14.君の見る世界
□
情緒不安定の俺を察してくれた先輩は、いつもみたいなアダルト展開は避けてくれた。
食われても良いと言った手前、もしかするとそういう展開になるかもしれない。高校生という年齢制限の枠は飛び越えてしまうかもしれない。
片隅で緊張感を抱いていた俺だからこそ、先輩の小さな気遣いには感謝した。
口ではセックスうんぬん口走っていたけれど、今の彼女にそういう気はなく、俺が本調子になるまで、ジッと傍にいてくれる。イケメンとは鈴理先輩を指すに違いない。あ、先輩はイケウーマンか。
告白後、俺は先輩とホテルのレストランで遅めの食事を取り、別個でシャワーを浴びて寝支度を始めていた。
順に先輩がシャワーを浴び、俺がその後に浴びる。まさしく今は入浴の真っ最中だった。
ぼんやりと生ぬるいシャワーを浴びる。
高揚していた気持ちが次第に萎み、冷静になる自分が出てくる。
するとどうだ、また言い知れぬネガティブの波に呑まれる。冷水にして気持ちを落ち着けてみるんだけど、もやっとした気分が心中を占める。
元気になれという方がまだ無理なのかもしれない。俺は一番の親不孝をしちまったんだから。
彼女は俺のせいじゃないと言ってくれた。
けれど、間接的に原因を作ったのは紛れもない俺なんだ。あの時、聞き分けが良かったら。後悔しても、何も変わらないんだけどさ。
じっくり冷水で体を清めた俺は冷たい体をそのままに脱衣所で体を拭いて、着替えに手を伸ばした。
とはいえ、着替えも何もないから制服に身を包むしかない。
下着も身に付けないわけにいかないから、さっきまで穿いていたものを……あれ。
「真新しい下着とパジャマが用意されている」
そして俺の制服が消えているというミステリー。
なにこれサービスですか? ホテルってそんなに気前がいいのか? それとも先輩がお松さん辺りに頼んで用意してくれたのかな?
サイズも俺の体に合っているから、やっぱこれは俺のために用意されたものだ。
「制服は洗ってくれているのかな」
他に着る物もないから有り難く着用。
他人事のように消えた制服の行方を考えつつ、タオルで髪を拭きながら部屋へ戻る。
一室は闇に包まれていた。鈴理先輩は先に寝てしまったのだろうか?
「戻って来たか、空」
彼女はパジャマ姿で窓辺に立っていた。
どうやら景色を見ているらしい。恍惚に闇夜を見つめている。さぞ夜景が綺麗なんだろう。この部屋15階だから、俺には歩めそうにない。
顧みてくる先輩に戻ったと返事し、窓の外には何が見えるのか訊ねた。
間を置かず、彼女はネオンの幻想が見えると返答。
よく分からず首を傾げれば、先輩がトコトコとこっちにやって来る。「よっこらしょ」の掛け声で俺の膝裏に手を入れるや満足げに人の体を持ち上げた。
対照的にバランスを崩し、先輩の腕の中に納まる俺は引き攣り笑いで彼女を見上げる。
前触れもなしに、お姫様抱っこはやめて下さりません? 先輩の腕力と、俺の置かされる現状二つに疑問と嘆きの声を上げないといけないじゃないか。
「ん? 空、体が冷たいぞ。ちゃんとぬくもってきたのか?」
冷水を浴びていた体は、彼女のぬくもりが異様に心地よく思える。
「……ちょっと体を鍛えてみようと思いまして、水浴びなんて少々」
嘘をついてもばれてしまうので、正直に白状。
途端に先輩は不機嫌になった。
「この馬鹿! 今の季節の水は体に毒だぞ。風邪でも引いたらどうするんだ。それともあたしにぬくませようとする新たな手口か? そうだとしても、だ。体を壊すことは禁止だ。いいな?」
そんな乙女思考は持ってませんのでご安心を。
「取り敢えず、おろして下さい」
俺の訴えを退けて、先輩は目を瞑るように言う。
目を……? まさかヤーンなことするんじゃ。訝しげに彼女を見つつ、俺は従順に瞼を下ろした。指示に従わなかったら後が怖いしな。
俺が目を閉じている間に、先輩は移動を開始。
ほどなくして目を開けても良いと許可が下り、そっと俺を下ろしてくれた。
ゆっくりと目を開ければ、綺麗な窓ガラス。反射している窓ガラスを見た瞬間、俺は恐怖のあまり悲鳴すら上げられなかった。
こ、此処は窓辺っすか! ちょ、俺、高所恐怖症! なにっ、俺を窓とかいたらん場所に連れて来てるんっすか!
顔面蒼白、俺は急いでこの場から逃げようと試みる。
けれども先輩が手首をしっかり掴み、見事戦闘離脱に失敗。
「は、放して下さいっす! 此処は無理っす!」
喚く俺に、「落ち着け。高いけれど此処は絶対に落ちないから」先輩は努めて優しく宥めてくれた。が、しかし、そう簡単に落ち着けないのが残念豊福空。
何年高所恐怖症に付き合ってきたと思っているんですか。何度も乗り越えようと試みて失敗しているんっすから!
先輩だってさっき言ってくれたじゃないっすか。高所恐怖症を治すには十年、二十年、長い目で見ないとって。
「無理っすよ!」
嫌だ嫌だ、此処は絶対に無理だと逃げようとする俺に、「ダイジョーブ」先輩は満面の笑顔を作った。
「あたしが大丈夫と言うんだ。空、大丈夫、ちょっと外を見てみろ」
頑なに首を横に振る俺に、「空は下ばかり見ているんだ」先輩は窓の外を指差した。
「誰だって下を見れば怖いさ。目の眩むのような高さに、あたしだって怖じる。けれどそれ以上に、前を見てみれば素晴らしい世界が待っている。
あたしはな、空。
こうして高い所から風景を見るのが大好きなんだ。昔から大好きなんだ。
なんでだと思う? 世界が広いと思えるからだ。下を見ればちっぽけな世界しか目に映らないが、前を見れば満目一杯に世界が広がる。あたしは令嬢ばかりの世界に囚われていた。金持ちの仕来り、身分、立ち振る舞い、個性ではなく上辺ばかりを見られるその世界に飽き飽きしていた。
そんな時、励ましてくれたのはこの広い世界だった。
高い所から見る世界は本当にどこまでも、どこまでも広がっていて、嗚呼、あたしの悩みなんてちっぽけだなっと思った。
そう、あんたは今、小さな世界しか見ていないんだ。
確かにご両親の事があるかもしれない。哀しい記憶、辛い怪我、胸を刺す過去のせいで、あんたは高所から見る絶景に怖じてしまった。きっと亡くなられたご両親も悲しい思いをしていると思う。こんなにも広い世界を見られないなんて、と。
空、あんたの名前、あたしは好きだ。どこまでも広いひろい空の名が付いている、あんたの名前は本当に好きだ。そしてあんたは、名前の通り、自力で世界を広げようとしている……実はな、空。今だから言えるが、あたしは最初こそ、あんたが嫌いだったんだ」
語り部に立つ先輩の衝撃的な発言に目を削いだ。
嫌われていたんっすか。ショックより驚きが強い。だって初対面が初対面だから。
先輩は話を続けてくれる。
「最初にあんたに出会ったのは、今から一年前。市民図書館だ。ほら、あんたが受験勉強をしていたという、あの図書館だ。習い事に行く前に、あそこで本を借りるのが当時あたしの習慣でな。
恋愛小説を借りては返し、また新しい小説を借りる。
借りては返し、借りては返し、あたしは読みふける恋愛に憧れを抱いていた。
その頃のあたしは恋愛にすこぶる憧れを抱いていてな。
姫のような男の娘が現れて、守りたいと思うような感情に駆られたいと思っていた。ふふっ、昔も今も根っからの攻め女だったんだ、あたしは。好きなタイプは今と随分違ったが。
ある日、あたしはいつものように図書館に向かった。
そこでおや、見慣れない学生がいると気付いた。それが空、あんただ。
図書館の常連になっていたあたしは、大体の常連客の顔は憶えていたんだ。時々見慣れない顔がいると、何かレポートでも書きに来たのかと思うほど、あたしはそこの常連だった。
空は眉間に皺を寄せて、参考書を開いていた。勉強しているんだと分かったんだが、思うことはなく最初はそれで終わった。
そして帰る時だ。たまたまあたしと同じ時間帯に図書館に出た空が独り言を呟いたんだ。
『金のある奴には負けて堪るか。あいつ等は暇人ばっかだ』
それがあたしには、まあ、腹立たしくてな。
なんだそれは金持ちに対する当て付けか? 金持ちには金持ちの悩みがあるんだが。カッチンときたあたしは、そいつの顔をすぐに憶えた。
空は毎日のように図書館に来始めた。
あたしが図書館に行ったら、必ずあんたがいて勉強をしている。時間のある奴はいいよな、そうやって悠々図書館で勉強できるのだから、とあたしは心中で皮肉った。
なんというか時間を自由に使えている空が羨ましくて妬んでいたんだ、その頃は。
どーせその内、飽きてどっかに行くだろう。
それまでの辛抱だと思っていたんだが、あんたは何ヶ月経っても毎日図書館に来る。
ええい、あたしへの当て付けか! 折角のお気に入り場所を汚された!
苛々しながら毎日通っていたさ。何を勉強しているか知らんが、さっさと消えちまえと何度思ったか。
そして秋に入った頃だ。
毎日欠かさず図書館に通っていた空がその日は見受けられなかった。
とうとう飽きて場所を移動したか、そう思っていたのだが、あたしが館外に出ると憎き中学生を見つける。
空は答案片手に茜空の下、つくねんとベンチに腰掛けていた。
何をしているんだろう、もしかしてテストで悪い点でも取ったのか?
性悪なことを思ってあんたを観察していたら、空は疲れ切ったように独り言を漏らしたんだ。
『働いた方がいいのかな。受験は金が掛かる……父さん母さんの負担になっちまう。今の俺じゃあの学校に入れても、普通に入れるだけ。特待生になれない。もう、いいかな。努力することに疲れちまった』
言うや手元の答案用紙を破き、それを丸め込んでしまう。
まるで自嘲するように、もういいのだと自分に言い聞かせる空の横顔は切なかった。今にも消えそうな姿だった。
『卒業したら働こう。いいんだ、どうせ塾生には勝てない』
程なくして空はベンチから立ち上がり、答案用紙を近場のゴミ箱に投げる。入ることなく、地面に転がったというのに空は見向きもせず、図書館の敷地を出ていく。
腹立たしい男だったが、毎日のように通っていたことは知っていた。
そんなに点数が悪かったのか、あたしは点数を見るべく破かれた答案を拾い、中身を広げる。
『数学89点……これじゃダメなのか』
なかなかに良い点数だというのに、あの中学生は働くと口走っていた。何故、これでは駄目なのか、あたしは怒り以外の好奇心が初めてあんたに向いた。
翌日から空は求人誌を持って現れるようになる。
図書館の片隅で、勉強もせず、熱心に求人誌と睨めっこ。中卒じゃ正社員の道ですら難しいというのに、空は真面目に求人誌を見ている。
それが一週間も続くのだから、あたしは本当に勉強を投げたのかと憂慮を抱いた。変だな、空の存在を気にするばかりにいつの間にか心配するようになってしまったんだ。
八日目のことだ。
あたしは顔見知りとなっていた館長を通じて、あんたの家事情を知ることとなる。
『あの少年は家が貧しいそうで、塾に通えずに此処で勉強しているのですよ。随分と難しい高校を受けるみたいで。どうやら働く道を選んだようですが』
あっ、とあたしは思った。
あいつは金のない悩みを持っているんだ。事情で塾に通えないんだ。けど、どうにか自分で状況を変えようと足掻いていたんだ。
金持ちゆえに悩みがあるあたし、それとは正反対の悩みを持つ中学生。惹かれるものがあった。
幾日過ぎた頃、空の手元が求人誌から参考書に戻ったことに気付く。
それについて館長に聞くと、『最後まで頑張ってみるらしいですよ』自分の置かされている環境に屈していたというのに、あれから立ち直った、だなんて。
それから、ちょっとあんたの見方が変わった。
毎日図書館に通い詰めているあんたの勉強風景を、恍惚に見るあたしがいたんだ。
今の環境に屈せず、自力で変えようとするその姿が微笑ましくてな。
次第に応援する立場になった。あんたの独り言で『塾生も頑張っているんだしな』と聞いて、もっと微笑ましくなった。
声を掛けてみたくもなったが、何を話せばいいのか……。
段々楽しみにもなってきた。
図書館に入り、あんたを目で探して、空が溜息をついている姿を見ると、ああ今日は調子が悪いんだなと思ったし。空が嬉しそうに綻んでいるのをみると、あっ、今日は良い点でも取れたんだなと思った。
一喜一憂している姿が可愛く見えてきたんだ。
べつだん童顔というわけでもないのだが、あんたの直向きな努力姿に可愛いと思うようになった。
満面の笑みを偶然に見掛けた時は、本当にこっちまで心があったかくなった。馬鹿みたいに。
そうか、あたしはあいつには恋をしているんだ。
自覚をしたあたしはあんたを観察するようになった。
勉強している空の前左右に座ったこともあるし、ちょっと勉強内容を覗き込んだこともあった。声を掛けたくなってやきもきしたあたしは、図書館から出てあんたを暫く付けたこともあったんだぞ。
ふふっ、ストーカーっぽいな。
そして完全にあんたに落ちた瞬間がくる。
その日は寒い冬だった。本当に寒い日で雪がちらついていた。閉館時間になる頃には吹雪いていて、到底外には出られそうにない。
あたしはエントランスホールで迎えを待っていたのだが、幸運なことにあの中学生もホールにいる。今が声を掛けるチャンスなんじゃ。
そう思っていた矢先のこと、空と目が合う。
今まで視線を交わしたことがあれど、意志を宿して視線を交わしたことはなかった。向こうはどんな顔をするのか、反応を待っていると空はさり気ない表情で笑い、あたしに一言掛けた。
『凄い雪ですね』
誰でもない、あたしに向けられた言葉と笑み。
ああいう奴こそ守ってやりたい男なんじゃないかと思った。
そうだ、あたしは素性もよく知らない、あいつに恋をした。守ってやりたい奴に恋をしたんだ。これは何かの運命だと思った。絶対にあんたと繋がりを持ってやる。
意気込むも間の悪いことに、あたしの迎えが来てしまった。返事すらできず、ただただ会釈をして後にする。
それが空を見る最後の姿だとは、当時思いもしなかった。
雪が続く季節が巡る中、空は図書館に来ない。毎日まいにち待っても空は来ない。ああ、受験はどうだったんだろう。受かったのか、落ちてしまったのか、こんなことなら声を掛けておけばよかった。返事をしておけば。悔いて悔いて悔いて仕方が無かった。
あんなにときめく男は初めてだった。
最初こそ腹立たしいと思っていたのに……状況を変えようとする強い男は滅多にお目に掛かれない。食ってしまいたい男だったというのに、ああ、失恋だ。
溜息ばかりついていた入学式以降の春、あたしはまたあんたを見つけることに成功した。
『そーら! 早くしろってっ、オリエンテーションが始まるぞ!』
『待ってよ、アジくん。エビくん!』
廊下を駆ける新入生の中にあんたを見つけた。
まさか、この学院受験希望だったなんて。神様の悪戯か。それともこれも運命だったのか。
なんにしろ、あんたが受かっていたことにあたしは喜んだ。自分のことのように。並行してあたしは失恋した熱を再び滾らせて決意する。今度こそ、あいつを落とす、と。
これがあたしがあんたと出逢い、恋に落ちたまでの経緯だ。なんてことのない始まりだが、あたしにはかけがえのない思い出だ。空、あんたの自力で環境をどうにかする直向きさに、あたしは惚れてしまったんだ。落とされたとはまさにこのことを言う」
「先輩」
「空は弱くない。恐怖を抱いてもいい。前を見てみろ。下ではなく、前を見るんだ。あんたの名前のように、広い世界が待っている。怖いなら、あたしがこうして手を握っておくさ」
先輩の恋愛談を聞き、べた褒めしてくれた手前、もう怖いから外の景色を見るなんて出来ない、とか言えない。
意を決して恐る恐る前を見る。恐怖心が出た。
悲鳴を上げそうになる俺の手を握り、彼女は「前を見ろ」再三再四強要。
頑張って前を見つめる。そこに広がっていたのは、久しぶりに見る高所の広い世界。散りばめられた人工ネオンが高層ビルやマンションのあちらこちらで発光し、夜の街を魅せている。小さな街並みが瞬いていた。あの中で人間が暮らしているなんて嘘のよう。
「綺麗っす」
ポツリと俺は吐露して、先輩の見ていた世界に感銘を受けた。
赤、青、緑、色とりどりの人工ネオンはまるで星のようだ。 満目いっぱいの広い世界、地上では見ることのできない広がった視野、大きなおおきな光景。
ああそうだ、俺もこんな広い世界が大好きだった。高所から見える広い世界が好きだった。
忘れていた、この気持ち。
高所恐怖症という黒い恐怖で塗り潰されてしまった、この高揚感を俺は今の今まで忘れていた。眩い世界に震えながら、俺はぎこちなく笑って吐露する。
「とても……とても綺麗っす。俺はいつもこの世界を見ずに怖いと……言っていたなんて……勿体無いっすね」
高所は今もやっぱり怖いけれど、現在進行形で怖いけれど、でもこの世界を見る勇気を掴んだ気がした。先輩が手を握ってくれているおかげなのかな。
「まだ遅くはないさ」先輩は凛と澄んだ声音で答を返す。
「これから、何度だって見ればいい。遅くなんてない。これから、何度もこの世界を見ればいい……ただな、空。あんたの高所恐怖症、無理に克服しようと思わなくてもいいと思う。思えば思うほど、あんたは無理する。連動して自責の念が強くなる。それでは駄目だ。あんたの大好きだったご両親も悲しむ。
あんたは先ほど言ったな、世界で一番の親不孝をした、と。
きっとそれこそご両親にとって親不孝な発言だと、あたしは思うんだ。
ご両親はあんたに自責などして欲しくない。
自分自身を傷付けて、自分の存在を否定するような発言だけはして欲しくないと思うんだ。
傷付いているあんたを抱き締めることもできなくて、向こうも自責の念に駆られているかもしれない。
向こうのご両親こそ、残して逝ってしまったあんたに日夜謝罪のシグナルを送っているのかもしれない。
空、高所恐怖症はあんたの感情の一部であり過去の産物。
それを否定し、無理やり克服するのではなく、共に歩んでいく勇気を持つべきだとあたしは思う。
今まで克服すると固く決意して抱いていたその恐怖心を受け入れて、ゆっくりと時間を掛けて感情と向き合い、歩んでいけばいい。
現にあんたは恐怖心と向き合い、和解した上でこうして外界の景色を見ているではないか。
ひとつ、あんたは恐怖心と自分の感情をひとつに解け合わすことができた。それだけで大きな一歩だと思わないか?
ダイジョーブ、空は弱くない。この状況だって乗り越えられるさ。ヒトリじゃ無理なら、あたしが後押ししてやる。それがヒーローの務めだ」
おどけ口調で話す彼女を流し目にし、俺は曖昧に笑った。
ちゃんと笑えているか、微妙なところではあったけど、頬の筋肉が軽く緩んでいるのは分かるんだ。笑えているんだと思う。
ふっと俺は口を開いて疑問を彼女にぶつける。
もしも……もしも、あの日あの時あの瞬間、両親が助かっていたら、俺は今頃どうなっていたんだろう。
別次元の俺は和気藹々と実親と暮らしていたのだろうか? 今の両親とは叔父叔母のままで、それなりに交流のある関係を築き上げていたのだろうか?
――彼女、先輩とは出会えていたのだろうか?
時間をリセット、まき戻しができるのならば両親の事故に遭う直前に戻りたい。チビだった俺に聞き分けよく親と公園に行くよう強要したい。そうしたら親は死に直面しなかっただろうから。
けど、過去があって今の俺が在る。
叔父叔母である育ての親を父さん、母さんと呼ぶ事だってなかっただろうし、住む地域だって違っただろうし、エレガンス学院に入学するかどうかも怪しい。過去をやり直したいと思えば思うほど、失いたくない時間もあるから難しいところだ。
こんなことを思ったって時間は戻ってこないんだけどさ。
先輩が返答に困っているようだから、別の質問に塗り替える。
「人が死んだら星になるって、よく物語のフレーズで出てきますよね。胡散臭いフレーズっすけど、でも、信じてみてもいいですよね。それともやっぱり夢物語っすかね、これ」
俺の問いに「いや」即答で否定してくれる彼女は、
「あたしも信じているさ。いや寧ろあたしが信じているんだ。きっとそうだ」
キッパリ言い切った。
先輩は星伝説にまであたし様を発揮するんっすか? どんだけ凄いんっすか、あたし様っぷり。
でも、貴方が言うならきっとそうなんだろう。すんなり受け入れられる俺がいる。
どれだけ窓辺に佇んでいたのか。
「寝るか」先輩の合図で終わりの時間を迎えた俺は、迷うことなくベッドに沈んで眠りに就いた。
すっげぇ疲れてたみたいだ。色んな事が今日一日で一気にあったせいだろうな。現在進行形で感情がごちゃごちゃしている。
明日以降、冷静に自分を見つめてまた悶々悩むことは目に見えているから憂いを抱くけど、でも今はなんも考えたくない。眠りたい。
俺の隣を陣取っている彼女に警戒心を抱く余裕もなく、瞼を下ろす。
先輩は珍しく何も仕掛けては来なかった。いつもだったら、暴走する行為も今日はない。
ただただ俺が眠りに入ってしまうまで髪を優しく梳き、額に唇を落として、そっと。
「Good night. Sweet dreams, baby」




