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11.夢の後先

 


――空、そんな拗ねた顔しないで。ね?



 由梨絵母さんの声。

 俺は顔を上げて由梨絵母さんを見上げるんだけど、あからさま脹れっ面を作っていた。手の焼くスネスネマンになっていた。


 理由は簡単。また約束をすっぽかされたからだ。

 引越しを繰り返す転勤族の我が家は、何かと休日・祝日にも仕事が入る。幼い俺には両親がなんの仕事をしているのかはサッパリだったけど、仕事のせいで毎度の如く約束をすっぽかされることだけは認識していた。


 つまり仕事は俺の敵だったんだ。


 その日も両親が休日に遊んでくれると言ったのに遊んでくれなくて、俺は不貞腐れてしまっていた。


「空、約束。今度の日曜日、お父さんやお母さんと一緒に公園で遊びましょう。だから、ね。今日のお出掛けは我慢してくれる? 楽しみにしていたの、知っていたんだけどお父さんがお仕事になって」


 見かねた由梨絵母さんは、次は絶対約束するからと俺に約束を取り付けてくれる。

 信じられない目で由梨絵母さんを見ていた俺だけど、「公園で遊んだ後。ハンバーグを食べに行きましょう?」子供にとって極上の案を出してきた。

 両親と遊んだ後、ハンバーグも食べられる。それはとても嬉しい。


 「じゃあ絶対に約束」今日は我慢するから、俺は由梨絵母さんと指きりをして約束を呑んだ。


 今度破ったら本当に怒ると言う俺に、「大丈夫」今度は絶対に守るからと由梨絵母さんは一笑。仕事から帰ってきた父さん、信義(のぶよし)父さんも同じように約束してくれた。


「オモチャも買ってやろうかな」


 いつも我慢してくれるご褒美だと信義父さんは言ってくれたっけ。

 今度こそ大丈夫だって分かった俺は来週の日曜を楽しみにした。水曜日辺りに、由梨絵母さんが裕作叔父と久仁子叔母が来ると教えてくれたからテンションはハイハイ。


 だって俺は叔父さん叔母さんが大好きだったから。

 子供に恵まれていない彼等は、会う度にいつも俺に優しくしてくれた。俺の中では大好きと位置づけられる人達だった。



 そして待ち望んだ日曜日。

 両親は約束どおり、休日に仕事を一切入れず、叔父さん叔母さんも十時過ぎに我が家に遊びに来た。

 嬉しくて嬉しくて俺は両親に早く行こうと駄々を捏ねたんだけど、叔父叔母と話している両親はなかなか俺の訴えを聞いてくれない。

 和気藹々と大人同士でなにやら話している模様。


 完全に蚊帳の外に出された俺はむくれて、


「先に公園行くからね」


小声で親に断りを入れて玄関で靴を履き、そのまま外へ。

 よたよたとコンクリートで固められた階段を下りて、アパートを出ると大通りに向かった。


 公園まで目と鼻の先。

 幼い俺でも憶えられる道だったから迷子になることもなく、俺は横断歩道を渡って公園に到着。大好きなジャングルジムに上って、早く皆来ないかな、なーんて思っていた。


 ほどなくして、横断歩道向こうに両親と叔父叔母の姿を見つける。


 やっときてくれた。

 俺は破顔して「早くはやく」両親を手招き。向こうは勝手な行動をした息子に文句を垂れつつ、すぐに行くからと横断歩道を渡り始めた。

 なんてことのないやり取り。だった筈なのに。


 なんで次の瞬間、曲がり角を曲がってきた大型トラックが両親を跳ね飛ばしたのか。悲鳴、ブレーキ音、そして瞠目する人々。


「お父さん? お母さん?」


 俺はいても立ってもいられず、二人の下に駆け寄ろうとした。したんだ。



 そしたらバランスを崩して――「空。そら、大丈夫か?」



 がくんがくんと体を揺すられ、俺はハッと目を開けた。

 何が今、起こったんだろう。目を白黒させる俺は顔を覗き込んでくる女性を一点に見つめて、呼吸を乱していた。あれ、此処は一体……あ、そうか俺、保健室で寝てたんだっけ。

 ベッドを囲むようにカーテンが仕切られている。大丈夫かと声を掛けてくれるのは鈴理先輩。


 いつの間に傍にいてくれたんだろう? 彼女は文庫を片手に俺の顔を覗き込んで、額に手を当ててきた。


「凄い汗だな」


 ちょっと待ってろ、言うやポケットから若葉色のハンカチを取り出して汗を拭ってくれる。


「魘されていたみたいだぞ。顔色が悪い。お茶でも飲めば気が落ち着くかもしれん」


 先輩は文庫を閉じるとベッドにそれを置いて、腰を上げた。

 カーテン向こうに姿を消す先輩を見送って、俺は現状を把握する。


 そうか俺は夢を見ていたんだ。


 夢、いや記憶を辿っていたんだ。


 クシャクシャに俺は笑った。

 なんっつー夢を見ちまうんだろう。あーあ、ほんっと参っちまうって。

 右腕で両目を覆って俺は気を落ち着ける。大丈夫、こんなんで挫けたってしゃーないんだ。もう終わっちまったことなんだから。


「空」


 先輩の声がして、俺は腕を退けると上体を起こした。

 ピンピン跳ねている髪をそのままに、彼女からカップを受け取って喉を潤す。中身はアクエリのようだ。多分病人用の飲み物だろう。てっきりお茶だと思っていたもんだから、甘味が口腔に広がった瞬間驚いちまった。

 中身を確かめず飲んだってのも原因だ。


 けれどアクエリを食道に通しただけでなんだかホッとした。

 一気に飲み干して俺は生き返ったと綻ぶ。水分不足だったみたいだ。体に沁みる。


「ありがとうございます。助かりました。えーっと、今はまだ昼休みっすか?」

 

「いや。放課後だ」


 まじっすか。

 顔を引き攣らせる俺に、「何度か起きたんだがな。すぐにまた寝てしまったよ」と先輩。


 ということは彼女はずっと俺の傍にいてくれたんだろう。


 曰く、昼休みからずっと一緒にいたらしい。それこそ授業すらほっぽらかして。

 俺の担任が来て授業に出るよう言ったらしいけど、そこはあたし様をいかんなく発揮して無理やり此処にいると主張したそうだ。


 ははっ、あたし様強ぇ。

 俺が目を覚ましたら、保健室の先生にその旨を伝え、帰宅してもいいそうだ。担任には保健室の先生が伝達してくれるそうだから。


 「帰れそうか?」先輩の問い掛けに、「もうヘーキっす」俺は元気よく返事をした。

 随分寝たみたいだからな。気分は幾分スッキリしている。幾分だけどさ。


「先輩、時間大丈夫っすか? 今日って合気道じゃないっすか?」


「ああ大丈夫。七時からだから」


 いつの間にか逃がされていたブレザーに腕を通し、フライト兄弟が持って来てくれたらしい鞄を肩に掛けるとベッドから下りた。

 保健室の先生にひとこと挨拶をしてお世話になったお礼を言うと、俺は彼女と一緒に保健室を後にした。


「なんかすんません。心配を掛けてしまって」


 彼女に詫びれば軽く首を横に振って気にしていないと一笑。

 その笑みにちょい安堵。心があったかくなる気がした。


 渡り廊下に差し掛かる。


 グランドが見えた。向こうでは部活に勤しんでいる陸上部員やサッカー部員の姿が。


 そういえば入学してすぐ、アジくんに誘われて陸上部に仮入部したことがあった。

 運動神経はかなり良い方だ。おかげさまで先輩達に部活に入らないか、と熱心に勧誘された事があった。

 入りたい気持ちはあれど俺は特待生。部活をしちまったら、時間に追われそうで結局お断りした。

 未だに陸上部の先輩方に会うと、勧誘されるんだけどさ。



 と、隣に鈴理先輩がいないことに気付く。



 「先輩?」足を止めて振り返ると、向こうのグランドを一点に見つめている彼女の姿。

 目を細めて熱心に部員達を見ているけど、なんかあるのかな?


「もしかして先輩、部活したいんっすか?」


 問い掛けに、「いや」もう習い事をしているから十分だと視線を逸らさず返答。

 ふっとこっちを見る先輩は決意したように、重い口を開いた。それは俺にとって衝撃的な台詞だった。



「空、最近のあんたの様子を見ていて、もしやと思っていたのだが……あんた思い出したんだろ?」



 ザァっと俺等の間に風が吹きぬける。


 思い出したんだろ? だなんて抽象的な表現な。


 俺が何を思い出したか、もっと具体的に仰ってくださいよ先輩。エスパーじゃないんでちゃんと言ってくれないと分からないんっすよ。


 片隅で軽口が通り過ぎるけど、それを表に出すことはできなかった。


 まるですべてを見透かしたように先輩は返答を待っている。

 どぎまぎに俺は笑って、「なんの話っすか?」彼女が期待していた返事とは別のものを用意。彼女の心意を探る。


 鈴理先輩は俺の動揺を見て、確信を得たのだろう。



「あんたは思い出しているんだ」



 無自覚から自覚へと変わったんだ、と鋭く指摘した。



「引っ掛かったのは、あんたの高所恐怖症が酷くなった日からだ。あの時のあんたを見て、まさか……と思った。

 きっと思い出す契機になったのは、あの日あの時あの瞬間、偶然にも車があたし等を轢きそうになった、あの出来事だ。

 その日を境に高所恐怖症が酷くなったとあんたは言っていた。あたし自身は記憶が疼いて、高所恐怖症が酷くなったのだろうと推測したんだ。

 けれど、その時のあんたはまだ思い出してもなかったし、自覚もしていなかった。純粋になんで高所恐怖症が酷くなったのか、と首を捻っていたからな。


 あんたが思い出したのはきっと、あたしに電話を掛けてきた日だ……あんたはなんで高所恐怖症になったのか、知ってしまったのだろう?


 どうして知ったのか、あたしに知る由もないが、月曜からあんたの様子が一変してしまった。単に高所を怖じるだけじゃなくなったんだ。

 見ているだけで分かってしまったよ。空は高所に怯えているんじゃないって。

 ただあたしも確信が持てなかった。安易に聞けることではなかったから――由梨絵母さんと、寝言を聞くまでは」



 頭が真っ白になった。



「すまないな、空。あんたのお母さまからあたしは既に事を聞いているんだ。なんであんたが高所恐怖症になってしまったのか、を」



 先輩は俺が知る前から原因を知っていた?

 しかも母さんがそれを教えた?


 ……いやでも、それがどうした。先輩が知ったところで、それがどうしたんだ。


 知ったところで何が変わるというわけでもない。


 俺だってそう。

 俺が知ったところで、それこそ思い出したところで何かが変わるというわけじゃない。まさか死んだ両親が帰って来るとか? そんなファンタスティックな話がありますか。


「そっか、先輩は知っていたんっすね。ははっ、参ったっすね。俺よりも先に知っちまっているなんて」


 微苦笑を零して俺は頬を掻いた。


「仰るとおりです。俺は思い出していますし、高所恐怖症の原因も知っています」


 原因が分かちまったからこそ、高所恐怖症を早く治さないと。じゃないと周囲に迷惑や心配掛けるから。

 矢継ぎ早に喋る俺は、「ま。どうにかなるっすよ」いつかは治してみせると決意表明。


 たっぷりと間を置いて、彼女は言葉を紡ぐ。


「平然な振りはあたしの前では通じないぞ?」


 今度こそ目の前が真っ白になりそうだった。

 なんでこの人は暴かれたくない俺の感情まで暴こうとするんだよ。

 やめてくれよ、俺は平気なんだって。平気でいたいんだって。嗚呼、肉食お嬢様の見透かす目がマジ怖い。


「平然としようとするから」


 彼女のその先の言葉を聞きたくなくって、


「もう黙って下さい!」


 八つ当たり交じりに怒鳴りつけちまった。

 心配してくれる先輩を怒鳴りつけちまった。

 それでも馬鹿な俺は気が治まらないから、「知っていたなら」声音を震わせる。


「なんでっ、なんでっ、俺に教えてくれなかったんっすかっ。今まで知らない振りをしていたなら、なんで最後まで知らない振りを……してくれないんっすか。最後まで嘘を貫き通して下さいよ! ……お願いです、今のやり取り会話、全部忘れて下さい。俺もっ、俺も忘れますから」


 今ならまだ、何も無かったことにできる。忘れて欲しい。

 俺のためにも、先輩のためにも、今のやり取り会話はすべて、すべて忘れて欲しい。平然にまだ振舞えるから。


「忘れない。空、忘れて逃げようとするなんて卑怯だ」


 真っ直ぐ俺を捕らえる彼女は、そう、のたまった。

 卑怯ってなんっすか、そっちだって俺の高所恐怖症のことダンマリだったくせに。同情っすか、好きだと言っておいて、実は同情で一緒にいてくれたんっすか。


 だったらそれこそ、えげつない嘘だ(違う彼女は嘘なんてついていない。ついているのは、俺だ)。

 本当は彼女の気持ちを分かっているくせに、受け止めているくせに、知っているくせに口が動いてしまう。


「見損ないました」


 俺は暴言を吐いて逃げるように駆け出す。

 彼女の呼び止めが聞こえたのに、それさえ無視して校舎を飛び出した。



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