11.こっちも緊急事態
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前略、今日も不況の波にもまれながら汗水垂らしている父さん、母さん……ではなく、天国にいる実親の父さん、母さん。
あなた方の息子豊福空はこっちの父さん母さんと緊急家族会議を開いている真っ最中です。家族会議がある、つまりそれは家族内で良からぬことが起きた証拠です。
でも大丈夫、何が遭っても家族で力を合わせればきっと乗り越えられる筈です。
「そう、ですか。給料が10%カットに」
………多分。
ちゃぶ台を囲んでいる俺達の間に沈黙が落ちた。
シーンと静まり返っている居間の向こうに見える流し台から、ピチャンっと水音が聞こえる。母さんが蛇口をしっかり捻っていなかったせいだろう。二、三度雫の落ちる音が聞こえてきた。
このご時勢、水だって一滴辺りにお値段がついているんだ。無駄にはできな……じゃなくってえーっと、給料が10%カットか。厳しいな。
ちなみに給料が10%カットとはなんぞなもし? と思われた方、意味はそのまんまです。
来月から父さんの給料が10%カットされることになりました。
なんでかってそりゃあこの世の中、不況の不景気で就職難だぞ。正社員になることだって難しいんだから、給料のカットだって当然出てくると思う。父さんの勤めている会社の経営が苦しくて、来月から10%給料をカットする方針が固まったらしい。既に同意書にはサインをさせられたそうな。
ただでさえ苦しい生活を強いられているのに、10%カットされたら堪ったもんじゃない。ぶっちゃけ我が家では暮らしていけないレベルだ。
「すまない。お前達には苦労を掛けてばかりだ」
父さんががっくりと項垂れる。母さんも俺も大慌てで父さんを慰めた。
「裕作さんのせいじゃありませんよ。リストラされるよりは全然マシじゃありませんか」
「そうだよ。父さんが悪いわけじゃない。日本は不景気なんだから。カットされた分はどこかで節約すればいいんだし」
けど父さんの気は病みっぱなしだ。すっげぇ落ち込んでいる。
「裕作さん。大丈夫ですよ、私、内職見つけましたから」
先に給料カットの報告を受けていた母さんがどどーんとチラシを広げた。
今も内職をしている我が家、その内職も短期だからもうすぐ終わってしまう。だから母さんは他の内職を探していたらしい。
「テープ起こしの内職です。月収六万入りますよ」
母さんは鼻高々にチラシを見せびらかす。
おおっと声を上げ、俺は拍手した。ちなみにテープ起こしってどんな仕事かっていうと、簡単に言えば音声データのテープを起こす仕事。
会議や講演会等などで録音された音声をパソコンで文字にする仕事なんだって。
母さんは前にもデータ起こしをしたことがあるらしい(母さんって機械には強いんだよな)、今回もこれで収入を得ると言い切った。
「パソコンは友人から借りますし、パート後に家でこの仕事をしようと思います。だから裕作さん、元気出してください」
「すまないなっ……もっと稼ぎが良ければ」
「家族が健康に過ごせれば何よりじゃないですか。ね、空さん」
うんっと頷く俺だったけど、母さんもパートで仕事をしている身の上。パート後の内職は辛いんじゃないかな。
んじゃあ俺がテープ起こしをすりゃいいんだろうけど、生憎機械はてんで駄目なんだよな。携帯のメールを打つのも、十分は普通に掛かるもん。
そろそろバイト見つけないとな。
両親ばっかに苦労は掛けられない。悶々思案をしていると、「学生の本業は勉強ですよ」母さんが先手を打ってきた。
俺は補助奨学生だ。成績が落ちれば奨学生を外されてしまう。折角苦労して学校に入ったんだから、ちゃんと卒業しなさい。それが親の言い分だった。
それは分かる。
分かるんだけど、やっぱり何もしないってわけにはいかない。
せめて土日だけでも働けたら……思いの丈が強くなった俺は決心した。
やっぱりバイトを探そう!
このままじゃ給料日前はいつも、もやし炒めになっちまう!
「――へえ、だからバイトを探しているんだ。なんか、大変だね。空くんのところは。勉強だって大変だろうに」
翌日。
教室で無料求人情報誌を捲っていた俺に、そう同情してきたのはクラスメートのエビくんだった。
そりゃ大変かもしれないけど、もっと大変なのは親だし、生返事した俺は情報誌のページを捲った。
うーん、土日限定ってところはなかなかないな。
土曜日は補習が入ったりするからなるべく夕方から夜。早くても昼過ぎに入れるバイトがいいんだけど、そう簡単に上手い話もなさそう。
居酒屋でもいいんだけど、あんまり遅くなると親がとやかく言うんだよな。
うちの両親はまだ誘拐の一件を引き摺っているから。俺も心配を掛けたくないし。
「いやでもさ。やっぱお前偉いぜ、」
隣の席に座っているアジくんが俺に声を掛けてくる。
「勉強と生活を両立させようとしているんだからさ。偉いも偉いじゃんかよ。それにこの学校はバイトに甘いから、担任にそのことを話して許可書を書けば、気兼ねなくバイトできるし。しようと思えばできるもんな」
「うん、担任の瀬能には今朝伝えたんだ。生活が関わってくるから、多少の考慮はしてくれるみたい。俺、これでも全学費免除してもらっている奨学生だしさ。学業を疎かにはできないんだけど、生活のためなら少し甘めにみてくれるって。補助奨学生の場合、学年テストは常に十位内には入らないといけないんだけど、二十位まで許容しておくって」
「うっはー。それでも厳しくね?! だって一学年五百人はいるんだぞ? この学校は名の通ったブランド校だしさ。それなのに二十位以内……鬼だ! でも空、いつも五位以内に入っているよな。名前しょっちゅう見る」
嫌味の如く頭がいいよな、アジくんが頭の後ろで腕を組んだ。それだけ努力しているんだってアジくん。
これでも俺は毎日必死なんだよ。鈴理先輩の激しい攻めから必死に逃げているように、勉強面でも必死なんだ。勉強に関しては負けず嫌いってのもあるんだけどさ。中学時代、塾に通えなかった思い出が俺を焚きつかせているんだ。
「見た目じゃ笹野の方が頭良さそうに見えるけどな」
アジくんの言葉に、エビくんが眼鏡を掛けているからでしょ、と不機嫌に返す。
眼鏡を掛けているイコール、頭がいいと思うなよって目が訴えていた。
睨みに怖い怖いとおどけるアジくんは、俺に視線を流してなにか見つかったか、と声を掛けてくる。
「うーん。高校生を雇ってくれそうなところはなかなかないや」
俺は吐息をついて情報誌のページを捲った。
一番良いのはコンビニだろうけど、ちょっち時給がな。
深夜の時給は高いけど、昼間はギリ600円台だもんな。俺、高校生だし。四捨五入すれば700円だけど、贅沢を言えば700円台のバイトに就きたい。勉強の時間を削ってバイトに入るんだ。それなりの見積もりは欲しい。
給料10%カットだと、三日に一回はもやし炒めになる計算だもんな。早くバイトを見つけないと。
だっけど良いバイトがないな……ひとつ溜息を零し、俺は情報誌を閉じた。
「弱ったな」
一日でも早くバイトを見つけて食い扶持を探さないと生活ができない。
母さんの内職だけじゃ心配だしな。俺自身の小遣いも欲しいところだし。
うんぬん悩んでは溜息をつく俺に、「焦るなって」焦っても結果は同じじゃないか、アジくんが励ましてくれた。
「なあ空。財閥の先輩達に相談してみたらどうだ? あの人達なら、働き口とか探してくれそうじゃんか」
「駄目だめ。鈴理先輩達には頼れないよ」
「なんで? 金を借りるわけじゃないじゃん」
「なんて言うのかな。財閥だから頼るとか、働き口が探せそうとか、そういった相談を向こうに持ちかけるのは嫌なんだよ。鈴理先輩達は優しいから、頼めば探してくれそうだけどそれじゃ駄目な気がする。これは俺の家の問題だし。先輩達とは純粋に恋人友達関係でいたいんだ。余計な気を遣わせたらカッコ悪いじゃんか」
やっぱり自分の手で探さないと。
意気込む俺に、「男らしいな」今のは痺れたとアジくんが褒めてくれた。
いやいや、アジくんの方が二倍も三倍も男前のくせに。肘で脇腹を小突いたら、「お前ほどでもねぇって」アジくんが照れて脇腹を小突き返してきた。傍らで見ていたエビくんが大層呆れていたけど、いつものことだったから気にすることはなかった。
「あ。そういえば空くん。最近、竹之内先輩と一緒にいるところ見ないんだけど。彼女、二階堂先輩とよく一緒にいない?」
エビくんが手を叩いて、俺に疑問をぶつけてくる。
もしかして喧嘩でもしているの? エビくんの問い掛けに俺は首を横に振った。
「家のことで忙しいみたいなんだ」
最近、鈴理先輩も大雅先輩も財閥内でゴタゴタしているらしく、慌しい毎日を送っている。令息令嬢の務めっていうのかな。
二人から直接そう説明された。大雅先輩から「鈴理を借りるからって泣くなよ」とか揶揄されたし、鈴理先輩からは「寂しい時は電話しろ。襲ってやるから!」とかケッタイなことを言われた。
大変だよな、財閥の子供も。習いたくもないお稽古を沢山習わされるわ。勉強させられるわ。厳しくマナーは身に付けさせられるわ。
お昼ご飯は一緒に食べているけど、それ以外は会う機会が殆どない。俺も多忙なんだろうなと思ってそっとしている状況だ。なんか邪魔したら悪いもんな。
(ただ……なんだろう。最近鈴理先輩と大雅先輩に違和感を覚えるんだよな)
仲を疑っているわけじゃなく、妙に違和感を覚えるんだ。なんだろうな、この違和感。
眉根を寄せて思案に耽っていると、「あれ、バイト探しているの?」第三者から声を掛けられた。
俺はフライト兄弟と一緒に顔を上げて声の方を見やる。
そこにはクラスメートの瀧さんが立っていた。クラス内では人気のあるお淑やか系女の子。ぽわほわな癒し系女子なんだ。んでもって頭が良いから、俺はよく彼女と勉強の話をする。いつまでもお友達でいたい優しい子だ。
柔和に綻んでくる瀧さんは俺の机上に放られている雑誌を手に取り、「バイトするの?」俺達に視線を配ってきた。
「空くんが探しているんだって」
エビくんが俺の代わりに事情を説明してくれる。
ふーんと鼻を鳴らす瀧さんは、「その条件なら駅前の茶屋に行ってみたらいいよ」耳寄りな話を持ちかけてきてくれた。
「知ってる? 和菓子で有名な茶屋」
茶屋。
ああ、この前鈴理先輩やフライト兄弟、御堂先輩に親衛隊と言った和菓子専門の喫茶店か。知っていると返事すると、あそこでバイトを募集していたと瀧さんが教えてくれた。なんでもよくあそこのお団子を買いに赴くらしいんだけど、そこで丁度バイト募集のチラシを見かけたらしい。
しかも週二日OKで高校生歓迎、休日大歓迎だったとか。時給も700円台でそこそこ良かったとか。
まさしく俺得じゃんか!
「こういった情報誌って、人が寄ってくる倍率も高いし、良いバイトって見つけにくいの。だから行きつけのお店を隈なく見た方がわりと良いバイトがあるってお姉ちゃん言ってたよ。豊福くん、どう? 行ってみる価値あると思うんだけど」
「ありがとう瀧さん! 早速放課後に寄ってみるよ!」
「頑張ってね」綻ぶ瀧さんに笑みを返して、俺は採用してもらえたらいいな、と先走ったことを口ずさむ。
気が早いとフライト兄弟にツッコまれたけどお得情報は逸早く自分のものにしたいもんじゃんか!
もし駄目でも、瀧さんの助言に従って飲食店を中心にバイト募集のチラシがないか探してみよう。そうしよう。
そうだ。バイトが決まっても暫くは先輩達には黙っておこう。多忙な鈴理先輩達に余計な気遣いはさせたくないし。
なによりお金が入ったら、鈴理先輩から借りている携帯も返せる。自分の携帯を持ったら先輩の携帯は返すって約束だ。
それを果たす良い機会でもある。俺は早く放課後にならないかな、と胸を躍らせていた。
頭は既にバイトのことでいっぱいになっていた。




