゃないっす、そこ! 今のがカッコイイ台詞だと思ったら大間違いっすよ!
「では具体的な行動を示そう。恋敵がいない今が攻めるチャンスだ」
差を詰めるためにも攻めると御堂先輩が俺を見下ろしてきた。
「家に着くまでの間。スキンシップを楽しもうな」
「え、えぇええ遠慮させて下さいっす! ぎゃっ、何処に手を入れてっ! エッチィイイ!」
俺の悲鳴なんてそっちのけで御堂先輩が好き放題お触りお触り。
もう何処を触っているのか言いたくもないんで省略させてもらうことにする。一々書いていたらキリがない。全力で止めているのにもかかわらず、次第次第に肌蹴ていく制服。それをご機嫌に見やりながら鼻歌を歌う御堂先輩。
と、彼女がむむっと眉根を寄せてきた。
「鈴理め、こんなところにもキスマークを。どれだけ独占欲を見せ付けてくれるんだい。僕も付けてやろうか」
「そ、それは駄目っす! 鈴理先輩っ、付けた場所はしっかり覚えているんっすから!」
「少しくらいなら分からないさ」
「鈴理先輩に殺されるんで駄目ったら駄目です! ……っ、ら、蘭子さんが前にいるんっすよ! 変なことをしたら蘭子さんが泣きますよ! あ、ほらショックで涙目に!」
「お嬢様が殿方に触れていることを楽しんで。蘭子はこれ以上にない感激を覚えています。ああ、お構いなく。私は空気となっておきますので。なんなら助手席に座っていても宜しいですよ」
「蘭子がなんだって?」
「……。……。……とにかく、変なことしたら俺が泣くっす! 泣きますからね! っ、お構いなしと言わんばかりに触らないで下さい! 俺には鈴理先輩がいるんっす! 御堂先輩とは好きお友達でっ、お願いっすから普通に送って下さいィイイイ!」
それが無理なら降ろしてください!
俺の悲痛な叫びに却下を下した御堂先輩が空気にハートを散らしながらボディタッチをしてくる。何気に押さえつける腕が強いから、抵抗にも一苦労。傍らで涙ぐんでいる蘭子さんは止めてくれそうにないし、バックミラー越しに微笑してくる運転手さんは論外。誰も味方についてくれないんだけど!
「豊福。暑いだろ。ブレザーは脱ごうか」
ゲッ、ブレザーに目をつけてきやがりましたよ。この似非紳士王子!
「下心あるでしょ! 絶対そうでしょ! 俺は脱ぎませんからね!」
「なるほど。脱がせて欲しい願望「シャラープっす!」
「照れなくてもいいぞ」「照れてません!」「素直になることも大事だ」「そういう問題じゃないっす!」「ならやはり自分で脱ぎたい願望では」「脱ぐ方向で話を進めないで下さい!」「じゃあ僕が」「だっから俺は脱ぎません!」「………」「な、なんっすか」「豊福知っているか?」「何をっすか?」「抵抗されると」「されると?」「とても燃えるんだ」「燃える?」「………」「………」
「さあ豊福。いい子だからジッとして。でないと、もっと恥ずかしく脱がせてしまうぞ。そうだな、自分から脱がせて下さいと頼むようまずはロープで縛って。それから」
満面の笑顔でビシッと親指で自分の首を切る仕草をするプ王子。
あれ? 先輩? 自称紳士を名乗っていたくせに、ちょ、爽やか王子はいずこ?! これじゃ意地悪系王子っ、いや鬼畜系王子っす!
しかも何気に鈴理先輩より攻めが怖いっ!
「あ、あぁあの、御堂先輩。お気を確かに。なんかへ、変っすよ」
へらっと笑みを向ける俺に、「そんなことないぞ」僕は至って普通だと御堂先輩はにこっと笑った。
にこっというより、にやって表現の方が正しいかも。
「脱ぎたいよな?」
笑顔で脅してくる御堂先輩。
これ以上逆らうと妙なスイッチを入れそう……本能で分かっていてもおばかな俺は頭を横に振ってしまう。
カチリッ、音なきスイッチを聞いた気がした。
「そうか。だったら素直にさせてあげる。豊福」
きらめきカッコ星マークカッコ閉じる、ときめきカッコハートマークカッコ閉じる、プリンスエンジェルスマイルを放った御堂先輩は、そう言って口角を持ち上げた。
この台詞を聞いた直後、俺の世界は暗転。
気付けば自分の家のアパート前で下車していた。ふらふらになっている俺の手には脱いだブレザーがあったりなかったり。
あれ、俺、いつの間にブレザーを脱いだんだっけ? 首を傾げてしまうレベルまで思考が低下。
とにもかくにも俺は短時間の間で地獄を見たとしか言いようがない。
やばい、御堂先輩は鈴理先輩より鬼畜かも。攻め方がえぐい。
キスとかはされていないけど、まさかあんなことやこーんなことをした上にやーんな言葉攻めと拘束まがいなこともっ、ぎゃぁあああ! あの人の攻めを口で語るのも怖い……精神的にくるってまじで!
取り敢えず思ったことは、御堂先輩を過度に拒絶すると痛い目を見るってことだ。
ちなみにちなみにブレザーは自分で脱ぎました。はい。脱がさせて頂きました……はい。
戦場からどうにか帰還した負傷兵士のようによろめいている俺に対し、清々しい表情を浮かべる御堂先輩は「今日はゆっくり休むんだぞ」明日もバイト頑張れ、と声援を送って俺のぼさぼさな頭を撫でてきた。
髪がぼさぼさなのは勿論目前の人のせいだ。
「ば。バイト頑張るっす」
力なくにへらっと笑う俺に、素直で宜しいと御堂先輩がきらっと笑顔を輝かせる。
「素直な子は好きだぞ。意地っ張りな子も好きだけどな。まあ、意地を張るならそれだけ素直にさせればいいだけ。な?」
王子が垂れ下がっているもみ上げを耳に掛ける。
ボソッと呟いた台詞に俺はピシッと硬直した。脳裏に蘇るのはさっきの悪夢の数。み、御堂先輩怖いっ……鈴理先輩より怖いっ!
「素直にする行為をヒトは調教と呼ぶのかもしれない。
しかし、それによって僕のことを体に教え込むことができるのだから、此方にとっては好都合。だから豊福は何度だって意地を張ればいい。何度だって心と体に僕を教え込むから」
前に鈴理先輩が王子のことを腹黒いって言っていたけど、なんとなく意味が分かった気がする。
あたし様よりは攻撃力はないけれど、彼女よりかは計算高い。ゆえにお腹が真っ黒だと思われる。
改めて俺は送ってもらったお礼を告げ、御堂先輩を乗せた車が見えなくなるまでお見送り。ひらひらと手を振って佇んでいた。
そして見えなくなると、がっくし脱力。
「つ、疲れた。下手すればバイトよりも疲れたかも」
歩いて帰った方がマシだったかもしれない。
「肉体的な攻めが強いのは鈴理先輩。精神的に攻めが強いのは御堂先輩。はぁああ、身が持たないって。鈴理先輩は押し倒しが中心だけど、御堂先輩は言葉が中心。どーしよう、貞操が守れる気がしなくなってきた」
どうして俺を好いてくれる女性って、こうも押しが強いんだろうな。
二人とも悪い人じゃないんだけど、どうにも攻め方に問題がある。俺って男だったよな? と疑問に思う行動を沢山してくれるというか、御堂先輩のさっきの攻め方は悪夢だったというか。
深い溜息をついて俺はアパートに爪先を向けた。
「帰ったらちょっと寝よう。ほんと疲れた」
今日は沢山のことがあり過ぎたしな。
鈴理先輩と大雅先輩のことが気掛かりだけど、今の俺にできることはなさそうだ。月曜日に話題を吹っ掛けてみてもいいけど、ちょっと様子を見ないと聞くことさえ気が引ける。
御堂先輩が元気付けてくれなかったら、もっとヘコんでいたんだろうな。あの人には感謝しないと。
俺は不安を振り切って今度こそアパートに向かった。
少し休んだから、夕飯を作らなきゃ。今日はジャガイモが残っていたから、肉じゃがでも作ろう。
「――もういい、出せ」
御堂先輩達が乗っていた黒光りしている高級車とは対照的な真っ白い軽自動車が、息を潜めて此方の様子を見ていたことに誰も気付かなかった。
アパートに戻る俺も、車で自宅に向かっている御堂先輩も。




