21.王将からの逆王手
三人がエレベーターを降り、目的の部屋に向かっているとゆらっと待ち構えていたように人影が目の前に現れた。
その人影に三人は足を止め、サッと身構える。
警戒心を募らせた眼で相手を確認、人影は玲にとって見覚えのありすぎる男だった。
「博紀」眉根を寄せ、相手の身なりを満遍なく見渡す。
言いたいことは沢山あるのだが、まず開口一番に指摘したいことは身なりだった。高値であろうスーツが真っ白、いや白にピンクがかった粉でデコレーションされている。顔は払拭したあとがあるものの、髪は所々汚い。白い。粉っぽい。見事に無残な姿である。
その姿でホテルをうろついていたのか。よく不審者と間違われなかったな、つい皮肉を零してしまう。
舌を鳴らす博紀は禍々しいオーラを隠そうともせず、「空さまにはヤラれましたよ」あの人は本当に油断がならない。いやすべてはあのクソガキせいか。花畑がいなければこんな目には……ブツクサと文句を垂れている。
取り敢えず悲惨な目に遭ったことだけは理解できた。
「どうやら玲お嬢様も、なにやら馬鹿なことを起こそうとしているようで」
もし、会長に歯向かおうとしているのであれば大馬鹿者ですよ。歯向かうことで何が起きるか。
意味深に笑ってくる彼の嫌味な眼、なにかを物語っているが一体……。
不安に駆られていると、「玲ちゃーんだ」ということは説得に成功したのかぁ。能天気な声が空気を換えた。顧みれば、自分達から来た方角からのらりくらりと二階堂楓、竹之内真衣がやって来る。
ヤッホーイと片手を挙げる兄の姿に大雅は早々溜息をついていた。彼も兄には大層苦労しているようだ。
楓は飄々とした笑みを浮かべ、博紀に歩むと手首を取って「はいこれ」掌に物を落とした。それはUSBメモリ。空が鈴理に謝罪文を送った、あのUSBメモリである。笑みを深めた楓は、「大層な物を仕込んでくれたね」高そうだから返しておくよ。ひらひらっと手を振って博紀から去る。
能面を作る目付けを余所に、楓は足先を第二控え室へ向けた。
目的地は皆、一緒でしょう? もう王将は目の前だと口角を持ち上げ、足を動かす。彼の先導に続いて真衣、玲、大雅、鈴理が後に続く。と、鈴理は足を止めて博紀の方を振り返った。彼の悪意に満ちた眼を瞳に映し瞠目する。
嫌な予感が、大きな胸騒ぎがした。
ばばーん。
口で作った効果音で飾り、楓は第二控え室を勢い良く開ける。
白けた空気すら漂わないその控え室の向こうには、ノートパソコンと向かい合ったご老人がテーブルに着いて珈琲を啜っていた。今日に合わせて着飾ったスーツなのだろう。いつも以上に高級感溢れている。
此方を一瞥もせずディスプレイと向かい合っている御堂淳蔵は、「やってくれたな二階堂楓」パイプ椅子に凭れ、忌々しそうに舌を鳴らす。
いつも余裕ぶっている祖父がこのような表情をするとは珍しいと玲は思って仕方がない。
ふふんと得意げな笑みを浮かべる楓はこれでも骨が折れたんだよ、とウィンクした。
「何をしたんだよ」大雅の質問に、「合併を持ちかけたのですよ」真衣が答える。
曰く、鈴理と大雅が共同作業で解析したデータをもとに、共食いされそうな企業とそれを起こしそうな企業を合併させるよう仕向けた。
片方が片方を食らい、支配する、潰すのではなく、合併共存という形に流れを持っていたのだと真衣。約一週間でよくもあれだけの企業を合併に同意させることができたものだと感心をみせた。
共食い返しをするのではなかったのか。目を丸くする大雅に、「あれはうそ」どっかの誰かさんを警戒させる罠だと楓がおどけた。
相手に共食いを仕掛けてくるのではないかと錯覚させれば、それなりに受け身となり、守備の姿勢を見せてくる。守りがかたくなれば動きも鈍くなる。そこを狙って楓は行動を起こしてみせた。
自分達が提携している企業と、御堂財閥が提携している企業の合併提案を申告したのだ。
すべてが合意するとは思えないが、それでも合意する企業が増えればグンと共食いされる確率も減る。また合併すれば、提携財閥の動きも探ることができる。共食いしようにも下手に動けないというわけだ。
たとえ資金を出しているのが財閥だとしても、明確な理由がない限り、企業にとって有利となる条件を一蹴することは難しい。
寧ろこれで拒絶を示せば企業の信用を失いかねない。財盟主のひとりであろうと、人の信頼を勝ち取ることは容易ではないだろう。規模は一企業、二企業の話ではないのだから。
「優秀な弟妹のおかげで、貴方の目論見が明るみにでましたよ。僕も大手柄! ふふっ、若造にしてはやり手だと思いません?」
へらりへらりと笑う楓は、「不届き者の僕は」貴方達の座を狙う男です。以後、御見知り置きを。恭しく頭を下げてみせた。
これは楓から淳蔵に対する宣戦布告である。自分と繋がりのある人間と協力し、必ず五財盟主のご老人を地位から引き摺り下ろす。その地位に上がってみせる。だからこそお孫さんは大事にするべきだとぼけた表情を一変させ、野望を秘めた破顔を作った。
「なっ!」悲鳴を上げたのは大雅である。
財盟主の人間に対してその口のききよう。命知らずも良いところだ。兄は本当に何を考えているのだろうか。本気なのか、その宣戦布告。
目を白黒させる大雅を余所に、楓はお孫さんからも何かあるみたいですよ、と発言権を玲に渡す。受け取った彼女は二枚の契約書を取り出し、各々手に取った。
「豊福との婚約。貴方との命令で交わしていましたが、今日を持って白紙にさせて頂きます。これからは僕と豊福の意思で契約していきたいので。もう仕組まれた婚約はごめんです」
言うや、持っていた契約書を破り、もう片方の契約書も手にかける。
「彼の借金は僕達が払います。楓さんにはそれをお願いしたいのですが……、本当は祖父と契約を交わした“元凶”を此処に出してやりたい。けれど今すぐには無理そうなので」
「五百万くらいなら余裕だね。僕が受け持つよ。ふふっ、淳蔵さん、成立しますよね? 借金さえなくなれば、婚約の一件は基本的に本人の意志に委ねられる。特に御堂夫妻は愛娘を尊重する人達。さっき個人で話をしてきました。婚約の策略も把握済みですよ。―――もう貴方の意思はもう反映されない」
それどころか家族との仲に溝ができちゃいますね。これも自業自得でしょうけれど?
アイロニー帯びた表情で淳蔵を見やる楓だが支配者は笑みを崩さない。
それどころか申し出を簡単に承諾する姿勢を見せた。財閥の人間を呼び、挙式が開かれているのにも関わらず、だ。
何を目論んでいる? 次第次第に警戒心を募らせる楓に、「その契約を交わすには」豊福家長男を寄こしてもらわなければ。淳蔵が飄々と条件を出してきた。
婚約を交わしているのも、借金の肩代わりになっているのも彼だ。本人を此処によこし、サインを貰わなければ話にならないと伝えてくる。
簡単な条件だが、違和感を覚えて仕方がない。
言いようのない恐怖心を感じた玲は大雅に、「豊福と連絡はつくか?」大至急ここに寄こして欲しいと頼む。
了解だと頷き、大雅が連絡を取る。彼の友人から一報は入っている。確かに駐車場に向かった筈だ。しかも他の友人やガードマンの森崎達が一緒なのだから無事であることは明確。なのになんだ、この言いようのない不安は。
スマホで連絡を取る大雅の傍らでは玲が血の気を引かせている。
彼女は見てしまったのだ。祖父のギラついた瞳を。一見紳士に見えて、自分の手中に獲物をおさめたと勝ち誇っている、その凶暴ともいえる笑みを。
「ま、さか」自分達の行動を先読みして祖父が一手を起こしたのでは? ネガティブな思想に染まっていく玲。その肩に真衣が両手を置き、しっかり気を持つよう声を掛けた。
大丈夫、きっと連絡が繋がり次第、彼の元気な声が聞ける。
真衣の慰めも、淳蔵がすべて握り潰してしまう。
「玲。言った筈だ。女のお前から彼を奪うことなど容易い。相応しくない人間は斬り捨てるべきだと思っている、と。惜しい男を失ったねぇ。運が良ければ命は助かるだろうけれど」
「と、豊福に何をっ、なにをしたんです!」
「時期に分かる。もう、時期に」
支配者の嫌みったらしい笑みと同着で、「んだって!」大雅の驚愕した声音が控え室を満たした。
真衣の手から離れ、どうしたのだと大雅に縋る。決まり悪そうにスマホから耳を離す大雅は「やられた」駐車場で一騒動起きたらしい、と申し訳なさそうな面持ちを作る。
「豊福を乗せていた車がっ……奪われた。どっかに連れてかれちまったらしい」
世界が暗転しそうになった。
「そんな」だって博紀は彼の傍にいなかったのにっ、ガードマン達が傍にいた筈なのにっ、どうして。
顔面蒼白する玲に、逆らうからこうなるのだと淳蔵が白々しい態度で同情した。今頃、彼は素敵過ぎるドライブを楽しんでいるに違いない。素敵過ぎて天国に行っているかもしれない。
一々人の心を抉るような言葉を吐くご老人に、さすがの楓も豹変した。
「御堂淳蔵っ、お前はそうやって人のトラウマを作る気か! 実の孫にそうやって恐怖心を与え、服従させようとする気なのか!」
「孫だろうとなんだろうと関係ない。使えない駒は使えるよう調教する。それでも無理なら斬り捨てる。少しばかりじゃじゃ馬娘の孫に刺激を与えないとな」
「っ……、だから五財盟主は嫌いなんだっ! お前等、五財盟主の起こす行動は人の傷付くことばかりだ!」
怒声も支配者の心は勿論、耳にすら届かない。足を組みなおし、自分達の起こす反応を静観している。嫌な眼だ。
「不味いことになっちまった。どうする兄貴? 鈴理も落ち着けよ……、すず、り?」
ここで大雅は鈴理の姿が見当たらないことに気付く。
あの馬鹿。まさか一人で飛び出したんじゃっ、血相を変える大雅に、「そういえば」鈴理さん。この部屋に一緒に入ってきましたけ? 真衣が素朴な疑問を口にする。
瞬きを数回繰り返し、大雅は思い出のページを捲る。
鈴理は俺達と途中まで一緒だった。それは憶えている、が、部屋に入った時にはもう――?




