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04.過去の路を辿るため




「ただいま。って、言っても誰もいないか。父さんも母さんも仕事だしな」



 土曜の補習授業を終えた俺は、習い事がある先輩と別れ、昼前に家に帰宅。

 静まり返っている居間を通り過ぎ、自分の机に向かって鞄を放り投げると、俺自身も着替えずに、そのまま着席。腹の虫がきゅるると鳴る中、俺は机上に伏して項垂れた。

 腹減ったなぁ、午前中で授業が終わったから昼食はまだだもんな。


 家に何かあるかな。

 インスタント麺くらいはあるよな、母さん昨日買い込んでたし。大安売りしてたって嬉しそうに笑ってたもんな。

 うっし、今日に昼飯はどどーんとインスタント麺だ!


 あ、でも項垂れているのは腹が減っているからじゃなく、この現状にへこんでいるからで。


 だってしょーがないじゃんか。


「はぁあ、今日も駄目だった。階段が怖いって思っちまってる」


 もう一週間と一日と四日経っているのに、症状が緩和する傾向が一向にみられない。

 これ以上に酷くもなっていないけど、緩和もしないってどういうことだろう。せっかく高所恐怖症を治したいと明確な目標と理由が見出せたのに、克服法も原因も見出せないとか乙過ぎる。自分のことなのに。

 相変わらず教室の窓には近付けないし、階段も下る時に限って恐怖心を煽られるし。

 昨日なんて階段の踊り場で二の足を踏んでいたら、先輩に姫様抱っこされてっ、あああああっ、思い出さない。思い出さないんだからな!


 小っ恥ずかしい思いをしたとか全然憶えていないんだからなっ!



「はぁああ、なんで原因さえ見つからないんだろう」



 上体を起こした俺は通学鞄を床に置いて、並んだ写真立てを見比べる。

 一つは実親、一つは今の親の写真。各々俺が写っているけど、実親の写真の俺はチビでガキだ。写真も古いし。


 まあ、仕方が無いよな。

 俺が五つの時に、交通事故で死んじまったんだもんな。五歳以降の写真がある筈も無い。

 育ての親の写真は定期的に入れ替わっている。ちなみに今は俺が私立エレガンス学院に入学した時の写真が挟まっている。両方の写真立てを手に取って、俺は微笑を零した。


「老けたな父さん母さん。こっちの父さん母さんは若いまんまだっていうのに。事故さえなければ、一緒に老けていたんだろうな」


 交通事故さえなければ……な。


「まてよ」


 首を傾げて写真を見比べる。

 父さん母さんが交通事故に遭った。それも一応、俺のトラウマではあるよな。高所恐怖症に直接関係ないとしても、トラウマ繋がりなことには違いない。両親を失った悲しみは底知れぬものだったんだから。


 そういえばあの日、先輩とのお泊り会での帰り際、俺は脇見運転していた車と衝突しそうになった。

 先輩が助けてくれたから、事なきことを得たけど……もしかして俺のトラウマってあの事故もどきが契機なんじゃ。


 そうすると、俺が高所恐怖症が酷くなった日程的にも辻褄も合う。


 事故に遭いそうになったから、俺の高所恐怖症が酷く――?


 いや、まだ、まだ何か足りない。

 それだけじゃ説明不足だ。

 第一交通事故で両親を失ったとはいえ、俺はその場にいなかったんだぞ。同じ目に遭いそうになった、それだけで高所恐怖症が酷くなるだろうか? こじ付けとして先輩が轢かれそうにもなったって理由も挙げられるけど、それだけ、それだけで?


 もっと別の理由があるんじゃないか?

 

 あれ、おかしいぞ。

 考えれば考えるほど辻褄が合わなくなる。

 俺の高所に対する恐怖心はジャングルジムから落ちた大怪我であって、両親の交通事故とは無縁な筈。トラウマ繋がりで恐怖心を煽いでいるとしても、高所に対する恐怖心の説明にはならない。

 今の説明でいくなら、俺は、どちらかといえば車に恐怖心を抱いて、車に近寄れなくなる筈なんじゃ。

 もしかして高所恐怖症と交通事故、俺が覚えていないだけで何か関係があるんじゃ。


 そしたら高所恐怖症が酷くなった説明もつく。

 どっくんどっくん、脈が耳元に纏わりつき始めた。

 

 思えば両親が交通事故に遭った時の、その疑問は一杯あった。

 例えば、事故にあったその時俺は何処にいたのか、とか。なんで両親は事故に遭ったのか、とか。ジャングルジムに落ちた事故と交通事故の日は一緒だったのか、とか。

 今の両親曰く不慮の事故で車と衝突してしまったらしいんだけど、でも、はっきりとは教えてもらったことはないよな。

 俺も辛いから教えてもらおうとしなかったんだけど、振り返ってみれば、父さん母さんが事故の話についてうやむやにしたことも多々あった。

 

 父さん母さん、もしかして何か重大な事を俺に隠している?


 俺はそっと後頭部に触れる。

 確かジャングルジムに落ちた時、俺は後頭部を切ったんだよな。んで血をダラダラ流して、救急車に運ばれて意識不明の重体になったとか。どこの公園で俺、落ちたんだっけ。


 ………。


 椅子を引き、俺は箪笥へと向かった。

 重要書類や手紙が押し込まれている引き出すを箱ごと取り出すと、束ねられている封筒を一枚一枚確認していく。


「母さん、物をあんまり捨てない人だからきっと、どっかに。どっかに。あった」


 古紙の臭いを醸し出している茶封筒を見つけ、俺はそれを手に取った。

 裏を返してみると『豊福 由梨絵』と書かれた差出人名。住所と肩を並べて名が記載されている。これは実親の母さんの名前だ。今の母さんの本名は豊福 久仁子だしな。


 実親の母さんと文通していたって母さん言っていたから、手紙が残っているんじゃないかと思ったんだけど、やっぱりあったな。

 俺はおもむろに便箋を取り出して中身を拝見。あんま人の手紙を読むって良くないけど、どうしても気になる事があったんだ。

 前略から始まっている文面はつらつらと日常から、夫の愚痴から、趣味のことからびっしり書かれている。


 わぁお、由梨絵母さんって料理が得意じゃなかったんだな。度々手料理のことで父さんと喧嘩していたらしい。新事実発見ってカンジ。んでもって日常生活話に俺の名前が載っていた。当時の俺は二歳。駄目だ、この手紙じゃない。

 手紙を折り畳んで、次の手紙に目を通す。実親と俺が暮らしていた頃、何度か引越しを繰り返していたらしいんだ。


 所謂、転勤族。

 仕事の関係で転々と引越しを繰り返していたらしい。

 だから由梨絵母さんは母さんと文通をしていたんだろう。引越しの繰り返しって結構ストレスらしいから、文通で気を紛らわしたかったに違いない。


 俺は親が亡くなる寸前の自分の家の住所が知りたかった。

 束になっている手紙に一枚いちまい目を通して、俺はどっかに五歳当時の俺の名前がないかどうか目に通した。


 けど、なんっつーのかな。

 故人になった由梨絵母さんの手紙を読むの、精神的に辛かった。

 俺の名前バッカ出して、息子がはしかにかかった。どうしようだの、可愛いだの、掴み立ちできただの、つらつら書いてくれてるもんだから。愛されていたんだなってしんみり思う。ほんとに。


「まあ、由梨絵母さん。息子の愚痴も散々書いてくれているけど。育児ってのは大変なんだろうな。あ、」 


 俺は何枚目かの手紙に目を通す。

 そこには俺の五歳の誕生日の話題と、引越し完了の文字。それから今度近場に引っ越して来たんで一緒お食事でもどうですか? とお誘いが綴られている。


 これだ。

 この手紙に書いてある住所を辿れば、きっと。


 その手紙だけを残して片付けを済ませた俺は早速、腹ごしらえを済ませて外出した。


 思い立ったが吉日。

 とにもかくにも俺が昔住んでいた地元に行ってみたい。行ってみたくなったんだ。そこに行けば、きっと何か分かる気がして。

 幸いにもご近所みたいだし、チャリでいけない距離じゃないけど、うーん、此処は食い下がってバスで行こう。先輩と初デートした時の金が残っているし。


 すっげぇ勿体無いけど、勿体無いんだけどっ、でもなるべく早く行って早く戻って来たい。


 母さん達には知られたくない。

 もしも、知られてしまった時が気まずいしな。




 住所を辿るために、俺は停留場に向かう。


 制服のままだったけどまあいいだろう。私服よりかはマシな姿だし、着替えるのが面倒だ。停留場で料金を調べて(片道280円? 詐欺だろ!)、目的地に向かうバスに乗り込んで揺られること20分。


 俺は見慣れない土地に足を踏み込んだ。

 そこは比較的住宅街になっているんだけど、わりと商店街とかも目に付く。中途半端に活気付いた街ってのが第一印象だ。


 さてと、この住所によると、んー、二丁目地区実親は住んでたみたいだな。

 えーっと案内板は何処だ。案内板に地図が載っている筈……あ、あったあった。


 俺は酒屋前の案内板に駆け寄ると、黄ばんだ地図を頼りに住所を調べる。

 この時、機械音痴の俺は携帯で地図を出すって知識が無かった。しょーがない、アナログ人間なんだから。


 案内板を頼りに俺は記憶にない土地を歩き出す。

 此処に昔住んでいたいんだよ、と言われても、全然憶えの無い場所だ。

 かれこれ十年も前の話だし、仮に俺が街並みを憶えていたとしても、十年も経てばガラっと雰囲気も変わるだろう。


 取り敢えず俺が住んでいた家まで向かうことにする。

 何度かご近所であろう人に声を掛けて道を尋ねながら、俺はゆっくりとした歩調で過去の思い出を掴むために歩き続けた。

 暫くすると、なんとなく懐かしい一軒家を目の当たりにする。築三十年は過ぎているだろうその一軒家の前で立ち止まり、マジマジと観察。重箱の隅を突くような思い出が蘇ってきた。


 そういえば、俺、この家を通って母さんとスーパーまで買い物に行っていたな。

 此処の家の金木犀の匂いがすっげぇ好きで。母さんにせがんで暫く立ち止まってもらったっけ。意外とチビだった記憶も残っているもんなんだな。俺は微笑を零して、止めていた足を動かし始める。


 曲がりくねった歩道を通り過ぎ、坂道を下り、無造作にアスファルトに植えられた外灯の雑木林を横切り、俺は真っ直ぐに真っ直ぐに目的地を目指す。

 25分ほど歩いた頃、俺は一軒の三階建アパート前で足を止めた。わりとお洒落な塗装をしているアパートは西洋風だな。住所によると、俺は此処に住んでいたらしい。うーん、こんなアパートに住んでたっけ? もっと古かったような記憶があるんだけど。


 頬を掻いて佇んでいること5分。

 二階に住んでらっしゃるのであろう住民さんが一階に下りてきた。朗らかな表情をしたおばちゃんだ。


 彼女は買い物に行くみたいで、駐輪場に爪先が向いている。

 けど俺を不審者、もしくは困り人だと思ったのか「こんにちは」と声を掛けてきた。


 なるべくは不審者だと思われたくない。俺は笑みを浮かべてこんにちは、と返す。


「何かお困りですか」


 おばちゃんは茶封筒を持った俺を迷子だと思ったらしい。

 迷子じゃないんだけど、まあ、尋ねられたら親切に返さないと。親切心で俺に声を掛けてきてくれているんだから。


「その、俺。昔此処に住んでいて、ちょっと訊ねてみようと。あ、ちなみに此処であっていますよね? この住所」


「ええ、間違いないです。此処の……あら、豊福由梨絵って」


「あ。俺の母の名前ですけど」


 するとおばちゃん、「まあじゃあ貴方。空ちゃん?!」素っ頓狂な声音を出された。


 びっくりしつつも肯定。

 おばちゃんは「まあまあ大きくなったわね」と、主婦ならではの会話を始める。

 まったく記憶の無い人なんだけど、おばちゃんは興奮気味に俺の身形を見るや否や、


「んまあこの制服。エレガンス学院じゃない、もしかしてそこに通ってるの? 頭いいわね。うちの息子なんて勉強をろくすっぽうしないから……あ、息子のこと憶えている? よく一緒に遊んだのよ」


 矢継ぎ早に言われて俺は苦笑い。おばちゃんパワーすげぇ。


「今、元気に暮らしている? あんなことがあって音沙汰が無かったから……空ちゃん、元気?」


「すっごく元気ですよ。あの、えっと、すみません。宜しければお話、聞かせてもらってもいいでしょうか?」


 目を丸くするおばちゃんに俺は頼み込むことにした。


 “あんなことがあって”の話を詳しく聞かせて欲しい、と。



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