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10.緊急事態発生



 □ ■ □



 鈴理が事の騒動を知ったのは彼氏の泊まりから帰宅して直後、夕暮れの刻のことだった。

 久しぶりに有意義な時間を過ごせたため、文字通り鈴理はご機嫌もご機嫌。機嫌のベクトルは天を向いていた。

 軽やかな足取りで自室に戻り、荷物を机上に置くとベッドに腰掛けて泊まり会の一夜を思い出す。


 スマホを片手に思い出していたのだが、それはそれは楽しい一日だった。

 相変わらず彼氏は初々しいし、キスをすればするほど溺れてくるし、触り心地も最高で以下省略。


 両思いになったことでその行為に拍車が掛かってくる。いずれは彼氏を食らうのだと意気込んでしまうのは、仕方のない欲情なのだろう。


 弾んだ気持ちを抱えて携帯を弄った。

 お気に入り小説サイトの更新はされているだろうか? チェックするために十字キーに指を掛けていると、突然携帯が声を上げた。


 着信だ。

 相手は誰だろうか。

 ディスプレイを覗き込む。表記は『二階堂大雅』だった。


 よっぽどのことがない限り連絡を取り合わないため、許婚からの連絡に鈴理は目を剥いた。

 ボタンを押して電話に出る。此方が何かを言う前に、


『鈴理。まじどうする?!』


珍しく焦った許婚の声が鼓膜を振動した。

 喧嘩ばかりしているが、許婚とは悪友である。何かあったのかと相手を宥めながら用件を尋ねる。


 すると何を言っているのだと大雅は頓狂な声を出した。が、鈴理の落ち着きっぷりを察して、お前はまだ知らないんだな、と苦言を漏らした。妙な胸騒ぎを感じてしまう。


「どうしたんだ?」


 大雅に繰り返し聞くと、彼は重々しい口調でのたまった。


『親父達が婚約式の日程を決めるって言いやがった』


 婚約式……誰と、誰の?

 急激に口腔が渇いていくのを感じながら、敢えて相手に尋ねる。大雅は間を置かずに名を紡いだ。自分と鈴理の名を。


 目の前が真っ白になりそうだった。

 自分達の婚約式を決める? 両親が? そんなこと一言も聞いていないのに? 動揺を露にする鈴理に、自分も今さっき聞いたのだと大雅は吐息をつく。

 自室にいた自分に親が前触れもなく告げてきた、大雅は声のトーンを落とす。


 近々両親は許婚から婚約者にさせるつもりなのだ。

 きっと契機はニュースでも取り上げられた二階堂財閥のM&Aだと思う。


 大雅は舌を鳴らした。


『不景気で財閥界も荒れているからな。財閥同士の“共食い”も目立ち始めているらしい。だから繋がりを強化したいんだろう。俺達を使って』


「まったくもって不愉快だっ。本人達の意思関係なくっ、婚約式の日程を決める? 馬鹿も休み休み言え!」


『俺に当たるなって。俺だってショックだったんだからな。別に俺はテメェのことが嫌いじゃねえ。けど恋愛対象外だ。お前もそうだろ? 両親も分かっていると思っていたんだが……まさかこんなにも早く事が運ぶなんて。

 先に親しい身内だけで婚約式が、後日正式な婚約式が行われるらしい。日程は未定だが、そんなに時間はねぇぞ。お前、豊福と別れるつもりは?』


「あるわけないだろ! くそ……、父さまも母さまも勝手過ぎる」


『本当にな。昔からそうだ――財閥の令息令嬢なんて』


 含みある台詞は共感を(いざな)った。

 最悪だと低く唸る鈴理は上体を倒してベッドに身を沈める。

 柔らかな髪を散らして、鈴理は今から両親に確認を取ってくると婚約相手予定に告げた。聞いたところで結果は同じだろうが、そうした方が良いと大雅も唸った。電話越しから聞こえる溜息の重さは現在の感情に比例しているに違いない。


 行き場の無い激情に駆られていると、『てめぇ豊福のところに泊まってきたんだろ? 食ってきたのか?』大雅がオブラートもへったくれもない質問を飛ばしてきた。

 また一つ呻き声を上げ、健全な一夜を過ごしてしまったと鈴理は鼻を鳴らす。


 やや気持ちが軽くなったのか、『ッハ。ドヘタレ』なあにしているんだと大雅が揶揄してきた。間違ったって電話越しの相手には言われたくない台詞である。

 口を曲げて、「仕方がないではないか」空が逃げてしまうんだからと相手に八つ当たりする。


「あれでもあたし想いだから、スチューデントセックスを安易に考えていないんだ。あいつは」


『うそつけ。土壇場で逃げられているだけだろうが。お前はいつだってマジだろ?』


 ご尤もである。

 反論ができずに舌打ちを一つ鳴らした。

 やっぱりな、電話越しに大雅が声のトーンを高くした。今頃勝利をもぎ取ったあくどい表情をしているに違いない。長い付き合いなのだ。容易に表情が想像できる。


 そう、大雅とは長い付き合いなのだ。性格が似ているせいか喧嘩ばかりしているが、長い付き合いである。

 物心ついた頃から、いやつく前から大雅と一緒だった。なんというか大雅とは姉妹達とは別枠の兄弟みたいな目で見ている面がある。


 だからこそ恋愛対象外なのかもしれない。許婚という関係ではあったけれど、大雅をそういう眼では見たことが無かった。


「このままでは大雅を受け男にしなければならないではないか。あんたの体躯はタイプじゃないぞ。抱き心地が悪そうだ」


 鈴理の愚痴に、


『冗談言うな。俺は受け身じゃねえっつーの!』


鳴かされるなんてごめんもごめんだと大雅。

 俺こそお前を淑やかな女に調教しないといけねぇよ、と反撃され、「ほざけ」鈴理は一蹴した。恋愛の主導権はすべて自分にあってこそ攻め女なのだと言い返し、大雅と自分じゃ無理だと身を起こした。


「一度電話を切るぞ。父さまや母さまに確認を取らなければ」


『ああ。確認したら、また電話してくれ。マジこれは俺だけじゃどーしょうもねぇからよ。てめぇと話し合いたい』


「分かった。折り返し電話する」


『なあ鈴理。この話は一日二日じゃ片付かねぇと思うぞ……豊福には言うのか?』


 気遣いを含んだ声音に鈴理は口を閉ざす。

 大雅自身、鈴理と空の関係は認めているし、客観的に見ても応援側に立っている。先輩後輩関係ではあるが彼は空と()き友人として仲を築き上げているのだ。純粋に心配しているのだろう。


 鈴理と大雅の許婚関係を知りつつ、鈴理の彼氏に立っている空の立ち位置はわりと複雑である。

 あまり気にした素振りは見せていないものの、鈴理は先方のことを思い出していた。玲が強く放った、言葉。



“鈴理、豊福が許婚の存在を気にしていないと思っているのかい? まさか、彼が気にしてないとでも本気で思っているのかい?”



 ダンマリになっていると、『俺達も混乱している』ちょっと様子を見よう、と大雅が提案した。


『これを豊福に言えば、ぜってぇショックを受けると思うぞ。あいつってほら、結構気を回すタイプだろ? 俺達のことで変に気を回されるかもしれねぇし。ちと様子見でいこうぜ。俺達も落ち着きてぇ』


「ああ。そうだな。あんたにしては説得力のある台詞だ」


『あん? 俺をなんだと思ってやがるんだよ』


 勿論、アスパラベーコン巻系似非俺様男子だと思っているさ。

 やっと零れた笑声を相手にぶつけてやり、鈴理は大雅にまた電話を掛けると告げて画面に指を掛けた。


 スマホの縁をなぞり、


「そろそろ新機種のスマホにしたいな」


強請ればいつだって新機種のスマートフォンにしてもらえるだろうと独り言をぽつり。

 しかし幾ら強請っても簡単に自分の意思が通らないこともある。どんなに相手のことを好きだと両親に告げても、心に響かないことが。


「姉妹の誰より低評価しているくせにっ……とにかく話を聞かないと」


 ベッドから下りた鈴理はスマホを布団にぞんざいに放り、早足で自室を出た。 

 扉の開閉は荒々しく、付近にいた召使達が鈴理の機嫌に憂慮の念を抱いていたのだが彼女は気付かなかった。




 一方、スマホの画面をタッチしてそれを机に置いた大雅は、長い足を組み、その太ももの上で頬杖をついた。


「ついに鈴理を(めと)るのか」


 冗談じゃない、それこそ悪夢だ。

 あいつの旦那になった日には何をされるか。


 許婚とは昔から気が合わないのだ。

 口論ばかり、喧嘩ばかりして、日々を過ごしてきた彼女とは気が合わない。鈴理の好みも変わっていたため、自分の立場を棚に上げてこいつに彼氏なんてできるのだろうかと思った日もあった。


 彼女とはいつだって対等な兄弟分として見ていたのだ。

 だからこそあの変人に彼氏が出来たと聞いた時は、やや懸念を抱いたのだが…、彼氏は鈴理好みの男。そして話せば結構いい奴だと分かった。必死に鈴理を守った功績もある。大雅は彼を認めていた。


 複雑な立ち位置にいる後輩を想い、大雅はまたひとつ溜息をつく。


「変なところで勘がいいからな。豊福。どーすっかなぁ。いつかはぶつかる問題だと思っていたけど…、俺、受け男にはなれねぇし。あいつにはこれからも鈴理のお守りをしてもらいてぇし」 


 でも親父達が簡単に許婚を白紙にする筈もない。

 簡単にできるものなら、自分達の喧嘩を見てすぐに白紙にする筈なのだ。


 けれど両者の親はそれをしなかった。

 喧嘩に苦笑いを浮かべながらも、どこかで期待しているのかもしれない。自分達の関係の進展を。


「無理だ、おれはあいつを抱けねぇ。想像するだけでもおぞましいっ!」


 肌を粟立たせ、大雅は組んでいる足を変えた。



「何事もなく終わってくれたらいいんだけどな。鈴理達が傷付くことなく終われば――」




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